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美女と賢者と魔人の剣  作者: 片遊佐 牽太
第八部 魔人の剣篇
81/117

080 集落 ★

※全体のワールドマップは『目次』ページの下部にあります。

挿絵(By みてみん)

※世界観把握のためのもので、細かな距離感などは反映できていません。




 ハーランド王国の北寄りにある港町アシュベルは、行き交う多くの人々によって栄えた街だ。

 港町というだけに頻繁に船が就航し、それらがもたらす物品によって、街では盛んに交易が営まれている。


 そして、それらが呼び寄せるのは、商人だ。

 従ってアシュベルには、数多くの商人が存在している。


 加えてアシュベルの近くには、複数の迷宮ダンジョンが存在していた。

 迷宮ダンジョンには魔物モンスターが出現し、その魔物モンスターを倒せば憑代よりしろと呼ばれるアイテムが落ちる。

 アシュベルにある冒険者ギルドや魔法ギルドは、その憑代よりしろを集め、冒険者に決して安くない報酬を支払っていた。

 従ってアシュベルには、多くの冒険者が集っている。


 つまりこの街は、商売に、冒険に――多くの希望と野心に満ちた人間が、行き来して栄えた街なのだ。


 その人々の行き来を支えるのは、アシュベルに繋がる二本の街道である。

 港町としてかなりの数の船が出入りするアシュベルではあるが、ハーランド王国の街は、殆どが内陸部に位置している。故に船が人々の交通手段となる機会は、思ったよりも多くない。

 それもあって、二本の街道は時間帯によっては人でごった返す。

 出身、性別――それこそ髪の色、目の色、肌の色が違う人々が、同じ街道を南へ――あるいは北へと歩いて行く。


 アシュベルから伸びる二つの街道のうち、特に混み合うのは南に延びている王都アンセルへと通じる街道だ。

 この街道を通って王都アンセルまで歩くと、二日ほど掛かってしまう。

 だがそれでもなお、途中の宿場町を経由して王都まで移動する人は少なくない。


 もう一つの街道はアシュベルより東に延びる街道だ。

 こちらも冒険者を引き寄せる迷宮ダンジョンに通じているため、行き交う人の数は決して少なくない。

 だが、その迷宮ダンジョンへ向かう分かれ道を通り過ぎてしまうと、その先は内陸の小さな街、カリスまでは何もない道となる。

 言ってしまえば、わざわざアシュベルの人間が、小さな街であるカリスへ向かう理由はほとんどない。逆にカリスの人間からすれば、大きな街であるアシュベルを訪れる理由は沢山ある。よって、このアシュベルから東に伸びる街道を歩く人は、カリスに住む人が大多数を占めていた。

 それらの人々は朝方にカリスを出て、街道を西に向かい、アシュベルに至る。そして用を済ませて、陽が落ちる前に街道を東に向かい、カリスに戻るのだ。

 それから考えると、外套がいとうをスッポリと被った四人の集団が、陽が高い時間に街道を“東”に向かうのは、自然な姿とは言えないだろう。少なくとも普段から街道を行き来する人から見れば、視線を集める不自然な対象であるに違いない。

 その想像はあやまたず、街道ですれ違う人は決まって四人の集団に視線を移し、そして行き過ぎてからも、その集団を振り返った。

 正直あまり注目されたくないんだが――と思い、苦笑する。

 そういえば以前にここを通った時も、似たようなことを考えていた。

 それが昨日のようでもあり、遠い過去のようでもある。


 あの時は――この街道を“西”へと歩いていた。

 今はこの街道を、“東”へと進んでいる。


 側にいる人の数は――あの時は一人。

 今は、三人いる。


 自分に秘めた決意は――あの時は“生き抜こう”というものだった。

 そして今は――。


 俺は、自分と歩調を合わせる三人の美女を見ながら思う。

 今は――彼女たちと、“共に生きよう”というものに、近い。




 俺とグレイス、シルヴィア、セレスティアの四人は、王都アンセルから港町アシュベルまでを馬車で移動し、そこで一夜を明かした。

 翌朝になって、俺たちは街道を東に進み、徒歩でカリスへと向かっている。

 空間魔法の開門ゲートでの転移に慣れてくると、こうして歩いて街から街へと移動すること自体が新鮮になってくる。

 開門ゲートの魔法で転移するためには、転移先に通称くさびと呼ばれる魔法のマーカーを打たなければならない。そのため、基本的に新しい街へ行くには、やはり馬や徒歩で向かう必要がある。

 逆に言えば、一度到達した後は開門ゲートの魔法で行き来することができる。だから、行ったことのある場所が増えれば増えるほど、実際に自分の足で移動する機会が少なくなるのだ。


 だが、今回向かっている場所は、初めて行く場所ではない。

 俺が開門ゲートの魔法を覚える前に過ごしていた場所――俺がこの世界へ到達し、暫く生活していた場所へと、戻るのだ。





「――ここに寄ろうとされているのだと、思っていました」

 吹き抜ける風に流される黒髪を押さえて、小さく微笑んだグレイスが、俺の背中越しに声を掛けた。


 陽は傾いている。

 風通しが良く、見晴らしの良い丘の上に、人の姿が四つ。

 丘の上に立った小さな墓標は、陽の光を浴びて、身の丈以上の長い影を作っていた。


 使徒という称号を持ちながらも信心の伴っていない俺は、相変わらずクランシーの祈りを知らない。

 俺は墓標の前で腰を落とすと、自分なりのやり方で、手を合わせ、祈りを捧げた。

 後方から近づいたグレイスも、それにならって祈りを捧げる。


 ふと見ると、墓標の前には小さな花が手向たむけてある。

 風で飛んでいかないよう、石を重しにしてあった。


 誰がここに花を捧げたのだろうか――? 少し考えたが、俺に思い当たる人物はいない。

 良く見ると、どうも今日置かれたものではないようだ。


 花を手向けた人が、誰なのかは判らない。

 そして、きっとここに花を手向けた人も、この下に眠る人物が誰なのかを、判ってはいなかっただろう。

 だが――誰が眠るとも知らない墓であっても、花を手向け、祈りを捧げてくれる心遣いを持った人が、この世界には存在している。


 俺は元の世界にいた時、こういった感情には、正直無頓着むとんちゃくだったと思う。

 しかし、元の世界から離れたことによって――異なる世界で感じる、元の世界との共通点が、とても価値のあることだと感じさせられるようになっていた。

 この世界の人々は――俺が元いた世界と同じように、暖かさを持っている。



「――ここは?」

 遠慮がちな声で、俺に向けてセレスティアが問いかけた。

 故人に対してフードを被ったままでは失礼だと思ったのだろう。彼女はフードを取り、自分の頭を陽光にさらした。金髪がその光を反射して、美しくきらめいている。

 俺は横目で振り返りながら、セレスティアの問いに答えた。

「魔人に利用されてしまった――俺の恩人が眠る場所だ。

 俺がここに現れなければ、ひょっとしたら“彼女”は今も生きながらえていたかもしれない。

 だが一方で、彼女の存在がなければ――今の俺は、存在していなかった」

 俺の言葉を聞いたセレスティアとシルヴィアが墓標に近づき、ひざまづいて祈りを捧げる。

 二人が捧げた祈りは、それぞれ違った様式のものだった。それらはもちろん俺の祈りとも違っている。

 これだけ不揃ふぞろいな祈り方をされたら、あの世でアスリナも大混乱かもしれない。

 俺は混乱する彼女アスリナの表情を思い浮かべて、思わず小さな笑みをこぼした。


 俺は今一度表情を引き締めて、改めて三人に言う。

「俺は“彼女”に――アスリナに貰った命の分だけ、生きなければならない。

 そして俺は、アスリナのように魔人に翻弄ほんろうされる人を、これ以上作りたくはない。

 それが所詮、俺の手の届く範囲でしかなかったとしても、だ。


 ――ここは俺が、最初にそう考えた場所だ。

 だから、ここは俺の“この世界における”生き方を決めた場所――いわば、原点なんだ」

 セレスティアとシルヴィアが、静かに俺を見る。

 俺が“この世界における”という言葉を強調したことで、彼女たちの目にはその真意を図ろうとする感情が、見え隠れしていた。




 アスリナの墓に寄ってから間もなく、俺たち四人はカリスの町に到着した。

 もちろん開門ゲートでアシュベルに戻り、宿に泊まることも出来る。だが、俺は一度カリスの町を見ておきたいと思い、カリスに宿を取ることにした。

 カリスの町は田舎町だけに、規模も大きくなければ住む人の数も少ない。

 交通の要衝ようしょうという訳でもないため、町に出入りする人も決して多くはなかった。

 それだけに宿の数もそれなりで、数も少なければ一軒一軒の規模も小さい。


 カリスに着いたのが夕暮れ時だったこともあって、宿は殆ど選ぶことができなかった。四人が別々の個室を確保するなどという贅沢はできずに、四人が一つの大部屋に押し込められることになってしまう。

 これにはセレスティアが、「今からでも遅くはない、アシュベルに戻ろう」――と、微妙な抵抗感を示す台詞セリフを吐き出した。

 だが直後にシルヴィアが発した、「別にいいじゃないの。何か問題でもあんの?」という言葉を聞いて、セレスティアは無言になってしまう。若干可哀想ではあるのだが、ここは少しだけ我慢して貰うことにしよう。


 俺はみんなと夕食を終えた後、大部屋に戻って三人を集めた。

 正直、このタイミングを作りたいからカリスに残り、大部屋に泊まったと言っていい。だから、わざわざアスリナの墓でも、前振りとなるような話をしたのだ。

 俺は――俺とグレイスが話したこと、そして俺とレダが話したことを、シルヴィアとセレスティアに、包み隠さず伝えるつもりだった。


 グレイスとレダから聞いた、この世界フロレンスで過去にあったこと。

 グレイスが持つ『宝物庫』と、その引き継ぎに用いられた『禁書』の秘密。

 グレイスが魔人ユルバンの娘であること。そして、魔人レーネのめいであること。


 そして、俺がクランシーの使徒であり――『魔人』であること。



 シルヴィアとセレスティアはこれまでにも、彼女たちなりに色々と想像はしていたはずだ。

 だが、実際話した情報量の多さと内容の濃さは、青天の霹靂へきれきとでも言うべきものだっただろう。


 俺がそれでもなお、一度にこの話を伝えたのは、彼女たちに俺やグレイスの背景バックボーンを、しっかりと知って貰おうと考えたからだ。

 その上で、彼女たち自身の判断によって、この先も俺と共に闘うかどうかを、決めて貰おうと思っていた。


「――正直、何と言っていいのか判らないが――」

 聞いた話を咀嚼そしゃくしながら、セレスティアはそう前置きして話し出した。

「クランシーの使徒がアラベラの使徒と同じ『魔人』だというのは、知る人が知ればかなり問題にはなるのだろうな。やはり、今の人々の一般的な理解で言えば、クランシーの使徒は『神の遣い』なのだから。

 私はクランシーの信徒ではあるが、元々信仰の厚くない地方の出身だ。

 しかも私自身は元聖騎士ではあるが、聖職者になるほどの信心を持ち合わせている訳ではない。

 その観点で言えば、私の目の前にいるのはケイという人間であって、それ以下でもそれ以上でもないと、素直に理解することができる。

 だから、ケイ――あなたが『神の遣い』であろうと『魔人』であろうと、私はそれを理由にして、あなたに対する評価を変えることはないと思っている。

 重要なのは肩書きではない。大切なのは信念と――実際に起こす行動だと思う。

 でないと、騎士位きしいを返上して『魔人』を追った、私自身の行動とも噛み合わないからな」

 セレスティアは真剣に、俺に気を遣いながら言葉選んで話してくれている。

 俺はその心遣いを感じながら、ゆっくりと頷いた。

 すると、セレスティアの話を聞いていたシルヴィアが、薄く笑う。

「フフ――真面目な人は、色々大変ね。

 あたしの方は正直、何だっていいわ。だって、ケイはケイだもんね。

 別に実は悪魔でした――とか、実は吸血鬼でした――とか言われても、あたしは驚かないから。

 仮にそう言われても、多分、そのまま受け入れちゃうんじゃない?」

 さすがにこれだけ軽く受け止められると、拍子抜けだ。思わず自分の悩みが、馬鹿馬鹿しいとすら思えて来てしまう。

「さすがにその思考は柔軟性が高すぎやしないか?」

 俺が苦笑しながらシルヴィアにツッコミを入れると、彼女はニヤリと笑って俺の目を見て言った。

 どうも俺がそう返してくるのを、待っていたような雰囲気がある。

「――バカね。

 男に付いていくと決めた女なんて、そんなものよ」

 その台詞セリフを聞いて、グレイスが俺の方を向いたのが判る。

 目を合わせないようにはするが――彼女の刺すような視線が痛い。セレスティアもこちらを伺うように、チラチラと見ているようだ。

 俺はシルヴィアの放った思わぬ言葉の逆襲に、話自体を早めに打ち切ろうと、乾いた笑い声を上げた。


 真実を話して、彼女たちにその後の行動を選んで貰おうなどというのは、俺が勝手に考えた烏滸おこがましい思考だったに違いない。

 俺はシルヴィアとセレスティアの言葉を聞いて、素直にそういう感想を抱いた。

 彼女たちは、俺の話を聞いて、そこから自分の行動を定めるなどということはしていない。というより彼女たちには、そもそもそんなものは必要なかった。


 セレスティアもシルヴィアも、こんな話を聞く前から、この先も俺と共に闘うということを――既に選択していたからだ。





 翌朝、出発の準備を整えた俺たち四人は、目的地であるフェリムに向かって出発した。

 ここから先は、グレイスを先頭に立てて、彼女の先導に従って歩いて行くことになる。


 それに先だって、カリスを出て街道に入るところで、グレイスは俺たちを振り返りながら口を開いた。

「これからフェリムへご案内しますが――、

 わたしも父が亡くなってからは、一度もフェリムへ戻ったことがありません。

 ですので、今のフェリムがどのようになっているかは把握していません」

 彼女の父――ユルバンがこの世を去ったことは、彼女を旅立たせる切っ掛けになった。

 俺はその時期を尋ねようとしたのだが、無意識にユルバンの死に対する質問を避け、グレイスの旅立ちに対する問い掛けをした。

「――グレイスがフェリムを出てから、今でどれくらいになるんだ?」

 グレイスは少し考えてから、それに答える。

大凡おおよそ――二年になると思います。

 わたしと父は、フェリムの集落から少し離れた場所に住んでいました。

 わたしは二年前――父の今際いまわきわに、父の最後の言葉に従って、家に火を放ってからフェリムを後にしています」

 彼女はサラリとそれを言葉にしたが、さすがに俺はそれを問い直した。

「家に火を――?

 どういうことだ?」

 だが、グレイスはそれに対して首を横に振る。

「判りません――。

 わたしは父の指示した通り、父の死を確認する前に家に火を掛けました。

 ですので長い間、自分がまだ生きる時間を残している父を、殺してしまったのではないかと――思い悩んでいました。

 ここから先はわたしの勝手な想像でしかありませんが、父は持っていた『禁書』を、家ごと処分しようとしていたのではないかと思っています。

 父は存命中、わたしに『禁書』を絶対に触らせませんでした。

 まだあまりそういうことを理解していなかった時に、父が大切にしていた『本』に触れようとして、酷く叱られたことを記憶しています。

 ですがそれ以降、わたしは『禁書』がどこに存在しているのかを、知ることはありませんでした」

「そうか、『禁書』――」

 忘れていた訳ではないが、俺の脳裏に改めて『禁書』という言葉が駆け巡る。


 確かにユルバンは、“宝物庫”をグレイスに引き継ぐための秘術を、『禁書』から得ていた。

 では、ユルバンはその『禁書』をどうしたのだろうか?

 『禁書』そのものは、“宝物庫”と同じく、この世界のバランスを崩しかねないもののはずだ。

 ユルバンは賢者セージとまで呼ばれた男だから、『禁書』を処分するなら、確実に処分できる方法を考えるようにも思うのだが――。


 俺はふと、レーネが守る書庫を頭に思い浮かべながら、そんなことを考えた。

 とはいえ、自分がこの世界から居なくなるにあたって、危険なものを何とか処分しようするという考えには共感できる。

 まあ、俺は元の世界に置いてきてしまった、あんなものやこんなものは処分できずにいるのだが――。


「わたしは自宅に火を掛けたあと、そのままフェリムを出てしまっていて、それ以降集落には戻っていないのです。

 フェリムに住んでいた時は、集落の方々とはそれなりに仲良くお付き合いしていたと思うのですが――。

 ただ、最後に家から火を出して姿を消していますから、ひょっとしたら戻っても良い扱いを受けられない可能性があります――」

 若干沈み込んだ調子になるグレイスを励ますように、俺は声を掛ける。根拠のない一言ではあるが、それでも掛けておきたいと思った。

「きっと、大丈夫だ。

 ――ところでグレイス、フェリムには転移門らしき構造物はあったのか?

 そういう記憶があるなら、教えて欲しいのだが」

 グレイスはそれには首を横に振る。

「いいえ、少なくともわたしが知る範囲には、そういった類いのものはなかったと思います。

 ただ――」

「ただ?」

「フェリムのそばには、迷宮ダンジョンがあります。

 元々フェリムという集落は、迷宮ダンジョンがあるから出来た場所なのです。

 集落の生活が成り立っているのは、その迷宮ダンジョン目当ての冒険者が集い、その冒険者を相手にした商売が成り立っているからで――。

 迷宮ダンジョンの規模は大きくはありませんし、そもそもわたしが小さい時から父に連れられて闘うことができた場所ですから、強い魔物モンスターも出てきません。

 ただ、強さの割に、比較的価値のある憑代よりしろが落ちる場所ではありました」

 小金稼ぎに向いた迷宮ダンジョンというところだろうか? 一攫千金を追いかけようというのでもなければ、そういう場所に入りびたる冒険者というのが、一定数存在しそうだ。

「ひょっとして、その迷宮ダンジョンには――」

 俺が発しようとした言葉の意味を、理解したのだろう。俺の言葉の途中で、グレイスは頷きを返した。

「はい、未探索の部分があるのです。

 正確に言えば、わたしが探索していない場所がある、という言い方になるのかもしれません。

 わたしは基本的に父が案内してくれなかったところには足を踏み入れませんでしたから、迷宮ダンジョン全貌ぜんぼうは把握していません」

「これまでの転移門は、全て迷宮ダンジョンの中にあった。

 だとすると――そこが一番有力ではあるな」

 俺の推測に、グレイスも頷いた。

「はい、推測に過ぎませんが――わたしも迷宮ダンジョンの中が、一番可能性があると思います」

 俺はそれを聞いて全員に向き直る。

「よし、一旦フェリムの集落の方へ向かおう。

 直接迷宮ダンジョンに入ってしまう方法もあるが、やはり集落がどうなっているのかを見ておきたい。それに冒険者がいるなら、迷宮ダンジョンに関する情報が得られる可能性もあるしな」

 俺の提案に、シルヴィアとセレスティアも頷いた。

 それを見たグレイスは笑みを浮かべ、俺たちの前に立ちながら、これから向かう先を指し示す。

「判りました。

 ではこれから――フェリムにご案内します」

 俺はその声に応えるように、頷き返した。




 グレイスの案内に従い、俺たちはフェリムに向かって歩き始めた。

 最初の内、歩きやすい街道のそばを進んでいただけに、全員がこの旅路を侮っていたように思う。

 ところが途中から木々の間を抜けるようになり、道に凹凸おうとつが付き始め、足下が徐々に斜面になり始めたところで、俺とシルヴィアの表情は硬くなった。

 ジグザグにうねった緩い坂道というのは――想像以上に体力を消耗し、しんどいのだ。

 恐らく俺たちはグレイスが元々想定していたよりも多くの休憩を挟み、グレイスが元々想定していたよりも随分遅いペースでフェリムへと進んでいた。


 そうして――俺たちが実際フェリムの集落に着いたのは、陽が完全に傾き、夕暮れになった時間だった。

「あそこが――フェリムの集落です」

 グレイスが指さした先を見ると、確かにいくつかの家の屋根が見える。その内のいくつかは既に夕食の準備に入っているのか、モクモクと煙突から煙を上げていた。

 見た目だけで判るが、町はもちろん村とも形容しづらい――森の中の集落だ。

 規模はかなり小さく、家から外に出ている人は、まばらにしかいない。

「フェリムは昔から賑やかとは言えない場所ではありましたが――それでも人が、減っているように見えます」

 グレイスがここを離れてからわずか二年という期間しか経っていないが、小さな集落の変化に要する時間としては、十分なのかもしれなかった。

かく集落に入ってみよう。

 ――グレイスの知っている人が、きっといるはずだ」

 俺たちはそう言って、フェリムの集落へと入っていく。


 人気ひとけの少ない集落においては、外套がいとうまとう男女四人の姿は、嫌が応にも目立つようだ。

 それこそ集落の人々は、何事かという雰囲気で俺たちの方へと注目する。

 集落の人の警戒感を落とすために、グレイスだけは外套がいとうのフードを外すようにしていた。

 もちろん、グレイスを知る人を探すという意味もある。


 その意図が通じたのか、グレイスを見た集落の中の一人が、こちらへと近づいてくるのが判った。

 見ると、少し小太りな中年の女性だ。買い出しの途中だったのか、沢山の野菜が入った籠を持っている。

「あんた、まさか――グレイスかい?」

 女性は先頭に立つグレイスに近づいて、声を掛けてきた。

 やはり、グレイスを知る人物らしい。

「セルマ小母おばさま――。

 ご無沙汰しています」

 グレイスはそう言って、女性に向かって深々と頭を下げた。

 セルマと呼ばれた中年の女性は、グレイスの言葉を聞いてパッと表情を明るくする。

「やっぱり! グレイス、無事だったんだね――!」

 セルマは一際大きな声を上げて破顔した。

 グレイスは俺の方を振り返ると、冷静な口調で俺に告げる。

「わたしと父がお世話になった方です。この集落で冒険者向けの宿屋をされています」

 俺とセレスティア、シルヴィアが、その女性に会釈えしゃくをする。

 それに合わせて辿々たどたどしく、中年の女性セルマも俺たちに向かって会釈した。


 セルマは俺たちにはあまり、興味を抱いていないようだ。こちらには視線をとどめず、グレイスに再び話しかけている。

 俺はセルマの視線が自分の方へ向かないのを確認して、念のため彼女を“凝視”した。

「フェリムに戻ってきたのかい。

 家が火事になってから、あんたもユルバンさんも急にいなくなって――みんな心配してたんだよ」

 セルマはいたわるようにグレイスを見ている。あまり良い扱いを受けないかもしれないと言っていたグレイスの心配は、杞憂きゆうに終わりそうだ。

「申し訳ありません――。

 父は――残念ながら、他界してしまいました。

 こちらのみなさんは、お変わりないのですか?」

「あんたたちが居なくなってから、二年ぐらいかねぇ? その間に随分人は減ってしまったけど――」

 中年の女性セルマはしっかりとは明言していないが、人は減ったが生活は変わりないという意味だろう。

「わたしの家は――焼けてしまっているとは思いますが、そのままになっていますか?」

 グレイスがそう尋ねると、セルマは少し申し訳ないという表情を作って言った。

「最近はあっちにあんまり行ってないんだけど、多分そのままになってると思うよ。

 あんたのお隣さんも、そのまま住んでるはずだけどねぇ――」

 その言葉を聞いて、グレイスが目を細める。

「お隣――?」

 グレイスはそう尋ね返して、殆ど気づくか気づかないか判らないぐらいの時間、俺の顔を見た。

 俺は彼女に判るように、無言のまま頷く。

「いえ――教えていただいてありがとうございます。

 後で少し家の方を見て来ますね。

 小母おばさんは、フェリムの宿屋をまだ続けておられるのですね」

 グレイスがそういうと、セルマは鼻息荒く、笑みを浮かべた。

「やってるよ! 冒険者もここのところは全然だけどね。

 ――グレイス、あんたも冒険者になったんだね? もちろん無理にとは言わないけど、良かったら泊まっていっておくれ」

 グレイスはそれには明確に答えず、セルマに対して笑みを返した。

 セルマはそれからグレイスと一言二言の挨拶を交わすと、買い出しの荷物を持って、去っていく。


 俺たち四人は中年の女性セルマの姿が見えなくなるまで、その場に無言でたたずんでいた。

 彼女の姿が見えなくなった直後、グレイスが俺に近寄って口を開く。

「ケイ、わたしの家は集落から離れて建った小さな一軒家で、お隣と呼べる家はありませんでした。

 もちろん、わたしの記憶が間違っていなければ、ですが」

「――それ以外に、不審な点はなかったか?」

 俺が尋ねると、グレイスはそれには首を横に振った。

「それ以外は特に――。

 見た目も、話し方も、わたしの中の記憶と合っています」

 今更な話ではあるが、簡単に集落の中に入り、全員の姿を見せてしまったのは、少し迂闊うかつな行動だったかもしれない。

「故郷に戻って久々の対面なのに、水を差すようなことはしたくないが――。

 残念なことに、どうやら“集落ここ”には、無粋ぶすいなヤツがいるようだ。

 さきほどの女性、何者かに“魅了”されていた」

 俺の言葉を聞いた三人が、表情を引き締める。

「では、その居ないはずの“お隣”というのは――魅了によって記憶を置き換えられている可能性があるということか」

「その可能性が高い」

 俺は、セレスティアの言葉に頷いた。

「しかし――冒険者や戦闘員でもないただの住民を、魅了する理由は何なのだ?」

 続けてセレスティアが発した疑問には、残念ながら俺も適切な答えが浮かんで来ない。

 俺は状況をしっかりと把握するために、グレイスに向かって口を開いた。

「グレイス、魅了されているのがさっきの女性だけなのかどうかを知りたい。

 集落の他の人と会えないだろうか?」

「判りました。食堂と酒場を兼ねたお店がありますのでご案内します。

 そちらへ行ってみましょう」

 俺はグレイスの言葉に頷き、彼女の案内に従って、集落の中心にある食堂へと向かうことにした。




 ちゃんとした自炊の文化があるフロレンスにおいて、食堂を利用する人間というのは、基本的に冒険者が中心になる。冒険者とはつまり、フェリムの外から来た人間のことを意味していた。


 グレイスが案内してくれた食堂にいたのは、五人ほどの男たちだ。

 一見して冒険者風の者もいれば、集落の住民らしき軽装の者もいる。

 セレスティアとシルヴィアは一応フードを被っているが、先ほどと同じようにグレイスはフードを脱いで、顔を露出していた。無論、グレイスに視線が集まるのだが、セレスティアとシルヴィアの二人も、外套がいとうだけでは整った女性のシルエットを隠すことができていない。

 無理もない――こんな田舎町に美女を三人も連れた男が姿を見せるわけだから、どう考えても興味の対象になる。

 それぞれ出で立ちの異なる男たちではあるが、彼らは息を合わせたように、俺たちの姿に無遠慮で興味深げな視線を投げかけるという、共通の行動をとった。

 すると、食堂にいた五人の男のうち、一緒に食事を取っていたらしい二人の中年男性が、グレイスを見て近寄ってくる。

 直後に彼らがグレイスに掛けた言葉を聞くと、どちらの男性もグレイスとは顔見知りのようだった。

 俺はグレイスと談笑し始めた二人の中年男性の状態ステータスを、素早く読み取っていく。そして、こちらに視線だけを投げ掛けてくる冒険者らしき三人の状態ステータスも、確認していった。


 しばらくすると、中年男性二人と話を終えたグレイスが俺の側に戻ってくる。俺は三人に目配せをして、そこで食事を取ることもなく、食堂を後にした。

 そして、食堂から少し離れたところで円の形になり、今判った情報を交換し合う。

「――二人とも知り合いの方でした。

 一通り会話してみましたが、どちらの方も不審な点はありません。

 もちろん、居ないはずの“お隣さん”がいることになっていること以外は――ですが」

 グレイスの報告を聞いた上で、今度は俺が得た情報を、三人に話す。

「結果から言うと、冒険者らしき三人も含めて、全員何者かに“魅了”されていた。

 つまり、ここは魅了された“集落”だと考えた方がいい。

 だが――もう明らかな通り、全員魅了はされているのだが、俺たちに害意を抱いて襲ってくるようなことがない。

 集落の人間全てを魅了して、集落の生活が成り立っていることを考えると――恐らく全員を魅了している目的は、むしろ集落を“今のまま維持し続けるため”だと考えた方がいい」

「今のまま――?」

 俺は疑問の表情を見せたセレスティアの顔を見ながら、それに答えた。

「例えばある日突然、この集落に魔人がやって来たとする。当然、集落は上へ下への大騒ぎになるはずだ。

 だが、集落の人間全てを魅了し、全員に“この集落は、昔から魔人と一緒に生活していた”と思い込ませたとしよう。

 だとしたら人々は、魔人がいることを不自然だと思わず、いつも通りの日常生活を営むはずだ。

 つまり、非日常の部分に目を向けさせず、変わらぬ日常を装いたいがために、わざわざ全員を魅了して集落を維持しているという可能性がある。

 もしその想像が正しいとしたら、魅了が解ければ平常ではいられないようなものが、ここには存在するということだ。

 問題は、それが何なのか、ということだが――」

 そこまで話した時、セレスティアが周囲を警戒しながら、口を開く。

「ケイ、どうする? そろそろ陽が落ちてしまう。

 このままここに居座るか?」

 だがその発言には、シルヴィアが強い抵抗感を示した。

「さすがにここで夜を明かすのは、危険過ぎるんじゃない?

 ――グレイスには悪いけど、昔から知ってる人ばっかりだとしても、ちょっとね」

 グレイスを気遣った発言だったが、当のグレイスもシルヴィアに同調する。

「いいえ――。

 わたしもここにいるべきではないと思います」

「そうだな。

 この後、魅了された住人がどういう行動を取るのかは気にはなるが、今その危険リスクおかす必要もないだろう。

 今日は一旦アシュベルに戻って、明日出直すことにしよう」

 俺は自分の発言に三人が頷くのを見て、アシュベルへの開門ゲートを開いた。


 ――俺はこういう事態を、まったく予想していなかった訳ではない。

 だが今回の事態は、集落の住人が巻き込まれる形になっている。

 その事実がどうしても――過去、アスリナを巻き込んでしまった俺の心に、重くのし掛かっていた。





 港町アシュベルに戻って夜を明かした俺たちは、朝食を早めに取り、必要な支度を調えて再びフェリムの集落へと移動する。

 今度は転移後にどんな危険があるか判らない。それもあって、住民を威圧しない程度に、装備を調えてから転移した。

 ところが――。


「これは――どう思う?」

 転移して間もなく、俺たち全員が異変に気づいた。

 俺の発した言葉に対して、三人ともが“訳が判らない”と言いたげに、首を横に振っている。


 俺は昨日訪れた食堂だけでなく、近くにある家を手当たり次第、覗き込んでみた。

 時間は丁度、朝食を取るような時間だ。

 それもあっていくつかの家には、暖かそうな湯気が上がる、朝食が用意されていた。

 ――そこまでなら、この光景は何ら不自然なところがない。


 問題は、それを食べる住人が一人として“見あたらない”というところだった。


「誰も――いません。

 それこそ全員が、今突然、集落ここから消えてしまったかのように――」


 俺はグレイスの言葉を聞きながら、人の温もりが消えてしまった“集落”を、鋭く見渡すのだった。





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