007 邸宅
殺意をもって襲いかかってきた相手と、その直後に共に闘おうというのだから、因果なものだ。
もちろん、俺は目の前の女性を完全に信用した訳ではなかった。
だが同時に、この女性を信じてみたいとは思っている。
その理由は決して、目の前の女性が美しかったから、ということではない。
――いや、それも少しは理由になっているかもしれなかった。
多分――ほんの少しだけは。
俺とグレイスは警戒しながら、ロドニーが入っていった屋敷の敷地へと侵入した。
敷地を真っ直ぐ歩いていくと、屋敷の入り口に到達出来るシンプルな構造になっている。
だがシンプルなだけに、俺たちが侵入しようとする姿を隠す手立てがない。
当然、敷地の裏側へ回り込む手段も考えた。
だが、どちらにせよロドニーと闘う結末なのであれば、最初から見つかっていても正直大差はないだろう。
その意味で言えば、正面玄関への道は俺たちの行動が目に付きやすい反面、罠を仕掛けられそうな場所や物陰が少なくて、奇襲を受けづらいとも考えられる。
俺たちはそれも考慮して、結果的に正面突破を選択することにした。
役割としては、グレイスが前衛、俺が後衛という形になる。
職業で言えば、グレイスが魔法剣士、俺が魔法使いなのだから、そういう形が自然だ。
前衛を任されたグレイスは周囲を警戒しつつ、少し腰を落としながら前へと進んでいく。
それを後方から眺めると、黒衣に包まれたグレイスの肢体が、月明かりを反射してよく見えた。
何ともまあ――さっきからパンツスーツに包まれた、左右に動くお尻が気になって仕方がない。
「――何か気になるものはありましたか?」
周囲を警戒して見渡すグレイスが、俺に小声で尋ねた。
「ある――あっ、いや、ないない!」
「――――」
慌てて否定した俺を、グレイスがジト目で振り返る。
「共に闘うと決めた以上、一蓮托生なんです。
――お願いですから、真面目にやってください」
「ごめんよ」
怒られてしまった。
グレイスは再び警戒しながら、入り口への道を辿っていく。
仕方なく俺は気を取り直して、改めてグレイスのお尻を鑑賞する作業に戻るのだった。
俺たちは特に奇襲や罠に晒されることなく、無事に屋敷の入り口に辿り着く。
ここから先は状況に合わせて、強行突破があり得るかもしれない。
グレイスは用心深く、正面玄関の扉を開けようとする。
俺はその扉を注意深く“凝視”したが、扉のサイズや材質は状態として把握出来たものの、施錠状態にあるのかどうかが判別出来なかった。
自分自身の能力が強力であることを理解しつつも、どうもそれが、万能という訳ではないことが判ってくる。
グレイスが扉のノブを捻ると、扉は簡単に開いていった。どうやら施錠はされていなかったようだ。
「不用心だな」
俺のコメントに、グレイスが呆れるように反応した。
「逆ですよ。誘い込もうとしているから、施錠する必要がないんです」
グレイスは扉の向こう側に人の気配がないのを確認してから、屋敷にスルリと入って行く。俺も音を立てないよう気をつけながら、それに続いて屋敷に侵入した。
屋敷に入ったところは、大きなホールになっている。
相当に豪勢な作りになっていて、広い空間の正面には大きな上り階段があった。階段に敷かれた豪奢な赤い絨毯が、これでもかというぐらい豪邸を意識させている。
「ここは――ロドニーの隠れ家なのか?」
俺の問い掛けに、グレイスは首を横に振った。
「それにしては大きいですから、恐らく貴族の屋敷を乗っ取っているのだと思います」
「さすがにこのデカい屋敷じゃ、片っ端から部屋を調べる手法は時間が掛かりそうだ」
俺が途方に暮れると、グレイスは小さく笑って俺に言う。
「ハーランド王国では、貴族の寝室は縁起を担いで必ず二階の南西に作る風習があるのです。ロドニーがこの館の主人として収まっているのなら、彼はそこにいる可能性が高いと思います。
まずはそこに向かいましょう」
グレイスはそう言って、階段を駆け上がって行った。
それで気づいたのだが、グレイスは普通に歩いているように見えて、全く足音を立てていない。
俺がそれに注目したのに気づいたのか、彼女は階段の途中で振り返って俺に言った。
「シークレットステップです。
密偵のスキルが高くなると習得出来る“技”です」
「技か――。
グレイス、出来ればこの“仕事”の後にその辺りも含めて、色々教えて欲しいことがあるんだが」
俺の発言を聞いて、グレイスはフフフと微笑んだ。
「いいですよ。
でも、ケイはもうロドニーを倒せる気でいるんですね」
「――色々約束しておくと、倒せる気がしてくるんだよ」
俺は若干強がりも含めて、そう言ってみた。
正直ロドニーと本格的な戦闘になってしまった場合、二人がかりとはいえ倒せるかどうかが判らない。仮にロドニーに仲間がいた場合は、結構絶望的になってしまうだろう。だからこそ引き際は、間違えないようにしておきたい。
俺とグレイスは、忽ち二階の南西の部屋へと到達した。
目の前には周りの部屋よりも一回り大きな扉がある。それが、この扉の向こうの部屋が他の部屋とは違う、特別なものであることを暗示していた。
グレイスは扉の周りを調べ、罠がないのを確認した上で、慎重に扉のノブに手を掛けようとする。
「待て」
俺は扉を開けようとしたグレイスに声を掛け、その動作を止めた。
「――――」
グレイスはノブを手にしたまま、俺の顔を振り返っている。その意図を確かめようとして、彼女の深青の瞳が俺の目をじっと見つめていた。
俺はグレイスが静止したままなのを確認した上で、目前の扉を“凝視”する。
――見える。
この奥に確かに、ロドニーがいる。
俺の状態確認の能力は、扉の向こうにいる相手にも有効なようだ。
ただ問題は、そこには“もう一人”、別の人物が見えるということだった。
「この向こうにロドニーがいる。間違いない」
「――判るのですね」
どう理解したのかは判らないが、グレイスは俺の能力を素直に受け入れている。
「すぐ側にアスリナもいる。
ただ、彼女のレベルは高くない。だからアスリナがロドニーの仲間なのか、ロドニーに捕らえられているのかが判らない」
「その――アスリナというのは?」
「俺が世話になった、教会手伝いの女の子だ」
その言葉を聞いて、グレイスが再び俺の目を見つめてくる。
何とも形容しがたい表情で、目が訴えかけて来ているようだった。
それで、あなたは“どうするのですか”?と。
「――ロドニーは倒す」
俺は決意を込めて、そう言った。
俺が答えた内容は、直接的にアスリナをどうするかを、意味していない。
だが何となく目の前の美女は、その回答に含まれた真意を汲み取ってくれるような気がしていた。
「わかりました。
――わたしから、二つ、お伝えしておきたいことがあります。
まず一つ目に、わたしはロドニーが自分の求めている相手であるかどうかを、確かめなければなりません。
ですが、それを確かめるための手法は、ロドニーと闘ってみるしかないのです。
だから、ロドニーと闘い始めるまでのやりとりは、ケイにお任せします。
ケイが確かめたいことを、まず優先してください」
「わかった。助かる。
戦闘になったときは、俺は基本補助に回るから、自由に闘ってみてくれ。
俺も本格的な戦闘経験が多い訳じゃないから、上手く立ち回れるかは判らないが」
それを聞いたグレイスはニコリと微笑んで、改めて口を開いた。
「二つ目は、仮にロドニーがわたしの求めている相手だった場合ですが――。
ケイの言うことが正しければ、わたしたちの力がロドニーに及ばない可能性があります。
闘いの中で、もしそれがハッキリしたのなら――ケイは気にせず、隙を見て戦闘を離脱してください」
俺はその言葉に、グレイスの深青の瞳を見つめた。当のグレイスは、一切表情を変えていない。
俺とグレイスの間には、特に信頼めいたものはまだ存在していないはずだ。なので、ここでグレイスが俺の身代わりになる理由はない。
どちらかというと、今見え隠れしているのは、グレイスが敵を倒す決意の現れなのだと思うが――。
俺はグレイスが言った内容には直接的に答えず、端的に先ほどと同じ答えを返した。
「――ロドニーは倒す」
どれほど彼女に伝わるかは判らない。
だが、俺は決意をもって最善を尽くすだけだ。
例え、その結果が、どうなったとしても。
俺の言葉を聞いたグレイスは、再び表情を崩して微笑んだ。
「――了解です。
では、お互いの健闘を祈って」
彼女はそう呟くと、扉に手を掛けて押し進んだ。
大きい扉が、軋むような音を立てながら、開いていく――。
目の前にあるのは、広い空間だ。
石造りの邸宅だが、手前には広間と呼べるほどの空間があり、奥にベッドや調度品が置かれているのが判る。
広く、仄暗い空間の奥に一カ所だけ明かりが点いていて、それが僅かに揺らめいていた。
その一つの明かりが、ベッドの上で躍動する人影を照らし、長い影を作っている。
俺の前を警戒して歩いていたグレイスは、そこで繰り広げられている光景を確認して、完全に動作を止めてしまっていた。
――と、崩れるように一歩二歩、後ずさりする。
俺はグレイスに並び掛かると、奥のベッドを覗き込んだ。
そこにいたのは――、
全裸で抱き合い、絡み合ったロドニーとアスリナだった。
な、何という、うらやまけしからんことを!!
予想外の情景に、俺もグレイスも声を失ってしまっている。
だがさすがにロドニーは、部屋に入ってきた俺たちの存在に気づいたようだ。
彼はベッドから立ち上がり、アスリナをそのままにして、俺とグレイスの前に進み出た。
ロドニーはもちろん、全裸のままだ。
何というか、微妙に“立派”なのが、許しがたい。
「このようなところまで上がり込むとは、あまり感心しませんね」
サラサラ髪の優男が、飽くまで優しげな声で語りかけてくる。
その声を聞いたグレイスがピクリと反応して、ニールの長剣を構え直した。
だが、ロドニーの姿を見て、結局顔を背けてしまう。見ると、視線が泳いでいるのがちょっと可愛い。
「どうしてここに入ってきたのか、尋ねても良いでしょうか?」
ロドニーはニヤリと表情を緩めつつ、俺に問いかけた。
イケメンは全裸でブラブラしていても、何だか様になっているように見える。憎い。
取りあえず僻んでも始まらないので、俺は早々に核心に迫っていくことにした。
「クランシーの神父というのは、随分と生臭でもいいんですね」
俺は、後方のアスリナを揶揄しながら言う。
当のアスリナはベッドに横たわったままだった。ロドニーは彼女を振り返ることもなく、表情を変えずに腕を組んで答えてくる。
「そうでもありませんよ。
どちらかというと、私が“特別”なものですから」
尻尾を見せた訳ではない。だが、“特別”という言葉を聞いて、俺はニヤリと笑った。
「なるほど――。
あなたはクランシーの神父でありながら、“アラベラの使徒”でもあるから、特別だということですね」
“アラベラ”という言葉を聞いた瞬間、ロドニーは明らかに目を細めた。
だがそれでも、余裕の表情は崩していない。
「――なるほど、やはりあなたは“クランシーの使徒”なのですか」
“クランシーの使徒”という言葉が俺に投げかけられた瞬間、俺の頭に鋭い痛みが走った。恐らくクランシーの“制約”のせいだ。
今回は自ら“制約”を破ろうとした訳ではないが、“制約”に近づく内容を、他人から投げかけられても影響があるらしい。これはちょっと厄介だ。
俺は“クランシーの使徒”という部分には触れずに、言葉を続けた。
「俺はあんたのことを――最初から疑ってた」
「――ほう」
ロドニーは無言で、俺の次の発言を促している。
俺は未だベッドに寝そべっているアスリナの方に意識を向けると、彼女の様子を窺い見た。
顔を起こしたアスリナは、どことも言えない場所へ向けて視線を彷徨わせている。明らかに普通の状態とは思えなかった。
暗い部屋のせいで彼女の様子はあまり良く見えないのだが、俺はこの明るさでも問題なく状態を確認することが出来る。
即座にアスリナを“凝視”し、彼女の状態を確認した俺は、自分の中の確信をより確実にした。
「アスリナはルーメンの森の中で倒れていた俺を、あんたが助けてくれたんだと言っていた。
俺も最初はそうだと思っていた。
だがルーメンの森を知り、俺が倒れていたコボルド池に改めて到達して、確信したことがある。
それは、俺はあんたに助けられたのではなく、“あんたに殺された”んだってことだ」
「――――」
ロドニーの表情は動かない。
一方グレイスは、視線を俺の方へと向けた。
無理もない、普通に考えたら俺が発言した内容は、かなりおかしい。
だが――様々な情報を組み合わせた結果として、俺はその考えにある種の確信を持っていた。
邪神と言われる“アラベラ”と、その“使徒”であるロドニー。
恐らく“アラベラ”は、人々の信仰の対象になっているクランシーとは敵対する勢力だろう。
その“使徒”であるロドニーが「クランシーの気配がする」と言って、一人でルーメンの森に入った。
俺はコボルドを倒した時点では瀕死だった。だが、死んだ訳じゃない。
俺は時間が経てば、自動体力回復のスキルによって、回復するはずだった。
しかし、次に目覚めた時、俺はロドニーに運ばれて教会にいた。
クランシーの“制約”という名の加護を発動させて、“命の回復”をした上で、だ。
これだけだと俺は自分が倒したコボルドとは別のコボルドに、殺された可能性もある。
だが――。
「ルーメンの森で俺が闘ったレッドコボルドと、そこにいるアスリナには共通点がある」
「ほう、どんな共通点ですか?」
「あんたのスキルで“魅了されている”、という共通点だよ」
ロドニーは、それを聞いて、クククと邪悪に笑った。
「――なるほど、あなたは何か特殊な能力をお持ちのようですね」
「倒れた大人の男を、たった一人で足場の悪い森の奥地から運び出せるほど、特殊なスキルじゃないさ」
俺は、疑問の原点になった事象を突きつける。
俺がルーメンの森を探索し、コボルド池まで到達して感じたのは、足場の悪さと森の中を歩く難しさだった。
その中を、大の大人を担ぎながら、教会まで戻ってくる――。
それがどれほど異常なことなのかは、想像するだけでも判った。
「光属性魔法には回復だけでなく、“光の転移”という空間を移動出来る魔法があるのです。
ご存じですか?」
ロドニーは、俺の指摘に対して光属性の魔法を使ったことを示唆してくる。
だが、俺はその言葉を聞いてニヤリと笑った。
「――いや、あんたには無理だ。
何しろあんたはわざわざ光属性じゃない、“水属性の回復用魔法”を使っているからな。
そうしないといけない理由は簡単だ。
あんたの属性が、光属性の魔法が使えない“闇属性”だからだ」
「――――」
俺の言葉を聞いたロドニーの表情が、硬く強ばったのが判った。