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美女と賢者と魔人の剣  作者: 片遊佐 牽太
第七部 使徒と魔人篇
79/117

078 証明

 自分の現在地を、上手く認識することができない。

 自分がどうなっているのかを、的確に説明することができない。


 だが、俺の身体がその場に“倒れている”ことは、容易に判断することができた。

 全身に感じる、石造りの床の――冷たい感触。

 それが俺に、“お前は倒れているんだよ”と、教えてくれるからだ。


 緩やかに五感が戻る中、“視覚”が俺の居場所を、ゆっくりと示唆しさしてくる。

 俺はまだ、目を開いた訳ではない。

 ただ目を開く前から――少なくとも周囲ここが、“暗闇ではない”ことを伝えてくれるのだ。



 俺は“世界と世界の狭間”から、光差すフロレンスの世界へと戻ってきた。


 ゆっくりとまぶしげに目を見開くと――俺は、真っ直ぐ顔を起こして、目の前にあるものを見上げる。



 俺の目に飛び込んで来たのは、一体の石像だった。

 俺はこの石像を――過去に見たことがある。

 ただ、目の前の石像それと俺の記憶の中の石像それには、相違点があった。


 俺はその場にふらりと立ち上がり、目の前の“石のかたまり”を改めて見上げる。

「クランシーの――石像か」

 間違いない、それはクランシーの石像だった。

 だが、石像は損傷していて完全な形を保っていない。本来四本あるはずの腕は、二本が欠損し、二本が残っている状態だ。

 何故この場にクランシーの石像があるのか――? 様々な疑問が、矢継ぎばやに俺の頭に浮かんでくる。

 そして、その答えを探ろうとしていたところに俺の後方から、男の声が投げかけられた。

「――大丈夫かい?」

 俺は後方へ振り返ると、その“金髪の男”を視界に入れる。

「ああ――大丈夫だ」

 何となく問いかけに即答してしまったが――。

 ひょっとしたら金髪の男レダの質問は、“身体的に”大丈夫かという問いかけと、“精神的に”大丈夫かという問いかけの、二重の意味を成していたのかもしれない。


 レダは俺のそばに近寄ると、石像の向こう側にある出口らしき扉を指し示した。

 ――どうやらここは、屋敷の中の一室のようだ。

 俺は無言のまま、彼の催促に従って、その扉に向かおうとする。


 気分は――あまり良くない。身体的にも、精神的にも。

 ただ、だからと言って、それを表に出すことは極力しない。

 みんなで抱えるべきことと、俺自身が抱えるべきことは、違うと思うからだ。

 レダから聞いた後半の話は、俺自身の問題だ。

 その問題をスッキリさせるためには――きっと俺自身が自分の心に折り合いをつけ、何らかの答えを出さなければならない。


 俺が無言のまま、扉に向けて歩き始めようとした瞬間、レダが声を掛けて来た。

「ところで――興味本位に聞くのだが、キミは“深層”とどういう関係なのかね?

 そもそも“深層”の導きということ自体が珍しいことだが、どうも私の知識欲が掻き立てられてしまってね――」

 レダは本当に興味津々きょうみしんしんというていで、俺に笑いかけてくる。

 一瞬、下衆げす勘繰かんぐりだな――という言葉が思い浮かんだが、レダはここまで俺の話に付き合ってくれたのだ。それを考慮して、俺はその質問に素直に答えることにした。

深淵しんえんの迷宮の最下層に落ちて、そこで知り合っただけだ。

 ただ、そこから抜け出すのにひと月以上掛かってしまったが――」

 俺がそう言うと、レダは意外なところに食いついた。

「ひと月以上――?

 まさか、その間ずっと“深層”と一緒に居たというのか?」

「ああ、そうだが――?」

 俺の答えにレダは感心したように言う。

「よくそれほどの長期間、“深層”が我慢し続けられたものだ。

 ひと月もの間、目の前にクランシーの使徒が居れば、その力を奪いたくなる衝動は相当なものだからな。

 特にそれが異性ともなれば、力だけでなく、性的な欲求も高まる」

「――――」

 思わず俺は、固まって無言になった。

 それを見てレダは、ニヤリと笑いながら言葉を続ける。

「まあ――それはないか。

 “深層”はああ見えて、身持ちは堅いし、全く浮いた話がなくて有名だったからな。

 そんなことがあれば、まさに一大事だ」

 その発言に、俺は思わずレーネとの間に起こったことを思い出してしまった。

 もちろん、あれは俺の方に欲求があったのは確かだが――。拒まない彼女にも理由があったということなのだろうか?

 ただ、そういう理由でああなったとは、思いたくはない。

「正直、男性に縁がないようには見えないが」

 俺が若干小さめの声でそういうと、レダはそれを拾って小さく首を振った。

「女は身近に偉大な者がいると、意識せずともそれと比べるようになってしまうからな」

 偉大な者――?

 そうか――レダ派は魔人の王の意思を継いでいる訳だから、偉大な魔人の王を身近に見ていたということなのかもしれない。


 俺は気を取り直して、レダが指し示した扉に近づいた。

 そしてふと後方を振り返った瞬間に、あることに気付く。


 ――あれ?

 先ほど見たクランシーの石像は、確か腕が二本だったはずだ。

 だが、今見えているクランシーの石像は、どう見ても――腕が三本あるように見える。

「どうかしたか?」

 呆然と石像を見ていた俺は、レダに声を掛けられてハッとする。

「いや――」

 恐らく見間違いだろう。崩れた像がどういう状態にあろうと、正直俺に関係するとは思えなかった。


 俺は扉から出ると、ようやく自分の現在地を理解した。

 俺は屋敷に入った直後の階段ホールに、直結した部屋に居たのだ。

「ケイ!!」

 立ち上がった大きな声に、俺の視線が吸い寄せられる。

 そこには俺の帰りを待っていたであろう、グレイスたち四人がいた。

「済まない、待たせてしまったようだな」

 俺はそう言って、集まってきた四人に謝罪の言葉を掛ける。

「ううん、無事で良かったわ。

 それで――話したいことは話せたのかしら?」

 シルヴィアが俺と、俺の後方にいるレダの姿を見比べながら言う。

 その表情で判るが、レダに対する警戒心を解いていないところが彼女らしい。

「ああ、みんなのお陰だ。

 ただ――それで判ったことだが、残念なことに転移門はもう一つあるらしい。

 俺は、それを破壊しなければならない」

 そう言うと、すかさずセレスティアが俺の発言を訂正した。

「“俺は”ではなく、“俺たちは”――だろう?

 しかし、これで次の目的地がハッキリしたことにはなるな。

 それだけでもここに来た甲斐がある」

 彼女の言葉は、俺が一人ではないことを再認識させてくれる。

 俺はその言葉に小さく微笑みながら頷いた。

「そういうことだ。

 それと――済まないが、それ以外のことについては、少し自分なりに整理してから話したい。

 後でちゃんと話すことは、約束する」

 俺がそう言って全員の顔を見渡すと、グレイスがニッコリと笑って言った。

「ええ、判りました。

 では――後はサリータに戻ってからにしましょう」

 俺はそれに頷き、早速サリータへの開門ゲートを開通させる。


 レダの方を振り返った俺は、改めて彼に感謝の言葉を伝えた。

「レダ、俺が聞きたかったことはちゃんと聞かせて貰った。感謝する」

 俺がそう言うと、彼はそれが大したことでもなかったように両手を挙げた。

「何、この程度のことなら構わんさ。誰にも伝えることのない“知識”など、無用の長物でしかないからな。

 どちらかというと、こちらの頼み事の方が大きいだろう。

 では――転移門は、頼んだぞ」

「ああ」

 俺はそういうと、サリータへと続く開門ゲートの穴へと飛び込んで行った。




 首都サリータの兵舎では、俺たちの帰りを、竜人ヴァイスが今か今かと待ち構えていた。

 闘いで没した英霊をとむらい、俺たちの帰りを待っていたことで、楽しみにしていた祝宴を先延ばしにしていたのだ。

 竜人ヴァイスが俺の姿を捉えたときに見せた眼差まなざしは、まるで飢えた狼のようだった。

「良く帰ってきた!!

 もう祝宴は先延ばしにせんぞ。

 レンツ、今すぐエルキュール邸の準備をさせろ!」

 さすがにその言葉に困惑したように、豹男レンツいさめる。

「ヴァイスさま、今からと仰いましても、まだ陽が落ちるまでには時間があります」

「構うものか。陽が高い時間に酒宴を開いて、何が悪いというのだ!」

「今の時間では料理人が揃いません。

 ヴァイスさまのお好きな料理は並びませんが、よろしいのですか?

 ――今晩の手配としますから、それまではお待ち頂きますよう」

 それを聞いた竜人ヴァイスは、ムムムッとうなってしまった。

 そこまで竜人ヴァイスが宴会好きだと思っていなかったのだが、俺はそれに上乗せして申し訳ない内容を伝えなければならない。

「実はそれなんだが――。

 本当に済まない、ヴァイス。

 ――祝宴はまた先延ばしかもしれない」

「何だと!?

 どういう意味だ?」

 竜人ヴァイスは気色ばんだ様子で、俺に詰め寄ってくる。

 俺はその勢いにされながら、言葉を続けた。

「“四つ目”の転移門があることが判ったんだ。

 それもロアールの国内じゃない。

 ハーランドの東、“フェリム”という場所だ」

 俺の発言に合わせて、側に居たグレイスがハッとなり、俺の顔を見る。

 その視線を見た瞬間、俺は何故この地名に引っかかりを覚えたのか、気がついた。


 そう、確か――以前聞いたグレイスの故郷は、“フェリム”という名前だった。


 転移門という言葉を聞いた竜人ヴァイスは、流石に神妙な面持ちに変わる。

「――なるほどな。

 お前はそこへ――向かうというのだな?」

「そのつもりだ」

 俺は竜人ヴァイスの問いかけに、迷いなく即答した。


 転移門を叩く――レダとも話して確信したことだが、この点に関しては俺の中に強い信念がある。

 竜人ヴァイスは決意に満ちた俺の表情を見て、観念したように両手を挙げた。

「そうか。

 ――残念ながらおれの立場では、自由にハーランドに入国することは出来ん。

 となればケイ、その転移門の対処は、お前を頼るしかないということだ」

 元よりそのつもりだった俺は、その言葉を聞いても特に表情は変えない。

 だが、無言のままの俺を見て、竜人ヴァイスはニヤリと笑って再び口を開いた。

「――よし、やはりうたげは予定通り開くこととしよう。

 祝宴とはいかないが、これはお前たちの“壮行会そうこうかい”だ。

 どうだ? それぐらいはさせてくれてもいいだろう?」

 その言葉に、グレイスとシルヴィアが思わず吹き出す。

 結局どんな理由であれ、酒宴は開きたいらしい。

 俺は苦笑して――呆れながらも、静かにゆっくりと頷いた。




 その日の夜、首都サリータにあるエルキュール邸に、多くの明かりが灯っていた。

 決して大人数の酒宴という訳ではなかったが――それでもうたげというだけに、豪勢な食事がその場には並ぶ。

 竜人ヴァイスは、もはや壮行会を言い訳にしたことを、隠そうともしていない雰囲気だ。彼のお気に入りらしき酒が進んでいくと、もはや俺たちなど視界に入っていない。彼はどうやら仲が良いらしき数名の武官たちと、好物だと思われる肉料理を食べては、騒いでいる。

 俺はその様子を見て苦笑しながら、セレスティアたちと静かに談笑していた。

 翌日を考え、あまり深酒もしていない。食事もある程度に抑えていた。


 そこへふと、豹男レンツと会話していたロベルトが、豹男レンツを後方に伴いながら近づいて来る。

 ロベルトの顔には笑みが浮かんでいるのだが――俺にはそれが、どうにもこわばっているように見えた。


「――旦那、実はお話ししなきゃいけないことがあるんです」

 俺はそう切り出したロベルトの顔を見て、彼が今から言おうとしている内容を想像することができた。

「申し訳ありませんが――次の転移門には、ご一緒できません」

 その言葉を横で聞いていたセレスティアが、思わず表情を堅くする。

「ロベルト――」

「いやあ、行きたいのは山々なんですけどね。

 レンツさまと相談したんですが、やっぱり獣人はハーランドに入れないってことで――。

 こればっかりは、無理そうです」

 ロベルトの言う通りだ。

 もちろんセレスティアのように、軍籍を捨てて、冒険者になってしまうという手もある。

 だが、冒険者の身分であれば獣人が自由にハーランド国内を闊歩かっぽできるかというと――ハーランド内でほとんど獣人を見かけない以上、それは恐らく難しいように思えた。

「そっか、ロベルト――」

 同じくして彼の発言を聞いたシルヴィアも、神妙な顔つきになっていた。


 恐らくロベルトも覚悟を持って、この話を切り出したはずだ。

 俺は変に噛み付かず、彼の決断を尊重すべきなんだろうと思った。

「――判った。

 ロベルト、今までありがとう。感謝する。

 あんたが居てくれて本当に助かった。それに――楽しかった」

 俺がそう言うと、ロベルトは照れるように頭を掻く。

「いえいえ、自分は一応監視役のはずだったんですけどね。

 何だか、途中からそんなことは忘れちまいましたよ。へっへっへ。

 ――賢者セージと一緒に旅が出来て、これからみんなに自慢ができます。

 月並みですが、この後の旅の成功を――お祈りしていますよ」

 ロベルトはそう言って笑った。

 俺は彼が無理に笑顔を作っているように思えて、目一杯の笑みを浮かべながら声を掛ける。

「ありがとう。

 だが――何も、今生こんじょうの別れということでもないさ。

 ロアールに再び戻って旅をすることがあれば、その時はぜひ案内してくれよ」

 俺がそういうと、ロベルトはパッと表情を明るくした。

「勿論です!

 ――そうだ、今度ロアールにいらっしゃったら、自分の妻と子供かぞくをご紹介しますよ」

 後半は、彼にしてみたら調子に乗って出した発言だったのかもしれない。

 だが、その内容には俺たち全員が驚いた。

「ええっ!?

 ロベルト、まさか結婚してたの!?」

 シルヴィアの質問を、ロベルトはアッサリと肯定する。

「ええ。

 妻一人、子一人ですけどね」

「そ、そうなんだ、子供まで――。

 何というか――意外だわ」

 微妙にシルヴィアがショックを受けている感じがするが――理由はまあ、訊かないでおこう。

 一方のロベルトは、酒が回って気分が良いのか、饒舌じょうぜつに家族のことを話し始めた。

「ちなみに自分で言うのも何ですが、それはもう超!美しい自慢の妻なのです」

「そ、そうなのか?」

 差し引いて受け取らないといけないと思いつつも、さすがにそこまで強調されると、正直興味が湧いてくる。

 俺はその真偽を確かめるように、事情を知ってそうな豹男レンツの方へと視線を投げかけた。

 豹男レンツはニッコリと微笑むと、ロベルトの話を素直に肯定する。

「ええ、ええ。ロベルトの言っていることは本当ですよ。

 彼の妻は美人でとても有名ですからね――蜥蜴トカゲ的に」

 ――ちょっと待て。

 何だ、最後の“蜥蜴トカゲ的”という聞いたことのない修飾子は?


 ロベルトは豹男レンツの発言を聞いていたのか聞いていなかったのか、さらに調子に乗り始めた。

「あ、旦那――紹介すると言っても、誘惑しちゃダメですからね? 約束ですよ!

 ――まったく、旦那は女癖悪そうだからなぁ。へっへっへ」

「いやいやいや、何を根拠にそんなこと言っている!?」

 俺は必死に否定するが――ダメだ、既にシルヴィアとグレイスが「ほら、やっぱり」という視線になっている。

 というか、蜥蜴トカゲ的に美しい蜥蜴トカゲの妻とか守備範囲外だから!


 俺の反応に、周囲のみんなが笑い声を上げつつ――。

 そうしてうたげはゆっくりと、そのとばりを下ろしていくのだった。





 酒宴の後、俺の姿はエルキュール邸の中に与えられた、個室のバルコニーにあった。


 この世界フロレンスの人々の夜は早く――その分だけ、朝も早い。

 元の世界では普通に人が活動している時間であっても、この世界においてはほとんどの人が寝静まっているのだ。

 ゆえに、このエルキュール邸の中も、既に静寂が支配していた。


 夜の闇は深く、その闇が深い分、星々の光は強い。

 輝く月や星を見ていると――闇だと思っていた夜が、実はこんなにも明るいということを気付かせてくれる。


 やはり星座も、元の世界とは違うんだな――。


 俺は詳しくもない星の軌跡を辿たどりながら、そんな些細なことを考えていた。



 見上げた情景に意識を傾けていた俺は、自室の扉が小さく叩かれる音に、まったく気付かないでいた。

 ガチャリ、という扉を開く音が響いたことで――俺は初めて自室の入り口の方へと振り返る。

「一応、ノックはしたのですが――。

 いらっしゃったのですね」

 そう言って姿を見せたのは、グレイスだった。

 俺はそれには答えず、そのまま再び星空の方へと視線を移す。


 グレイスは部屋の入り口で、俺の言葉を待っていたようだ。

 だが、それが一向に返ってこないことに気付くと、そのまま部屋の中へと入ってきた。


 彼女は部屋に置いてあった果実酒リキュールを開け、二つのグラスに注ぎ入れると、バルコニーにいる俺にその片方を差し出した。

 俺は彼女の手からグラスを受け取ると、やはり何も言わずに星空を見上げる。

「あの屋敷で――何か、あったのですね」

 グレイスはそう言って、俺の横顔をじっと見つめた。

 俺は彼女の方を見ることなく、少しだけ笑みを浮かべてその言葉に答える。

「そう、思うか?」

 それに対するグレイスの言葉は明快だった。

「ええ、思います。

 レダと話されてから、普段通りに装っているようには感じますが――。

 少し気を抜くと、今のように、考え事ばかりしているように見えます」

 俺が彼女を振り返ると、グレイスは俺にニッコリと笑い掛けて来る。

 その笑い方が――あなたのことなど、お見通しですよ――と言っている気がした。


 俺は彼女の表情を見つめながら、小さく笑い声を上げる。

「フッ――グレイスにはかなわないな。

 ホントによく、観察してる」

「フフフ――」

 俺が観念してそう言うと、彼女は少し誇るように笑みを浮かべた。


 俺は手にした果実酒リキュールあおると、大きくひとつ、息をついた。

 これから話す内容を考えた時――お酒アルコールの力が借りられればと、素直に思ったからだ。

「レダから聞いた。

 その昔、フロレンスを支配しようと争ったのは、アラベラの使徒だけではない。

 クランシーもまた、フロレンスの支配を掛けて争い――彼らもアラベラの使徒と同じように、『魔人』と呼ばれていた」

「――――」

 俺が唐突に話し始めた内容を、グレイスは無言で受け止めている。

 俺は彼女がその話をどう理解したかは気にせず、そのまま言葉を続けていった。

「フロレンスの人間や獣人たちには、自分たちの世界を護るために、“異物”である『魔人』を取り除く権利がある。

 そして俺は、わずかであっても、その手助けができればいいと思っていた」

 俺がグレイスの方に顔を向けると、一瞬彼女と視線が交錯する。

 彼女は飽くまで無言のまま、俺の言葉に耳を傾けていた。

 俺はそれを見て、若干自嘲気味な笑みを浮かべながら、星を見上げて言葉を続けていく。

「だが――どうやら俺は、そんな立場にはないらしい。

 そんな権利を――持ち合わせては、いないようだ。

 何故なら俺は――。

 俺は、フロレンスの人々にとって取り除かれるべき“異物”――『魔人』だからだ」


 ひょっとしたら、この言葉は制約に引っかかるかもしれないと思っていた。

 だが、俺の声はしっかりと発音され――そのままグレイスの耳に届く。


 その彼女は俺の言葉を聞いて、より一層俺の横顔を、注視しているように思えた。


「俺はこれまで、自分が何者なのかをちゃんと理解せずに、闘ってきた。

 フロレンスの人々の権利を代行する“英雄気取り”で、『魔人』たちを排除してきた。

 だがそれは所詮、俺の“同類”を、自分の価値観で“身勝手に”排除していただけのことだ。

 それは結局誰のためでもなく、俺の心を満たすだけの――自己満足だったのかもしれない」


 俺がそう言い切ると、グレイスは手にしたグラスを置いて、俺に言った。

「自己満足では――ダメなのですか?」

「グレイス――」

 彼女が発した端的な言葉に、俺は思わず振り返る。

 その彼女の強い眼差しが、一瞬月明かりを反射して、鋭く輝いたように見えた。


 グレイスは真っ直ぐに俺を見つめると、静かに、そして強い言葉で話し始める。

「権利がなければ、主張してはいけないのですか?

 自分の価値観を、信じてはいけないのですか?

 自分のために――闘ってはいけないのですか?


 ケイは『魔人』を追い、転移門を叩くための闘いは、自分の“身勝手”なんだと仰っていました。

 それを――、

 『魔人』を倒し、転移門を破壊して来たことを――後悔しているというのですか?」

 思い詰めた表情になったグレイスを見ながら、俺はその発言を明確に否定した。

「――いいや。

 俺は自分の行いが間違っていないと、信じている。

 どう考えても、転移門から現れる使徒の善悪によって運命が決まる世界が――フロレンスの人々にとって、適切な世界だとは思えないからだ。

 そして、俺はこの後もまた、残された最後の転移門を破壊する。

 例え、それをフロレンスの人々が――望まなかったとしても、だ」

 グレイスは俺の言葉を聞き遂げると、フッと小さく笑った。

 そして飽くまで優しげに、そして静かに俺に言葉を掛けてくる。

 少し伏せた睫毛まつげの先が、微妙な間隔で揺れていた。それが彼女の感情の起伏を表しているように感じる。

「答えは――。

 答えは、きっと出ているんだと思います。


 ――わたしの父は、自らが背負った責務を、わたしに一方的に押しつけた張本人です。

 その“身勝手さ”に、過去のわたしは父の存在をうらんだことすらあります。


 ですが――今のわたしは、父の存在を誇りに思っているのです。


 父は恐らく自分が信じた“この世界フロレンスのためにすべきこと”を、必死に実践しようとしたんだと思います。

 自分の子供に批判されることを恐れず――正しいと思うことを、信じて突き進んだのです。


 『魔人』である父には、もちろんそんなことをする権利などありません。

 それに、誰かに評価されるということもありません。

 それどころか――自分の子供にすら、批判されたのです。

 そんな中で、自分が信じた道を突き進んだ父は――今のこの世界フロレンスを作る、一端を担ったのだと思います。


 そして、わたしは――。


 今や、その父の“身勝手さ”に、感謝したいとすら思っています。

 何故なら、父が残した『魔人の剣』は――」


 グレイスはそこで言葉を切り、ゆっくりと俺の両手を取った。

 しなやかで繊細な指が、俺の両手に重なっていく。


「――あなたとわたしを救い、結びつけてくれました。


 わたしが『魔人の剣』によって、『魔人』を倒す“宿命”を背負ったのと同じように――。

 わたしがあなたと出会い、共に旅を続けていくことになったのも“宿命”なのだと――わたしは信じています」


 グレイスは言い切ると、そうでしょう?とでも言うように、少し首を傾げて微笑んだ。

 その魅力的チャーミングな表情に、俺も思わず笑みを返す。

「“宿命”――か」

 俺が実感しながら小さくつぶやくと、グレイスがゆっくりと頷いた。


「権利などなくても――あなたが考えることを、変えるとは思えません。

 それが自己満足だとしても――あなたが成すべきことを、放棄するとは思えません。


 きっとあなたは――、

 誰に止められても、最後は自分が考え、正しいと思ったことに、突き進むのだと思います。


 例え、色々なことに悩んで、遠回りをしたとしても。

 例え、それを誰かに批判されて、落ち込んだとしても。


 でも、忘れないでください。

 あなたは一人ではありません。

 誰かに寄りかかりたくなったら――、

 わたしがそばで支えます。


 自分が正しいのか不安になったら――、

 わたしがそばで“証明”してみせます。

 あなたが正しいということを――」

「グレイス――」


 俺は重ねた両手を引き寄せると、そのままグレイスを抱きしめた。

 彼女はそれに、何ら抵抗をしない。

 俺が引き寄せるまま、抱き寄せるままに――それに応えるように、背中に腕を回し、強く俺の身体にしがみついていた。

 柔らかく、そして思ったよりも華奢きゃしゃな彼女の身体が、俺の身体に包み込まれている。


 グレイスは、俺の胸に頭を預けたまま、少し掠れるような声で言った。

「『魔人』であっても――いいじゃないですか。

 あなたが何者であろうとも――ケイはケイでしょう?


 『魔人』であることを、気に病む必要なんかありません。

 だって――。


 わたしだって――『魔人の子』なんですよ?」


 そう言いながら、グレイスは俺をうるんだ目で見上げてくる。


 その瞳を見て、俺は胸が締め付けられそうな気持ちになった。

 その柔らかな唇を見て、どうしようもなくそれを奪いたくなった。

 身体に触れる彼女の柔らかさを――もっと感じたくなってしまった。


「――あっ――」

 少し強引に唇を重ね合わせ、俺はその身体を更に強く抱きしめる。

 小さく上がった彼女の声を聞いて、俺の中に抑えようのない興奮が駆け巡った。

「んっ――ケイ――!」

 俺は彼女の口腔に舌を割り込ませ、グレイスの引き締まった身体を、手で感じる。

 何だかずっと前から――俺はこうしたいと思っていたような気がした。


 俺は彼女を抱きかかえると、そのまま部屋に入り、ベッドにその身体を横たわらせる。

 すると、窓から差し込んだ月明かりが、グレイスの恥ずかしげに上気した顔を照らし出した。

 こんな表情もできるんだ――という、何だか新しい発見をしたような気がする。

「ケイ、お願い――。

 優しくしてください――」

 彼女が勇気を出して発したであろう言葉に、俺は顔を近づけ、真面目な表情で答えた。

「ああ、もちろんだ。

 ――でも、悪いが自信がない。

 何故なら俺は、グレイスをメチャクチャにしたいと思っているからだ」

「ケイ――」

 グレイスはさすがに覚悟を決めたのか、静かにその目を閉じる。


 俺はそれを見て優しく――、


 ――そして力強く、彼女を抱き寄せた。




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