070 神殿 ★
※世界観把握のためのもので、細かな距離感などは反映できていません。
――仄かな明かりが揺れる中、ぶつかり合う金属音がその空間に木霊する。
俺たちはロアールの西の街イオに常駐し、毎日をこの“竜の狩り場に至る迷宮”で過ごしていた。
“竜の狩り場に至る迷宮”は、現れる魔物のレベルが高いことが特徴の迷宮だ。
俺たちにとって見れば格好の修練の場になるし、同時に憑代が美味しい資金稼ぎの場にもなっていた。
「――ロベルト、二匹ほど挑発から零れている」
「了解でさ!」
俺はセレスティアの挑発範囲から外れた大鬼を見つけ、指さしながらロベルトにフォローするよう伝える。
直後、ロベルトが向かった二匹の大鬼に、シルヴィアから遅延の状態異常が飛んだ。大鬼たちの行動は、忽ち鉛を背負っているかのように遅くなっていく。
「ハッ――!!」
見るとセレスティアが気合いの声と共に、聖乙女の剣を足下の地面に突き刺していた。
彼女の周りには、数多くの大鬼と巨人が集まっている。
セレスティアが守護砦のスキルを発動しているため、敵の攻撃は彼女にほとんど届いていない。
その状態の中、剣が突き刺された地面の中から、眩いばかりの光が爆発した。
「グオオオォォォッ!!」
重なるように大鬼と巨人の絶叫が上がっていく。
あれは、つい最近セレスティアが習得したばかりの範囲攻撃スキル、光の暴発だ。
魔力で増幅した剣気を光に換えて周囲に撒き散らすスキルで、敵に囲まれがちなセレスティアには打って付けの攻撃スキルだろう。習得には高い剣術のスキルと光属性魔法のスキルの両方が必要になるようだが、その条件を聞くだけでも、このスキルの特別さが判る。
光の爆発を喰らった魔物は、HPを半分近くにまで減らしていた。セレスティアのSPの減少は大きいようだが、やはり相当強力なスキルであることは間違いない。
「――グレイス、残ったやつを頼む。
ロベルトはそちらを片付けたら、グレイスの援護を」
それを聞いて、グレイスがセレスティアの周りを囲む大鬼に斬りかかる。彼女の隠者の剣には、風属性を付与してある。グレイスはまさに踊り掛かるように、ダメージを負った魔物を次々に斬り倒していった。
ちなみに理由があって、シルヴィアには積極的に攻撃をさせていない。
――俺たちが首都を離れてから、既に三週間近くが経過していた。
未だに竜人や豹男からの連絡は届いていない。
だが、俺はそろそろこの迷宮に居続けるのも限界か――と思い始めていた。
というのも、ここに来て一〇日目を過ぎたあたりから、全員のレベルの上昇が、目に見えて止まり始めたからだ。
具体的に言えば、レベル42以降の経験値の上昇が異常に鈍い。
レベルの上がり難さには個人差があるようで、最も早くレベルが上昇しにくくなったのはシルヴィアだ。次いでグレイス、ロベルト、セレスティアの順に経験値が上がらなくなった。
俺はセレスティアよりもまだレベルが上がりやすく、上限もまだ見えてはいない。
結局俺たちのレベルは、俺が51、セレスティアが46、ロベルト45、グレイス44、シルヴィアが43となっている。
俺のレベルが突出しているのは、深淵の迷宮でみっちりレーネに扱かれたのが大きな理由なのだが、今回他のメンバーの経験値が上がらなくなってきたことで、俺とそれ以外のメンバーの差は、さらに開きつつあった。
特にこの五日間は、まったく誰のレベルも上昇していない。さすがに成長の見られない闘いに、若干重い雰囲気が漂い始めている。
ひょっとしたら、レベル四〇台に人間としての限界があるのかもしれない。もしくはこの迷宮の敵を倒して手に入る経験は、レベル五〇台にまで引き上げる量ではないという見方もできる。
こういう背景もあって、俺はシルヴィアに積極的に攻撃に参加をさせていない。彼女は当然不満を持ったのだが、俺の目には彼女が敵を倒したところで経験値がピタリとも動いていないのが見えている。効率が悪化している時に、さらに非効率なことをさせる訳にはいかなかった。
最終的に俺はシルヴィアを宥め賺して納得させたのだが、もはやグレイスやロベルトの経験値も動かなくなってきている。
どちらにせよ、これ以上ここに居ても、掛ける時間に対する成果に乏しいのは明白だった。
俺たちに知らせが来たのは、丁度そんな時だ。
宿に戻った俺たちは、夕食を取りながら、落ちた効率を取り戻す術を相談しているところだった。
単純に狩り場を変えるという案もあるが、今以上に高効率な狩り場を見つけるには更に時間を要するだろう。
深淵の迷宮というとっておきの答えもあったが、うっかり深い階層に足を踏み入れて、レーネが出てきたりしたら話がややこしい。
どちらにしても、俺たちは西の街で連絡を待つ立場であって、好き勝手に街を離れ、探索を優先できる状況にはなかった。
そんな八方塞がりなところに来た知らせだっただけに、俺たちは全員が心底喜んだ。
獣人語で書かれた手紙は、ハーランド語しか理解しないセレスティアたちには読めない。
ロベルトが代わって読み上げたが、実はこの手紙は俺も読むことができた。そう言えば俺のスキルには「ハーランド語」ではなく、「フロレンス語学」という表記がある。その意味で言えば、俺は魔人の国を除くこの世界で使われる言葉は、全て読めるということになりそうだ。
「ええっと――。
ようやく議会の承認が下り、討伐隊と共に塔の迷宮に行くことになった。
まったく議会というやつは、詰まらぬ手続きと書類を求め、やれ説明が足りないだの不在の時に何かあったらどうするだのと、要らぬ議論ばかりを吹っかけ――この辺はちょっと飛ばしますかね。
――この手紙がそちらに届くころには、我々も出発の準備が整っているはずだ。
行き違いになる可能性もあるから、一度首都に戻る必要はない。
荒野の迷宮はファリカから向かうのが最も近いから、十分な準備を整え、ファリカから向かわれたし。
――以上ですね」
「やっと先に進めるのね――」
手紙の内容を聞いたシルヴィアは、かなりホッとした反応を返していた。仕方ないとは理解しつつも、やはりこの数日間の迷宮での闘いには、不満も多かったのだろう。
「確かに、ようやくという気はするな。
――では、ファリカには明日向かおう。
ロベルト、これ以上何か用意しておくことはないか?」
俺からの問いかけに、ロベルトが答える。
「日差しのきつい荒野を歩きますんで、全員外套を買った方がいいでしょう。
普通のやつでなくて、荒野を歩くための厚手のやつです。ファリカの方が手に入りやすいと思いますんで、移動してから買いましょう」
俺は頷くと、ふとグレイスの方を向く。
知らず知らずの内に、俺の表情も知らせを受け取ったことで、少し緩んだのかもしれない。
彼女も俺を見て、柔らかく微笑んでいた。
翌朝、ファリカに転移した俺たちは、早速外套を買い、準備を整えた。
思えばファリカに来るのは、豹男と初めて会った時以来だ。それはそんなに遠い過去のことではないはずだが、妙に懐かしいような気分になってくる。ファリカの街には以前と同じように獣人ばかりではなく、多くの人間たちも歩いていた。その情景すら、妙に懐かしさを感じてしまう。
ロベルトは自分用の外套を既に持っていると言っていた。だが、実際にそれを確かめたところ、あまりにボロボロな代物だったので、この機に一緒に購入することにした。この三週間弱、竜の狩り場に至る迷宮に籠もったお陰で、手にした資金は外套程度の買い物を誤差にしか感じさせない。もちろんロベルトが喜んだのは、言うまでもなかった。
「上手く隊商が出ていれば、ラクダに便乗することができたりするんですが、これは歩いて行くしかありませんね」
ロベルトが街の北西を見ながら言う。
ファリカから隣国アーリーンの街ダーナまでは、時折隊商が行き来するらしい。ラクダに乗るのも興味があったが、自分の足が一番確実ということなのは間違いない。贅沢は言えないだろう。
「歩いて行くなら、今日の内に迷宮まで到達するのは無理です。
荒野の夜は冷えますから、しっかりとした野宿の用意をしていかないと――」
俺はそのロベルトの発言に、首を横に振った。
「いや、野宿は必要ない。ファリカに宿を確保しておこう。
日が暮れたら楔を打って、開門でファリカに戻る。翌朝楔を打った地点まで開門で戻って、続きを歩けば良いだけだ」
「――なるほど、確かにそうですね。
いやぁ、旦那ってホントに便利だなあ」
「それじゃあ、俺が道具みたいじゃないか――」
俺の抗議にシルヴィアたちが笑う。
荒野の旅が、本来どの程度厳しいものかは判らないが、歩きたい時間だけ進めば良いというのは、旅の難易度を相当下げてくれるはずだ。
この後の旅がどれくらい厳しいのか、そして転移門の破壊がどれだけ困難を伴うのか、俺にはまだ想像がつかない。
だが、この仲間と一緒なら、きっと上手く行く――。
俺は自分の考えを、根拠のない自信だと思いながらも、そう信じるのだった。
ハァ、ハァ――と、荒い息づかいが聞こえてくる。
資産には大量の水を入れて来たが、正直いくら水を飲んでも喉の渇きが治まらない。むしろお腹が重くなることが、だんだんと身体の疲れを助長しているような気がする。
目の前には、ほとんど砂漠に近いような荒野が延々と続いていた。
――昨日も一昨日も、ずっとこの風景だ。
正直、見飽きたという感想しか生まれて来ない。
ファリカを出発しての初日、俺たちは比較的日差しも緩やかで、草木が茂る中を歩いていた。
正直そこまでは、自分たちがこれから進む旅路を侮っていたように思う。
翌日、崩れ落ちた塔のような建造物を過ぎた辺りから日差しが強まり、周囲が砂漠のように変わっていった。
俺たちは暑さを避けるため、二日目以降は日の出前に出発し、陽が昇りきるころにはファリカに戻るようにしていた。だが、そこからは足場も緩く、進む速度は初日の数分の一に落ちた。特に陽が昇ってくると、俺とグレイスの消耗が激しい。
実は一番体力のなさそうなシルヴィアが心配だったのだが、彼女は「熱いのには慣れている」と豪語していた。
もちろん彼女とて消耗していない訳はなく、陽が昇りきるころまで歩けば、全員くたくたになっている。
その日、無言のまま足を進めていると、ふと先頭を歩くロベルトの歩みが止まっているのに気づいた。
もうすぐ陽が昇りきる時間だ。俺は正直上げたくない顔を上げて、ロベルトが指さしている方向を確かめる。
そこには砂に包まれた岩山に、ポッカリと洞窟のように空いた穴があった。
ご丁寧にその穴の入り口には、石造りの立派な階段まで作られている。
「――いやあ、ようやくです。
あれが“荒野の迷宮”と呼ばれている迷宮ですよ。
ここまでお疲れ様でした」
「やっと――?」
「つ、着いた――」
まだ到着点が見えただけで、本当の意味で着いた訳ではないが、俺たちはその声に崩れ落ちそうになってしまう。
その様子を見て、ロベルトが笑っていた。
「では今日はあそこまで行ってファリカに戻りましょう。
あの中は迷宮といいながら神殿になっていて、転移門は入り口から直ぐ近くにあります。
万全の態勢で乗り込んだ方が良いでしょうから」
俺はそれに頷くと、重い腰を上げて、最後の一踏ん張りに移るのだった。
翌朝、これまでよりも遅い、陽が上る時間に出発した俺たちの姿は、荒野の迷宮の目の前にあった。
今日はいよいよ転移門破壊に乗り込むことになる。
「――みんな、準備はいいか?」
俺が最後の確認をすると、全員が頷いた。
もはや無駄に覚悟を尋ねるようなことはしない。野暮以外の何者でもないからだ。
俺は全員が装備を確認したのを見て、一人ずつ順番に付与を掛けていく。
――ここから先は、いつ戦闘が始まってもおかしくない。
俺たちはセレスティアを先頭に、迷宮前の階段を上っていった。
セレスティアがその階段を一番上まで登り切った時、一瞬だが身の構えを解いた。
そしてゆっくりと、迷宮内に足を踏み入れていく。
彼女が先ほど一瞬、身の構えを解いた理由はすぐに分かった。
「何――? これが迷宮だっていうの!?」
シルヴィアの驚いた声が響く。
荒野に空いた洞窟とも言うべき迷宮の中に広がっていたのは、王宮の庭園と見まごうような、美しい神殿だった。
広い天井のある空間に、白い石造りの構造物が配置されている。作られた水路には澄んだ水が流れ、花壇には色鮮やかな花々が咲き誇っていた。
だが、この迷宮の外は砂漠に近い荒野なのだ。それを考えればこの空間の存在が、どれくらい異様なのかが判る。
「これは――迷宮、なのだな?」
先頭を進んでいたセレスティアが、確かめるように言う。
その問いに、ロベルトが頷きながら答えた。
「ええ、迷宮です。見た目は完全に美しい神殿のままを保っていますが――。
時に魔物が現れることがあると言いますし、奥にはやはり転移門があります。
ここの転移門が放置され続けていたのは、こんな場所で美しい状態が保たれているということもあるのですが、ここが元々クランシーの神殿で、信徒たちがこの中での破壊行為を拒むからと聞いています。
ロアールではクランシー教徒は決して多数派ではないのですが、それでも信徒は多いです。
それに、ここからは実際被害を及ぼした魔人が出てきたという記録もないようですからね」
俺はロベルトの説明を聞きながら、ゆっくりと迷宮の中へと足を進めていく。
荒野の中ではあり得ない水のせせらぎが聞こえ、草花が整然と整えられ、柔らかな華の匂いを漂わせている。
本当にここだけを切り取れば、落ち着く空間だと言えるだろう。
だが、外とのギャップを考えるとこの空間は異様だ。
俺たちはゆっくりと足を進め、祭壇と思しき場所へと進み出る。
神殿の中はかなり広く、首都のエルキュール邸とまでは言わないが、それを彷彿とさせる規模がありそうだ。
「――見ろ」
俺が指さした祭壇の向こう側には、一体の白い“石像”が立っていた。
石像は美しい女性らしき姿で、背中に大きな翼を左右に二枚ずつ、合計四枚持っている。
そして腕もその翼に対応するように、左右に二本ずつあり、それぞれの腕には弓、短剣、錫杖、丸盾を持っていた。
――何だろう? どこかで似たような像を見たような気がする。
俺がそう思案していると、横からセレスティアの声が響いた。
「ケイ、あれはクランシーさまの像だ。
クランシーさまは四枚の羽を持ち、四本の腕を持つ姿で表現されている。
ここが元々クランシーさまの神殿だというなら、その中にクランシーさまの石像があっても何ら不思議ではない」
俺はセレスティアの説明に納得したが、その時ふと、似たような像をどこで見たのかを思い出した。
その記憶を辿った上で、俺は彼女に質問をする。
「セレスティア、知っていたらで良いんだが教えてくれ。
これと似た像で、人間の男性っぽく、翼があって、腕がやっぱり左右に二本ずつあって、それぞれ剣と槍と杖と盾を持つ像を知らないか?」
その質問をした瞬間、セレスティアだけでなく、シルヴィアとグレイスの視線が一気に俺の方へと向いた。
一瞬何かとんでもない質問をしてしまったのかと思い、ドキリとしてしまう。
その様子を見ながら、ロベルトが笑い声を交えて俺に説明した。
「ハハハ。旦那、それは、“アラベラ”の像ですよ。
どこでご覧になったのかは知りませんが、一応どこの国でも不吉なものとして扱われていますから、ほとんど目にすることはないはずです。
昔はクランシーもアラベラも、普通に神殿があって、そこには石像があったと言われています。
ですが、アラベラの神殿はどんどん迷宮化して、そこにある石像も不吉なものとして取り壊されていったんです。
まあ、魔人たちも例に漏れずアラベラの使徒ですから、今ではそもそもアラベラの名前を出すことすら、好まれてはいないようですね」
「そうか、“アラベラ”の像――」
俺がレーネの書庫に入る前に見た石像は、アラベラの像なのか。
確かにレーネはアラベラの使徒だ。それが近くに掲げてあってもおかしくはないのだろう。
しかし――。
俺がそう思案した瞬間、思ってもみない方向から声を掛けられた。
「できればその名前をここで出すのは、ご遠慮いただきたいのですが――」
男の澄んだ声に、全員がハッとした表情になり、後方を振り返る。
声の主は、荒野の方から迷宮へと入ってきた。
見た目はウェーブが掛かった金髪を持つ、若い男だ。
色白の上から白いローブを着ているため、妙に白々として見える。
場所が場所だけに、神官のようには見えるのだが――。
「皆さん、ここは神殿です。
物騒なものは片付けていただけませんか?」
その声に、先頭に立って油断なく剣を構えていたセレスティアが、俺を振り返る。
俺は彼女に、ゆっくりと頭を振って、従わない旨を伝えた。
それを見たセレスティアは、改めて聖乙女の剣と聖乙女の盾を身構える。
「――済まないな。ここに少し用があってね」
俺が男に答えるようにそう言うと、目の前に立った金髪の男は、肌よりも更に白い歯を見せてニッコリと笑った。
畜生――また、イケメンだ。よく判らんが、憎い。
「私はこの神殿を管理しているサイラスと申す者です。ご用があるのであれば、それをお伺いしますが?」
俺はその発言を聞いて、ゆっくりロベルトの方を確かめる。だが、今度はロベルトが俺に向けて頭を振る番だ。
ロベルトが知らないということは、コイツはほぼ間違いなくロアールとは無関係と判断できる。
俺はそれを踏まえて、目の前の男を静かに“凝視”するのだった。