068 本物
対峙するベルナルドがニヤリと唇を歪める。
それを見た俺は、知らず知らずの内に額から汗を流した。
流れる汗が頬を伝い、顎に流れ、地面へと落ちていく。
ここから先の闘いは、失敗が許されない。
俺に求められているのは、右手に握る水晶剣をベルナルドに確実にヒットさせるという、ごく単純なことだ。
ただ、その単純なことの難易度が、この場合極めて高い。
そして、その難易度を更に高めているのが、攻撃を当てる上で満たさなければならない“条件”の存在だった。
まず一つ目の条件は、ヤツの使う戦闘転移に関することだ。
ベルナルドは相当に回避力が高い。攻撃を当てるのも一苦労なのだが、仮にヤツが十分回避できないような攻撃を放てたとしても、ヒットする直前に戦闘転移を使って回避されてしまう可能性がある。
つまり、戦闘転移を封じないと、最終的にヤツに攻撃を当てることができないということだ。
だが、戦闘転移には冷却期間が存在する。一度使うと冷却期間に相当する時間が過ぎるまで、続けて戦闘転移を使用することはできない。であれば、その冷却期間中を狙って、攻撃を当てに行くのが効果的ということになる。
ベルナルドが戦闘転移を使うタイミングは、自分から攻撃を仕掛けてくる時と、ヤツが危機に陥り、戦闘転移で回避せざるを得なくなった時の、大きく二通りだ。
前者は、使ってくるタイミングが非常に読みづらい。比較的タイミングを読みやすいのは後者だ。
だが、俺の最終的な目的が攻撃をヤツに当てることである以上、それは“二連続でベルナルドに回避が難しい攻撃を仕掛けること”を意味している。つまり、戦闘転移で回避せざるを得ない攻撃を放った後、冷却期間が終わるまでに実際に攻撃を当てる、ということなのだから――。
ここまでヤツと闘ってきた感覚で言えば、それがどれだけ難易度の高いことなのか、考えたくもない。
二つ目は、ヤツの持つ偽物のことだ。
ベルナルドが得意げに持っている水晶剣は、俺が幻影魔法で作り出した偽物に過ぎない。
ヤツは自分が持っている剣が偽物だとは気づいていないようだ。偽物であることにすら気づいていないということは、水晶剣が実質一撃必殺の能力を持つことや、攻撃力に優れた剣であることも、理解できてはいないだろう。
つまりヤツは、水晶剣で俺に多少の傷を付ければいいといった程度で攻撃して来ず、“ちゃんと”剣を振り抜いて攻撃してくる可能性が高い。
“ちゃんと振り抜く”というのは、ベルナルドが持つ“攻撃力を犠牲に自分の速度を自在に切り替える能力”を、攻撃力側に倒してくる可能性が高いということを意味している。よって、攻撃の瞬間、ベルナルドの行動速度は落ちる可能性が高い。
また、ベルナルドが水晶剣に固執しているのもプラスに働く。恐らくヤツは、水晶剣の能力を試して見たくて仕方ないに違いない。ということは、ヤツの攻撃は水晶剣を持っている手で繰り出される可能性が高い。
ベルナルドはナイフとはいえ、二刀使いだ。左右どちらからの攻撃が来るか予測が付かない状況よりも、確実に攻撃が来る方向が絞れる方が、当然俺は有利に闘える。
ただ気をつけなければならないのは、中身が空っぽの水晶剣は、剣で受け止めたりすると一瞬で砕けてしまうということだ。
本物だと思い込んでいるものが砕ければ、ベルナルドの一瞬の油断を引き出すことができるかもしれない。
だが、それは本当に一度きりの機会だ。
もしそこを逃してしまえば、ベルナルドはナイフ二刀に戻り、ヤツに“二連続で回避が難しい攻撃を仕掛けること”など、到底無理な状況になっていくに違いない。
俺はこの二つの条件を頭に置きながら、ベルナルドとの戦闘を開始する。
短期決戦を挑まねば、徐々にヤツが偽物に気づく可能性が高まっていく。
俺はいたずらに時間が過ぎれば、どんどん闘いが厳しくなっていくに違いないと考えた。
その非常に短い時間の中で、俺は絶好の機会を“二連続”で作らなければならない。
設けられた異常に高いハードルが、俺を精神的に追い詰めていく。
だが一方で、俺はこの状況に得も言われぬ高揚感を感じていた。
高いハードルなのであれば、俺はそこを越えてみたいと思った。
――いや、俺はこのハードルを、必ず越えて見せる。
思わず零れてしまう笑みを押さえながら、俺はベルナルドの横に回り込むように動いた。
そして、少しずつヤツとの距離を詰めていく。
残り時間が少なくなっているが、自分に掛けた加速の効果は継続している。俺は普段の倍以上の行動速度でベルナルドに近づいていった。
ベルナルドは俺の攻撃などいつでも避けられると見ているのか、その場から全く動いていない。
俺はさらに距離を詰めていくと、ヤツと自分との間に濃霧の幻影魔法を展開した。途端、濃い霧が俺の姿を覆い隠していく。
「フッ――」
ベルナルドが鼻で笑ったのが判った。濃霧など、何の役にも立たないと言いたげだ。
俺は気にせず自分が展開した濃霧を突っ切ると、そのままベルナルドに斬りかかった。
ヤツが俺の攻撃を水晶剣で受け止めてしまえば、水晶剣は粉々に砕け、俺はこの後攻撃を当てる機会を作りづらくなってしまうだろう。
だがここまでの戦闘において、ヤツが自分の武器で攻撃を受け止めたのは、間一髪のタイミングになったロベルトの突進突きの一度だけだ。それ以外の攻撃は全て受け止めず、回避している。
つまりベルナルドは、自分が回避可能と考えた攻撃は全て受け止めずに避けてくると断言してもいいだろう。
俺が想定した通り、ベルナルドは俺の攻撃をあっさり回避してきた。
攻撃を回避された俺は、ヤツからの反撃を予測し、慌てた風を装いながら目の前に濃霧を張る。
「小賢しい――!!」
ベルナルドはそう言うと、そのまま濃霧を突き破り、水晶剣を思い切って振るって来た。想像通り、これまでの俊敏な行動に比べると明らかに攻撃の速度が遅い。速度よりも攻撃力を優先して、“しっかりと”攻撃してきていることが見て取れた。
俺は再び慌てた表情を見せながら、ベルナルドの後方へ戦闘転移で転移する。
今のところ、俺の演技はバレていない。
ベルナルドは、俺が戦闘転移で自分の背後に転移してくるのを予期していたようだ。
ヤツは振り返りざま、水晶剣を俺に向けて振るってきた。
俺は敢えなくその水晶剣によって、身体を真っ二つに切り裂かれた――ように見えただけで、真っ二つになったのは俺の作り出した幻影だ。
幻影は手応えなく、水晶剣に掻き消されるように、空気の中に溶けていく。
「チッ――詰まらない真似を――!」
ベルナルドの反応速度からすれば、俺の姿をしっかり見据え、それが幻影だということに気づいてもおかしくなかった。
だがベルナルドは、グレイスの呪弾によって「状態:認識力低下」を受けている。それが俺の行動を後押ししてくれていた。
俺は幻影を残した後、隠密で姿を隠している。
そのまま再びベルナルドの後方へ回り込むと、隙を窺った。
ベルナルドは見えない俺の位置を把握できず、その場で水晶剣を構えたままの姿勢だ。
俺は完全にヤツの後ろに回り込むと、再び姿を見せて躍りかかった。
「そんな程度では――!」
声と共に振り向きざまに放たれた斬撃が、再び俺を真っ二つにする。
もはやヤツも、後背から襲いかかってくるのが幻影だろうと見越していた節があった。
俺は幻影を放った直後に隠密で姿を隠し、再度ベルナルドの後ろへと歩き出した。
ふとベルナルドの視線が、“姿を隠した俺”の方を向いたような気がした。
それはまさに気づくか気づかないか判らない程度の、ほんの一瞬の出来事だ。
だが俺は、同じことを繰り返しながら――“それを誘っていた”。
俺は先ほどと同じように、ベルナルドの後方へと回り込んでいく。
ヤツも特に違った行動は見せず、その場から動こうとはしなかった。
俺は再び同じ行動をなぞるように、ベルナルドの後ろに完全に回り込む。
そして姿を現し、“判りやすく”ヤツの背中に襲いかかった。
「――!!」
ベルナルドは先ほどと違い、半身にしか振り返ろうとしない。
ヤツは後方からの攻撃を避ける素振りを見せず、隠密で身を隠した俺の姿を追っていた。
そちらへ向けて水晶剣を振りかぶったベルナルドが、得意げに声を上げる。
「そう何度も同じことが――!!」
だが、その言葉は最後まで続かなかった。
ベルナルドが振るった水晶剣は、確かに隠密で身を隠した俺の姿を捕らえていた。
問題はその俺の姿が、空気に溶けるように消滅してしまったことだ。
「なっ――!?」
“姿を隠した俺”は、俺の姿をした幻影に隠密を掛けて歩かせたものに過ぎない。
つまり――ヤツの後ろから斬りかかろうとしている方こそが、“本物”の俺だった。
俺は右手に持つ水晶剣を振るい、ベルナルドに突き刺そうとする。
半身の状態で攻撃を避ける用意が出来ていなかったベルナルドは、それを上手く回避することができなかった。
「チッ――!!」
舌打ちの音と共に、ベルナルドの姿が掻き消える。戦闘転移だ――!
もはや俺は振り返るまでもない。ベルナルドは俺の後背に転移している。
俺はそれを確信して、振り返りざまに斬撃を放とうとした。
「――遅い!!」
ヤツの声が聞こえ、ベルナルドの一撃が背中側から俺を襲う。
しっかりと振り抜かれた攻撃は、ヤツの最速の攻撃速度よりも数段遅い。
それでもその一撃は、俺の斬撃がヤツに届くよりも前に、俺の身体に到達していた。
「――!?」
カシャン!!と派手な音が周囲に響き、その音と手にしたものの違和感に、ベルナルドが目を極限まで見開いた。水晶剣は、まるでガラス細工が砕けるように、粉々になって飛び散っている。
俺はそうなることを予期して、ベルナルドの攻撃を全く避けようとしていなかった。避けなかった分、俺の斬撃はヤツの身体を貫くために、無駄のない動きになっている。
直後に迫る攻撃を避けきれないと判断したのだろう。
ベルナルドは俺との間に咄嗟に炎壁を展開した。これがベルナルドが見せる初めての魔法だ。実は炎属性魔法を得意にしていたのかもしれない。あまりに至近距離で展開された炎壁によって、俺の目の前一面が炎で埋め尽くされた。
俺はそれを意に介さず、炎壁を突き破ってベルナルドに迫る。
そして、炎壁を突き破った先にあったものに、俺は一瞬だけ目を見開いた。
そこに――グレイスがいた。
グレイスは攻撃を仕掛けようとする俺を見て、驚愕の表情を作っている。
切れ目の目が大きく見開かれていた。攻撃を止めようというのか、彼女の左手が意味ありげに突き出される。
――だが俺は、何の躊躇もなく、目の前のグレイスに水晶剣を突き立てた。
水晶剣がグレイスの胸に深く突き刺さり、彼女は苦悶の表情を浮かべる。
彼女は膝を折り、その場に崩れ落ちた。
「な、何故だ――何故躊躇しない――!?」
水晶剣を突き刺されたグレイスから、似合わない男の声が発せられる。
直後“変身”が解け、目の前のグレイスが一瞬でベルナルドの姿へと変わっていった。
ベルナルドは魔法だけでなく、姿を変える能力まで有していたのだ。
ヤツはその能力を、このギリギリの攻防の最後に使ってきた。
恐らく俺の躊躇を引き出し、一瞬の時間を稼ぐことができれば、ヤツには勝算があったということなのだろう。
だがヤツが不幸だったのは、俺の目には変身したグレイスの側にある“状態表示がずっと見えていた”ということだ。
その状態表示には、「ベルナルド」という名前が書かれている。
俺は――躊躇など、するはずがなかった。
砕け散った水晶剣は、既に跡形もない。
ベルナルドの胸に突き刺さった水晶剣は、“崩壊”のスキルを発動させ、ヤツの身体をボロボロに崩していく。
俺は何故なのか理解できないという表情を見せるベルナルドに、小さく呟いた。
「俺には“本物”が見える。
――ただ、それだけだ」
ベルナルドは断末魔も上げることができず、真っ黒な煤のように崩れた後、周囲の空気に溶けていった。
「ケイ――!」
「旦那、やりましたね――!」
セレスティアとロベルトの元気の良い声が聞こえる。
ベルナルドの消滅を見定めて、全員が俺の下へ駆け寄って来た。ロベルトがそれこそ抱きついてきそうな勢いで走ってきたので、俺は焦って身を避ける。
みんなが一様に俺の健闘を称え、労ってくれた。
それに、俺も思わず笑みがこぼれる。聞こえてくる声がどれも明るかった。
その中で、シルヴィアがふと思いついたように、俺に質問を投げかけた。
「――ケイ、今の魔人が復活してくる可能性はあるの?」
それを聞いた全員が、一旦静かになる。
確実とは言い切れないが、俺はベルナルドが復活してくる可能性は無いと考えていた。
「――恐らくないだろう。
ヤツは魔人の武器に関する情報を、この世界に来る前から知っているようだった。
過去、俺が魔人の武器を使うところを見て、生き残った魔人は黒妖精と大鬼の王しかいない。
ジノはクルトとの会話の内容を思い返せば、元々魔人の武器の重要性を理解していない風だった。
だとすれば今の魔人に情報を伝えたのはクルトである可能性が高い。
クルトが伝えたのであれば、今の魔人はリース派の魔人だ。クルトがオーバート派に有利な情報を伝える理由がないからな。
リース派は“転生”の力を持っていない。
だから、復活はないだろう」
俺が言い切ると、シルヴィアがホッとしたように胸を撫で下ろす。
その呼吸に合わせて、ふくよかな胸が上下していた。谷間の強調された服を見ていると、俺も自分のものじゃない胸を撫で下ろしたくなってくる。
だが――ここで気を緩める訳にはいかない。
何しろ俺たちはここへ来た目的を、達成した訳ではないからだ。
「よし――じゃあ、転移門を破壊するぞ」
その俺の声に、全員が目の前にある転移門を見上げる。
「しかし――どうやって破壊するのだ?
この規模だ。手で破壊するのは無理として、魔法で破壊するとしてもかなりの時間が――」
セレスティアが俺に問いかけた。
だが、迷うまでもなく、俺には明確で確実な破壊方法があった。
簡単なことだ。
俺は一撃で対象を“崩壊”させる武器を、この手に持っている。
俺は全員にその場から十分に離れるよう伝えると、転移門の正面に立った。
正直何処を叩けば良いのか判らないが――俺は取りあえず、正面にある魔法陣の隙間を狙って水晶剣を突き入れる。
数瞬の後に、ゴゴゴという腹に響くような音が聞こえてきた。
「――何だ!?」
「――!! 崩れます!」
セレスティアとグレイスの声が響く。
転移門は、水晶剣を突き入れたところから、一気に崩壊が始まっていった。
崩壊した魔法陣や石造りの装飾は、どんどんと砂に戻るサイズにまで粉砕され、俺の足下に流れ落ちていく。
俺の足下に積もっていく砂すらも、暫くの後に更に細かく細分化されていった。
最後には全てが空気に溶け込んで、何もなかったかのように消えていく。
俺は、「魔人の剣」とは本当に恐ろしい武器だ、と思った。
これまでにおいても、俺が魔人の武器が持つ“全ての能力”を引き出せていたとは思わない。
だが、全ての能力を引き出せなかったとしても、明らかに魔人の武器は、この世界に存在する闘いや争いにとっての均衡を崩すものだ。
俺は転移門がすっかり崩壊したのを確認すると、仲間の下に戻り、水晶剣をグレイスに差し出した。
グレイスは俺から受け取った水晶剣に向けて、何かを呟く。すると、水晶剣は空気に透けるように消滅していった。
「――サリータに戻ろう」
俺の声に、全員が静かに頷いた。
今日俺が成したことが、この先どのように作用していくのかを今すぐに評価するのは難しい。
だが、この闘いの向こうには、きっと俺の望む結果があるはずだと思った。
俺は開門を開くと、全員に先に転移するよう促す。
その時ふと、グレイスと目が合った。
「――ケイ」
「――さあ、早く行くんだ」
何かを語ろうとしたグレイスに、俺は転移するよう催促する。
グレイスは俺を一瞥した後、開門の穴に潜っていった。
――ベルナルドは俺に、「“この武器が何なのか”を、知らずに使っているのか」と言った。
俺の頭の中には、その時のグレイスの表情が浮かんでいる。
グレイスが未だ話してくれていないことに、俺が知るべきこと、知りたいことが含まれているのは、もう判っていた。
魔人、そして彼らが現れる転移門。
魔人の剣、そして使徒という存在――。
俺はグレイスの宿命に積極的に関与し、彼女と共にここまでを歩んで来た。
だが、それらに深く関係するのは、もはやグレイスだけではなくなっている。
恐らく、彼女は遠からず俺に様々なことを話してくれるだろう。
そして俺は――恐らく魔人に関わる真実の、一歩手前の位置まで来ているに違いなかった。
俺はそれを意識しながら、この闘いの先にあるものを、強く思い描いていく。
――最後に、笑えるようにしたい。
俺は様々な思いが去来する中で、そう強く願うのだった。
(第六部 了)