066 予感
真っ直ぐに伸びる道の先、そこに目的の“転移門”が存在していた。
俺はこれまで勝手な想像で、転移門をエレベーター程度の規模の施設だと思っていた。
だが、実際の転移門は、そんな程度のサイズではない。
突き当たりの壁面一杯に作られた石造りの細工と、そこに刻まれた魔法陣――。それぞれが、非常に複雑な造形を成して絡み合っている。
その細工や魔法陣が、どういう役割を果たしているのかは判らない。
元々俺は、この世界における“転移”は比較的単純な仕組みによって成り立っていると考えていた。
例えば戦闘転移や開門は、その発動に魔法陣の描画すら必要としていないのだ。
特に開門の転移可能な距離が長いことを考えると、むしろ何故、転移だけにこれほどの施設を必要とするのかが疑問になってくる。もちろん魔法の“楔”の代わりに、何らかの施設が必要になること自体は理解できるのだが――。
ロベルトは、絶界の山脈の向こうは“魔人の国”だと言っていた。
そう考えれば、転移門を使った移動距離は、高々山を一つ二つ越える程度のものに思える。
だが、目の前にある設備は、まるで教会のパイプオルガンのように大規模なものだ。
魔人の国は、“こんなものが必要となるような場所”にあるということなのだろうか――?
目の前で稲妻が輝き、床から砂煙が沸き立ったのは、俺が歩きながらそんなことを考えていた瞬間だった。
目前に立ち上がる砂煙に、俺は顔を覆い、目を顰める。
視界は完全に遮られ、砂煙の向こう側で何が起こっているのか判らなかった。
だが、俺たちは呆然とその様子を見ていた訳ではない。
「――ケイ、シルヴィア下がってくれ」
セレスティアの声に、俺とシルヴィアが後ろに下がる。
何が出てくるかは判らない。全員が警戒し、戦闘可能な態勢に入っていた。
暫くすると、砂煙が徐々に晴れてくる。それと共に、一つの影が見え隠れしているのが判った。
影のサイズは決して大きくはない。人間の大人にしては、小さ過ぎるぐらいだ。
「まさか、子供――?」
比較的小柄な体型を見て、俺が呟く。
だがその声に、いち早く目の前の存在を見極めたグレイスが答えた。
「ケイ、あれは人間ではありません。
あれは――スプリガンです。あらゆる身体能力の高い、人間よりも遙かに強力な存在です」
俺はその声に、まだ完全に見えてこない影を“凝視”した。
**********
【名前】
ベルナルド
【年齢】
不明
【クラス】
スプリガン:魔人
【レベル】
58
【ステータス】
H P:?????/?????
S P:?????/?????
筋 力:????
耐久力:????
精神力:???
魔法力:???
敏捷性:????
器用さ:????
回避力:????
運 勢:???
攻撃力:????
防御力:????
【属性】
闇
【スキル】
不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、ハーランド語
【称号】
スプリガンロード、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、アラベラの使徒
【装備】
双竜短刀 (攻撃力+380)
不明
【状態】
不明
**********
グレイスの言う通り、スプリガンという種族。
そして――。
「――魔人だな」
俺が端的に全員に対して告げる。
この時の俺の口調はあまりに冷静すぎて、目の前の存在が“魔人で当然だ”という声色になっていたのかもしれない。それを聞いたセレスティアやグレイスの視線が、一瞬俺の方へと振り返った。
相手の正体が分かって、全員の緊張感はグッと増して来る。
砂煙が晴れてくると――スプリガン“ベルナルド”の姿が見えてきた。
人間としては小柄に見える姿に、黒髪の短髪。額からは一本の角が突き出していた。
身体は相当引き締まっているように見える。身体が小さいこともあって、相当にすばしっこい印象を受けた。
装備は革鎧らしき防具に、両手にそれぞれナイフを持っている。
ベルナルドは精悍な顔つきをこちらに見せて、ニヤリと笑った。
額から突き出した角以外は人間っぽさがあるのだが、完全な猫目がやはり人間ではないことを伝えてくる。
「おや――誰が来たのかと思ったけど、意外と大人数で歓迎されてるみたいだね」
若い男の声がする。背丈が小さいこともあって、何となく思春期の少年に見えなくもない。
登場してくるタイミングが良すぎると思ったが、ベルナルドの口ぶりでは、どうやら俺たちが転移門に近づいたのを察知していたようだ。であれば、コイツは余計に油断ができない。
俺たちが無言のまま彼の言葉に応えずにいると、ベルナルドが改めて口を開いた。
「君たちは魔人ではないようだけど――どうしてここに?」
無邪気な質問に、思わず友好的な答えを返してしまいそうになる。
だが、どう答えたところで戦闘は避けられないだろう。
であれば、俺がやろうとしていることが、ヤツらにとってどういう反応を受けることなのかを試してみたいと思った。
「単に、転移門を壊しに来ただけさ」
俺の言葉を聞いて、ベルナルドの視線が後方にいる俺に移る。
ベルナルドは俺を見ながら一瞬目を細め、直後に目を見開きながら言った。
「おやおや――ただの雑魚たちかと思っていたら、使徒がいるじゃないか。
しかも何? 転移門を壊すだって?
――でも、転移門を壊してしまっては、君も困るんじゃないかい?」
「何、だと――?」
俺は眉間に皺を寄せて聞き返した。
どういうことだ? 転移門を壊すと、俺が困ることになる――?
使徒と断定されたことで、制約から来る痛みがズキズキと頭の中を駆け巡っている。
それを堪えながら、俺は今の答えが何を意味するのかを考え始めた。
その間にベルナルドは、グレイスやシルヴィアたちに視線を移している。
その視線がセレスティアのところで一瞬止まると、妙に満足したように口を開いた。
「使徒は一人だけなのか。でも――クランシーの使徒はいいねぇ、食欲をそそられる。
そこの女からもクランシーの匂いを感じるし、こちらに来て早々ご馳走にありつけるとは、何という幸運」
ベルナルドの、クククという小さな笑い声が聞こえた。
それを聞いて、全員の緊張感がより一層高まる。
「じゃあ――美味しくいただくことにするよ」
その声と共に、ベルナルドは邪悪に表情を歪めた。
次の瞬間、彼の身体は完全に掻き消える。
戦闘転移だ! と意識した時には既に、ベルナルドの姿は俺の側にあった。
「そぉらっ!!」
ベルナルドの得意げな声と共に、右手のナイフが煌めく。その速度に完全に動作が追いつかなかった俺は、ナイフの一撃を胸元に喰らった。
直後、ガシャン!という大きな音が響き、接触魔法の魔壁が砕け散る。
ベルナルドの攻撃は、早いがそこまでの威力があるわけではないようだ。彼のナイフは魔壁を壊しただけで、俺の身体には届かなかった。
続いて左手のナイフが閃くが、そちらの攻撃は支配者の籠手が展開した魔法盾で防ぐことができた。
ベルナルドは両手の攻撃が不発に終わったのを見ると、即座に後ろに飛び退いていく。きっと反撃を警戒したのだろう。
俺は当たらないだろうなと思いながらも、魔弾・中を三連発した。だが予想通り、あっさりと全て避けられてしまう。
「へぇ――。
君、変わった魔法を使うんだね」
ベルナルドが感心したように目を見開きながら言った。
それが無属性魔法を指した言葉なのか、接触魔法を指した言葉なのかは判らない。
どちらにせよ、初撃を避けられたベルナルドには、まだまだ余裕があるようだ。
――と、不敵に笑ったままのベルナルドに、グレイスが側面から突進を掛けた。
ベルナルドに対して運命の短剣による刺突と、隠者の長剣による斬撃が、続けさまに繰り出される。
ヤツは警戒を解いたような体勢だったのだが、グレイスの両方の攻撃を難なく避けた。それだけで相当な回避力を持つことが判る。
ベルナルドは逆に、グレイスの攻撃を避けた勢いで、後方のシルヴィアを狙って駆け出し始めた。
彼女が狙われる可能性を考慮していたセレスティアが、その間に割って入る。
「さあ来い!」
セレスティアの声に導かれるように、ベルナルドは間に入ったセレスティアに攻撃を仕掛けていく。
セレスティアは聖乙女の剣でベルナルドの右手を払った後、左手の攻撃を盾を使って受け止めた。
「――それじゃあ、甘いよ」
「何――!?」
目前で笑ったベルナルドが、その場で横に一回転し、右脚で回し蹴りを放ってくる。
その蹴りはセレスティアの右上腕にあたり、彼女は呻き声を上げてその場から吹き飛んだ。
ベルナルドの身体は小さいが、瞬発力はかなりのものだ。
セレスティアは聖乙女の鎧の上から蹴りを受けたにも関わらず、吹き飛ばされた。相当な筋力があると見て間違いない。
セレスティアが退いたことで、ベルナルドとシルヴィアの間を遮るものがいない。
ベルナルドはニヤリと笑うと、再び彼女を狙って駆け出した。
「ちょっと、こっち来ないでよ!!」
シルヴィアは自分が狙われているのを認識して、慌てて炎弾を連射する。
だが、ベルナルドはそれを難なく避け、そのままの勢いでシルヴィアへと迫っていった。
凶刃がシルヴィアに降りかかろうとした瞬間、俺が戦闘転移でシルヴィアの側に割って入る。
「くっ――!」
彼女を庇うのが早すぎると、ベルナルドは俺たちが逃れた方向へ方向転換してしまう。
攻撃をしっかり避けるためにも、ギリギリのタイミングを狙って転移する必要があった。
だが、想像していたよりもベルナルドの攻撃が速い。俺は攻撃を避けきることができず、左腕をナイフで斬り裂かれた。途端にダラダラと、真っ赤な血が流れていく。
瞬間、ベルナルドの目が、逃れた俺の方へ向いたのが判った。
追撃が来るのを確信した俺は、即座に防護結界を展開する。
ベルナルドは結界の余波を恐れ、飛び退って距離を取った。
「――ほう、結界かい。
だけど、それがいつまで保つのかな?」
ベルナルドが嘲るように言う。
恐らくヤツは、全体的に物理戦闘に偏った能力を持っている。
だとすればヤツの物理攻撃を封じて、出来るだけ魔法戦闘に持ち込んだ方が楽なはずだ。
「シルヴィア、結界から出るなよ」
「ええ」
俺はそう言うと、自分自身に大回復と治療を掛ける。
治療の魔法は、骨折なども含めた傷を治す魔法だ。傷の重度が高ければ高いほど、完治させるまでに時間がかかる。また、傷によるHPの減少状態を治したり、出血状態を止めたりすることはできるのだが、減ってしまったHP自体を元に戻すのには役立たない。だからこそ、大回復と併用しなければならないのだ。
俺の方へ視線を向け、結界の様子を見ていたベルナルドの動きは一瞬止まっている。
それを好機と見て、ロベルトがベルナルドの後方から襲いかかった。ロベルトにしては珍しく、掛け声のない攻撃だ。
だが、まるで背中に目が付いているかのように、その攻撃はするりと避けられてしまう。
直後、申し合わせたかのようにセレスティアがベルナルドに斬りかかった。まさに、ロベルトの攻撃が避けられることを見越して仕掛けた攻撃だ。対するベルナルドは、相当に無理な体勢になっている。ところがヤツは異様に柔らかい動きを見せて、その攻撃を器用に避けた。
続いてグレイスが、ベルナルドに向けて斬撃を放っていく。
流石に間一髪で避けるのが難しくなったベルナルドは、それを後ろに回転しながら避けた。
守勢に回ったベルナルドは、さらに大きく一歩下がって、一瞬距離を取ろうとする動きを見せる。
――ところがベルナルドは、その位置から一気にセレスティアへ突進を掛けた。
セレスティアは言うまでもなく、一番装甲が厚い。恐らくそれが判っているからこそ、油断を突こうとしたのだろう。ベルナルドの攻撃は、セレスティアの装甲と装甲の隙間を縫って、彼女の身体に襲いかかった。
「チッ――!!」
セレスティアの右腕が傷つけられ、腕から真っ赤な血が飛び散る。
追撃の構えを見せたベルナルドを妨害するように、横からグレイスが風刃を放った。
風刃は独特のカーブを描きながら、ベルナルドの足下を襲う。だが、その読みにくい軌道もベルナルドは難なく避けてしまった。
「そこだああぁぁっ!!」
ロベルトは最初からそのタイミングを狙っていたのだろう。
ベルナルドが風刃を避けた瞬間、彼の蝕の短槍が閃いた。
ロベルトの渾身の突きは突進突きの光を纏い、ベルナルドの胸元に吸い込まれていく。
「――!!」
一瞬――その一撃は決まったかのように見えた。
だが、ロベルトの蝕の短槍の先端は、ベルナルドの胸に当たる直前で止められている。
ベルナルドは左右の双竜短刀を重ね合わせ、ナイフの“平”の部分で槍を完全に防いでいた。
スキルが不完全に終わった蝕の短槍の先端から、技の光が脆くも霧散していく。
ベルナルドは、そのまま後方に飛び退くと、ロベルトたちとの距離を取った。
「――いやあ、今の攻撃は良かった。危うくやられるところだった。
ただの蜥蜴だと思って、油断していたよ」
「フン――スプリガンごときが言うじゃないか」
蜥蜴と侮られたロベルトが言い返す。
前衛三人とベルナルドが、一瞬の膠着状態になっている。
それを見た俺は、後ろから声を張り上げた。
「――セレス、ロベルト、暫く保たせてくれ!」
「判った」
「よし旦那、任せてくだせぇ」
彼らにはもはや、この指示が何を意味しているのかを説明する必要がない。
その声と共に、グレイスが素早く後退していく。セレスティアとロベルトは、それをカバーするようにベルナルドと対峙した。
俺は下がるグレイスに対して、防護結界の中に入るよう指示をする。
あれだけ素早いと、例え十分な距離を取ったとしても、詠唱中に攻撃を受けかねない。
だが、流石に一人を護るための結界に、俺、シルヴィア、グレイスの三人が収まるのはかなりきつそうだ。
「シルヴィア、はじき出されないようにしっかり掴まってろ」
「判ったけど――何なのよ、この状況――」
シルヴィアが俺の背中に抱きつくようにしがみつく。
背中に彼女のボリュームのある胸が押しつけられたのが判った。
グレイスは俺と至近距離で向かい合いながら、既に詠唱を始めている。
「――――」
ふと、離れたところにいるベルナルドと、俺の視線が交錯した。
俺の見間違いでなければ、ベルナルドが一瞬笑みを浮かべた気がする。
何だ? ――何か嫌な“予感”がしてくる。
俺はその予感を掻き消すように、その場からベルナルドへ向けて、光刃を放った。
弾速の速い光刃だが、ベルナルドまでの距離が離れていることもあって、あっさり避けられてしまう。
直後、ベルナルドはロベルトに向かって、攻撃を仕掛けた。
ロベルトは右手の攻撃を、槍を使って器用に受け止める。だが、左手の攻撃は裁ききれず、脇腹の辺りに裂傷を負った。
バランスを崩したロベルトに、ベルナルドが追撃を仕掛けていく。
そこへセレスティアが割って入り、聖乙女の盾で攻撃を受け止めた。
セレスティアは、そのままの体勢で光弾を複数撃ち出していく。
至近距離にもかかわらず、ベルナルドはそれを全て避けてしまった。半端じゃない反射神経だ。
セレスティアは流石にそれに驚きながらも、側にいるロベルトを大回復で癒やす。
回復によってセレスティアたちの動きは止まっている。それを見た俺は、牽制の意味を込めて魔弾を次々に撃ち出した。
だが、光刃よりも弾速の遅い魔弾だ。ベルナルドは薄ら笑みを浮かべながら、それを難なく避けてしまった。
攻撃の波が止んだところで、今度はベルナルドがセレスティアに襲いかかる。
先ほどの攻防を、まさに繰り返すような光景が繰り広げられた。
セレスティアはベルナルドの右手の攻撃を防いだが、左手の攻撃によって装甲の隙間を狙われる。再び彼女の右腕からは、真っ赤な血が飛び散った。
「くっ――!!」
セレスティアは苦痛に耐えようとしたが、傷によって右手の握力が弱り、聖乙女の剣をその場に取り落としてしまった。
――まただ。
また、ベルナルドがこちらを見た。
状況的には、セレスティアが追い詰められているタイミングだ。
彼女へ追撃するなら――例え警戒しているとはいえ、俺の方を見る必要はないはずだ。
俺は心の中に違和感を抱えながらも、詠唱の終わったグレイスに両手を向ける。
暖かく、柔らかい肌に手の指が沈み込んだ。
「あっ――」
俺の手を感じたグレイスは、小さな喘ぎ声を上げる。
すると、それに気づいたシルヴィアが、背中の方からポツリと言った。
「――自分が必死に抱きついてる男が、他の女にイヤらしいことをしてるっていうのは、途轍もない屈辱を感じるわ――」
確かに傍から見れば、とんでもない情景であることは間違いない。
俺は彼女が漏らした嫉妬心に、思わず苦笑した。
「――じゃあ、戦闘が終わってからは、シルヴィアの番だな」
その発言に、俺を抱きしめる力がギュッと強まった。
「ちょっ――あんた、何を馬鹿なこと言って――きゃっ!!」
まるで彼女の言葉を遮るように、強い光の束が俺たちを包み込む――。