005 使徒
それからの三ヶ月、俺はひたすらに数値上げと、魔法の研究に没頭した。
早朝から教会の仕事を手伝い、昼になる前にはそれらの仕事を全て終えてしまう。
そして、昼前からアスリナが用意してくれる弁当を持って、森に入る。
俺の右手には教会から借りた古ぼけた鉄の錫杖がある。この錫杖は、アスリナに無理を言って譲って貰ったものだ。
最初の内はナイフを借りて、木の枝を削って木の棍棒を作っていた。だが、木の棒は空を斬る鍛錬には使えるが、何かを叩けば簡単にへし折れてしまう。
堅い木の棒が簡単に折れてしまうことなど以前はあり得なかったことだが、俺の筋力がそれだけ高まっているということだろう。
俺が毎日日課のように森に入るようになったのは、最初の二週間が過ぎた頃からだ。
森に入ることをアスリナは当然反対したのだが、俺は「記憶が戻るかもしれないから」という理由でそれを押し切った。
最初は教会から見える範囲で木の実を収集したり、魔力の鍛錬をする程度だったのだが、一ヶ月半ほども経つと、森の広範囲を歩き回れるようになった。
もちろん、森の奥地では時折コボルドなどが出現する。
だが、グリーンコボルドやレッドコボルドは、もはや何匹いても俺の相手にはならない。
たまに戦闘で掠り傷を負うこともあったが、程なく習得した回復魔法1と、その効果を高めた回復魔法2も使えるようになったことで、何かがあっても自分で回復し、対処することが出来るようになっていた。
攻撃魔法は残念ながらアスリナから学ぶことは出来なかったが、集中してまとめた魔力を、対象に向けて飛ばす魔法を自ら編み出すことが出来た。俺はその魔法を、魔弾と呼んでいる。
魔弾は込める魔力を小さく絞れば短銃の弾程度の威力になる。逆に魔力を目一杯込め、大きく発動すれば大木を倒してしまう程の威力になる。これ自体は非常に単純な魔法なのだが、戦闘ではかなり重宝出来るものだった。
防御魔法もその応用で編み出した。
集中してまとめた魔力を、壁を意識した形に展開すると、無色透明の壁が出来上がる。俺はこれを魔壁と名付けた。
試したところ、コボルドはその見えない無色透明の壁に激突し、川の水もちゃんと遮ることが出来ている。これはこれで、きっと有効に使えるはずだった。
また、俺は一ヶ月が過ぎた辺りから、SPの上限を効果的に増やす方法に気づいた。
SPは魔法を使えば使うほど、数値上は見えてはいないが経験値が貯まり、上限が上がっていく。
ところがどうやら魔法を発動せずとも、意識を高めて魔力を練るだけで、経験値が増えているようなのだ。
この鍛錬の方法を採れば、魔法を撃ってSPを減らす必要がなくなる。
SPは今のところ時間経過でしか回復しないことが判っているので、これまで一日に稼げるSPの経験値にはかなり制限があった。この鍛錬手法によって、俺のSP経験は飛躍的に伸びることになる。
それに気づいて以来、俺は陽が落ちてからベッドで寝てしまうまでの時間を、ほぼその鍛錬に費やしている。もちろんその時間を使って筋力を鍛えるという選択肢もあるのだが、この先を考えると俺が剣を取って闘うという展開よりも、魔法で闘うという展開の方があり得ると考えたからだ。
もちろん魔法だけでなく、体力関係の数値上げも欠かしはしなかった。
しばらくの間、もっぱらコボルドを退治することが、効果的な体力系パラメータの経験値稼ぎになっていたのだが――。
あと、大事な変化がある。
見た目の変化だ。
俺はロドニーとアスリナに拾われてから、ボサボサの髪に伸び放題のヒゲに包まれていたのだが、髪を切り、ヒゲも綺麗に剃った。
「本当に、すっかり垢抜けましたね」
――とは、アスリナの談だ。その日以降、アスリナがまじまじと俺の顔を見るタイミングが増えたように思う。
昼間ずっと不在であまり顔を合わさないロドニーも、変化した俺の外見を見て、一瞬俺だと判別出来なくなっていた。
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【名前】
安良川 圭
【年齢】
21
【クラス】
魔法使い
【レベル】
26(91)
【ステータス】
H P:2119/2119
S P:1841/1841
筋 力:623(77)
耐久力:468(36)
精神力:1014(81)
魔法力:898(04)
敏捷性:413(06)
器用さ:450(55)
回避力:342(38)
運 勢:18(21)
攻撃力:641(+18)
防御力:469(+1)
【属性】
なし
【スキル】
ステータス★(全対象)、鑑定★、無属性魔法2、回復魔法2、生活魔法、精神統一4、魔力制御7、体術3、棒術3、突術2、交渉術2、精神耐性7、睡眠耐性4、苦痛耐性3、病気耐性2、自動体力回復5、自動状態回復2、自動魔力回復4、収集3、編み物1、家事2、フロレンス語学
【称号】
クランシーの使徒、異邦人、探求者、蛮族狩り、教会手伝い、魔法使い、狩人、治癒術士、社畜
【装備】
鉄の錫杖(攻撃力+18)
布の服(防御力+1)
【状態】
クランシーの制約LV98▼
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三ヶ月前に比べると、数値の伸びは異常なぐらいだと思う。
数字だけで言えば、アスリナの一〇〇人分強いことにはなるが――。
もはや森のコボルドを倒したところで、経験値はピクリとも動かない状態になって久しい。もちろん教会の仕事を手伝ったぐらいでは、何の経験にもならなくなっている。
今はひたすら自分の身体を虐める鍛錬と、無属性魔法の繰り返しを経験にしているだけだ。
恐らくもっと強い敵と闘ったり、更に上位の魔法を覚えれば、経験値の上昇効率は改善するに違いない。
そして、それをするためには、この安全な教会から離れていくことが不可欠だ。
――だが、俺はそれをしなかった。
その理由は、俺が狂ったように自己鍛錬に励み、強くなろうとしていることと、密接に関係している。
それは以前、ロドニーの様子を見ながら俺の頭に思い浮かんだ、ある“可能性”に基づいていた。
俺はロドニーにも、アスリナにも、自分の身を救ってくれたことに対する最大限の感謝を欠かしてはいない。
手伝える仕事は手伝い、自分を保護してくれるだけの恩義を返していきたいと考えていた。
しかし、俺の中に浮かび上がった違和感は――俺自身の心に“決して油断するな”という警鐘を鳴らし続けている。
その警鐘が、一見平穏に見えるこの日々が“続かなくなる”可能性を、常に頭に過ぎらせるのだ。
そして、仮にその考えに基づくなら――俺は恐らく、あまり教会から離れない方が良い。
さらに俺はこの三ヶ月間、ロドニーとアスリナ以外の人間とは、誰とも顔を合わせていない。
時折教会には人が集まることがあったのだが、俺は意図してそれらの人々との接触を断っていた。
ロドニーとアスリナも、積極的に俺を他人に紹介しようとはしていなかったことで、実質俺の存在を知る人間は、ロドニーとアスリナに限られていると言っていい。
そして、この後のことを慎重に考えた場合――これも、恐らく“会わない方が良い”可能性がある。
所詮――俺の頭の中にある“最悪のシナリオ”は、“可能性”の一つでしかない。
だが、俺はロドニーと交わした――俺は“運がいい”ですね――という台詞を思い出しながら、自分の状態を見つめ直す。
ほらよく見ろ。
俺は飛びっきり――“運”が悪いんだ。
俺はその日、珍しく早めに帰ってきたロドニーを見かけた。
午前の教会の仕事が終わり、アスリナから弁当を受け取って、森に入ろうとしていた時のことだ。
「おや、今日は随分お早いお戻りなのですね」
俺はロドニーに声を掛けた。長髪の黒髪がサラサラと流れている。見た目は相変わらずの優男だ。
「ええ。先ほど訪問した先の信者の方から、私が持っている本を是非借りたいと言われまして。
明日お持ちすると言ったんですが、明日から暫く不在にされるというお話だったので、一旦取りに戻ることにしたのですよ」
掛けたメガネの縁を上げながら、ロドニーは和やかに言った。
ロドニーは普段、教会から離れた町で布教活動をしているらしく、基本的に陽が落ちる時間までに戻ってくることがない。
なので、普段はほとんど俺と顔を合わせることはないし、俺と会話らしい会話をすることもない。
こんなのでこの教会は成り立つのだろうか――とも思いはするが、わざわざ俺からそういうことを追求したりはしなかった。
「今日もお帰りは陽が落ちてからなんですか?」
ロドニーはその質問を聞くと、少し笑った。
「そうなると思います。
――ひょっとして、何かお話ししたいことでもありましたか? 夜でよろしければ、時間を取ることは可能ですが」
俺はその提案に、首を横に振った。
「いえいえ、特にそういう訳ではないんです。
いつでもいいんですけど、今度お時間のある時に、回復魔法以外の魔法を教えて頂けないかと思いまして」
「なるほど、そういうことですか。
では、時間が取れる時があれば、アスリナに言付けておくことにしますね」
そういってロドニーは再びニッコリと笑うと、俺に背を向けて教会の中へと向かっていく。恐らく本を取りに入るのだろう。
俺の中に漠然とした不安がなければ、背を向けたロドニーをそのまま見送ったのだと思う。
だが、俺は自分の中にある小さな違和感によって、ほぼ反射的にロドニーを強く意識して“凝視”した。研ぎ澄ませた意識を目に集中し、今まで見えていなかったものも視ようとする。
すると、前に見た時よりもずっと情報量の多い状態が、目の前に表示された。
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【名前】
ロドニー
【年齢】
不明
【クラス】
不明
【レベル】
42
【ステータス】
H P:????/????
S P:????/????
筋 力:988
耐久力:844
精神力:921
魔法力:994
敏捷性:613
器用さ:512
回避力:489
運 勢:465
攻撃力:???
防御力:???(+4)
【属性】
不明
【スキル】
火属性魔法4、不明、水属性魔法3、不明、不明、生活魔法、魅了7、不明、ハーランド語
【称号】
優男、クランシー神父、不明、不明、不明、不明、アラベラの使徒
【装備】
司祭服(防御力+4)
【状態】
不明
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視えた!
――が、何だこれ、メチャクチャ強えぇ!
レベルが追いついてないから仕方ないとはいえ、精神力しか勝ててない。それ以外は大幅にロドニーの方が上回っている。
さらにいくつか不明だったスキルや称号も、見えるようになっていた。
ステータスを確認するときに、自分の目に魔力を集めたからだろうか? もしくは確認出来るステータスは、俺の何らかの数値に影響されるのかもしれない。
どちらにしても増えた情報を、逐一確認することが必要そうだ。
火属性の魔法が使えるのにはちょっと驚いた。しかも魔法のレベル4は、俺が見たことのないレベルだ。
火属性に加えて、反属性の水属性魔法が使えるということは、ロドニー自身の属性は、少なくとも火や水ではない。
――となると、ロドニーは火属性、水属性に加えて、ロドニー自身の属性であろう風土光闇のいずれかの魔法も使える可能性が高い。
アスリナの説明では、三つの属性魔法を使いこなす人間は稀だということだったので、何ともはや、もうレアキャラに出会ってしまったことになる。
それと、魅了7ってのは何だ! 言葉通り捉えると、相手を言いなりにさせたり、混乱させたりするスキルのように見える。しかも相当にレベルが高い。イケメン御用達スキルということではないと思うが――。
それ以外に見えた、生活魔法については特に言及の必要はないだろう。
問題は「アラベラの使徒」という称号の方だ。
この単語には、俺も全く心当たりがない。
アラベラって何のことだろう――?
その日、俺は日中を日常通りに過ごした。
夕食はいつもアスリナが用意してくれている。本当に感謝してもしきれない。
俺はいつもと変わらぬ仕草になるよう気をつけながら食事を終え、出来るだけ自然な口調でアスリナに質問をぶつけた。
「アスリナ、ちょっと質問いいかな?」
「はい、大丈夫です」
アスリナはちょうど食器を片付けているところだった。彼女は俺に比べると小柄だが、テキパキと家事をする姿が小気味いい。
「――アラベラって何のことだろう?」
俺が投げかけた言葉の中で、アスリナは“アラベラ”という単語を聞いた途端に、手にした食器を落としてしまった。
落ちた食器が派手な音を立てて、静かな周囲に響き渡る。
その行為に、質問をした俺の方がビックリしてしまった。
ヤバい、不味いことを聞いてしまっただろうか――。
少しの沈黙のあと、アスリナは俺の方も向かず、固まった姿勢のまま小声で、祈りの言葉と思しき言葉をブツブツと吐いた。
そして、俺の方を振り向き、少し抗議するように言う。
「――その名を妄りに唱えてはいけません。その名は通常、封印されているものです。
どこでお知りになったのかは尋ねませんが、すぐにお忘れください」
「ごめん、そこまで反応するものだとは思わなかった。単純に意味を知りたかっただけなんだ」
俺はそういって、アスリナに謝った。
アスリナは取り落とした食器を拾うと、神妙な表情で俺に向かって言う。
「その名は、わたしたちにとっての“邪神”を意味しています。
なので、驚いたのです」
「――邪神――」
俺はそれを聞いて、改めて身を引き締めた。
俺を保護してくれているロドニーなのだが――彼が何がしかの“秘密”を持っていたのは、正直俺の想定通りだ。
問題は、アスリナがロドニーの持つ“秘密”に気づいているかどうかなのだが――俺が見るに、少なくともアスリナは、ロドニーが邪神の使徒という称号を持つことを知らないように見える。
とはいえ俺は、これであらゆる“悪い状況”に備えなければならなくなった。
この教会が祀っているクランシー神の神父であるはずのロドニーが、なぜかその信徒であるアスリナから“邪神”と呼ばれる、“アラベラ”の使徒である訳だ。
そして――俺の状態には、“クランシーの使徒”という称号がある。
この状況から考えれば、ロドニーが何を考えて俺を助けたのかが、何となく推測出来てしまう。つまり、ロドニーは決して俺の命を救おうとした訳ではないのだ。
もし本当に俺が考えていることが正解なのであれば、あとはロドニーの化けの皮を剥がして、追い詰めるだけになるのだが――。
あの数値を見た上で、果たして俺の力で彼を追い詰めることが出来るのだろうか――?
その日の夜、俺は自分の部屋から出て、ロドニーの眠る教会の離れを見張っていた。
今日、ロドニーが動くかどうかは判らない。
だが、今日動かなかったとしても明日、明日動かなかったとしても明後日、俺はロドニーを見張ることになるだろう。
幸いなのは、周囲がまだ寒い季節になっていないことだ。様子を窺って立ちっぱなしになっていても、さほど辛さは感じない。
俺が見張り始めてから三〇分もすると、ロドニーの部屋の明かりが消えた。
眠ったか?――と思った直後、小さく扉が開く音が聞こえ、間もなくロドニーが離れから現れて、町の方向へと歩いて行く。
俺は気取られないよう細心の注意を払いながら、その後を追った。
ロドニーの目的地は、町の中ではなかった。
俺はホッと胸を撫で下ろした。ロドニーの目的地が町中だと、身分証の無い俺は追いかけることが出来ないからだ。
ロドニーは町には入らず、町へ向かう道の途中から側道に逸れ、見たことの無い大仰な屋敷の敷地へと入って行く。
見れば、教会よりも大きな屋敷だ。
明かりが全く点いていないので、人が住んでる場所なのかどうかも判らない。
俺はロドニーが屋敷に入っていくのを確認し、静かに屋敷の門へと近づいた。
周囲は暗い。何か罠が隠されている可能性もあるが、俺はとにかくロドニーがどこへ向かうのか、突き止めたいと思っていた。
俺の手には鉄の錫杖が握られている。逆に言えば、それ以外は大した装備もない。
果たしてロドニーと戦闘にでもなった場合、本当に彼に勝てるのかどうか――。
その時だった。
屋敷の門に近づき、屋敷の中を窺おうとしていた俺に、突如として側面から“影”が斬り掛かってくる!
「――!!」
俺は咄嗟のことに声を上げることも出来ず、ただ身を捩ってそれを避けようとした。
油断していた訳じゃない。
だが、正直ロドニーを追うのに夢中になって、周囲への注意が疎かになっていたのも事実だ。
幸いにして“影”の斬撃は、俺の目前に剣光を撒き散らすだけで済んだ。
――危ねぇ!
“影”の得物は長剣だ。一撃目を躱したことで少しバランスを崩したその“影”が、続いて二撃目、三撃目を放ってくる。
身のこなしが速い上に、恐ろしくしなやかだ。剣の腕前もかなり高そうに見えた。
俺はとっさに半歩退いて、自分の目の前に魔壁を展開する。
果たして“影”の二撃目、三撃目は、無色透明の魔壁に激突して止まった。壁に金属がぶつかる無機質な音が響く。
そこで一瞬、“影”が怯んだのが判った。
俺はその隙を見逃さず、自分の身体を前に擲ち、ヘッドスライディングをするように“影”の後ろに一気に回り込んだ。