057 捨て身
「――おはよう、ケイ」
俺が目覚めた時、既に支度を調えた様子のセレスティアから声を掛けられる。
見ると朝日が部屋に差し込み、それがセレスティアを後方から照らしているように見えた。
彼女の金髪が陽光に溶けるように感じられて、毎度ながら神々しい雰囲気を漂わせている。
俺が見る限り、セレスティアの表情に、気負いはない。
優しげに微笑む顔からは、むしろある種の諦めに似た、決意を感じさせる。
今日、セレスティアが負けたらどうなるかを、考える必要はない。――というか、考えたくない。
俺自身も、彼女が必ず勝つことを信じて、決戦に望む方がいいだろう。
俺たち四人が朝食を終え、支度を調えると、間もなく部屋に豹男が入ってきた。
「昨晩は良く眠れましたか?
早朝で恐縮ではあるのですが、早速闘技場へ向かうとしましょう」
豹男の方は、いつも通りの様子だ。
彼が負けたところで、怪我さえしなければ失うものはないだろうから、気負いがなくて当然なのかもしれないが――。
俺たちと豹男が闘技場に到着すると、初めてここに来た時と同じように、竜人が猫顔の獣人を伴って、既に待ち構えている状態だった。
竜人は俺たちの姿を認めると、挨拶なしに声を掛けてくる。
「この前の再現だな。
闘いの内容まで、再現でなければ良いのだが」
竜人はそう言いながら、若干侮った調子で笑みを浮かべた。
「では――時間に限りがありますので、早速始めましょうか。
――セレスティアどのは、既に準備出来ていますか?」
豹男の問いかけに、セレスティアは静かに頷いた。
セレスティアの表情は、闘技場に入ってくるまでは穏やかだったのだが、闘技場に入って竜人の姿を見た途端に、堅くなった気がする。
もちろん俺は、彼女の勝利を信じたいのだが――。
豹男とセレスティアは闘技用の防具を身につけ、自分たちの武器を確認して対戦の準備を整えている。
豹男は左右の手に審判の双斧を、セレスティアは右手に聖乙女の剣、左手に聖乙女の盾を持ち、装備に関しては両者ともに前回から変化がない。
だが準備が整い、二人が対峙しようとした瞬間から、セレスティアは俯いて、何かを我慢しているかのような表情になり始めた。
俺はさすがに心配になり、セレスティアに声を掛けようとする。
「セレス、まさか体調でも――」
セレスティアは、その俺の言葉を途中で遮るように、突然大きな声を出した。
「――ヴァイスどの!
今更なのだが、お願いがある」
今にも対戦が始まろうというときの出来事に、竜人は若干気分を害したのか、目を細めて返答した。
「――何だ?」
その返答を聞いて、続けてセレスティアは声を上げる。
「力が及ばないのは判っている。
だが、許されるなら――私は、もう一度ヴァイスどのと勝負がしたい。
貴方と闘って、私を認めて貰いたいんだ。
いや――認めさせてみせる!!」
セレスティアは、目を見開き、決意の程を見せている。
だが、この発言には俺もさすがに驚いた。こんなことは昨日、打ち合わせたりはしていなかったからだ。
一方の竜人は、僅かな間沈黙すると、直後に大きな笑い声を上げ始める。
彼の野太い笑い声が、闘技場中に響き渡った。
「そうでなくてはな。
――少し待て。もう一度、力の差を見せてやる」
そういうと竜人は、一旦闘技場から下がっていく。
セレスティアは竜人の背中を見送ってから、俺の方へと近づいて来た。
「ケイ、私の判断で、勝手なことをしてしまって済まない。
だが――どうしても我慢できなかった。
負けたままの自分を――あのままの自分を、許せなかったんだ」
彼女の顔は紅潮し、興奮しているように見える。
俺はその表情を見て、微笑みながら慰めるように言った。
「セレス、謝る必要はない。
俺もきっとその方が良かったんだと思う」
それを聞いて、セレスの表情が少し和らぐ。
俺はセレスに顔を近づけると、彼女の目を真っ直ぐに見据えながら言った。
「セレス、よく聞いてくれ。
ヴァイスは強い。
だが、これは“ルール”のある闘いなんだ。
だからきっと勝機がある」
俺がそういうと、セレスティアは俺の目を見ながらしっかりと頷く。
ロアールの対決は、初撃で決まる方式だ。
逆に言えば、初撃を決めさえすればいいのだ。
例えそれが、どんな“不格好”なものであったとしても。
少しして、竜人が軽装になって闘技場へと戻ってくる。
先ほどまでは正装をしていたから、きっと着替えて来たのだろう。
正直、着替えなど資産に突っ込んだら済むじゃないかと考えなくもなかったが、それなりの地位にある人物が、人前で着替えなどしないということかもしれない。
竜人は闘技用の防具を装着すると、セレスティアと対峙するように、闘技場の真ん中に移動する。
「では――流れ上、私が見届けることにしますね」
直前まで闘う気満々だった豹男が、竜人とセレスティアに語りかける。
竜人の武器は、変わらず大剣だ。
一方のセレスティアの装備も、聖乙女の剣と、聖乙女の盾で変わらない。
二人を交互に見て、両者が武器を構えたのを確認した豹男は、闘いの開始を宣言した。
「よろしいですか――では、始め!」
その声とほぼ同時のタイミングで、竜人の大剣が横凪ぎに唸りを上げる。
セレスティアはその攻撃を、聖乙女の剣を持つ右手も使いながら、しっかりと盾で受け止めた。
「ぐっ――!」
思わずセレスティアの口から声が漏れる。
セレスティアの身体は大剣の勢いに押されて流れそうになったが、何とかそれを押しとどめ、攻撃を受け止めるのに成功した。
「よく止めた!!」
竜人は嬉しそうにそう叫ぶと、一旦大剣を引いて、今度は逆袈裟に剣を振るってくる。
恐らくその剣勢は、初撃よりも重いものではなかったのだろう。
セレスティアはその勢いを計って、剣だけで受け止めようとした。
だが、竜人の攻撃は、聖乙女の剣には当たらない。
牽制だ――そう思った直後、竜人の大剣は再び唸りを上げて、今度は袈裟斬りにセレスティアへと襲いかかってくる。
セレスティアは聖乙女の剣の角度を変えて、その一撃を受け流そうとした。
だが、その一撃は、逆袈裟のものとは勢いが違う。
大剣は聖乙女の剣と激突し、火花を散らしながら刀身に沿うように流れていく。
勢いのあまり受け流しきれなかった攻撃は、セレスティアの右の肩当てを引っかけて吹き飛ばしていった。
「セレス――!!」
防具が飛んだのを見て、シルヴィアが思わず声を上げる。
だが、セレスティアは傷を負った訳ではない。
彼女はその場から二歩ほど下がって、竜人と少しだけ距離をとった。
――ここまで、圧されてはいるのだが、前回のように精神的に飲み込まれたりはしていない。
見ると、セレスティアの目には、しっかりとした闘志が見えている。
一瞬の間の後、今度はセレスティアが仕掛けていく。
聖乙女の剣で突きを放ち、それを大剣で弾かれると、左手に持った盾を一気に竜人に叩き付けようとした。
その動きに呼応するように聖乙女の盾が赤く発光し、動きが加速されて竜人を襲う。
竜人はセレスティアのスキル“シールドブロウ”を簡単には止められないと感じたのか、右肩に剣の平を当て、大剣を肩に抱えるようにしながら、身体を使って受け止めた。
そして、そのままの状態から、再び逆袈裟の方向へと斬撃を放ってくる。
セレスティアはその斬撃を、盾も剣も使わずに、後方へ下がって避けた。
攻撃を外した竜人は、更に踏み込んで、今度は斬り上げるように攻撃してくる。
「くっ――」
セレスティアは斬り上げる攻撃を聖乙女の剣でいなそうとしたが、斬撃の威力に耐えきれなかった。
次の瞬間、聖乙女の剣はセレスティアの手を離れて、宙を舞っていた。
「あっ――!!」
シルヴィアがその展開に声を上げた。前回と同じような展開になりつつある。
セレスは剣を失い、手に持つのは盾だけになってしまった。
竜人はその展開に、口を歪めながら追撃を仕掛けるが、図らずも両手で盾を持つ形になったセレスティアは、その攻撃をガッシリと受け止めることができた。
――だが、受け止めるだけではどうしようもない。
竜人は連続で追い込むように斬撃を放ち、それを二度、三度とセレスティアが何とか盾で受け止めるという展開が続いた。
「ケイ、このままでは――!」
グレイスもその展開に息を飲む。
だが、俺は声も上げず、その展開を静かに見守っていた。
竜人は一瞬大剣を下げて半歩下がると、再び踏み込み、横方向に一回転しながら横凪ぎの一撃を放ってくる。その一撃は、相当な威力の攻撃に見えた。
セレスティアはその一撃を同じように、両手で持った聖乙女の盾で受け止めようとしたが、受け止めた瞬間、流石に体勢が崩れて半歩後ろに下がる。
彼女の重心が後ろに下がったのを見逃さなかった竜人は、そのままの勢いで鋭い突きを放ってきた。しかも、盾を弾くために、わざと盾の上部を狙った攻撃だ。
果たして聖乙女の盾はセレスティアの手を離れ、聖乙女の剣と同じように弾き飛ばされていった。
――その時、竜人は己の勝ちを確信したはずだ。
だが、丸腰のはずのセレスティアが、“手に持つもの”を見た瞬間、その目が驚きの色に染まった。
セレスティアの両手には――盾の裏側に隠されていた、“短槍”が握られている。
「ハァァァッ!!」
セレスティアは気合いを込もった声を上げると、攻撃で伸びきった竜人の腕を目がけて、思い切って突き込んで行った。
完全に不意を打った攻撃だ。そのまま行けば、間違いなく竜人の腕を傷つけられるはずだった。
だが、咄嗟に竜人は大剣の柄を使い、腕に突き刺さろうとしていた短槍の切っ先を跳ね上げた。
結果、短槍は竜人の籠手だけを引っかけ、闘技用のそれをバラバラにする。
「外した!?」
俺はそれを見て、思わず声を上げた。
――昨日、セレスティアの状態を見ていた俺は、ふとセレスティアが槍を使わないことに疑問を持った。
彼女のスキルは、状態で見ると、剣よりも槍の方が高い。
セレスティアに聞くと以前は頻繁に槍を使っていたようだが、今槍を使っていない理由が二つあり、一つは盾が持てないからというもので、もう一つは聖乙女の剣を陛下から賜ったから、という理由だった。
――後者の理由はさておき、前者の理由については、ロアール式の決闘ではあまり意味を成さない。
それは、護りを固めたところで、勝負に勝てないからだ。
勝つためには攻撃し、相手に一撃を当てるしかない。
それもあって、俺は一つセレスティアに提案をしてみた。
一度、全ての護りを捨てて、槍で闘ってみてはどうか、と――。
恐らく竜人は、セレスティアが盾を捨てて槍で闘うとは思いもしていない。
それもあって、敢えてセレスティアが盾に執着しているように見せながら、ここぞというところで槍に持ち替えて攻撃する――そんなシナリオを組んでいた。
だが、その一撃を外してしまった。
セレスティアは、かなり劣勢に立ったと思わざるを得ない。
竜人とセレスティアは、槍を避けた勢いで、すれ違うように位置を入れ替えている。
入れ替わりざまに竜人が放ってきた斬撃は、盾を捨てて身軽になったセレスティアに避けられていた。
竜人はセレスティアに向けて大きく踏み込むと、再び横凪ぎを放ってくる。
セレスティアはそれを後ろに飛び退りながら避け、大剣を振った後の隙を狙って、一気に突進を仕掛けた。
体力でも装備でも劣るセレスティアは、闘いが長引けば自分の勝機がないと考えたのだろう。
彼女の突進は、ほぼ“捨て身”と言ってもよいものに見えた。
その突進は、セレスティアの槍スキル“串刺し”を発動させ、彼女の持つ槍は一直線の白い閃光を上げて、加速されていく。
竜人はその攻撃に、かなり窮屈な形で大剣を合わせ、何とかその軌道を受け流して変えようとした。
だが、速度に勝るセレスティアの槍は、簡単には受け流されずに、竜人の右の肩当てを引っかけて、それを吹き飛ばした。
でも――そこまでだ。
セレスティアはそのままの勢いで前のめってしまい、床に俯せに倒れ込んだ。
これで、セレスティアの背中は完全に無防備になる。
竜人はそこへ、容赦なく大剣を振り下ろそうとした。
このまま剣が振り下ろされれば、セレスティアの身体は真っ二つだ。
「セレス――!!」
俺がさすがに声を上げた瞬間、剣を振り下ろそうとしていた竜人の動きが、ピタリと止まった。
「――――」
「――何の――つもりなのですか?」
大剣を止めたことで、情けを掛けられ、侮辱を受けたと感じたのだろう。
セレスティアが竜人に、批難のこもった視線を投げかけた。
だが、その直後に聞こえた豹男の声に、俺たち全員が驚きの声を上げる。
「では、それまで――。
勝者、セレスティアどの」
「――えっ?」
「――へっ?」
思わず全員が聞き返してしまった。
それを見た竜人が、苦笑する。
「――不覚をとった。
避けられたと思ったのだがな」
そういって見せられた竜人の右手首からは、ポタポタと血が流れている。
セレスティアが盾を捨て、短槍で突き込んだ時、竜人は大剣の柄を使ってその一撃を防いだ。
――だが、その時に右手首に裂傷を負っていたらしい。
既にその時に、勝負は決していたのだ。
「闘いそのものに勝ったとは言いづらい内容だが、確かに勝負には勝ったようだな。
聖騎士よ、お前の勝ちだ。
いい覚悟を見せて貰った」
猫顔の獣人から回復を受け、竜人は倒れたままのセレスティアに、手を差し伸べる。
セレスティアはゆっくりとその手を取り、少しだけ目を閉じてから、朗らかに笑みを浮かべるのだった。
俺たち三人がセレスティアを一頻り労った後、竜人は俺たちに、首都の街に出るための身分証をくれた。これにはシルヴィアが飛び上がって喜んだ。
全員が竜人に認められ、ある意味大団円には見える。
だが、実際は俺がこの国に来て、達成しようとしていたことが、全く達成できていない。
俺はこの国に来て、“クローヴィス”という男を捜す必要があるのだ。
“クローヴィス”に関する手がかりは、少しも得られていなかった。
俺が改めてそれを竜人に伝えると、横で豹男が苦笑し始めた。
それを訝しげに見ていると、竜人がニヤリと笑いながら話し始める。
「“クローヴィス”は、捜す必要がない」
「――必要がない?」
俺は竜人の発言を聞いて、思わず聞き返す。
竜人は改めて、もう一度言った。
「“クローヴィス”は捜す必要がない。
獣人は成人する前と、成人した後で名前を付け替える風習があってな。
――“クローヴィス”というのは、もう何十年も前に捨てた、おれの幼名なのだ」
「――なっ!?」
俺たちは思わぬ回答に、呆気にとられてしまう。
俺たちは、最初から竜人に一杯食わされていた訳だ。
俺がふと豹男の表情を見ると、彼は笑みを浮かべた表情のままだ。
この様子だと――豹男も、最初からそれを知っていたと思われる。
真面目そうに見えるが、やはり食えないヤツだった。
ヴァイスがクローヴィスの名前を捨てたのが、数十年前。
その名を頼りにここまで来たのだが、結局レーネとヴァイスが会ったのが、ヴァイスがまだクローヴィスと名乗っていた――子供の頃だったということなのだろう。
あまりにも古すぎる情報を与えてくれたレーネに――俺は彼女を思い起こして、苦笑するしかなかった。
俺たちはこの後、魔人の活動を留めるために、転移門へ向かうことになる。
ヴァイスが言うには、それには相当な危険があるということだった。
具体的にそれがどの程度の危険を意味しているのかは判らないが、俺は少なくとも、そこに危険を犯してでも成すべき価値があるのかどうかを、改めてしっかり吟味しておく必要があると思った。
転移門を破壊すれば何が起こるのか?
使徒とは何なのか? 魔人とは何なのか?
グレイスが魔人を追う理由は?
そして――彼女は何故、魔人の武器を持っているのか?
俺には知っておかなければならないことが、まだまだある。
それを意識しながら、俺は三人の美女たちの笑顔を、じっと見つめるのだった。
(第五部 了)