004 疑念
それからの俺は、驚異的な回復を見せた。
左腕が骨折しているということだったが、目覚めてから二日目には動かせるようになっていた。
後頭部や背中の傷も、すっかり塞がってしまい、今や傷跡がどこにあったのかも判らない。
結局目覚めてから四日ほどで、ほとんど全快に近い状態まで回復してしまった。もちろん、アスリナもロドニーも魔法を使ったとはいえ、この回復っぷりには驚いていた。まあ、一番驚いたのは俺自身なんだが――。
多分これは、自動体力回復4の効果なんだと思う。でなければ説明がつかない。
もちろん傷は四日間で治ったということではなく、俺は目覚めるまで丸三日間寝込んでいたのだから、それを含めて一週間での全快ということになる。
仮に、自動体力回復4が傷の治りを四倍に早めてくれる効果だとすれば、ロドニーやアスリナの回復魔法を差っ引いたとしても、都合一ヶ月程度は回復に掛かったことになる。つまり、十分重傷だったわけだ。
全快した俺は教会から出て、周囲を歩いてみたい、町を歩いてみたいと希望した。ところがアスリナは、それには簡単に良い返事をくれなかった。
訊いたところこの教会は町から離れた場所に建っているのだが、町に入るには身分証が必要で、身分証を持っていない俺は簡単には町に入ることが出来ないのだとか。
身分証を発行するには町長の承認を得るか、各種ギルドで身分証明して貰うしかない。
どこの誰だか判らない人間に町長が身分証を発行するとは思えないため、身分証を手に入れるためには冒険者ギルドに登録することになるのだが、アスリナは「記憶が曖昧な状態で、冒険者ギルドに登録するのはお勧めしません」というアドバイスをくれた。
確かに俺としても、この世界の常識や社会通念がよく判らない状態で、ウロウロ動き回るのは避けたいし、冒険者の経験がない俺が、一人前の冒険者としていきなり働けるとも思いづらかった。
あともう一つ、判断に影響するのが“お金”だ。
残念ながら俺は、この世界のお金を全く持っていない。
先ほどの冒険者ギルドに登録するにも、まずは登録料が必要になるらしいのだが、俺はそもそもその分のお金すら持っていなかった。
もちろんロドニーやアスリナの厚意に縋って借りるという手はある。彼らは何となく、貸してくれる可能性があるように思う。
ただ、ここまで彼らに負んぶに抱っこの状態になっている俺が、それをするのは正直憚られる。できれば自分で稼いだお金で、何とかしたかった。
だから俺はアスリナが提案した「教会の仕事をお手伝いしていただければ、いくらかの給金が出せますよ」という言葉に飛びついたのだ。
アスリナが手伝いとして提示した仕事は、どれも女性には大変そうな肉体労働の仕事だった。
特に水汲みがキツイ。
水を汲んで持ち帰るだけという、もの凄く地味な仕事なのだが、俺の筋力経験が、それだけでメキメキと成長していく。正直楽な仕事ではないのだが、ステータスを上げるための修行をして、それでなおかつお金まで貰えると思い込めば、なかなかいい待遇のように思えた。
アスリナから頼まれた仕事は、大体お昼までには終わってしまう。
彼女が用意してくれた昼食を取りながら、午後からは以前の約束通り、魔力の鍛錬と魔法の習得の時間が始まることになっていた。
アスリナは完全に先生の表情だ。
「――いいですか。魔力というものは意識に通じます。意識を集中させれば、そこには魔力が生まれ、意識が散漫になれば、魔力は霧散します。
ですので、魔法を使うためには、どのような状況にあっても意識を集中出来るかどうかということが、カギになってくるのです」
集中か――。
一応元の世界でも、意識を集中させることや、冷静に判断していくことにはある程度の自信があったから、得意な分野ではある。
「最も初歩的な魔法は、自分の指先に意識を集中し、その魔力を光らせるイメージで発動させる光源の魔法です。
光源の魔法は生活魔法に換算されていて、属性がありません。なのでどの属性の方でも使用することが可能です」
そういってアスリナは右手の人差し指を顔の前にピンと立て、意識を集中し始めた。見ていると指先を見るときに、ちょっと寄り目になるところが可愛い。
――と、特に呪文の詠唱や魔法名を叫ぶ訳でもなく、アスリナの人差し指の先が不自然に輝き始めた。俺の顔もアスリナの顔も、その光に煌々と照らし出されている。
「――おぉ」
「さあ、やってみてください」
感嘆の台詞もそのままに、俺はアスリナがやったのと同じように、自分の顔の前に指を立てる。
そして――意識を集中する。
何だろう、元の世界では感じなかった、モヤモヤしたものが指先に集まってくる感覚がある。
これが魔力なんだろうか――?
俺は続いて、自分の指先が光るイメージを描こうとする。
頭の中でイメージする――と考えた途端、無意識に目を閉じて光るイメージを作ってしまった。
目を開けると、指先は光っておらず、そこには何の変化もない。
「イメージを作る時に、目を閉じてはいけません。
目を開いたまま、この世界の中に光が点る姿をイメージするんです」
「わかった。もう一回チャレンジする」
俺はもう一度指先に意識を集中する。
モヤモヤしたものを指先に集めたまま、今度は目を開けて光るイメージを作って――。
「――光った!!」
先ほどのアスリナとは比べものにならないぐらい、大きな光だ。
だが、俺が喜びの声を上げた瞬間に、光は大きさを失い、最後はフッと消えてしまった。
――とはいえ、俺にも魔法を使うことが出来た。
それだけで得も言われぬ興奮が俺の中を駆け巡る。少なくとも俺はこの時点で「この世界では、四人に一人は魔法が使える」と言われていた、“四人に一人”枠に入ったことになる。
無邪気に喜ぶ俺を見て、アスリナも優しく微笑んだ。
「――魔法の発動が出来れば、次は魔力の制御です。
例えば先ほどの光は、わたしの光源よりも強い光でしたが――」
そういってアスリナは、今度は時間を掛けずにあっさりと右手の指に光を点した。
「周囲を照らす上では、そこまで強い光はいりません。
強い光にすればするほど、魔力を消耗します。なので、必要最低限の魔力で済む光の強さに制御するのです。
意識の集中の度合いと、光るイメージの強さによって、光の強さは制御が出来るようになります。
あとは光の維持です。さきほどのケイさんの光は最初は強く輝いていましたが、すぐに明るさを失ってしまいました。例えば攻撃魔法などでは維持を必要としないものが多くありますが、攻撃魔法も維持を上手にすると、射程距離が伸びたりします。
ただし、魔法は長い時間、維持すればするほど魔力を消耗します。
それと、維持には一点難しいことがあります。
それは、自分の視界の中にあるものを維持するのはある程度イメージ出来ると思うのですが、自分の視界から消えたものをイメージして維持するのは難しいという点です。
残念ながらわたしは、これが得意ではないので――ほら」
そういってアスリナは光る指先を、自分の背中の方へと回した。
途端に照らされていた周囲がスッと暗くなる。眼前に戻したアスリナの指は、もう光ってはいなかった。
「こうして視界から消えると、そのイメージが掴めなくなって、魔法を維持出来なくなってしまいます」
「なるほど――」
これはこれで、結構奥が深いかもしれない。
「アスリナ、ところで生活魔法以外の魔法なんだが――」
「はい、火、水、風、土の四属性魔法と、光、闇の二属性魔法があります。
わたしは光属性で回復魔法が少しだけ使えますので、それをお教えすることは可能です。
ただ、回復魔法は直接人体に作用する魔法ですから、ある程度魔力の制御が出来てから習得する方が良いと思います」
「そっか。じゃあ水属性とかは、ロドニー様に教えて貰った方がいいんだな」
何となしに発言した言葉だったが、それを聞いたアスリナの表情がスッと変わった。
「――ケイさん、ロドニー様がなぜ水魔法を使えると思うのですか?」
俺はその質問を受けて、反射的に良くないことを聞いてしまったと思った。
とにかくこの場は、取り繕っておいた方が良さそうだ。
「あ、いや――。
実はあまり良く判ってないんだけど、水属性の魔法が使えれば、毎朝の水汲みが随分楽になるんじゃないかと思って――」
それを聞いたアスリナは、再び表情を緩めてフフフと笑った。
「ケイさんは、意外と面倒くさがり屋なんですね」
「ははは――」
俺は乾いた笑いで、何とかその場を誤魔化した。
俺はそれから暫くの間、魔法を使い、制御することに毎日を費やすことになった。
光源の強さを魔法の発動後に上下させることは、初日から成功出来たのだが、最初から意識した強さで魔法を発動させるのに成功したのは三日目だった。
強さを制御するというのは、意識して魔力を絞るという概念に近い。意識して絞らないと、最初は全力で発動してしまう。
また、強さを制御する以上に、維持のコツを掴むには時間を要した。
アスリナも苦手だと言っていたが、視界から消えた時にも魔法を維持し続けるという概念がそもそも難しい。目の前のものに集中し、それを維持し続けるのは、さほど難しいとは思わなかったのだが――。
とはいえそれも一週間もすると、視界外の魔法を維持するコツを覚え始めた。何となくだが、自分の周りの空間や環境を事前に頭に入れておき、光が見えていない時も、頭の中に描いた“空間”の中で光が維持されるよう、意識する感じだ。
そうして七日目には、俺は光源の魔法を自由な強さで、視界外でも思い通りに維持出来るようになっていた。
アスリナは俺の上達を、素直に喜んだ。
「ケイさんはきっと以前も魔法を使えたのだと思います。
わたしは光源の魔法を、制御も含めてこれほど早くマスターされたという例を知りません」
クランシーの制約もあって、異世界から来ましたとは言えない俺は、以前のことについて口ごもった。
「そ、そうかな――。
思いの外上手くいって、俺もビックリしてるよ」
「次は回復魔法ですね。
ただ、ここから先はケイさんの持っている属性によって、習得の難易度は変わると思いますが――。
ケイさんは、ご自分の属性をご存じですか?」
俺は自分のステータスを思い出してみた。確か属性の欄は「なし」になっていたはずだ。
ただ、これを正直に答えることが、良いことなのかどうかの判断が付かない。
「えっと――ゴメン、覚えてない」
「そうですか。冒険者ギルドや魔法ギルドでご自分の属性を確認することが出来ますから、登録される機会があれば、確認してみてください。
恐らくケイさんが闇属性ということはなさそうですから、回復魔法はきっと習得出来ると思います」
「――そっか。兎に角、魔法を覚えるのは凄く楽しいよ。丁寧に教えて貰えて助かる」
「いいえ、魔法は生きる上で役に立つ時が沢山ありますから、覚えていて損は無いと思います」
アスリナはそう言うと、回復魔法の概念に関してのレクチャーを始めた。
その日の夜、俺はいつもより遅い時間にベッドで横になった。
結局回復魔法については、初日中に習得ということにはならなかった。
そもそも今の俺は怪我をしていないし、アスリナも怪我をしていないのだから、治すべき傷がない。なので、実際は成功しているのか成功していないのかが良く分からず、回復の概念自体がどうしても捉えづらいのだ。
俺はもはや無意識に近い状態でも発動出来るようになった光源の魔法を使ってみた。途端に部屋が程よい光量で照らされる。
ふと、光源は複数同時に使えないのだろうか?という疑問が沸いた。
手の二本の指に同時に意識を傾ける。
二本ともに、光るイメージを描いた。
――――。
点いた。あっさり成功だ。
今度は自分の身体以外に光源を灯せないかと考えた。
俺はベッドの脇にある蝋燭の刺さっていない二股の燭台を見つめて、その先に意識を集中した。
そもそも蝋燭のない燭台が光るということ自体が概念的に難しい。
だが、「この燭台は光るものなんだ」という、ほぼ思い込みに似た意識を込めて、光る様をイメージする。
――――。
――――。
点いてしまった。しかも二股の二カ所ともに。
光量もちゃんと維持出来ている。
色々なことが上手く行きすぎているような気がする。
だが、異世界に落ちた俺が、この後生き残っていくためには、恐らく自分自身を鍛える必要があるはずだ。
だとしたら、あらゆることに欲を隠さず、“貪欲に”取り組まないといけないと思った。
幸いにして、俺にはクランシーの使徒から与えられた能力がある。
この世界の人たちには見えないものが、見えている。
状態が判ることで、俺は自分自身を鍛える上での効果的な行動と、非効率な行動を知ることが出来る。
俺は眠る前に自分の状態を改めて、しっかり確認しておくことにした。
**********
【名前】
安良川 圭
【年齢】
21
【クラス】
一般人
【レベル】
4(38)
【ステータス】
H P:244/244
S P:41/86
筋 力:93(02)
耐久力:68(84)
精神力:121(43)
魔法力:100(01)
敏捷性:58(87)
器用さ:59(14)
回避力:42(32)
運 勢: 9(00)
攻撃力:93(+0)
防御力:68(+1)
【属性】
なし
【スキル】
ステータス★(全対象)、鑑定★、生活魔法、体術2、棒術1、突術1、交渉術2、精神耐性7、睡眠耐性4、苦痛耐性2、病気耐性2、自動体力回復5、自動状態回復1、収集2、編み物1、家事1、フロレンス語学
【称号】
クランシーの使徒、異邦人、探求者、蛮族狩り、教会手伝い、魔法使い、社畜
【装備】
布の服(防御力+1)
【状態】
クランシーの制約LV98▼
**********
倒れた時に比べると、レベルは1つ上がって4になっている。
これはつまり、戦闘でなくてもレベルが上昇することがあるということを意味している。戦闘を経験したことがないであろうアスリナのレベルも3だったから、これ自体はさほど驚くようなことではない。
ここ最近始めた教会手伝いの仕事と魔法の鍛錬が、関連するステータスを一気に押し上げているように感じる。
どう見ても魔法使いなパラメータなのだが、魔力に相当する『SP』の値が低めなのが気になる。
これ、下手をすると「強力な魔法は使えるけど、弾切れが早い」という、いやなパターンになるんじゃなかろうか。昔のゲームにあったような気がするが、最強の魔法を習得しておきながら、発動に必要な魔力が足らなくて、結局使えないみたいな――。
――――。
――あれ?
クランシーの制約がLV99から98に落ちている。いつの間に落ちたのだろうか? 時間の経過と共に、制約が緩くなっていくということなのかもしれない。
いや待て、この「▼」は何だ? ダウンしているというマークだろうか?
俺は何となく、元の世界で使っていた電子機器端末の感覚で、見えている状態に指を伸ばし、「▼」に触れてみた。
すると期待した通り、「▼」が動き、説明文が出て来る。
*****
【状態】
クランシーの制約LV98▼
「クランシーの制約」は、クランシー神の力によってもたらされる“加護”です。約定を果たすことで、定められた回数の加護を受けることが出来ます。加護は制約を受けた者が生命の危機に晒されると、その強さを落としながら制約を受けた者の命を回復します。
*****
――――。
時間の経過でレベルが落ちたのではない。
生命の危機で落ちる、ということらしい。しかも強さが落ちると命が回復する、とされている。
まとめると、レッドコボルドに襲われて瀕死だった俺は、生命の危機を察したクランシーの制約によって、その身を回復させられた、ということになるだろうか。そして、クランシーの制約はその反動で、レベルが一つ落ちた。
「俺の回復が早かった、という訳じゃなかったのか――」
それはそれで少し残念な気もするが、取りあえずどんな手法であれ、助かったのならありがたい。
――ふと、俺は「命の回復」という言葉に、何か引っかかりのようなものを感じた。
わざわざ「体力の回復」じゃなく、「命の回復」と書いてある。
――――。
――それを考えた途端、俺の中に一つの考えが浮かんで来た。
あまり、考えたくないシナリオだ。
だが、可能性からすると、まったくあり得ないとは言い切れない。
もし――今の俺が置かれた境遇が、そのシナリオ通りだとしたら、俺は今のレベルではないレベルで、自己鍛錬を頑張らなければならない。
もっと強くならなければ、この後に起こるであろう出来事に、対応が出来ない可能性が出てくるからだ。
俺は、自分の中に沸いたイヤなシナリオを思い浮かべながら、どんな状況にも対応出来る方法を考え込むのだった。