048 機会
ロアールの国境の街、ファリカの司令官庁舎を訪れた俺たち四人は、ファリカの司令官を務める豹頭の獣人――レンツと面会した。
セレスティアはレンツの上官にあたるヴァイスという男との面会を望んだが、豹男はその願いに、少なからず警戒心を抱いたようだ。
豹男の表情が変化し、それまでとは違う鋭い眼光を見せている。
豹男はソファから立ち上がると、セレスティアに背を向けて机の方へ歩き出す。
そのタイミングで部屋の扉がノックされ、先ほど部屋を案内してくれた狐顔の獣人が、飲み物を運んで来た。
妙にタイミングの良い形で一呼吸入れることになり、全員が無言のまま狐顔の獣人が立ち去るのを待っている。
狐顔の獣人が一礼して部屋から出て行くと、豹男はそれを切っ掛けにしたように、立ったまま話し始めた。
「聖騎士セレスティア。
――いえ、今は騎士ではないと仰っていましたね、セレスティアどの。
ヴァイスさまに会いたいというご希望は理解しましたが、この度の突然の来訪の理由を教えていただくことはできますか?」
セレスティアはその質問に、自分が答えて良いものかどうか迷い、俺の顔を見る。
――どうやらここから先は、俺が話した方が良さそうだ。
「レンツどの――で、よろしかったですよね。
以前、ヴァイスどのは王国の建国記念祭に出席されたと聞いています。
ご存じでしょうか?」
俺が話し始めたことで、レンツはより強く警戒を抱いた視線になる。
「――無論、この街を通って隣国に入りましたから、知っております」
「その際、ここにいるセレス――セレスティアがヴァイスどのから、ある“助言”を受けたことはご存じですか?」
豹男はそれを聞いて、少し答えを考えたようだった。
一拍の間が生まれた後に、豹男は首を振りながら、少し小さな声で答える。
「――いいえ、存じません」
俺はその答えを受けて、豹男の顔を見ながら訪問の目的を告げた。
「俺たちは、これまでその“助言”に従った行動を採ってきました。
今回、その結果をヴァイスどのに伝えるために、ここへ来たのです」
もちろん本当の目的は違うのだが、こう伝えた方が、豹男は取り次ぎがしやすくなるだろう。
俺の発言を聞いて、豹男は再び無言になった。
様々な考えが飛来しているのか、顎に右手を当てながら、部屋の中を歩き回っている。
俺たち四人は声を掛けず、じっと豹男の考えが纏まるのを待った。
「――判りました。
セレスティアどのの望みということであれば、面会が叶うよう、手配をしてみます。
本日は難しいので、明日の午後に改めて庁舎にお越し下さい。
面会が叶う場合は、恐らくそのままここを出て移動することになりますので、そのおつもりを」
その回答を聞いて、セレスティアの表情がパッと明るくなった。
「レンツどの、感謝する」
「いいえ、私にできることは、面会いただくところまでですから。
そこから先は、私には力の及ばぬことです」
そういって豹男は微笑む。
もっと駆け引きを仕掛けてくるのかと思ったが、あっさりと望みを叶えてくれたように思う。
それだけ、セレスティアがロアールとの関係を、大事にしていたと言えるのかもしれない。
俺はセレスティアの目的とは別に、自分の目的に近づくため、豹男にもう一つの質問を投げかけた。
「レンツどの、ご存じであれば教えていただきたいのですが――」
「私で判ることでしたら、何なりと」
比較的容易に聞こうとしてくるのは、先ほどと変わらない。
俺は豹男の表情の変化を見逃さないように注視しながら、言葉を強調して質問した。
「――“クローヴィス”という男をご存じですか?」
豹男はそれを聞いて、表情を変えずに首を傾げる。
「クローヴィス?
さて、ちょっと判りかねますが――。
ひょっとしたら、この街にも捜せばそういう名前の者がいるのかもしれませんが、少なくとも私が知る範囲にはおりませんので、この街で見つけるのは難しいかもしれません。
ヴァイスさまであれば、何かご存じかもしれませんが」
「そうですか。判りました。ありがとうございます」
俺は豹男の返答を聞いて、簡単に引き下がる。
取りあえず豹男の言う通り、ヴァイスに同じ質問をぶつけてみるしか無さそうだ。
俺たち四人は豹男に礼を言うと、その場で立ち上がる。
豹男は立ち去ろうとする俺たちに、再度明日のことを確認した。
思った以上に慎重な性格なのかもしれない。
「では明日午後に再び。
――そうそう、移動に必要な馬はこちらで用意しておきますので、ご安心ください」
俺たちはその心遣いに微笑みを浮かべて明るく礼を返したのだが、セレスティアだけは表情を堅くし、眉間に皺を寄せて難しい表情になる。
「レンツどの、お心遣いを頂いておいて恐縮なのだが――」
「いかがされましたか?」
流石に表情の変化を不審に思って、豹男が神妙に尋ねてくる。
「あの――できれば騎馬ではなく、“馬車”をお願いしたいのだ」
「――は、はぁ。
馬車ですね、判りました。ではそうしましょう」
その要望の“意味”に思い当たったシルヴィアが、エイヴィスに移動する時の情景を思い出して、思わず吹き出して笑う。
セレスティアはみるみる内に、赤い顔になっていた。
翌日、昼食を終えた俺たちは、豹男との約束通り司令官庁舎へと向かった。
俺としてはセレスティアと一緒に騎馬でも良かったのだが、司令官庁舎前には、既に大型の馬車が待機している。
それを見るに、どうやらヴァイスとの面会は叶えて貰うことができそうだ。
犬頭の獣人に誘導されて庁舎に入ると、豹男が支度を調え、俺たちを待っていた。
「お待ちしておりました。
ヴァイスさまは面会を承諾されましたので、これから早速向かいましょう」
そう言われて、セレスティアは少し驚いたように、豹男に言う。
「ひょっとしてレンツどのも同行されるのか?」
「ええ、皆様に同行するようにという指示を受けましたので――。
私も一緒に、この国の首都、サリータまでお供します」
豹男はそういうと、俺たちに微笑みかけた。
俺たち四人と豹男は、昼になってすぐに国境の街を出て馬車に揺られたのだが、途中で二度の休憩と一度の馬の交換があり、首都のサリータについたのは、既に日が暮れようかという時間だった。
首都に入ると、馬車はそのまま兵舎へと向かい、街中には降ろしてくれない。
豹男に聞くと、俺たちは街に入る許可が得られておらず、兵舎の中だけでしか行動できないらしい。
それを聞いたシルヴィアは、見て判るぐらいガッカリした表情になったのだが、こればっかりは仕方がないことだろう。
俺たちは兵舎の中の簡素な一室を与えられ、そこで待つよう指示された。
兵舎には使える部屋が多くある訳ではないらしく、豹男は今日の宿泊が男女同室になってしまうことを詫びてきた。
だが、少なくとも与えられた部屋にはちゃんと四つのベッドが置かれていて、それぞれが別々に眠ることができる。冒険者風情に与えられる環境としては、十分と言えるだろう。
しばらく与えられた部屋で待機していると、部屋に夕食が運び込まれ、召使いと一緒に入ってきた豹男から、食事が終わった後にヴァイスがこの部屋に来るということを伝えられた。
「食事も、面会も部屋から出されることがない。
――微妙に、軟禁状態とも言えるな」
豹男と召使いが部屋から去った後に、俺は食事を取りながらポツリと言った。
「これ、ヴァイスって人のご機嫌を損ねると、元の場所まで戻れないって可能性があったりするんじゃない?」
半分不安、半分冗談でシルヴィアが言う。
だが、セレスティアは終始落ち着いた様子でスープを啜っていた。
「敵対関係にあるわけではないから、命の危険があるわけではないだろう。
ただ、相手を怒らせないよう、失礼のないようにはして欲しい――特に、ケイ」
「――俺かよ!」
セレスティアは、俺に何かおかしな先入観を持っているに違いない。
食事が終わり、片付けが終わって暫くすると、部屋に豹男が入ってきた。
「間もなくいらっしゃる。
ただ、面会の時間はあまり長く取れていないので、ご注意を」
豹男がそう言ってから、それほどの時間も経たずに、部屋の扉がノックされる。
その音に全員が立ち上がり、息を飲むように扉の方へ注目する。
ガチャリという扉を開く音が、思った以上に響いたような気がした。
そして――扉が開いて見えた姿に、俺は心の中で驚いた。
入ってきた人物は、かなりの大柄で、俺が見たことのない爬虫類のような頭を持ち、二本足で立っていた。背後には太い尻尾があり、その尻尾は鱗に覆われていることがわかる。
間違いない、街中では一人も見かけなかった種別の獣人だ。
ヴァイスは、竜人だったのだ。
部屋に入ってくる竜人を迎え、セレスティアが進み出る。
「お久しぶりです、ヴァイスどの。
突然の訪問に応えていただき、ありがとうございます」
そう言って頭を下げる彼女に、手の動きで頭を上げるように伝えると、竜人は俺たちに向けて口を開いた。
「聖騎士よ、久しぶりだが、元気そうで何よりだ」
「ヴァイスどのもお変わりなく」
そう言われて竜人は僅かに微笑んだのかもしれない。
だが、竜人の表情の変化は、他の獣人に比べると読み取りにくい。
「申し訳ないが、あまり時間が取れなくてな。
早速で悪いが用件を聞きたい」
「わかりました。
こちらは私の仲間のケイ、グレイス、シルヴィアです。
用件については、ケイから話して貰います」
セレスティアの台詞を聞いて、全員の視線が俺に集まる。
俺は軽く会釈すると、ヴァイスに向かって話し始めた。
「では、お時間も少ないということですので、単刀直入に。
以前あなたがセレスティアに忠告された通り、王国には、“魔人”が隠れていました」
ヴァイスは“魔人”という言葉に表情を変える。
表情の変化の判りづらい竜人だが、流石に今のは変わったことが判った。
とはいえ、ヴァイスも豹男も口を開こうとしない。
俺は彼らが無言を貫くのを見て、話を続けた。
「王国にいた魔人は、俺たちが倒しました。
――ですが、一匹逃れたのがいます」
「それを追って、ここ来たということか?」
ヴァイスの質問に、俺は首を振った。
「いいえ。
追いかけはしたいのですが、残念ながら逃れた魔人は、どちらに向かったのかが判りません。
それよりも、俺たちがここに来た理由は、別にあります」
「――その理由とは?」
ヴァイスの端的な問いかけに、俺は答える。
「俺はある人物から教えられ、この国の西方に、嘗て“魔人の国”があり、そこから魔人たちがこの世界に流れてきていることを知りました。
そして俺は、それを止めるための手立てを知っているらしい、この国にいる“クローヴィス”という人物を尋ねてきたのです」
「クローヴィス――」
ヴァイスは、その名前を繰り返すと、目を閉じて無言になる。
「ご存じありませんか?」
俺が改めて問いかけると、ヴァイスは目を開けてその質問に答えた。
「残念ながら知らぬな。
――だが、魔人の流入を止める手立てについては、少々心当たりがある」
「――!」
俺からすると、思いも寄らない部分に大収穫があった感じだ。
「ヴァイスどの、ご存じなのですか!?」
横で話を聞いていたセレスティアが驚いて、勢い込んで問いかける。
「ああ。非常に単純なやり方だがな。
この国の西方へ行き、魔人が転移してくる転移門を叩けばいい。
一カ所という訳ではないが、もし仮に全て叩くことができれば、恐らく相当な期間、魔人の流入は止まる」
全員がヴァイスの話した内容に息を飲んだ。
転移門を叩くというのが、どれほどの難易度を伴うことなのかが判らないが、それができればレーネが言っていたのと同じように、相当な時間稼ぎが出来そうだ。
セレスティアは表情を明るく変え、ヴァイスに改めて問いかけた。
「ヴァイスどの、出来れば我々にその転移門を叩く挑戦を、させて貰えないだろうか?」
今聞いた話だと、転移門を叩くためにはロアールの国内に入らなければならない。
ヴァイスの許可がなければ、当然ながら実行することはできないだろう。
だが、ヴァイスから出てきた答えは、セレスティアの期待を裏切るものだった。
「聖騎士よ、それは許可できない」
「な、なぜ――」
「転移門は迷宮にあるため、多人数での攻略ができない。
従って、その破壊には相当な危険を伴う。
さらに、転移門の破壊によって、魔人たちを刺激してしまう可能性もある。
魔人の流入を止められるというのは、この国にとっても利点は大きいが、少なくとも実力の程が判らぬものに、その役目を委ねることはできない」
「――――」
セレスティアはヴァイスの回答に、表情を沈ませ、無言になる。
だがその時、今まで無言を貫いていたグレイスが口を開いた。
「――では、その実力があることを示せれば良いのですね?」
その発言に、ヴァイスと豹男の視線が動く。俺はヴァイスの目の光りに、危険な色が点るのを感じた。
「確かにお前がいう通りだ。
――だがどうやって実力を示す?
まさか我らと闘って勝てるとでも言うわけではあるまい」
だが、この時のグレイスの言葉は、まさに売り言葉に買い言葉だった。
「――お望みとあれば」
比較的冷静な彼女がこうした発言をするのは、膠着した事態を動かそうとしたからに違いない。
だが、ヴァイスは幾分気分を害したように、その発言に強く反応した。
「よく言った!
では闘って実力を確かめることにする。
――レンツ、明日闘技場を使えるように準備をしておけ。
それと、お前が連れてきた人間なのだから、お前もちゃんと役目を果たすように」
「判りました」
ヴァイスは豹男の素直な返答を聞くと、ニヤリと笑って俺たちに背中を見せた。
「そろそろ時間だ。
――では、明日を楽しみにしているぞ」
ヴァイスはそういうと、呼び止める間もなく、颯爽と部屋を出て行く。
豹男は一礼すると、ヴァイスの後ろに従い、共に部屋を出て行った。
――突然困ったことになってしまったのだが、一方でこれはある意味良い“機会”なのかもしれない。
ふとグレイスを見ると、彼女からは意志の強そうな視線が返ってくる。
俺はその目を見ながら、機会を作ってくれた彼女に感謝するように、笑みを返すのだった。