047 物見の塔
国境の街エイヴィスは、王国の中でも比較的大規模な街だ。
王都より西に位置し、隣国ロアールと国境を挟んで接している。
ロアールと王国は敵対関係にある訳ではないが、殆ど国交がなく、自由に行き来ができるわけではない。
王国はこの国境の街にだけ、ロアール人の入国を許可していた。
逆に言えば、ロアール人が王国領土で入れるのは、この国境の街だけだ。ロアール人は国境の街から、外に出ることはできない。
聞くと、どうやらロアールも同じような施策を取っているらしい。ハーランド人が入れるロアールの領地も、ファリカという国境の街だけなのだという。
白銀の戦乙女と呼ばれたセレスティアは、西方の出身で、数年前に西方騎士団を任され、騎士団長となった。もちろん実力が伴ってのことではあるのだが、美しく年若い女性が騎士団長ということで、人々は王国の広告塔とも揶揄したのだという。
そのセレスティアは、今回国境の街を騎士団長の立場で出発し、一介の冒険者として戻ってくることになる。
彼女の複雑な思いは計り知れないが、少なくとも俺に対しては、恥じたり、悲しんだり、悩んだりする姿を見せることはなかった。
国境の街は、元々国境守備にあたる西方騎士団の常駐基地として発展した街だ。
街全体に大きな城壁があり、城壁の中に街がある。
城壁の関門を護る兵士たちは、流石にセレスティアの登場に驚いたようだった。
彼女は今、一介の冒険者に過ぎないのだが、どの兵士もセレスティアには頭を下げ、礼を尽くす。
俺たちはセレスティアの案内に従って宿を確保すると、休憩を挟んでセレスティアに街を案内してもらうことになった。
街中は元々騎士団の常駐基地ということもあり、華美な装飾などはなく、質実剛健なイメージが強く伝わってくる。
どの建築物も石造りで、外からの攻撃や、火災などにも強そうな印象を受けた。
街で行き交う人々の数は多いのだが、その殆どは騎士団とその家族で、それ以外は商人が多いのだという。
見ると街には宝石商の店が多くあり、店舗の前を通る度にシルヴィアが目を輝かせていた。
セレスティアが言うには、ロアールでは宝石が多く採掘されており、その宝石がロアール側の国境の街であるファリカを通じてエイヴィスに入って来ているのだという。
そのため、二つの国境の街――ファリカとエイヴィスを行き来する商人が、多数エイヴィスには住んでいる。
「みんなを案内したいところがある」
セレスティアは街を案内しながら、そんなことを言い出した。
彼女の言葉に従い、向かったのは街の中心に立つ塔だ。
セレスティアはその入り口を護る兵士に声を掛けると、俺たちを手招きした。
後で聞いた話だが、実際は騎士団の人間でないと、この塔には入れないらしい。
冒険者になってしまったセレスティアだが、兵士たちが気を利かせてくれた形だ。
俺とグレイスとシルヴィアは、セレスティアに導かれ、塔の階段を登っていく。
数階に相当する高さまでは良かったのだが、流石に長すぎる階段にシルヴィアが根を上げた。
「ちょっとセレス、これどこまで続くのよ!?」
「もう半分というところだ。
なに、太りすぎの解消にはいい機会だろう?」
「そんなものが必要なほど、弛んでないわ」
何となく俺は重そうなシルヴィアの胸元を見てから、視線を泳がせる。
だが、シルヴィアは目敏くその視線に気づいていた。
「言っておくけど、これは太ってるんじゃないんだからね」
「ははは――」
俺は笑いながら誤魔化す。
何とか最上部まで階段を登り切ると、俺もシルヴィアもすっかり体力を失い、息も荒い状態だ。
途中までは会話もしながら登っていたが、終盤は完全に無言になってしまった。
「こちらだ」
セレスティアが最上部の扉を開くと、一気に風が通り抜ける。
その風圧に目を顰めながら扉を出ると、目前には得も言われぬ美しい情景が広がっていた。
「これは――」
俺だけではない、グレイスもシルヴィアも、目前に広がる風景に感嘆の声を上げている。
「――ここは、私にとって特別な場所なんだ」
セレスティアが微笑みながら言った。
風で彼女の金髪が揺れて、心なしか彼女自身が光を放っているようにも見える。
「ここからは、国境の街の街並みが一望できる。
元々の役割は、城壁の外の敵を警戒して物見をするための塔なんだが、私はこの塔から見える人々の営みが好きだ」
そう言われて周囲を見渡すと、確かに街を歩く人、店で買い物をする人など、様々な人の生活が見えてくる。
「私は――この風景を護るために、ここにいる。
以前と立場は変わったが、その思いは今も変わらない。
私の我が儘で連れてきてしまったが、この街に来たら、どうしてもここを見ておきたかったし、みんなにも見て貰いたかったんだ」
それを聞いたグレイスとシルヴィアが微笑む。
「――セレス、あなたの大切な場所を教えてくれて、感謝します」
「確かに。
疲れはしたけど、気分が晴れたわ」
その三人の様子を見ながら、俺も表情を崩した。
だが、ふとした拍子に足下を見た俺の声が、その雰囲気に水を差す。
「――何だ?
あれ、街に魔物がいるんじゃないか!?」
「魔物ですって!?」
慌てて駆けつけた三人に、俺が指で指し示す。
その先には確かに街を歩く、二匹の蜥蜴男の姿があった。
武器は持っておらず、二匹とも衣服を着ているのだが、完全に二本足で歩いている巨大な蜥蜴の様相だ。
その姿を確かめたセレスティアは、胸を撫で下ろしながら俺に言った。
「ケイ、あれは魔物ではない。
蜥蜴男――“獣人”だ」
「――獣人?」
「ああ。
ひょっとしたら、“ロアール人”という言い方の方が良いのかもしれないが――」
俺はそれを聞いて驚いた。
あれが、隣国から来たロアール人だって!?
俺の表情を見たグレイスが、横から俺に言う。
「ケイ、ひょっとして知らなかったのですか?
ロアールは――“獣人たちの国”なんです」
俺はその発言に更に目を見開く。
これこそまさに、“目から鱗”というやつだった。
翌日、俺たちは馬を厩舎に戻し、国境の街を出発した。
ここから先は、騎馬での通行が許されていない。
街を出た先にある川が国境線となっており、その川には石造りの橋が一本、架かっている。
朝ということもあり、決して人通りが多いわけではないが、それでもロアール側からやってくる何人かの獣人とはすれ違う。
俺は昨日、初めて蜥蜴男――獣人を見たわけだが、どうしてもすれ違う獣人を凝視してしまうことをやめられなかった。
二本足であるく狼――狼男や、同じく二本足であるく虎――虎男に、全く目を向けるなというのが無理というものだ。
ただ単に珍しいというだけの行動だったのだが、流石にすれ違いざまにジロジロと見られるのはいい気がしないのか、数人の獣人から「何か用なのか?」と問いかけを受けてしまった。
ロアール側の国境の街、ファリカに到着すると、街に入るところに関門があった。
俺たち四人が冒険者の身分証を出すと――特にセレスティアの身分証は念入りに確認されたが――狼頭の兵士に、踏み入れることができる範囲が国境の街だけであることを強調された上で、入国を許された。
国境の街はエイヴィス同様、石造りの建築物が多い街だ。
城壁はエイヴィスほど高くなく、街全体を見ても、建築物の高さは高くない。どちらかというと、エイヴィスよりもずっと土地を広々と使っている印象がある。
セレスティアが言うには、獣人の中にはかなりの重量級のものもいて、あまり階上に上がるということ自体が好まれないのだという。確かに国境近くですれ違った虎男などは、俺よりもずっと大柄だった。
街ゆく人の方に目を移すと、思ったよりも普通の人間が歩いていることに気づく。
印象で言えば、三分の一は普通の人間だ。
残り三分の二は、蜥蜴、虎、豹、狼、犬、猫、狐、鼠、兎――と、動物園とは言わないが、まさに様々な種類の獣人がいる。
俺は街に他の人間がいることに気を許して普通に歩いていたのだが、俺たち四人は、どうもある程度の視線を集めているように感じられた。
正確に言うと、俺たち四人ではなく、俺が連れている三人が視線を集めている。
要するに、三人が三人とも視線を集めやすい外見をしているからだろう。
俺たち四人は先に宿を確保すると、昼食を取りながら次の行動について相談をすることにした。
「行動の許可が得られているのはこの街の中だけだ。
取りあえずはここで、“クローヴィス”という男について聞き込みを行うしかないだろうな」
俺がそういうと、セレスティアがそれに意見する。
「ケイ、確かにそれしかないのだが、できればこの機会に会っておきたい人物がいる」
俺はセレスティアの顔を見て、彼女の次の発言を促した。
「ヴァイスという名の、私と親交のあるロアール人だ。
――以前、話したことがあったと思うのだが、私が元々魔人を追う切っ掛けになったのも、ヴァイスから忠告を受けたからだ」
確かにその話は聞いた覚えがある。
セレスティアは王国の建国記念祭に参列したロアールの知人から、“王国内に魔人の気配がする”と警告されたと言っていた。
「その方はロアールで、どのような地位にある方なのですか?」
グレイスの質問に、セレスティアは過去を思い返すような仕草で答える。
王国とロアールは大して仲がよい訳ではなかったはずだ。
それでもなお建国記念祭に招かれるのだから、ヴァイスというのはそれなりの地位にいるのだろう。
「私が国境の街に常駐し始めた時には、この街の司令官だった。
今は中央に戻り、昇進した立場になっている。
俗っぽい言い方だが、将軍のような地位にあるのだと思う」
「となると、ロアールの首都に行かないと会えないということか――」
その俺の言葉に被せるように、セレスティアは話を続けた。
「この街の司令官を引き継いだ人間は、ヴァイスの部下だ。
そこからヴァイスに取り次いで貰えないか、聞いてみようと思う」
「この街の司令官って、どこにいるの?」
セレスティアは質問したシルヴィアの方を向いて答える。
「確か、街の中央に司令官庁舎があったはずだ。
食事が終わったら、行ってみよう」
昼食を終えた後、俺たちはセレスティアの誘導に従って司令官庁舎へと向かった。
司令官庁舎といっても華美な建物ではなく、周りの建物に比べて一回り程度大きいという程度のものだ。
庁舎の門は閉じていたのだが、門の所には門番らしき犬顔の獣人が立っている。
セレスティアは庁舎の門に近づき、犬顔の獣人に自分の名前と来意を伝えた。
「司令官どのにお会いしたいのだが。
エイヴィスのセレスティアが来たと、お伝えいただきたい」
すると、犬顔の獣人は面倒くさそうにセレスティアに尋ねた。
「――事前にお約束はありますか?」
「いいや、約束はないのだが、セレスティアの名前を伝えて貰えれば、会ってくださるはずだ」
犬男はもの凄く嫌そうな顔をしている。
観察していると、犬の顔でも表情の変化がちゃんと出ているのが、興味深い。
一頻り面倒くさそうな態度を示した犬顔の獣人は、面倒ながらもひとまずセレスティアの要望に応えることにしたようだ。
セレスティアに暫く待つよう伝えた上で、庁舎の中に入っていった。
――五分ほども待っただろうか。
先ほどの犬顔の獣人が戻ってきて、庁舎の門を開けてくれた。
「会われるそうです。真っ直ぐ進んでください」
俺たち四人はセレスティアを先頭にして、庁舎の中へと入っていく。
庁舎の中には狐顔の獣人がいて、俺たちが入るべき部屋を指し示している。
狐顔の獣人は女性なのか、少し胸元が膨らんでいるように見えた。
セレスティアは指し示された扉をノックして、部屋に入って行く。
俺とグレイス、シルヴィアも、セレスティアに続いて部屋に入った。
部屋の中央には大きな机があり、その向こうに豹頭の獣人が腰掛けていた。
豹頭の獣人はそれほど大柄ではないようだが、身体には上等そうな白い鎧を身につけている。
豹の頭に鎧というのは、何だかよくわからないが、妙に様になっていて格好いい。
「急な面会に応じていただき、感謝します」
セレスティアの声掛けに応じて、豹頭の獣人が椅子から立ち上がった。
椅子に座っていた時は感じなかったが、獣人だけに、思ったよりも背は高い。
「いいえ。
まさかとは思いましたが、確かにあなたは聖騎士セレスティア。
単独でいらっしゃったということではないようですが、どのようなご用件ですか?」
豹頭の獣人は、部屋のソファへ腰掛けるよう俺たちに指し示し、その向かい側に座る。
「レンツどの、その前にこちらの三人を紹介しておく。
こちらは私の“仲間”のケイ、グレイス、シルヴィアです」
レンツと呼ばれた豹頭の獣人は、訝しげに首を傾げた。
「仲間――?」
「ええ。
私は今、訳あって騎士の位にはありません。
ここへも一人の冒険者として来ました」
「――何かご事情があるのですね」
豹男はそう言うと、改めて俺とグレイス、シルヴィアを見渡す。
部下ではなく仲間と言われたことで、ようやく豹男の視界に入ったというところだろう。
セレスティアは一拍呼吸を置いた後、少し目を伏せながら、主題に入り始めた。
「実は――今日は、レンツどのに折り入ってお願いがあって来たのです」
「さて、どのような内容でしょうか? 私で出来ることであれば良いのですが」
豹男はあまり表情を変えずに、セレスティアの望みを聞きだそうとしている。
セレスティアはそれを見て、単刀直入に切り出した。
「ヴァイスどのに、会わせていただきたいのです」
その願いを聞いた瞬間、それまで変わらなかった豹男の表情に変化が見え、彼の目がスッと細まったのが判った。