043 侵蝕
先制の形を取って俺が放ったのは、この一ヶ月の間で習得した濃霧という幻影魔法だ。
俺と半蛇女王の間に放ち、こちらの姿を覆い隠してしまう。
濃霧は幻影魔法なので、発生する霧は本当の霧ではない。俺の方から見れば霧は透明に見え、半蛇女王の方から見れば、白い濃霧に見える。しかも状態異常魔法ではなく空間に設置するタイプの魔法なので、状態異常に強い半蛇女王でも間違いなく掛かる。
半蛇女王は、俺の足音に気づいて振り返った。直後、魔法の霧が前方にあることに気づき、足音のした方向へは突っ込んで来ず、濃霧に向けて氷弾を立て続けに三発放って来た。
俺はその全てを魔壁で受け止めると、光弾を強化した光属性魔法の光刃で反撃する。
光属性の攻撃は着弾が早い。半蛇女王は濃霧の中から突然出てきた光刃を避けきれず、蛇になっている尻尾部分に攻撃を受けた。尻尾には、焦げたような跡がつく。
それなりのダメージがあったのだろう、半蛇女王の口から怒りの声が漏れた。だが、魔物は人間の言葉を話さないので、どんな怒りを伝えて来たのかは、俺には理解できない。
俺は濃霧が完全に晴れてしまう前に移動し、次の柱の影に隠れた。
半蛇女王は変わらず濃霧の方向に氷弾を放っているが、そこには俺はいない。氷弾が柱や壁に激突する音が周囲に響いていた。
俺は足下の小石を取り上げるとその小石を半蛇女王の近くへ投げつけ、光源で光らせた。途端、半蛇女王は驚くほどの素早い動作で方向転換し、その小石を三叉槍で貫く。小石は粉々に砕けた。
間違いない、半蛇女王は嗅覚よりも視覚で敵を追うタイプだ。
俺は先ほどよりも大きめの石を取り、今度は逆方向に投げてみた。すると、それも半蛇女王は三叉槍で砕いてくる。光源は点けなかったのだが、完全に夜目が効いている。光の明滅は意味がないのかもしれない。
と、流石に二つも石を投げると俺の位置が判ったのだろう。半蛇女王は一気に前に進んできて、俺を追い込みに来た。
周囲には蛇が放つガラガラ音が響いて、不気味さを引き立てている。
俺は自分が逃げる方向とは逆の位置に濃霧を張って、柱から逃げ出す。
予想通り、半蛇女王は濃霧の中に突っ込みながら、三叉槍を鋭く突き刺してきた。だが、そこに俺の姿はない。
俺は半蛇女王から距離をとりながら、いくつか地面に接触魔法を仕掛けた。そして、挑発するように、炎弾を数発、半蛇女王に向けて放つ。
炎弾の炎を見た半蛇女王は、激しく激高した声を上げた。水属性だから火属性は苦手なんだと思うが、過剰に反応しているようにも見える。
半蛇女王は鋭い動きで柱を避けながら、俺を追い詰めに来た。
もう一呼吸で俺に追いつきそうになった瞬間、俺が仕掛けた接触魔法が発動する。
「ギイイイイイィィィィッ!!」
上がった火柱に包まれた半蛇女王から、この世のものとは思えない悲鳴が上がった。
俺が仕掛けたのは、蔦の手という土属性の拘束魔法と、火属性の火嵐だ。
蔦の手は使いどころが難しいが、土属性のレベル4に相当する上級魔法で、一瞬だけ敵の動きを止めることができる。状態異常魔法ではなく属性魔法であるため、状態異常耐性の強い半蛇女王にも有効な魔法だ。
火嵐は俺が使える火属性魔法で、最も高位の魔法になる。範囲の広い強力な魔法ではあるが、素早い半蛇女王の動きを止めずに当てるのは難しい。なので、蔦の手と組み合わせで使ったのだ。
半蛇女王のステータスを見ると、確かにHPの減少は確認できるが、このペースではかなり長期戦になってしまいそうだ。
長期戦になれば、三叉槍を確実に避けなければならない俺は、必ず不利に陥る。
俺は再び半蛇女王の目前に濃霧を仕掛けると、その濃霧に向けて、闇属性の呪弾を撃ち出した。そして、濃霧に当たる直前に新たに習得した空間魔法で、呪弾を半蛇女王の背中側に転移させる。
半蛇女王から見れば、いきなり後背から呪弾が出てきたように感じただろう。
呪弾は確実に半蛇女王に当たり、徐々にHPを削っていく。
だが、半蛇女王はそもそも防御力も魔法抵抗力も高い。HPが減っていくペースは微々たるものだ。
「――自動体力回復か」
俺はその場から離れながら、HPの減少を阻害している要因に思い当たる。
こうなると、直接半蛇女王の身体の中に魔法を打ち込まないと、短期決戦は無理だ。
当然そうなれば接近することになり、三叉槍の一撃を食らう可能性が高まる。
俺は瞬時に判断して、魔壁を張り、祝福の杖に火属性の付与を掛ける。
直後、魔壁が三叉槍の一撃によって突き崩されたが、もう一度魔壁を張り直し、俺は一旦距離を取ろうとした。
だが、そこで予想外だったのは、再び魔壁を突き崩した三叉槍から、電撃が発せられたことだ。
特に目標のない電撃は俺には届かず、そのまま地面に吸い込まれはしたのだが、その電気は地面に流れていた水を伝い、水に濡れていた俺の右足に到達した。
「――くっ」
ダメージは大したことはなかったが、右足が痺れるような感覚に支配される。
敵の本拠地だけに、地形を活かした攻撃をされると分が悪い。
俺の動きは一瞬止まり、半蛇女王は好機とばかりに突進してくる。
三叉槍が驚くほどのスピードで突き出されたが、注意深く動きを見ていた俺は、その一撃をしっかりと躱した。
だがその直後、半蛇女王が身を捩ると、長くて太い尻尾が俺を横凪ぎにしてくる。
それを予想できなかった俺は、その一撃を避けきれず、まともに受けてしまった。
俺の身体は軽々と五メートルぐらい距離のあった壁まで、吹き飛ばされて止まる。
「ちっ――」
壁に激突してダメージは受けたものの、痛みの大部分は審判の法衣が吸収してくれている。
しかし、尻尾まで攻撃に使ってくるとは思っていなかった。三叉槍に集中していたということもあるが、今のは完全に俺の油断だ。
と、壁に激突して落ちた俺に対して、半蛇女王は追撃の氷雨を放ってくる。半蛇女王の魔力とスキルが高いこともあって、氷雨の威力は通常見るよりも高く、範囲も広い。
瞬間、効果的な防御策を採るのは難しいと感じた俺は、倒れ込んだままの姿勢で光の結界を発動した。
光の結界は、氷雨で降り注ぐ氷の礫を、次々と消滅させ、無効化していく。
俺は魔弾・小を、雨のように半蛇女王に放って牽制すると、氷雨の効果範囲から抜け出した。
そして俺は、濃霧を複数展開しながら移動し、広間の全てを覆い尽くすようにしていく。
数瞬のうちに、半蛇女王は周囲の視界を霧によって完全に奪われ、その場から動かなくなった。
――ここからの問題は、俺の足音が消せないことだ。グレイスからシークレットステップを学んでおけば良かったのだが、今更言い出しても仕方ない。
俺は仕方なく、古典的な方法ではあるが、足下で拾った石をいくつか投げると共に、魔弾・小をわざと壁に当て、音を立てながら半蛇女王に近づいていった。
それなりに効果があるのか、半蛇女王は都度都度音が立つ方向へ向き直っている。
俺は素早く半蛇女王の背後に移動すると、抵抗力低下の呪弾を当てようとした。
だがその時、半蛇女王は再び意外な行動に出た。
半蛇女王は自分を中心に、水属性の高位魔法凍結を放ち、周囲を一気に凍結させる。
半蛇女王には俺の姿が見えていない。にもかかわらず、恐らく気配を察知して、そのような行動に出たのだ。レーネが言っていた通り、数値だけでは判らない“手強さ”が、半蛇女王にはあった。
凍結の冷気は光の結界に当たり、俺自身にはノーダメージだった。
だが、半蛇女王の意図は、それとは別にある。
“水で濡れた床”は一気に凍結し、俺は急に凍った床に足を取られて無様に転倒した。
次の瞬間、濃霧を突き破って、転倒した俺に三叉槍の一撃が迫る!
俺は身を捩って避けようとしたが、三叉槍は俺の左腕を掠め、俺の身体に傷を作った。
絶対に避けろと言われていた三叉槍の一撃を受けてしまった。
瞬間、俺の身体中に何か重々しい加重が掛かったのが判る。
三叉槍の装備スキルである、抵抗力低下が発動したのだ。
これ以上ないぐらいに接近してきた半蛇女王は、嬉々として目を見開き、俺の顔を見つめていた。
その直後に放たれた魔力の波が、俺の中に“侵蝕”していってしまうのが判る。
俺は半蛇女王の魅了に掛かり、一気に頭の中の思考がまとまらなくなった。
身体を動かすための思考もとれず、全ての動きを止めてしまう。
――何も考えることができない。今何をしていたのか、これから何をすべきなのかが全く見つからない。
完全に惚けた状態の俺を見て、半蛇女王は満足した表情で俺の頭を左手で掴み、自分の視線の高さまで引っ張り上げた。
片手で俺の身体を引っ張り上げるのだから、相当な膂力だ。
俺は為す術なくだらりと両手を下げ、半蛇女王の前に無防備な姿を晒していた。
半蛇女王は、その様子を見てニヤニヤと笑っている。
間近で見ると美しい姿なのだが、輝く眼も相まって、邪悪な姿に見える。
半蛇女王は次の瞬間、俺の身体を自分の顔に近づけて、首筋に噛みついた。
牙が俺の首筋を噛み破り、ちゅうちゅうと血液が吸い出されていく。
「――――」
そのタイミングできっと、半蛇女王は異変に気づいたのかもしれない。
自分が吸血しているものが、余りに“空っぽ”だ、ということに。
次の瞬間――俺は半蛇女王の背後から、声を上げて襲いかかっていた。
高位付与である構造強化で強化された祝福の杖が、ズブリと半蛇女王の左胸を突き破る。
半蛇女王は火属性も付与されている杖の一撃を受けて、この世のものとは思えない叫び声を上げた。
転倒した瞬間、“質量を持つ幻影”と入れ替わった俺に気づかなかった半蛇女王は、俺を三叉槍で攻撃し、魅了し、吸血した。
この“質量を持つ幻影”というのは、幻影が消えるまでの間、様々な感覚まで二重化されてしまう。
従って、攻撃され、魅了されて吸血される感触だけは、俺の感覚として共有されていた。おかげでおぞましい体験をしてしまった。
ちなみに、半蛇女王が視覚でなく、嗅覚で敵を追い詰めるタイプだったら、後方からの攻撃に気づかれ、この手法は通用していなかった可能性が高い。
状態に乗ってこない情報であっても効率的に収集し、活かすことが重要なことが判る。
半蛇女王は杖の一撃を受けて、暴れ始めた。俺は振り放されないようにしながら、この一ヶ月で習得した高位魔法を放つ。
「とっておきをくれてやる!!」
俺は無属性の高位魔法、“侵蝕”を祝福の杖を経由して、半蛇女王の身体の中に流し込んだ。
侵蝕は敵の全ての状態を侵蝕し、食いつぶしていく魔法だ。
この魔法に掛かった敵は、全ての状態が低下し、弱体化する。
だが、侵蝕は敵の身体の中に、魔力が流れる物体を突き込んだ状態でなければ発動できないという制限がある。祝福の杖の一撃は、そのためものだった。
俺は突き刺さった祝福の杖から手を離し、半蛇女王から慌てて離れる。
体内を侵蝕されている半蛇女王は、メチャクチャに暴れ始めた。
身体と三叉槍と尻尾の全てを使い、周囲の壁や柱、床を突き崩すように無差別に攻撃し、激突している。
迷宮全体が振動につつまれ、柱の崩れる大きな音が響き渡った。流石にレーネの書庫にもこれは伝わっているだろう。
半蛇女王は相当に弱体化しているが、このまま放置しても死ぬ訳ではない。
自動体力回復のスキルもある。止めを刺す必要があった。
俺は半蛇女王の動きを見ながら、火壁三枚を使って、半蛇女王を囲い込む。苦手な炎で動きが制限された半蛇女王は、火壁を何とか振り払おうとした。
そこへ、俺は光属性の高位魔法、星雨を放つ。
「ギイアアアアアアァァァァッ!!」
耳を覆い隠したくなるほどの甲高い悲鳴が上がった。
星雨は一時的に身動きが制限された半蛇女王に、容赦なく突き刺さっていく。
星雨は当たる度に半蛇女王の身体を黒く焼き、全身が黒ブチになった半蛇女王は、最後にはバタリと大きな転倒音を発して、次第に消滅していった。
そして、半蛇女王に突き刺さっていた祝福の杖が落ち、カランと乾いた音を立てる。
「ふぅ――終わったか」
俺は溜息をつくと、地面に落ちた祝福の杖を回収する。
ふと、半蛇女王の憑代らしき、赤い宝石の填った指輪が落ちているのに気づいた。
俺はそれを回収すると、周囲を光源で照らし、半蛇女王と闘った広間を調べ始める。
数分もしない内に、第二十三層への階段を見つけた。
俺はその位置に新たな開門の楔を打ち込むと、開門を開いて、空間に現れた黒い穴に飛び込んだ。
俺は開門の魔法でレーネの書庫に戻ると、周囲を見渡した。
てっきり、レーネが歓迎して出迎えてくれると思っていたが、思い過ごしだったか。
「レーネは――いないか」
俺は書庫に彼女の姿がないのを確認すると、彼女の姿を求めて寝室に入ってみる。
寝室は暗いままだが、仄かにベッドの近くに明かりが付いている。
ふと見ると、レーネはベッドにはおらず、俺が普段寝床にしていたソファで、眠りについていた。
ソファに近づいて彼女の寝姿を見る。
服を着たままで寝ている彼女を見るのは初めてのことだ。
とはいえ胸元の大きく開いた服だけに、危険な谷間が丸見えになっている。
俺は妙にドキドキした気持ちで彼女に近寄ると、まじまじとレーネの寝顔を観察した。
彼女の眼鏡を外した顔というのも、何気に初めて見る気がする。
眼鏡がないと思いの外、険が取れていて可愛い。
しかもよっぽど警戒していないのか、俺がかなり近づいても気づく様子がない。
俺はレーネの顔に、自分の顔を近づけて――、
「――何をしておる?」
パッと開いた目がジロリと俺を見て、冷たい声が降り注いだ。
「あっ、いやあ――眠り姫はやっぱりキスで起こすのが常道かと思って」
俺は慌てて言い繕う。
「――なるほどな」
レーネは納得したようにニコッと笑うと、そのままの姿勢で左ストレートを俺の顔面に叩き付けた。
――そして、俺は再びカエルが潰れるような声を上げて、バッタリとその場に倒れ込んだ。