039 幻影
俺が放った魔弾・特大は一体のオークに命中し、そいつを絶命させた。
罠の構造は判らないが、先ほどまでこの部屋に存在していなかったオークの群れが、俺の周りを取り囲んでいる。
ざっと見渡すだけで、一〇体以上のオーク戦士とオーク弓兵に混じって、将校オークというやつがいる。
将校オークだけは、他とは段違いのレベルと数値を持っている。見たところ左右の奥に一匹ずつの、合計二匹しかいないが、要注意だ。
俺は祭壇から転げるように降りると、祭壇に背を向けて、自分の左右に魔壁を張った。
一番面倒なのは、オーク弓兵の弓矢が飛んでくることだ。こればっかりは壁を作って遮るしかない。
俺は右手で左肩に刺さった矢を抜き取り、自分に回復を掛けた。
幸い鏃のついた矢ではないし、毒矢という訳でもない。回復を掛けておけば、傷も塞がるし、痛みもない。
オークたちはロフト部分から階段を下りてくる。だが、階段を下りてくるのはオーク戦士ばかりで、オーク弓兵はロフト部分にいたままだ。
オーク弓兵が放った四、五本の矢が、一斉に左右の魔壁にぶつかり、衝突音を出す。
魔壁は破られてはいないが、それほど長い間、保たせられない感じだ。
現時点で難しいのは、オーク弓兵の矢を防ごうとすれば左右に壁が必要となり、正面から来るオーク戦士との闘いでは魔壁が使えなさそうということになる。
俺の魔壁の制御は、常人からすればあり得ないレベルにあるようだが、それでもシルヴィアが展開できる岩壁の数には劣る。
彼女は一気に五枚六枚の制御と維持をこなすが、これはシルヴィアがその点に関して突出しているからだ。
俺は数はシルヴィアほど展開できないが、内務卿との闘いで水壁に岩壁を合わせたように、属性の違う壁を同時に出すことができる。シルヴィアから言わせると、その方が変人だということらしいが――。
俺はロフトから階段を駆け下りるオークを見据えると、タイミングを計って風塵の魔法を階段下に放つ。
風属性の魔法は、土属性のオークの反属性になる。
巻き込まれたオーク戦士は三匹。風塵の魔法が消えると、その三匹は跡形もなく消え去っていた。
だが、その後から残りのオーク戦士が降りてくる。
その間にオーク弓兵たちは、さらに矢を放って来ている。
その攻撃で魔壁が破れ、俺は即座に魔壁を張り直した。
俺は近づいてくるオーク戦士に魔弾・特大を放ったが、特大は連射が効かない。一匹を葬り去った後、二匹のオーク戦士が、俺の立つ場所まで到達した。
俺は斜め前に出て片方のオーク戦士の攻撃を避けると、もう一方からの攻撃を支配者の籠手の魔法盾で受け止める。
攻撃を外した方のオーク戦士に至近距離で魔弾・特大をお見舞いすると、一撃でオーク戦士は消滅した。
――と、その途端、俺の足下に数本の矢が突き立った。
前に出たことで、魔壁の防御範囲から外れてしまったのだ。
俺は構わず支配者の籠手で攻撃を受け止めたオーク戦士に、炎弾をお見舞いする。オーク戦士はくぐもった呻き声と共に、消滅した。
将校オークを除くと、オークたちは強くない。
問題は矢だ。これを効果的に防ぐ手段があれば、苦戦はない。
俺は祝福の杖を横に構え、自らの周囲を包む光の膜をイメージする。矢が飛んでくるのも構わず、意識を集中し、魔力を込めた。
光の防御結界“オルター”が発動し、俺の周囲にうっすらと金色に輝く球形のフィールドを作り出す。
直後に放たれたオーク弓兵の矢は、光の結界に当たると、粉々に砕け、塵のように燃え尽きた。
即座に自分の状態を確認すると、光の結界の表示の隣には「178」という数字が見えている。
光の結界は三分しか保たない上に、生命反応のない攻撃――つまり、敵の手を離れた矢や魔法しか防ぐことができない。
――となると、矢が防げる三分の間に、弓兵を全て殲滅するしかなさそうだ。
俺は最後に残ったオーク戦士に魔弾を叩き付けると、一気に階段を駆け上がり、部屋の右側のロフトに上がった。
俺は右手側を壁にし、左手側を部屋に向ける形になる。
右側から攻めるのは、万が一光の結界が切れても左側面から矢を受ける方が、支配者の籠手の魔法盾を使って攻撃を防ぎやすいからだ。逆だと矢を防ぐために、敵に背中を見せることになってしまう。
これは、一瞬の判断による行動だが、この判断を間違えると戦況が悪化する。
闘いは常に生き物のように状況を変えてくる。
常に冷静に、最善の選択肢を取れることが、俺にとってベストな未来に繋がっているはずだ。
同じ高さに上ってきた俺を見て、オーク弓兵は武器をナイフに切り替え始めた。
オーク弓兵の奥には将校がいるが、前に出てくる雰囲気はない。
俺はそれを確認すると、最も近くにいるオーク弓兵に炎弾を放つ。
直後、魔弾を使い、その次は炎弾――と、交互に放つ魔法で次々にオーク弓兵を始末していく。
三六〇度全ての攻撃を防ぐ光の結界があるからこそ出来る大胆な攻勢だが、時間が限られている以上、最大限に活かさざるを得ない。
忽ち将校オーク以外を片付けると、不気味に動かない将校オークを放置して階段を駆け下り、今度は部屋の左側のロフトに上がった。
こちらも同じように魔弾と炎弾を交互に放ち、一気に掃討していく。
右側のロフトと同じように、将校オークはピクリとも動かない。
俺が最後のオーク弓兵を始末し、二匹の将校オーク以外を全て始末してしまうと、二匹の将校オークはその場で直立した体勢のまま、ゆっくりと姿が薄くなり、そのまま消えていってしまった。
「――――」
俺は暫く戦闘態勢のまま、警戒を解かずに様子を窺っていたが、時間が経っても何の変化もない。
どうやら二匹の将校オークは、幻影だったということのようだ。
だが、確かに俺は将校オークの状態を確認し、その内容を見た。
その前のオーク戦士やオーク弓兵を隠した技術といい、普通じゃない仕掛けになっているのは間違いない。
俺は改めて祭壇を見ると、そこには変わらず何かの書物がある。
再び罠に掛かる可能性も考えつつ、もう一度祭壇に上ると、特に何も起こらず置かれた書物を手にすることができた。
「――白紙か」
書物を捲ると、どのページも白紙になっている。
――だが、僅かに、この書物から魔力の残滓を感じる。
“凝視”してみても特に追加の情報は得られなかったが、恐らくこの部屋で起こった出来事と、この書物は何か関係があるはずだ。
俺は書物を資産の中にしまうと、祭壇の周りを調べ始めた。
この部屋には俺が入ってきた場所以外に出入り口がない。この部屋が行き止まりという可能性もなくはないが、この部屋に仕掛けがあった以上、必ず何か特別なものが存在しているはずだ。
ふと祭壇の裏側に回り込むと、精巧に隠された隠し扉があるのに気づいた。
魔法で施錠された扉だと困ったことになるのだが、幸い試行錯誤していると扉の部分がずれ、ぐっと力を込めるとゆっくりと隠し扉が開いた。
隠し扉の中は、縦穴の梯子になっているようだ。
俺は真下を見やすくするために、靴底に光源を付け、隠し扉の中に入っていった。
二階層分も降りただろうか?
縦穴はそこで終わり、そこから先は横穴へと続いていく。
横穴は俺が立ったまま歩いても大丈夫な程度の広さはある。周りは石造りになっていて、洞窟のようなものではなく、明らかに意図を持った者によって作られたものだ。
横穴を突き当たりまで進むと、突き当たりが少し広い空間になっており、単なる行き止まりの壁だと思っていたものが、実は大きな扉であることに気づく。扉は二枚戸で、木で出来ているようだった。
深淵の迷宮は、ギルドが長年管理しているような迷宮ではない。そのため帰還の魔法陣のような仕組みも用意されておらず、今の俺ができることは前に進むことでしかない。
俺は罠がないことを確認して、扉を押して開けていく。
扉が大きいだけに、身体の目一杯の力を使わないと開かない。
次第に木が軋む音が響いて、扉がゆっくりと開いていった。
――そこは、一面が書物で埋め尽くされた、図書館とでも言うべき“書庫”だった。
俺は書庫の中で、動くものがいないかを確認する。
特に動くものは見えないが、先ほどそうして確認した後にオークがいきなり現れたことを考えると、今回も同じようなことがないとは言い切れない。
油断なく周囲を確認しながら、俺は書庫の棚に並ぶ書物を調べてみた。
幸い背表紙の文字は理解できている。
書物は俺に理解できる言語で書かれているようだ。
俺は書棚の中から一冊書物を取り出すと、中身を確認してみた。
その本はこの世界の植物の生態系が書かれた本で、事細やかな挿絵と共に、植物の状態に相当する内容が書かれている。
俺はその本を戻すと、書棚の上を覗いて見た。
書棚は二階層になっており、二階層目の本棚には、備え付けられた階段を通して行くらしい。
俺は回り込んで二階層目への階段を上り、書棚に収められた本の題名を確認していった。
――驚いたことに、魔法に関する本が多い。
見れば空間魔法に関することや、回復魔法に関すること、果ては内務卿が“失われた”と表現していた合成魔法に関する書籍まである。
本から付与魔法を学び取った俺からすれば、ここは力と知識の泉だ。
知らず知らずの内に目を輝かせながら書棚を見ていくと、ふと一つだけ銀色の金属の枠で覆われた書棚があることに気づいた。
銀色の金属には、非常に細やかな細工が施されている。
「これは――魔法陣?」
その細工を見ていくと、帰還の魔法陣と似たような文様があることに気づいた。
魔法陣の意味は分からないが、何かこの書棚だけは特別であるのは間違いない。
銀の魔法陣で囲われた中にある書籍を見ると、残念ながら俺には即座に判読できない背表紙の書籍が多いようだ。
――と、その中の一冊に目が留まる。
装飾された文字だけに読みづらいのだが、その背表紙に書かれた文字は――。
「これは――『クランシーとアラベラ』か――」
その背表紙の内容に、俺の心臓が早鐘のように鳴り響き始める。
俺が書籍に手を伸ばし、掴みかけたその瞬間、階下から見知らぬ女性の声が響いた。
「その棚には触らぬ方が良いぞ」
背後が無警戒だった俺は、ハッと手を引いて振り返る。
階段を下りた書庫の真ん中に、青い長髪の女性が立っていた。
目鼻立ちのハッキリとした、眼鏡を掛けた――美女だ。
胸元が大胆に開いたドレスを着ており、下はロングスカートになっているのだが、深いスリットが入っていて何とも際どい。
何しろポジション的に、俺が階上から見下ろす形になっているので、大胆に開いた胸元は、上から丸見えになっている。
しかも何というか――デカい。
俺の視線を完全に無視して、その女性は言葉を続ける。
「――何者かが侵入したと思ったが、よりにもよって“クランシーの使徒”とはな。
お主、迷い込んでここに来たのか、望んでここに来たのか、どちらじゃ?」
クランシーの使徒、という言葉を投げかけられたことで、俺の頭に鋭い頭痛が走った。
そしてその頭痛が、俺の警戒心を一気にMAXまで引き上げる。
俺は素早く階下の女性を“睨みつけた”。
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【名前】
“深層”のレーネ
【年齢】
不明
【クラス】
不明
【レベル】
78
【ステータス】
H P:????/????
S P:????/????
筋 力:???
耐久力:???
精神力:???
魔法力:???
敏捷性:???
器用さ:???
回避力:???
運 勢:???
攻撃力:???
防御力:???
【属性】
水
【スキル】
不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、フロレンス語学
【称号】
深層の麗人、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、不明、アラベラの使徒
【装備】
不明
不明
【状態】
不明
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その状態の内容に、ゾクゾクとしたものが俺の身体中を走る。
これまでの敵とは、別次元の強さを持つであろう相手。
そして、アラベラの使徒――だが、“闇属性ではない”。
俺は即座にこれまで知り得た様々な情報を組み合わせ、それが意味するところを考え始める。
これが――この後の俺に多大な影響を与える、“深層のレーネ”との最初の出会いだった。