028 王宮
聖騎士セレスティアは、ソファで対面する俺をしっかり見据えた上で、絞り出すように言葉を発した。
「――俄には信じがたい」
出てきた言葉は否定的なものだったが、既にセレスティアの表情は、先ほどまでとは全く違って、生気の通ったものになっている。
俺はそれを見て、ソファから立ち上がった。
「別にそれを信じてくれと言いに来た訳じゃないさ。
俺は俺の目的で、“魔人”を追い詰める。それだけだ」
「――――」
セレスティアはその言葉を聞いて、少し項垂れたように見える。
俺はセレスティアの様子を見ると、そのまま部屋から立ち去ろうとした。
だが、俺がセレスティアに後ろを向けた瞬間、それを阻止するかのように、彼女が口を開いた。
「私は――」
先ほどまでの威勢の良さが消え、声色にも明らかに迷いが出てきている。
「――私は、罪を犯した身だ。
もちろん身に覚えのないことや、弁解したいこともある。
だが、陛下の意に反して軍を動かし、謹慎の命を受けたことは事実。
残念ながら、再び陛下の命に反することはできない」
セレスティアが言っている内容は、もはや自分への言い訳に過ぎない。
俺は扉の前まで進み、セレスティアに振り返って言った。
「――それなら、そこで縮こまっているんだな。
そうやってこの国を護らず、自分の“自尊心”だけ護っていればいい。
それが嫌だというなら――ちゃんと剣を取って、闘え」
その発言には、流石にレドモンドが反応した。
「――聖騎士にここから脱走しろとでもいうのか」
「どうせ謀反の罪は死罪なんだろう?
待って死ぬか、待たずに抗って死ぬか程度しか違わない」
「貴様、聖騎士を救う自信があるのではなかったのか!」
俺の発言に腹を立てて、レドモンドが大きな声を出す。
「自ら闘おうという意思のない人間と、共に闘うのは真っ平ごめんだ」
「貴様――!」
レドモンドが食って掛かろうとした時、扉が開いて外にいた兵士が入ってくる。
「何を騒いでいる!」
それを見て、レドモンドは気まずい表情になった。
トラブルを起こせば、余計に西方騎士団もセレスティアも立場が悪くなるからだ。
俺は兵士とレドモンドの間に割り込むと、ニコニコ笑いながら言った。
「――何でもない、何でもない。
それよりも聖騎士のために、水をいただきたい。
女官に頼めるだろうか?」
入ってきた二人の兵士は、部屋の中の様子を見渡し、全員が無言で動かないのを確認すると、渋々その頼みを聞いてくれる。
俺は睨み続けるレドモンドの背中を叩き、扉の方へと誘導した。
レドモンドは仕方なくセレスティアに礼をして、先に部屋を出て行く。
俺もレドモンドに続き、部屋から出た。
俺が部屋から出る時、入れ替わりに水を運んだ女官が部屋に入ろうとする。
すれ違いざま、一瞬俺と女官の視線が交錯した。
――俺はそのまま退出する。
それは、黒髪の、妙に美しい女官だった。
西方騎士団支部に戻ったレドモンドは、戻るなり机を叩いて怒りを表現した。
「貴様、あれは何のつもりだ!? 貴様がやったことは、単に聖騎士を罵倒しただけではないか!」
俺はレドモンドの前に立つと、特に悪びれることもなく言った。
「いや、これでいい。
今のところ、俺の想定通りに進んでいる」
「――どういう想定なのか、聞かせて貰いたいものだ」
俺はそれを聞いて少し笑う。
残念ながら、この先はレドモンドに聞かせるつもりがない。
「レドモンド、頼みがある」
「この期に及んで頼みか。
何だ?」
若干自棄になった雰囲気もなくはないが、レドモンドは俺の発言を聞こうとする。
「俺はこの後、やることがある。
あと、この後は暫くここには顔を出せない。
それで頼みなんだが、これから誰が何を尋ねてきても、何も知らないで通して欲しい」
俺の頼みを聞いたレドモンドは薄く笑った。
「――逃げ出すのか」
「そう思うなら、思うといい」
レドモンドは、椅子に腰を下ろし俺に出て行けとばかりに手を振った。
「――判った。望み通りにしてやる。
さっさと立ち去るがいい」
俺はそれを聞いて、西方騎士団支部を立ち去ることにした。
俺は騎士章と鎧を返却すると、一旦宿に戻って一人で食事を取った。
その後、再び外出して王宮の周りを確認する。
今のところは特に騒ぎにはなっていないようだ。
グレイスも上手く潜り込んでいる。
元々は王宮に侵入させないプランを考えていたのだが、問題なく侵入できるというグレイスの発言を信じて、こういう形になった。
この先は彼女の働きに依存するところが大きい。
それにしても、女官姿が眩しかった。
グレイスのちゃんとしたスカート姿は、初めて見た気がする。
出来れば明日からずっと、あの格好でいて欲しいんだが――。
陽が落ちた後、俺は支度を調え、王宮へ向かった。
俺は王宮近くの路地で、シルヴィアと落ち合うことになっている。
シルヴィアは俺が近づいて来るのを見ると、パッと表情を明るくした。
「ケイ、どうだった?」
シルヴィアが俺に訊いた。
彼女が尋ねているのはセレスティアのことだ。
「概ね想定通りだ。
あとはグレイスが上手くやっているはず」
シルヴィアはそれを聞くと頷いて、徐に俺の腕を取った。
「夜歩くには、こうしておいた方が警戒されないわ」
ニッコリと笑うと、俺に寄りかかるように腕を組む。
俺の腕に柔らかい感触が当たった。
グレイスに見られたら、面倒なことが起こりそうだ。
俺とシルヴィアは王宮の東南に移動する。見渡すと王宮の外壁の周りには、数名の兵士が見張りとして配置されている。
「――仮に兵士が動かなかったら、どうすればいい?」
シルヴィアが若干不安げに俺に訊いた。
「いや、動く。
門にいる兵士は動かないだろうが、外周を見張る兵士は外壁に異常があれば、必ず動く。
だから安心してやってくれ。
――もちろん、のんびりやるわけにはいかないが」
「――判ったわ」
シルヴィアは俺に片目を瞑ると、王宮の東南角に近いところへ歩き出し、兵士から見えない場所で待機する。
俺はシルヴィアを見送ると、王宮の南西へと歩いて行った。
どれくらい経っただろうか。夜の静けさの中に、何かガラスの割れるような音がしたのが判る。
少しして、離れたシルヴィアのいる場所から、一瞬だけ光源の魔法が点った。
――合図だ。
俺は出来るだけ音を立てないように王宮の北西に向けて駆け出すと、王宮の外壁の天辺に、次々と光源を付けていく。
俺が走って行くのに合わせて、外壁の一番上のブロック自体が次々と光っていく感覚に近い。
光源はたちまち一〇以上の数になり、王宮の内外を照らし出している。
辺りは煌々とした明かりに包まれ、あっという間に昼間のような状況に変わった。
途端に王宮内が騒ぎに包まれ、複数の足音がバタバタと近づいてくる。
まるで敵襲にあったかのような騒ぎだ。
俺は二十カ所近くの外壁に光源の魔法を掛けると、それを維持しながら裏路地へと逃れた。
既に王宮の外壁の外側には、多くの兵士が集まっている。
俺はそれを横目に王宮を大きく迂回し、目的の場所へと移動していった。
俺が王宮の東南から“目と鼻の先”の宿に着いたのは、それから間もなくのことだ。
あらかじめ取ってあった部屋に移動すると、既にそこには外套に身を包んだ三人の姿があった。
「――無事に出られたか」
俺が声を掛け、部屋に入ると、全員の視線が一斉にこちらに向いた。
グレイス、シルヴィア、そして――そこには聖騎士セレスティアの姿がある。
「ケイ、ここまでは計画通りです」
グレイスが俺に微笑みかけて言った。見ると、久しぶりに黒スーツ姿だ。
セレスティアの方を見ると、こちらを向いてはいるが、無言のままでいる。
「――不本意か?」
俺がセレスティアに声を掛けると、少し考えた後にセレスティアが答えた。
「――いいや。
これは私が選んだ道だ。
――だが、こうも簡単に王宮から抜け出せるとは思っていなかった。
王宮の警護を思うと、情けなくてな」
俺はそれを聞いて笑う。
俺の計画はこうだ。
グレイスが侵入し、セレスティアと王宮を抜け出す準備をする。
夜になって準備が出来たら、窓を開けて食器を割り、それを片付ける名目でグレイスが部屋から出る。
グレイスは窓の外を警戒する兵士を眠らせ、セレスティアを建物の外に連れ出す。
俺が王宮の反対側の外壁に光源を点し、警戒する兵士を集める。
その間にシルヴィアが岩壁を重ねて作った魔法の階段で外壁を越え、グレイスとセレスティアを外へと導く――。
光源を使ったのは、以前グレイスと初めて会ったときに、俺がグレイスの剣先に光源を点したのに驚いていたことを応用したものだ。
この世界では、四人に一人ぐらいの割合で魔法を使える人がいて、その人たちはほぼ全員光源を含む生活魔法が使える。
だが、光源の魔法は指先などの自分の身体に点すのが一般的で、自分の身体以外に点すことが出来る人は殆どいないらしい。
魔法使いの一部には、魔法を通す杖などに光源を点せる人がいるようだが、それでも魔法を通さないものに光源が点ることはない。
だからこそ、光るはずのない外壁が光ったことが、大きな警戒に繋がった訳だ。
次に、シルヴィアが作った岩壁の魔法の階段だが、これは先の大鬼との戦いで、シルヴィアが複数の岩壁を重ね合わせて、釜のように使っていたのを応用したものだ。
壁系の魔法は、それ自体はそれほど難しい魔法ではないが、通常壁を同時に二枚も三枚も作りだし、維持しつづけるのは相当に難しい。それをやってのける、シルヴィアが特殊なのだ。
だからこそ王宮は岩壁で魔法の階段を作って外壁を越えてくるなどといった想定が、最初からされていなかった。
また、光源も岩壁も、王宮や兵士たちを傷付けないというところが大きい。
ここが破壊や殺傷を伴うと、俺たちは完全に反逆者になってしまう。
速やかに、セレスティアだけを外に出すのが、最良の策だった。
結果として、従順で逃亡するはずのなかったセレスティアが逃亡を計画し、光るはずのない壁が光り、越えられるはずのない壁が越えられたという、三つの想定外によって、あっさりとセレスティアは王宮の外に逃れることができたことになる。
さらに言えば、落ち合う場所として確保したこの宿は、セレスティアが謹慎していた部屋から“最も近い”場所にある。
逃げ出した人間が、わざわざこんな近い場所に留まっているとは思わないだろう。
これも裏をかいたものだ。
俺は宿の窓から外の様子を窺ってみる。
宿の窓からは王宮の外壁が見える。外壁周辺には多数の兵士が見えた。
既に光源の魔法を消して時間が経っている。持ち場に戻った兵士はすぐにセレスティアが逃亡したのに気づいただろう。
物々しい雰囲気が王宮を包んでいた。中には何事かと様子を見に来た一般人もいる。
「――流石に大騒ぎになっているな」
俺はそう言って、笑った。
「王都の外に出なくて良かったの?」
シルヴィアが俺に尋ねる。
「ああ、出る必要はない。
何しろ俺たちのお目当ては、この王都の中にいるからな」
俺がそういうと、その発言に反応してセレスティアが口を開いた。
「それは確実なのだな?」
「確実だ。
残念ながら俺が見つけたのは、追っていた魔人ではないが――」
「――ということは、王都にはお前が見つけた魔人と、お前たちが追っていた魔人の、少なくとも二人の魔人がいるということになるのか」
俺はそれには首を振る。
「いや、クルトは王都にいるはずだが、まだ見つけられていない。
今は少なくとも“王宮の中に”一人、という状況だな」
「――――」
王宮の中、という言葉にセレスティアは深刻な表情になった。
「それよりも、聖騎士セレスティア。
一つ聞いておきたいことがある」
そういうと、セレスティアは自嘲するように笑う。
「聖騎士は止してくれ。
今は一介の逃亡者に過ぎない。
セレスと呼んでくれ」
「判った。じゃあ――セレス。
実は、君が受け取ったという、王都への呼び出しの書面の中身について、もう少し詳しく聞きたいんだ――」
俺の発言を聞いて、セレスティアは神妙な表情になった。