016 賢者
宿に戻り、装備を解くと、左腕には大きな青痣が出来ていた。
骨が折れている訳ではないし、回復でダメージも痛みもない。
だが、内出血で流れた血は元に戻せない――か。
そろそろ回復魔法のレベルを、本格的に上げなければならないな。
さすがに食事の時に、青痣はグレイスにバレてしまった。
俺は心配しなくていいと言ったのだが、グレイスは相当に心配になったようだ。
加減を見るように、優しく俺の左腕をさすっていた。
俺はそっちの方がドキドキして、どうかなってしまいそうだった。
翌日、シルヴィアたちと、改めて迷宮に潜る約束だったのだが、残念ながらそうはならなかった。
クライブの盾と鎧の修理が必要だったからだ。
クライブが言うにはガーゴイルに叩かれた部分はそうでもないが、ハンターガーゴイルの攻撃で、相当に防具が傷んだらしい。
確かに俺の鉄の籠手は、ガーゴイルの一撃だけで、傷がついてしまっていた。クライブの装備はそれよりも良い品だと思うが、さらに攻撃力の強いハンターガーゴイルの攻撃を受けて、全く無事ということもないだろう。
クライブの装備の修理には、全部で三日ほど掛かるということだった。
とはいえ、これはこれで丁度いい。
俺はグレイスを伴って、人が少ない北の迷宮の浅いところで、魔法の修行をすることにした。
俺は、『各属性魔法習得 入門編』『冒険に役立つ魔法術』の二冊を迷宮に持ち込んでいた。
火属性魔法と、風属性魔法はグレイスが使えることもあって、あっさりマスターすることが出来た。
まだ火弾と風刃しか使えないが、これらを強化出来れば炎弾と風塵へのステップアップが出来る。
続けて氷弾、岩弾もその応用で二日目にマスター出来たのだが、グレイスは判っていたとはいえ、俺の習得の早さと、何でも習得してしまういい加減さに驚いたようだった。
「かつて――」
グレイスは、静かに話し始めた。
「――“賢者”と呼ばれた者だけが、六大属性魔法と、回復魔法の全てを使えたと言います。
わたしはこれまで四つの属性を習得した人を、この目で見たことはありませんが、ケイはこれで四大属性に加えて無属性、付与と回復魔法を習得していることになります。
あなたに魔法の適性があるとは思っていましたが、もはや十分に“賢者”を名乗って良い状態なのかもしれません」
四属性習得と言っても、どれも初歩の初歩を覚えただけなんだが――。
グレイスが褒めてくれることは素直に嬉しいのだが、いきなり賢者と言われても、くすぐったい。
取りあえずその話はそこで切り上げることにしたのだが、俺の状態を見てみると、ちゃっかり称号に「賢者」がお邪魔していた。クラスが付与術士のままだったので、まあいいか――。
三日目は俺のたっての希望で、丸々一日をある“実験”に使わせて貰った。
それは、“モノとモノが接触した瞬間に発動する魔法”の実験だ。
ガーゴイルとの闘いで、俺は左腕に攻撃を受けた。
鉄の籠手は装着していたが、攻撃を受ける瞬間に、ちゃんと魔壁を展開していれば、恐らく無傷で済んだに違いない。
だが、あの瞬間、俺は魔壁を展開するのを忘れて、普通に左腕で攻撃を受けてしまった。
そこで考えたことがある。
鉄の籠手と敵が接触した瞬間に、魔壁を“自動的に”発動出来ないか?ということだ。
それを目指して、付与で鉄の籠手に魔壁を仕込み、グレイスの剣を受け止めて“自動的に”発動するかを試すのだが――。
これが何度やっても上手く行かず、相当に苦労をした。
最初は魔力の維持が出来ず、グレイスの剣が触れる前に魔壁が展開されてしまうという状態だったのだが、魔力の維持の仕方を覚えた後は、今度はグレイスの剣が触れたかなり後に魔壁が遅れて展開されるという症状が、俺の頭を悩ませた。
結局これが成功したのは、日が暮れようとする時間だった。
さすがにグレイスも疲労の色が濃く、終盤においては、次の機会はグレイスが望む修練に付き合うこと、というのを何度も約束させられる始末だった。
それだけに、この付与魔法が成功出来るようになったのは大きい。
次の日、丸三日間の空白を空けて、俺とグレイスは、シルヴィアとクライブの二人と、冒険者ギルドで合流した。
クライブの鎧は、初めて会った時よりも格段に綺麗になって、青白く輝いている。
どうやら修理だけでなく、防具の強化もしてきたらしい。
聞いたところ修理と強化で三万セルジュ以上掛かったようだが、ガーゴイルの稼ぎで助かった、と終始笑顔だった。
一方のシルヴィアは、ほぼ前と同じ格好ではあったが、新たに黒いとんがり帽子を被っていた。
聞けばガーゴイルの稼ぎで新しく買ったのだというが、ただ帽子が加わっただけなのに、見た目は前とは比べものにならないぐらい魔女っぽくなった。
とんがり帽子を凝視して見ると、魔法力だけでなく、混乱や睡眠などの精神異常も防ぐ優れものらしい。
彼女の金銭感覚の程は判らないが、いくら掛けて買ったのかは、聞かないでおこう――。
俺たち四人は、迷宮に降りる前に、冒険者ギルドで最新の情報を仕入れることにした。
前のパーティ人数制限じゃないが、情報をしっかり把握しておかないと、迷宮に降りるタイミングで困ったことになることがある。
それを防ぐためには、しっかりと最新の情報を確認しておく必要があった。
「――黒妖精ですって?」
シルヴィアがギルド職員の発言をなぞって言う。
冒険者ギルドで入手した、もっとも衝撃のあった情報は、黒妖精に関する情報だった。
何でも、今攻略を進めている迷宮で、黒妖精の目撃例があるのだという。
以前理解したことではあるが、蛮族や獣人、魔物はそもそもの成り立ちが違う。
蛮族や獣人は生き物だし、魔物は憑代のある魔力の固まりだということだ。
蛮族や獣人は倒せば死ぬし、魔物は消滅するに過ぎない。
さらに、魔物は迷宮で生まれ、迷宮を行動範囲としているが、蛮族や獣人は迷宮以外を行動範囲にしている。
それを考えると、蛮族に分類される黒妖精が、迷宮で目撃されるということは、相当に稀有なことになるのだ。
「黒妖精は危険な種族です。知的レベルが高く、魔法も使います。
中でも姿を消す魔法を得意としていて、後方からの不意打ちに注意しなければなりません」
グレイスが黒妖精の詳細を説明してくれる。
マンガやアニメの影響かも知れないが、何故か俺の頭の中にはセクシーな女黒妖精の容姿が思い浮かんだ。
そこへ、グレイスが説明してくれた内容を反復していくと、ある共通点に気づく。
「知的レベルが高く、魔法を使い、後方からの不意打ちが得意な黒妖精――。
それってグレイスに似て――」
「――――」
笑いながらグレイスを見ると、グレイスがもの凄く冷たい目で俺を睨んでいた。
――やばい。
表情を固まらせた俺に気づかなかったのか、そこへシルヴィアが盛大に火に油を注いだ。
「あはは!
確かにオッパイが大きいところもグレイスにそっくりね――!」
その後、背後から立ち昇った殺気に、俺とシルヴィアは凍り付いた。
俺たち四人は冒険者ギルドから、そのまま迷宮に向かった。
結局黒妖精の目撃情報以外、大きな情報は得られていない。
残念ながらグレイスは迷宮へ到達するまでの間に、機嫌を直してくれなかったが。
迷宮の入り口に到達すると、そこには変わらずギルド職員がいた。
俺はギルド職員に黒妖精のことを尋ねてみたが、そんな話は聞いていないという。
情報がここまで来ていないのか、冒険者ギルドで聞いた話が不正確なのか、どちらか判らない。
用心するに越したことはないのだろうが――。
俺たちは付与を施し、迷宮へ降りる。
さすがに黒妖精の話を聞いた後だと、全員の気持ちが引き締まる。
「ケイ、あなた、姿を消した黒妖精が見えたりしないの?」
シルヴィアが唐突に俺に聞いた。
シルヴィアたちには見ることが出来ないものが、俺には見えているということに気づいているようだ。
「――どうだろうな。
少なくとも魔石像は見えたし、見ようと思えば壁の向こうでも見えることはある」
「――ある意味反則技ね、それ」
シルヴィアはそう言って苦笑した。
俺たちは四日前とは別の道を辿ったが、特段危険なものは見あたらなかった。
魔法で施錠された扉にも行き当たらない。
黒妖精を警戒していることもあり、先頭を歩むグレイスのペースが四日前よりも遅いという事情はあるが、それでも昼過ぎの時間までに、四階層目に到達した。
ここまで戦闘らしい戦闘は殆どなく、数匹のゴブリンやオークと遭遇しただけだ。
魔法を使う魔物や、統率された魔物の群れは見かけない。
「――よし、ここで食事を取ろう」
俺は三人に声を掛ける。冒険ギルドで聞いた情報のせいで、全員精神的な疲労度の方が高そうだった。
特に先頭で索敵を続けるグレイスの疲労度が高いだろう。
俺たちは無意識のうちに円陣の形に腰を下ろした。
各人がそれぞれの背後を見渡せるようにする。
俺の対面にはクライブが腰掛けていた。
ふと、クライブの胸元に、懐中時計のようなものが掛かっているのに気づく。
「――ああ、これですか?」
クライブが俺の視線に気づいて、首に掛かった時計を取り出した。
「いや、ちょっと気になっただけなんだ。
――大切なモノなのかな?」
俺は遠慮気味に聞いてみる。
俺はこれまでシルヴィアやクライブの過去を詳しく訊いていないし、もっと言えばグレイスの過去についても余計な詮索をしていない。
それは、話すべき時が来たら、きっと相手の方から話してくれるだろうと思っているからだ。
何しろ俺はクランシーの制約のせいで、まともに自分の過去が話せない。
自分のことを語れない人間が、他人の過去をあれこれ問いかけるのは、マナー違反なんじゃないかという思いが強くあった。
その思いを知ってか知らないでか、クライブは時計に関することを話し始める。
「――オレは、シルヴィアとパーティを組む前に、別のパーティに所属していました。
メンバーとは二年ぐらい一緒でしたから、それなりに長かったと思います。
ですが、ある時オレは強敵の攻撃対象を維持出来ずに、そのパーティを崩壊させてしまったんです」
思いの外、重い話にシルヴィアもグレイスも無言になってしまう。
クライブはそのまま言葉を続けた。
「この時計は、その時に亡くなってしまったメンバーの形見です。
オレはこれを見る度に、もう二度と目の前で仲間を殺させはしないと強く思うんです」
クライブは時計を握りながら、寂しげに微笑む。
「それでパーティを抜けたのか」
「いえ、実はその後も残りのメンバーとはパーティを組み続けていました。
ですが、先日オレが知らない間に、オレよりもレベルの高い、別の重装剣士がパーティに入ってきて――」
その話の結末に、シルヴィアが激高する。
「何よ、それ!
仲間が死んだのも別にクライブ一人が悪いって訳じゃないんでしょ?
それなのにコッソリお払い箱にしたって訳!?」
クライブはそれを諫めようとする。
「みんな命が懸かっていますから、仕方ないんです。
オレはそれを恨んだりはしていませんから。
――ただ、この時計だけはお願いして引き取らせて貰いました。
オレにとっては忘れたくない出来事でしたから――」
クライブはそういって優しげに時計を見つめた。
亡くなった人というのは、クライブの好きな女か何かだったんだろうか?
そんな感じの目だ。
ふと、クライブが見つめていた時計が気になった。
それほど時間は経っていないはずだが、つい先ほどよりも、随分長針が進んでいる。
クライブは、俺がじっと時計を見つめているのに気づいて、説明をしてくれた。
「――この時計、魔法の品らしくって、いつまでも動き続けているんですけど、普通の時計じゃないようなんです」
「どう普通じゃないんだ?」
「いえ、普通の時計より、随分一周するのが早いんですよね。
しかも横のダイヤルを回すと、一周するのに掛かる時間が切り替わるようで――」
それを聞いて何となく、頭の中に思い浮かんだことがあった。
「――クライブ、その時計の持ち主は、女性じゃなかったか?」
俺にそう問いかけられて、時計が思い人の形見だと気づかれたと思ったのだろう、クライブは耳まで赤くして答える。
「――ええ、そうです。
よくお判りですね」
俺はその答えを聞いて、さらに質問を重ねた。
「その人は、料理が得意じゃなかったか?」
「――!
ケイさん、凄いですね。
料理が得意かどうかは判りませんが、料理が好きで、何度かパーティメンバーにもご馳走してくれたことがありました。
――なぜ判ったんです?」
俺に言い当てられて、クライブは心底驚いたようだ。
だが、俺はその理由をグッと飲み込んだ。
言えなかった。
クライブ、それ、懐中時計じゃなくて――。
料理用タイマーだ。