011 赤毛
翌日、俺は少し遅めの朝を迎えた。
何しろロドニーと闘った一昨日は、一睡もしていない。
昨日、グレイスと食事をしているときも、何度も落ちそうになってしまったのだが――。
まだ眠気の消えないまま、宿の喫茶室に行くと、そこにはグレイスがいた。
「――おはようございます、ケイ」
和やかに微笑んでくる。
男装は同じなのだが、長い黒髪を下ろしているので、一瞬誰なのか判らなかった。
朝日が差して、そのグレイスを後ろから照らしている。
畜生、朝からグレイスの姿が神々しい――。
喫茶室を見渡すと、グレイス以外、誰もいなかった。
「おはよう。――誰もいないのか」
「朝というには少々遅いですから――。
座っていてください。今、お茶を淹れます」
グレイスは立ち上がると、俺に熱いお茶を淹れてくれる。お茶と言っても紅茶のようだ。
しかし朝から優雅に紅茶とか、どこの貴族なんだ。こんなの俺の中の冒険者じゃない。
――と思いながらも、文句なく紅茶をいただく。
うまい。
「今日は魔法ギルドの店に行きますが、その前にお互い装備を調えましょう」
「武器や防具ってことか?」
「はい。わたしもケイも、少なくとも迷宮に下りる準備が出来ていませんので、それを整えてから、魔法ギルドに行った方が良いと思います。
さすがに装飾用の剣では闘えませんし」
「わかった。
――ただ、俺、お金無いぞ?」
それを聞くと、グレイスは笑った。
「ええ、二人分の装備を調えるぐらいのお金はありますからご心配なく。
――出世払いにしておきますね」
教会の保護生活から抜け出したと思ったんだが、次は寄生生活か――。
俺とグレイスはゆっくりと朝食をとった後、出かけることにした。
グレイスは再び髪を結い上げる。
髪を上げた姿も凜々しくていいが、下ろした姿もいい。
もう少し可愛げのある衣装だと、もっといいのだが――。
そうそう、一つだけ喫茶室で起こった重要なことがある。
俺が生活魔法の資産を覚えたことだ。
「簡単に出来ますから」
というグレイスの発言に導かれて、チャレンジしたのだが、意外にも手こずった。
というのも、どう考えても物理的に入らない大きさのものが、小さなポーチに収まるという概念が、俺にとっては難しかったからだ。
最終的には頭を空っぽにして、「そういうものなんだ」と無理矢理思い込むことで、資産の魔法は成功した。
一度成功してしまうと、「このポーチには収まる」という概念が俺の中に出来て、次からは失敗しなくなった。
グレイス曰く、資産の容量は、その人の魔力量に比例するらしく、俺は相当量のアイテムをしまい込むことが出来るらしい。
俺とグレイスが到達したアシュベルの装備屋は、冒険者ギルドの裏手にあるところだった。
宿で聞いたところ、この街には装備屋が三カ所あり、この店が最も程度の良い品を置いているらしい。
店に入ると、強面短髪のオヤジが出迎えてくれる。
俺とグレイスはオヤジと簡単に挨拶を交わし、早速品揃えを物色する作業に移った。
まず、武器はナイフ、短剣、長剣、両手剣、短槍、長槍、片手斧、両手斧、弓、ナックル、鈍器、杖と多彩だ。
防具は盾と籠手以外では、大まかにはローブ、軽装備、重装備に分かれている。
高いものは上半身と下半身が揃っていて、あまり値段の高くないものは、胸当てのように一部分だけをガードするものが多い。
同じ装備でも青かったり、黒かったり、赤かったりと、色もバリエーションがあるようだ。
さすがに男の冒険心を擽るというか、見ているだけでも楽しい。
一通りを見て回ったところで、グレイスが俺に声を掛ける。
「気に入ったものはありましたか?」
「あった、というか、これだけあるとさすがに目移りするよ」
それを聞くとグレイスはニコリと微笑む。
「ケイ、まずは武器を決めてください。
どれか使ったことのある武器はありますか?」
俺が過去に使った武器は、自分で作った木の棍棒と、教会で貰った鉄の錫杖だけだ。
――改めて振り返ると、正直に答えるのが恥ずかしいな。
「鈍器か、短槍あたりなら何とかなるかな。
――杖も鈍器みたいなものか?」
何となく形が似ているものをピックアップして言う。
多分、俺が武器戦闘ダメなのは、グレイスにバレてるな。
「――これとか、どうですか?」
グレイスが選んだのは短剣だ。短剣だが、刀身の色が黄色み掛かっている。
「これは?」
「砂の魔法剣といって、短剣ですが土属性の魔法剣です。
そのまま剣としても使えますが、魔法を強化する効果があります」
「おお。
――って、高いぞ、これ」
見ると値札が三万セルジュと書いてある。教会手伝い一年分だ。
「一応これが一番安い魔法剣です」
「魔法剣って高いんだな――」
「魔法の掛かった装備は優れていますから、どれも高いです。
付与魔術が出来ると、そういう装備に相当する効果を得られるのですが」
なるほど、付与魔術は結構有用なのかもしれない。
確かにロドニーと闘った時も、俺の付与成功が、大きな効果をもたらした。
俺はグレイスに甘えて砂の魔法剣を買うことにした。
グレイスは長剣と、ナイフを購入するようだ。
俺は改めて砂の魔法剣を凝視してみる。
**********
【装備名】
ソードオブサンズ
【種別】
魔法剣
【ステータス】
魔法力:+12
攻撃力:+48
【属性】
土
【スキル】
土属性魔法+1、土属性耐性+1、水属性耐性+1、魔力制御+1、魔力強化1
【装備条件】
なし
【希少価値】
C
**********
――――。
いや、比べちゃいけない。
まあ普通はこうだよな。
当然ながら、氷帝の剣には及びもつかない。
防具は動きの制限されない軽装備が良いかと思ったのだが、一度重装備を付けてみたら、全然想像しないぐらい軽くて驚いた。
――と、後でグレイスに言われたのだが、俺が装備してみた重装備は軽量化の付与が掛かっていたらしい。道理で軽いはずだ。――恐るべし、付与。
取りあえず俺は白っぽいローブに胸甲が組み合わさったものを選択することにした。
着てみると、そこはかとなく魔法使いっぽい。
「似合っていますよ」
グレイスにそう言われると、何となく嬉しくなってしまうのが悔しい。
「――グレイス、出来たら籠手も買っていいかな?」
俺は少し思うところがあって、そう強請ってみた。
「構いませんが――。
少々重みがありますが、大丈夫ですか?」
「ああ、もちろんだ。
両手はいらない。左手だけでいい」
そう言って俺は頑丈そうな、金属の籠手を選ぶ。
装着してみると、確かに結構な重みを感じるが、それでも付けて走れる程度の重みだ。
戦闘以外はポーチにしまっておけばいいから、普段は全く問題ないだろう。
「ケイはひょっとしたら、重装備でも大丈夫なのかもしれませんね」
グレイスは金属の籠手を付ける俺を見て、少し笑いながら言った。
ちなみに、グレイスは防具を買わなかった。
理由を尋ねたら、「持ってますから」というのが彼女の答えだった。
一瞬黒スーツ姿で迷宮を闊歩するグレイスが俺の脳裏に浮かんだが、それとは別の装備を持っているらしい。
俺が早速買った装備に着替えるのと合わせて、グレイスも試着室で装備を付け替えてきた。
グレイスの装備は、チュニックの上に金属の胸甲や肩当ての付いた軽装備だ。腰回りも一部金属板で強化されているが、足はブーツにハイソックスのようになっている。
チュニックが微妙にスカートのように見える。むき出しの絶対領域が眩しい。
だが、どうやら、あまりにもジロジロと見すぎたらしい。
グレイスの太ももに関する数値が表示されそうになったところで、俺はグレイスに頭を叩かれた。
俺たちは、すっかり上機嫌になった装備屋のオヤジに別れを告げると、魔法ギルドの店に向かった。
魔法ギルドの店は冒険ギルドに比べると、随分裏通りにある。通りがかった人に尋ねつつ歩くが、道に迷いそうになってしまった。
ようやく辿り着いた魔法ギルドの看板には、本のマークが書かれていた。
俺が早速入っていこうとすると、横からグレイスに止められた。
「魔法ギルドはギルドのメンバーか、加入を希望する者しか入ることが出来ません」
「そうなのか。じゃあどうやって買い物するんだ?」
「店は裏手にあるはずです。そちらは入ることが出来ます」
そう言われて裏手に回る。
裏手に回ると確かに店の入り口があったが、冒険者ギルドに比べると、相当小さい場所だ。
俺とグレイスがその店に入ると、もう二、三人で満員という程度の売り場しかない。
陳列されているのは数多くの書籍と、良くわからない瓶詰めの物体が多数――。
「あれは魔法に使う触媒です」
グレイスが俺の視線に気づいて言った。
――と、そういえば店員はどこにいった? 店の中に誰もいないぞ?
仕方なく俺とグレイスは魔法書の品定めを先にすることにした。
狭い空間に押し込められた本棚を順番に見ていくと、大部分が怪しいタイトルのついた本だ。
『一瞬で美を手に入れる方法(初級編)』『性別入れ替えを楽しむ』『必ず夫の浮気を見抜く手法』『これで必勝 想い人に強力な呪いを掛けよう』――。
――おい、何だこれ。
「何か、俺が想像していた魔法書と違うんだが――」
俺はグレイスに小声で告げた。
グレイスも少々困った表情をしながら、結局頷く。
と、俺はグレイスの背中側にある本棚の上に、『各属性魔法習得 入門編』と書かれた本が横積みされているのに気づいた。
俺はグレイスに近づき、背伸びしながらその本に手を伸ばす。
丁度グレイスを俺の身体と本棚で挟み込むような格好になった。
俺は目的の本を手に取ると、パラパラと捲ってみる。
――間違いない、こいつはちゃんとした魔法書だ。
「グレイス、これは大丈夫そうだ」
俺はそう声を掛けると、グレイスに微笑みかける。
すると、グレイスは顔を伏せて固まっていた。
「――どうかしたのか?」
「い、いいえ」
グレイスの顔が赤い。トイレか?
気を取り直して俺とグレイスはお目当ての魔法書を探し続ける。
三〇分ほど掛けた結果、俺とグレイスは『各属性魔法習得 入門編』『付与魔法 概論』『冒険に役立つ魔法術』の三冊を見繕った。
で、店員がいないんだが――。
「そういうものなのかな?」
「いえ、不用心にも過ぎますから。
森の中の集落なら無人店舗もない訳ではありませんが、さすがにこの街ぐらいの規模の街で、店に店番がいないのは聞いたことがありません」
俺は仕方なく、「すみませーん」と声を掛ける。
――やばい、シチュエーション的に、元の世界のことを色々思い出してしまった。
俺の呼びかけが三回目を過ぎた時、ようやく店の奥にあった小さな扉が開いて、中から全身黒ローブの女性が出てきた。
フードを被っているが、長い赤毛が露出している。
フードからチラリと覗く顔は、面倒くさそうな表情がマイナスポイントではあるが、結構な美女だ。
店員と思われる女は、俺に向かって返事をした。
「あんた、本なんか買いに来たの?」
――どうやら普通の店員じゃないな、これは。
「冒険者?」
「そうだが」
「へぇ――」
そういうと、フードの女性は首を傾げつつ、俺を下から上まで見定めた。
「白ローブ、っていうことは、回復職なのかしら?」
別にどっかのRPGのように、それで白色を選んだ訳ではないのだが――。
「別に回復職という訳でもないが、回復なら使えるぞ」
「へぇー、意外。見た目は回復職には見えないけどねぇ――」
そういって、フードの女性はフフフと笑う。ちょっと妖艶な雰囲気が漂ってドキッとする。
「――ケイ、本を」
グレイスが小声で俺を促す。
フードの女性はグレイスを斜めに見ると、暫くして無言で視線を外した。
「この三冊を買いたいんだが――」
フードの女性は俺の見せた本をチラリと見ると、興味を失ったように言った。
「何? 入門書ばっか?
――そうねぇ、全部で一〇〇〇セルジュぐらいでいいんじゃないの?」
何だろう、この違和感。
超適当に値付けされている気がする――。
そんなことを考えたのも束の間、グレイスがポーチから一〇〇〇セルジュを取り出し、カウンターに置く。
微妙にお金をカウンターに叩き付けたような気がしないでもないが、気のせいか?
「確かにー」
フードの女性はニヤニヤしながらお金を仕舞う。
――ちょっと待て、今お金を懐に入れなかったか?この女。
「行きましょう」
グレイスが用は済んだとばかりに、俺の手を引いて店から出ようとする。
俺はそれに戸惑いながらも店の出口に足を向けた。
すると、後ろからフードの女の声が聞こえてくる。
「入門編を卒業したら、またおいで。
このシルヴィアさんが、パーティ組んであげるから」
俺はこの時、どこかで聞いた名前だな――と思ったのだが、それがどこだったのか、すぐには思い出すことが出来なかった。






