FE2 魔人の来訪 後篇
「開拓――しておるのか」
レーネの静かな声が響いた。まだ周囲の闇は深い。
ケイは自身の手に光源の魔法を点すと、少し高台になった場所へと彼女を連れ立った。
「開拓と言えば聞こえはいいんだが――。
実態はまだまだ、試行錯誤と言ったところさ。
――例えばこの自宅は元々あった古い家を直しただけのものだ。
でも、実際はここまで直すだけでも大変だった」
ケイは歩きながら説明を加えると、レーネを更に高い場所へと導く。
彼女がケイの隣に立つと、そこから集落の様子を一通り見渡すことが出来た。
「見た通りの状況なのさ。ここは道も殆ど整備されていない。
レーネのようにみんな魔法で転移して来るなら、道なんて無視出来たかもしれないが――。
結局集落へ続く道が整備出来なければ、一向にここを訪れる人は増えない。
人が増えなければ集落は活気づかない。だから真っ先に道の整備から手をつけた訳だが――」
ケイがそこまで話すと、レーネが若干嘲るように小さな苦笑を漏らす。
「フン、このような辺鄙な場所に敢えて街を作ろうなどと――。
作りたいというのなら、道を作るのも良かろう。
だが人が来たところで定着せねば、それも何ら意味を成すまい」
その苦言を聞くと、ケイはむしろニッコリと微笑んだ。
消極的な発言を受けても、彼女を不快に思うこともない。
いや、この程度のことで気分を害していては、レーネと付き合うことは出来ないだろう。
「ハハハ、まったくレーネの言う通りだよ。
道なんて本当に取っ掛かりに過ぎないしな。
訪れた人がそこに留まりたいという理由がなければ、集落は単なる通過点にしかならない。
だから俺がやらなければならないのは、単に道を作るだけじゃない。
人がここに留まるだけの理由作りも、平行して進めなければならないんだ。
でなければ俺の短い人生を、使い果たしかねないからな」
レーネはその台詞を聞くと、ケイが気づくか気づかないかという微細な動きで、彼の表情を覗き見た。
口に出さなくてもレーネには判るのだ。彼の顔にはこの状況を打開出来るという、自信のようなものが満ち溢れている。
レーネはそれに小さな不満を感じながら、再びけちを付けるように質問を投げ掛けた。
「――――。
お主、それでどうやって人を集めるつもりじゃ?」
するとケイはその質問を予期していたのか、能弁に語り始めた。
「街を作ると言っても簡単じゃない。
レーネが言うとおり、ここは辺鄙な場所で間違いはないからな」
そこまで言うと、彼は高台に横たえられた木のベンチに腰掛けた。
そして、その隣に座るようレーネに手で促す。
何となく無視されそうな気もしないではなかったが、意外にも彼女はその誘いに乗って素直にケイの隣に腰掛けた。
「まず未開拓の土地を、ある程度纏まった金額で買った。
このフェリムは自治区であってハーランド王国じゃない分、土地の利用は比較的自由ではある。
だが、それでも自在な開拓には自治領主の許可を必要とする。
自治領主というのは国王とは違って、領民の投票によって選ばれる存在だ。
だから自治領主個人と仲良くするだけじゃなく、領民それぞれとも仲良くしなければ開拓を続けていくことが出来ない。
領民と上手くやっていくには、外から集落にやってきた俺たちの存在が、領民にとって利益にならなければならないということだ。でなければ領民たちは異分子の俺たちを、徐々に排除する方向へと向かうだろう。
それに、領民が得られる利益というのは、判りやすい形になっていなければならない。
例えば今から何年も経って、ようやく領民の利益になるのでは遅すぎる。
最終的な結果を出す前から、俺たちは領民に利益を落とし続けなければならないんだ」
ケイはそこまで話すと、隣に腰掛けたレーネに小さく微笑み掛けた。
彼女は無表情のままではあったが、その表情にどう反応して良いのか若干戸惑った雰囲気がある。
ケイはそれを見てやはりレーネの様子が、いつもとは違うように感じた。
彼女が自分に、何を伝えたいのかは判らない。
だとすれば自分は出来るだけ彼女が話しやすい状況を――作り上げるしかないだろう。
ケイはその場に立ち上がると、左手で高台から眼下に広がる場所を指し示した。
「だから俺はこの近くの森を切り拓き、道を作った。
――それはもう、本当に大変だったさ。仲間がいなければとてもじゃないが、成し得ることは出来なかった。
切り拓いた森は、道にするだけじゃない。道の左右には畑を作って、作物を育てられるようにする。
ただ、その畑は自分たちが耕すわけじゃない」
「――ほう?」
その言葉に少し興味を抱いたように、レーネが口を開く。
ケイはニヤリと笑うとレーネの方へと向き直り、話を続けた。
「畑はすべて領民に貸し出す。だが、貸すと言っても実はお金は取っていない。
ただし、その畑で出来た作物の二分の一をこちらに一旦分けて貰う。
俺たちはその作物を、アンセルやアシュベル、場合によってはロアールまで行って売り捌く。
売ったお金は四分割して、それぞれ自治領への税金と、アンセルやアシュベルでの出店代、作物を作った領民と俺たちとで分配する。
もちろん作物を捌く際に、輸送の費用が掛かったらやっていけないだろう。
だが幸い資産と開門のお陰で、その部分の負担はゼロだ。
だから実質売る手間以外は、ほぼ利益になると言っていい」
そこまで話すと、レーネは初めて少し表情を緩める。
「なるほどな――。
じゃが、利益が見込めると言っても、決して大きく儲かるようには思えぬが。
それに作ったものが、確実に捌ける訳でもあるまい」
「ああ、何の仕掛けもなければな。
それこそ田舎から運ばれただけの野菜や果物が、何の話題もなくどんどんと売れていくなんて訳がない。
――そこで作物の売り子は、アシュベルはシルヴィアに、アンセルはセレスにやって貰っている」
その言葉を聞いて、レーネは如実に表情を顰めた。
そして見るからに蔑みを含めた視線で、ケイを斜に見る。
「お主、悪い男じゃな――」
だがケイはそういう反応を予期していたのだろう。あまり堪えた風もなく、笑いながら言葉を続けていった。
「それこそ人聞きの悪い。至って健全な話だよ。
何しろ宰相のオルガだって、わざわざ店を視察に来たぐらいだからな。
まあ、最初はセレスがミニスカート姿で野菜を売るのを嫌がりはしたんだが――おっと、これはまあいいか。
でも、どちらの店も美人のいる評判の店ということで、思った以上に良く売れてる。
後は森を切り拓いた時に出る木材を集めて、家を造っているんだ。
家を造るのはもちろん大工の仕事だが、その家を売った金は基本大工の利益にしている。
ただし、売った代金の一〇分の一を木材の代金として俺に納めるのと、俺が持っている土地の中に家を建てるのが条件だ。
今建設中の家は三軒なんだが、その家に住んだ人間には優先的に、森を切り拓いた時に作った畑を貸し出すようにしている。
それと、農作物にとっても生活にとっても、重要なのは水の供給だ。
水は近くの池から水路を引いて、それぞれに供給するようにしている。
戸数が増えたら川から引く必要が出てくるが、しばらくの間はこれで十分だろう」
「売った金は住民に入るが、その一部をお主に納める――。
話だけでは至極当たり前のことに聞こえるが、住民はそれで納得しているのじゃな?」
そうレーネが尋ねると、ケイは少しだけ得意げに言う。
「そう、やっていることは当たり前なことに過ぎない。
だが重要なのはその順番なのさ――。
例えば畑の話で言えば、畑を貸す段階でお金を取ればきっと上手くいかなくなる。
大工の話にしたって家が売れる前に、先に木材の代金を求めるのが通常だ。
だがそうしてしまえば、家を建てようとする大工は恐らく現れることがないだろう。
俺がこだわったのは働いた分の利益を受け取るのは、住民が先だということだ。
俺たちは事前に交わした約束に従って、住民が受け取った利益の一部を後で分けて貰っている。
何しろ俺たちは決して、王様や領主様じゃないからな。
住民の活動を支援する立場じゃないと、彼らの理解は得られない」
ケイが語った内容は、レーネにどれほど深く理解されたか判らなかった。
だが少なくともレーネは、目の前の男性が自分なりの考えを持ちながら、この街作りに挑んでいることに気づいただろう。
「――グレイスはどうしている?」
少し話題を切り替えるように、レーネはケイに尋ねた。
レーネはグレイスの叔母にあたる関係だ。彼女のことが気になったとしても当然のことだろう。
「グレイスにはフェリムの集落の方で、雑貨屋をやって貰っている。
生活に必要なものを一通り、集落に供給する役割だ。
今までカリスやアシュベルに行かないと入手出来なかったものが揃うようになったと、集落の住民に随分と喜ばれているよ。
とはいえある程度建てている家が増えてきたら、雑貨屋も俺の土地の方へと移転するけどな」
そこまで話すと、レーネが不意に立ち上がった。
ケイはその彼女を誘導するように、先ほどとは別の場所を指さす。
するとレーネはケイのすぐ側に立ち、彼の指さす方向を眺めた。
いつの間にかケイが指さした先の空は、少し明るくなり始めている。
「ここには憑代が稼げる迷宮もあるし、冒険者は比較的呼び込みしやすい。
無論、転移門に近づかせる訳にはいかないから、その辺は上手くやらないといけないが――。
ただそれを除けば、小金が稼げるという評判の場所に仕立て上げることが出来る。
元々集落に来る冒険者が少なめなのは、そもそも集落に到達するのが大変だからという側面が強い。
道を整備し宿や店が増えれば、きっと冒険者の数もどんどんと増えていくだろう」
「お主――さながら領主様と言ったところじゃな」
無表情でそう言ったレーネの言葉に、ケイは思わず苦笑する。
「そんな上等なものじゃないさ。どちらかというと、俺が一番下働きだからな。
例えば開門で毎日野菜を運ぶのは、俺の大事な役割なんだ。
早くシルヴィアあたりに開門の魔法を覚えて貰わないと、いつまでもゆっくりとした生活を楽しめそうにない」
ケイがそう答えると、レーネはそこで初めて微笑を見せた。
彼女がここに居続けられる時間には制限がある。
ケイはその制限までに出来るだけ自分たちの状況を、レーネに伝えたいと思っていた。
だが、それもそろそろ限界のようだ。
レーネは集落を離れねばならない時間が近いのか、ここまでの話に満足したように柔らかな口調で感想を述べた。
「何となくお主の近況が理解出来た。
お主は忙しいとはいえこの生活に満足し、充実した毎日を送っているように見える」
ケイは彼女の表情に僅かな寂寥を感じると、思わず静かに問い掛けた。
「レーネは――。
一人は寂しいか?」
その問いには、即座に答えが返ってこない。
ケイはそれに被せるように、もう一度口を開いた。
「あそこから長く離れる訳にはいかないだろうが、いつだって集落に来てくれていい」
どちらかというと、それはケイ自身の希望でもあった。
だが、恐らくレーネは拒絶するだろう。
そう予測しながら申し出た発言でもあった。
ただ拒絶されたとしても、それを言葉通りにとってはいけない。
この魔人は何しろ――素直ではないのだ。
そして、レーネはケイの予想通り、彼の申し出を拒絶した。
ところがその拒絶の理由というのが、ケイが思いもしないものだった。
「寂しくなどない――。
それにこの先もずっと、一人の生活が続くという訳でもないのじゃ」
さすがにその発言には驚いて、ケイがその真意を問い直す。
「えっ――?
ま、まさか恋人ができたとか!?」
焦って前のめりになって訊いた言葉に、レーネは呆れるように言った。
「何故そうなる。
――単に、子供ができただけの話じゃ」
「そ、そっか。子供かぁ――って、ええええええ!?
こ、子供ぉぉぉ!?」
ケイは驚きのあまり目を見開き、口をパクパクしながらレーネの顔を見つめる。
「何じゃ?」
「えっと、何て言ったらいい? おめでとう――?
で、でも、それにしても誰の――」
ケイがそう口走った瞬間、レーネは足を踏み出しながら激怒した。
そのあまりの勢いに、ケイも仰け反ってしまう。
「誰の、じゃと!?
――お主、私を何じゃと思っておる!?
誰にでも肌を許す、軽い女じゃと思っておったのか!!」
「何――だって――」
今度は別の驚きのあまり、ケイはジリジリと後退った。
彼の頭の中には、色々な記憶が去来しては消える。
ケイはレーネを見ながら何を発言したら良いのか、混乱して判らなくなっていた。
突然隕石でも落ちてきたかのような事象に、完全に固まってしまっている。
「チッ――。
人を孕ませておいて、何とも暢気な男じゃ」
「い、いや、だって俺とレーネは――」
「魔人同士。
私とてクランシーとアラベラの使徒の間で、子を孕む可能性など考えたこともなかった」
「――――」
その事実だけを取り出したとしても、十分に衝撃的なことに違いない。
クランシーとアラベラの使徒は、少なくともお互いを「力を奪い合う相手」と認識している。
だから他種の使徒同士で子供を成すなどということは、勝手にあり得ないと思い込んでいたのだ。
あまりのことにケイが戸惑いを隠せずにいると、レーネは少し俯きながら呟いた。
それは普段の彼女からは想像できない程に、表情を翳らせての言葉だった。
「しかし、私は後にも先にもお主しか――」
ケイはその呟きを聞き取ると、レーネと向かい合って彼女の両肩を掴んだ。
強いはずの彼女の不安げな表情が、正面からだとハッキリと判る。
「そうか――。
――いや、レーネ、嬉しいよ。
レーネがあそこから離れられないのなら、これから俺が何度も会いに行くようにする」
「ケイ――」
驚くほど従順に、レーネはケイの胸の中に身を寄せた。
背は高いが柔らかい身体を、ケイはそっと抱きしめる。
レーネはそうすることによって、少し心を落ち着かせたようだった。
抱きつくように背中に回された両手が、何とも温かくて心地いい。
だが一方でケイの方は、さすがに落ち着いてなどいられなかった。
結局レーネが集落まで来たのは、これを伝えるためだったのだ。
自業自得と言えばそれまでとは思うものの――これはグレイスたちに、何て説明すればいいのだろう!?
ケイは超難易度の課題を思いながら、途切れ途切れに乾いた笑い声を上げる。
どうやらこれから大変なのは、街作りだけではないらしい。
ふと見れば暗かった周囲は、次第に陽の日差しを浴び始めている。
まるでそれは新しい波乱と物語が、幕開けするのを象徴しているようだった――。
(Fragmentary Episode 2 『魔人の来訪』 了)






