009 覚悟
俺とグレイスは階段を下り、玄関ホールに到達する。
だが、屋敷から外への扉は堅く閉ざされていた。
「結界です。
ロドニーを倒さなければ――」
グレイスと俺が互いの顔を見合わせる。
両者ともに、額からは玉のような汗が滴っていた。
先ほどの爆発のせいだろう、グレイスの口の端には血の跡が残っている。
俺の回復魔法では、失った血までは元には戻せないから、流れた血はそのままだ。
俺は反射的に手を伸ばして、グレイスの口元を拭った。指先に柔らかい唇が触れる。
“一点突破”の戦術は、結果的に上手くはいった。
ロドニーの左腕は吹き飛び、ヤツに大きなダメージを与えたのは間違いない。
致命傷になっていない実感があったため、一旦退くことを選択したが――。
一方で、大きな問題も起こっている。
ニールの長剣が、“折れた”ことだ。
「グレイス、剣の替えはあるか?」
俺の問いかけに、グレイスは首を横に振った。
「――残念ながらありません。
魔力を通す魔剣ではなかったのですが、これはこれで、強力な剣ではありましたから」
「とすると、俺たちには有効な攻撃手段がない。
魔法で闘うという選択肢も、あるにはあるが――」
それが絶望的であることは、俺もグレイスも声に出さずとも判っている。
さらに撤退しようにも、結界から出られない。
「――――」
「――――」
俺とグレイスは、再び無言で見つめ合った。どちらも、息が上がって荒い。
有効な手段を提案出来ない俺たちは、そのままお互いを見つめ続ける他なかった。
ただ荒い息遣いだけが、時間が過ぎ去っていることを教えてくれる。
と、その時、ロドニーのいた部屋の方向から、大きな魔力の動きが感じ取れた。
間違いない。ロドニーはもうすぐ“ここ”へ、やってくる。
「手段は――あります」
グレイスは何かを決断したように、俺に向けて口を開いた。
このタイミングで手段の提案があると思っていなかった俺は、目を大きく見開いてグレイスを見据える。
グレイスは俺の表情を見ると若干怯んだように、小さな呟きを発した。
「ただ、その――いろいろ、覚悟がいるんです」
「何だ、覚悟って!?」
微妙に歯切れの悪いグレイスに詰め寄ってしまう。
グレイスは、余裕のない俺の表情を見た後、すぐに顔をあさっての方向へ背けながら言った。
「――この手段を執ると、わたしは魔力の殆どを消失してしまいます。
なので、この後、わたしはほぼ闘えません。
それと――」
今度はハッキリ判るほど、顔を赤らめながら、俺の方を窺うように言う。
「お願いがあります。
決して疚しい気持ちを抱かないでください――」
「や、疚しい――?」
何のことか良く判らず、思わず聞き返してしまった。
と、そのときロドニーと思しき大きな足音が聞こえてくる。
間違いない、ロドニーはもう近くまで来ている!
「わかった。
兎に角可能性のあることに賭けたい。でないと後悔すら出来ない」
俺はそう言いながら、真剣な目でグレイスを見詰めた。
グレイスはその意を汲んだのだろう、静かに目を閉じて――魔法の詠唱を始める。
俺はこの世界に来て、魔法の詠唱というものを聴いたことがない。ということは、グレイスがやろうとしていることは、恐らくこの世界において、特殊なことなんだろうと思った。
そういう心の準備が出来ていたので、その後に起こった、とっても特殊なことにも驚かないと思いたかったのだが――。
流石にこの後のグレイスの行動に、俺は素直に驚いた。
グレイスは詠唱を終えると、自らの上着とシャツを一気に引きちぎるように“はだけた”。
いくつかのボタンが飛び、上着とシャツに押さえつけられていたのであろう、まさに驚くボリュームの双丘が、僅かな布に包まれて現れる。
更にグレイスは、呆気に取られている俺の両腕を取り、自らの双丘に押しつけた。
俺は条件反射のように、手に余る“それ”を鷲掴みにする。
グレイスは遠慮のない俺の手の動きに、目を瞑りながらも表情を歪めた。
「な、何を――!?」
古典的お約束どころではない状況に狼狽えつつも、しっかり役割を果たしていた俺の手が、突如強烈な光に包まれていく。
視界を奪うほどの強い光に埋もれた俺の両手に、何か堅い柄のような感触が生まれたのが判った。
俺はその柄をしっかりと掴むと、ゆっくりと光の中から引き出していく。
間違いない、俺の手に握られているのは二振りの剣だ。
俺がグレイスの胸元の光から完全に剣を引き出すと、光は急速に集束し、彼女が膝をついて崩れた。
俺は慌ててグレイスを、腕と身体で抱き支える。
大きく開いた胸元が眩しい。
「これは――?」
俺は自らの両手にある、二本の剣を見て尋ねた。
右手に握った剣は燃えるような赤、左手に握った剣は凍てつくような紫に染まっている。
「それは――」
グレイスが、剣を持つ俺の手にそっと触れた。
「魔人を倒す、“魔人の剣”。
炎帝の剣、フランチェスカと、氷帝の剣、ヴァイオラです」
二階の扉が開き、姿を現したロドニーがゆっくりと階段に向かい始める。
「魔人の剣――」
俺はグレイスの発言を繰り返すように、呟いた。
「ケイ、あなたに託します。
ロドニーを――魔人を、討ってください」
グレイスが微笑む。
ほんの少しだけ回復したのか、グレイスは自分で身体を支えられそうだ。
俺は彼女を少し離れた場所に座らせると、ロドニーと対峙すべく、玄関ホールの真ん中に立った。
見れば、ロドニーはゆっくりと階段を下り始めている。
その間に、俺は手に持った炎帝の剣と氷帝の剣を凝視した。
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【装備名】
炎剣『フランチェスカ』
【種別】
魔人剣(ユニーク)
【ステータス】
H P:上限+100
S P:8秒ごとに10低下
筋 力:+50
魔法力:+50
攻撃力:+843
【属性】
炎
【スキル】
火属性魔法+3、火属性耐性+5、水属性耐性+1、魔力増幅
【装備条件】
契約者および契約者が認めた人物のみ
【希少価値】
S
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【装備名】
氷剣『ヴァイオラ』
【種別】
魔人剣(ユニーク)
【ステータス】
H P:上限+100
S P:8秒ごとに10低下
精神力:+100
魔法力:+100
攻撃力:+781
【属性】
水
【スキル】
水属性魔法+4、火属性耐性+1、水属性耐性+5、魔力制御+2、魔力増幅2
【装備条件】
契約者および契約者が認めた人物のみ
【希少価値】
SS
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――ヤバい。
見間違えかと思ってしまった。
両手の剣で、8秒ごとに20のSPが吸い取られていくハンデはあるが、俺の錫杖はもとより、グレイスが使っていたニールの長剣とは別次元の武器だ。
何となく炎帝の剣の方が強いイメージがあったが、左手の氷帝の剣の方が格上の武器らしい。
両手の武器を確認している間に階段を下りてきたロドニーは、俺の手の中にある二振りの剣を見て、驚きの表情を見せた。
「――!
何と、それはユルバンの装備ではありませんか。
長い間、行方知れずと聞いていましたが、よもやこんなところで見つかるとは――」
俺はそれを面倒くさげにあしらった。
「御託はいい。早く始めようぜ」
俺は、ロドニーの左腕が修復しようとしているのが気になっていた。
恐らくロドニーがここまで時間を掛けてゆっくり追ってきたのも、それが原因だ。
今、俺のSPは田舎タクシーよりも時間効率の悪い、減少チャージがされている。長い時間は保たない。
勝負を早くするに越したことはなかった。
「――良いでしょう。
どちらにせよ、私のものになる力でしょうから」
そういうとロドニーは邪悪に笑った。
残念ながら、俺は剣術の心得がない。
純粋に武器の力でどれ程闘えるのか、まさに腕試しだ!
俺は先制攻撃とばかりに右手に持った炎帝の剣を振るった。
ロドニーはそれを右手の鉤爪で受け止めようとする。
俺としては、受け止められた後、氷帝の剣を経由して、魔弾を叩き込むつもりだった。そうすれば危険なロドニーの右腕を押さえたまま、攻撃出来るからだ。
ロドニーの左腕はまだ修復されていない。右腕を押さえ込んでしまえば、かなり有利に闘えると考えた。
だが、俺は大きく体勢を崩すことになる。
「何――!」
炎帝の剣はロドニーの鉤爪をあっさりと“斬り去って”しまった。
周囲に鉤爪の残骸が金属音と共に飛び散り、ロドニーの右手には拳大に短くなった鉤爪が残る。
俺はバランスを崩しつつ、身体を一回転させながら、今度は左手の氷帝の剣をロドニーの胴目がけて振るった。
ロドニーは改めてそれを短くなった鉤爪で受け止める。
だが、ガチッという金属音が響いた直後、ロドニーが悲鳴を上げた。
ヤツの右腕が一瞬で凍結したからだ。
俺は直ぐさま右手の炎帝の剣に魔力を込め、剣を袈裟懸けに振り抜いた。
すると、魔力が増幅され、その剣勢は炎弾となって撃ち出される。
ロドニーは水壁を張ったが、炎弾はそれを突き破り、凍結したロドニーの右腕にヒットした。ロドニーの右腕は凍結した直後に熱せられ、急激な温度差で粉々に粉砕される。
「なっ――。
ユルバンの失われた武器には、これほどの威力が――」
ロドニーは信じられないという表情だ。
もちろん、俺だって信じられない。
ロドニーは対峙した俺に向けて、今度は口元から大きな魔力の塊をはき出してくる。
俺は咄嗟に炎帝の剣と氷帝の剣を交差させて防ごうとした。
直後、闇属性魔法らしき黒い塊が、二本の剣で作られた壁に激突して霧散する。
俺は交差させた二本の剣を、ハサミを絞るように真っ直ぐにして、ロドニーの胸元に飛び込んだ。
俺には剣術も何もない。
これは俺の感情を押し包んだ、単なる“突進”に過ぎないのだ。
だがその単純な攻撃は、ロドニーの胸に驚くほど簡単にズブリと突き刺さった。
金属音は全くない。
二本の剣は、今までのロドニーの硬さがウソのように、滑らかに吸い込まれていく。
「――バカ――な――」
ロドニーが青黒い血液を吐血した。
ヤツは二本の剣が突き刺さった胸からも、夥しい出血をし始める。
俺が手に持つ二振りの剣は、至近距離の中で片方が加熱、もう一方が凍結を促進していた。
急激な温度差に耐えられず、ロドニーの身体がどんどん内側から崩壊してくいくのが感じられた。
俺はロドニーを凝視する。
ヤツのHPの値が――もの凄い勢いでなくなっているのが判った。
そして、その値がゼロに到達した瞬間、ロドニーの膝がガクリと折れる。
倒れたロドニーの身体は、全体が真っ黒な煤のように変わった後、あっさりと周りの空気に溶けて消滅してしまった――。
「――見事です」
掛けられたグレイスの声に、我に返る。
「終わった――んだよな?」
「ええ。ロドニーは消滅しました。
魔人に“死”はありません。消滅するだけです」
「――あまりにも呆気ない。これまでの闘いが嘘みたいだ。
いや、違うな――この剣が強すぎるんだ」
俺は思った感想をストレートに表現した。
もっと苦戦すると思っていたのだ。だが、あっさりとロドニーは消滅してしまった。
俺が上手く闘ったという訳じゃない。
――この剣が、恐らくこの世界においても、常識外れに強いのだ。
「ケイ、剣を」
グレイスに促され、俺は炎帝の剣と氷帝の剣を手渡した。
すると、グレイスは受け取った二本の剣を眺めながら言う。
「――わたしは、魔人を追う運命を負っています」
グレイスは二本の剣を受け取ると、何か小さな呪文を唱えて、消滅させた。
そして、俺の方へ向き直る。
「あなたの力がなければ、ロドニーを倒すことは出来ませんでした。
――感謝します。ありがとう、ケイ」
グレイスはそういって、にっこりと笑顔になった。
畜生、闘いで姿が乱れてはいるが、相変わらず魅力的だ。
「俺は俺の目的で闘っただけだ。ヤツを倒さなければ、その後も無かったし。
何にしても二人とも無事に済んだし、“いい目”もみさせて貰ったし、一件落着だな。ははは」
「――――」
グレイスは俺の言葉の意味を捉えて、開いた胸元をキュッと隠した。
「――ケイ、それで、あなたはこの後どうするのですか?」
グレイスの質問に、俺は微笑みながら答える。
「グレイスに色々と教えて貰うという約束はあったけど――。
ちょっとその前に、やるべきことが一つあってね」
俺は頭の中にある内容を敢えて口にせず、そう言った。
「今、こんなことを聞くべきではないのかもしれませんが――」
グレイスが風に吹かれる前髪を掻き上げながら、声を掛ける。
俺とグレイスの姿は、教会の近くにある、小高い丘にあった。
周囲は既に、日が差し始めている。
俺は、教会を見渡せる気持ちのいいこの場所に、アスリナを葬ることにしたのだ。
穴を掘って、アスリナを埋葬した俺は、小さな墓標を立てて、手を合わせた。
クランシーのお祈りが良かったのだと思うが、生憎俺はクランシーの祈りを知らない。
大体俺は順応しすぎているぐらい、この世界に、この状況に順応していた。
何でも冷静に、その場の最善解を求める性格が、そうさせているのだとは思うが――。
諦めが良すぎるのだろうか?
――会社はどうなったんだろう? 久木部長や加茂田は?
親や友達は、俺がいなくなって――。
現代の神隠しは、周りにどう捉えられているんだろうか――?
色々な考えが渦巻くが、今は考えるのをやめよう。
考えても、どうにもならない。
俺はこの状況の中で、最善の答えに辿り着くしかない。
辿り着く先が、この世界から、元の世界へ戻る手段になるのかもしれない。
辿り着く先が、この世界で、生き続けることなのかもしれない――。
俺は言葉を止めたグレイスを、促すように振り返る。
グレイスは俺が置いた小さな墓標を見て、言葉を続けた。
「――好きだったのですか?」
俺はフッと笑うと、それに答える。
「――いいや。
でも、世話になった。
アスリナがいなかったら、俺はここで、どう生きたらいいのかも判らなかった」
「そうですか」
グレイスは、俺の隣に座ると、俺と同じように手を合わせた。
「――安らかに」
グレイスの美しい祈りの声が、俺の心にも染み渡った。
「この後、どうされるのですか?」
「それ、さっきも聞いたな」
俺は苦笑しながら、グレイスに言う。
もちろん、俺個人の動向に興味を持って貰えること自体は悪い気はしないが――。
グレイスは流石に突っ込み過ぎたと思ったのか、少し頬を赤らめていた。
「教会にはロドニーもアスリナもいない。そこに不審な男がいたら、住民はどう思うか。
――それを考えたら、俺はここにいることは出来ない。
もちろん旅する用意もなければ、金もないけどな。
でも、ここまで五体満足でいることを考えたら、どんなやり方でも生きていけるんじゃないかと思うよ」
俺はそういって笑う。
目的はないが、ここから離れなければならない。
それがこれからの俺の行動だ。
「ここから西に――」
グレイスが西を指さして言った。
「ここから西に行けば、この国の港町、アシュベルがあります。
人種が入り乱れていますので、多少のことでは不審に思われることはありません。
冒険者ギルドが盛んで、登録してお金を稼ぐことも出来ます。
そこへ向かいましょう」
「なるほど。それはいいかもしれない。
――って、あれ? グレイスも行くのか?」
素で訊いてしまった俺の質問に、グレイスが声を大きくして答える。
「何を言っているんですか。
闘いが終わったら、色々教えると約束したじゃありませんか――!」
微笑むグレイスはそう言うと、俺よりも先に、西へと歩き始めるのだった。
(第一部 了)