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美女と賢者と魔人の剣  作者: 片遊佐 牽太
プロローグ
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 それは、自らの目を疑う光景だった。


 俺の自宅は、街のラブホテルが立ち並ぶ場所の側にある。

 何を隠そう、家賃の安さに惹かれて契約したマンションだ。気取った雰囲気で、それなりにオシャレではあるのだが――何しろ場所がよろしくない。

 こういうところに暮らしてしまうと、副作用としてラブホテル街のど真ん中を歩くことに、抵抗がなくなってしまう。

 とはいえ、どうせ独り身の俺が“会社の誰か”とそこで出会ってしまったとしても、後ろめたいことは何もない。


 そう、思っていたのだが――。



 ――その日、会社終わりの俺が夕食を取り、お酒アルコールの助けを借りながら気持ちよく帰宅の途についたのは、深夜も近い時間だった。

 少し近道をしようと考えた俺は、ラブホテル街の真ん中を突っ切るルートで帰宅することに決める。食事をして帰る日以外は通らない道ではあるが、ここを通る方が数分であれ早く自宅に着く。


 会社の誰かと鉢合わせしたら――ここを通る度に、そんなことを少しだけ考える。

 だが、そんな考えを何度もシミュレーションしてしまうのは、そういう可能性は殆どないと思っているからだ。

 それだけに俺は、その日談笑しながら腕を組み、仲むつまじく歩く一組の男女を見て、自分の目を疑ってしまった。


久木ひさき部長に加茂田かもだ――?」

 会社の誰かと会っても、何も後ろめたいことはない――。

 そう言っていたのに、いざ自分が取った行動は、“身を隠す”というものだった。

 咄嗟に取ってしまった行動に、自分が情けなくて思わず苦笑が漏れてしまう。


 ――間違いない、自分が歩いている向かい側に見えるのは、四捨五入で十の桁が“五の方”に入ってしまう年齢としの女上司――久木部長と、俺の同期の加茂田だ。

 俺が今年で二十八歳だから、加茂田が大学で遊んで留年していなければ、同じような年齢に違いない。となれば、二人には親子に近い年齢差が存在する。


 ちなみに彼女たちが出てきた場所は、所謂いわゆる「お楽しみでしたね」という言葉を掛ける場所だ。思わず二度見して確認してしまったが、出てきた場所は間違いない。


 俺は――今日会社で起こった“出来事”を知っていなければ、目の前の光景を即座に胸の内に仕舞い込んだに違いなかった。年齢や立場はどうあれ、自由恋愛にケチを付けたくはないからだ。


 だが、今日会社で起こった“出来事”と目の前の光景を結びつけると――俺の中に何とも言えない、モヤモヤした気持ちが起こってしまう。

 だからどうする、ということでもない。

 しかし、この絡繰からくりに気づけなかった自分が、何とも悔しいのだ。


 ――今日俺の会社で、営業成績の良くない加茂田が、マネージャーに昇格する人事が発表されていた。

 ヤツを引っ張り上げたのは久木部長だ。正直俺だけでなく、会社の多くの人間が、何故加茂田なのか?という疑問符を付けていたに違いない。

 もちろん、これが理由だとは思いたくはない。

 だが、これを関連づけるなというのも――無理だ。



 俺は何とも言えない気持ちを抱えながら、いつもは歩かない細い路地に入り込む。

 路地に入らず通りを真っ直ぐ歩けば、俺の存在を久木部長や加茂田に気づかれてしまう可能性が高かった。

 もちろん先ほども言った通り、気づかれたところで俺自身には何ら後ろめたいところがない。

 だが俺は、それは“避けておいた方が自分のためだ”と感じていた。


 ――鉢合わせればどうなるか?

 久木部長は俺を懐柔しにくるだろうか? 加茂田はどうするだろう? 性格の歪んだヤツのことだ。場合によっては俺を潰しにくるかもしれない。――いや、逆もあり得る。土下座して何とか秘密にしてくれと言われたら? 俺はそれを了承するのだろうか――?


 ――そういったことを考えると、どのパターンに落ち着いても面倒くさい。

 だから俺は身を隠すことにした。知り得た事実カードは、どこか最適な場所で切るようにした方がいい。そして、きっとそれはここではない。



 暗すぎる路地裏は、単に歩くだけでも困難だった。

 ラブホテル街の路地裏などという場所は、正直ろくな状態にはなっていない。

 最悪なことに、その路地は足を進めるのも困難なほど、荷物やゴミが積まれていた。


 方向としては、ここを抜ければ自宅に近いはずなのだが――明るい通りから急に路地に入ったため、なかなか夜目が利かない。

 こんなところで暗闇に慣れるまで待つというのも気が引けたので、俺はそっと慎重に足を進めて行った。

 もはや何故自分がこんなところでコソコソと歩いているのかよく判らないことになってしまっている。だが、お酒アルコールの力もあるのか、俺は至極淡々と細い路地を歩き続けた。


 その時だった。

 自分から数歩とも離れていない裏路地の地面が、急激に真っ白な光を放った。

 何か特定の物体が光ったというよりも、地面全体が強烈な光源となったというのに近い。

 俺の目は路地を歩くことで緩やかに暗闇に慣れ掛けていたが、この光によって完全に視力を失ってしまった。

「うわっ!!」

 我ながら情けない、格好の悪い声を上げたものだと思った。

 だが、そのあまりの光量に、俺は爆弾でも爆発するのかと思ってしまう。

 これまで自分の死に場所を積極的に選びたいと考えたことはないが、さすがにラブホテルの裏でゴミにまみれて死ぬのは御免だ。


 俺は、慌てて身体をよじり、その場で起こる“何か”を咄嗟に回避しようとした。

 ところがそれが仇となって、俺は完全に足下の荷物に足を取られてしまう。

 結果、無様に頭を突き出し、ヘッドスライディングのように前のめりに転倒してしまった。

「――何っ!」

 見知らぬ男性の声が聞こえた。俺は何だか良く判らない物体に、頭突きをしてしまった感覚がある。

 目の前が真っ白なままの俺は、自分の身に何が起こっているのかも理解できないまま、激しく体が浮くような、それでいて沈み込むような感覚を覚えた。


 そして――俺はがらにもない絶叫を上げたまま、プツリと意識を失ってしまったのだ――。





 ペチッ、ペチッと頬を刺すような痛みがある。

「――おい、いつまで寝ている」

 その声がハッキリ知覚できた。

 頬の痛覚もあるし、知覚した声が男性のものだということも、ちゃんと判断出来ている。

 声はしわがれた印象がある。恐らく――この声の持ち主は、若くはない。


「――起きておるのだろう?

 立ち上がって儂の話を聞くのだ」

 俺は、声に導かれてゆっくりと目を開いていく。

 見開いた目に何も映らなかったことで、夜目に慣れていないといった理由や、目が霞んでいるといった理由を思いついた。だが、多少の時間が経過しても、俺の目には何も映ってこない。

 どうやら明るさに慣れていない訳でも、目が霞んでいる訳でもなさそうだった。


 周りは完全に、暗闇が支配している。

 だが、俺が目を開けているからそう思うだけで、目を閉じても暗闇であることに変わりはない。――要するに目を開けても閉じても、真っ暗で何も見えない。

 空間には上下があるようで、床の存在も感じる。俺はその中で、寝転ぶ体勢で倒れていると思われた。

 俺は何もない真っ暗な床に手をつくと、身体を起こし、胡座あぐらをかいて座る。

 あまりにも暗すぎて、身体の中に宙に浮いているような感覚が生まれてきた。自分の存在している空間の広さを、全く知覚出来ない。

「――まあ、いいだろう」

 その声は俺の左側から聞こえた。俺は声に導かれるように、左側に目を向ける。


 そこには見たことのない白髭を蓄えた老人がいた。

 顔には深い皺が刻まれ、年齢を推測すれば、優に七十歳は越えていそうに思う。髪はフサフサとしているが、色は真っ白だ。


 そして異様なのは、その老人が何もない暗闇に、片膝を立てて座っているように見えることだろう。

 どう見ても宙に浮いているようにしか見えない。自分の三半規管が混乱し始めたのを感じる。


 その老人は、俺が目を向けたのを確認すると、静かに尋ねた。

「今の状況は判るかね」

「――いや」

 周りを見渡すが、本当に暗い。

 ところがその中にあって、老人と俺の姿だけは、見えない光源でライトアップされたように、明るく色づいて見えている。

 俺は確かに床に座っている感触がある。だが、ライトアップされている俺も老人も、影が存在していない。そこから考えても、これは特殊な空間に違いなかった。だとすれば――次は自分がちゃんと“目覚めているのかどうか”を確認しなければならない。


「いいだろう。無理に理解しようとしなくても良いので、しっかり儂の話を聞くのだ。

 ――まずここは、おぬしが住んでいた世界ではない。

 かといって異世界という訳でもない。

 強いて言えば世界と世界の狭間にあたる」

「世界と世界の狭間――」

 荒唐無稽こうとうむけいな話を聞かされる。

 聞こえる言葉も身体に感じる感触もリアルだ。

 これだけ五感がハッキリしていながら、これが夢だというのなら、別の意味で驚きがある。


 俺は咄嗟に、自分がこの空間をどう捉えるかというよりも目の前の老人の話を優先して聞こうと考えた。

 それは、これが夢であったなら大した判断ではなかったのかもしれない。

 だが万が一これが夢でないのだとしたら――ここでしっかり情報を得られるかどうかが、今後に大きく影響する可能性があると考えたのだ。


 老人は、そのまま俺に向かって話を続けていく。

「儂はクランシー神の使徒だ。先ほどお主が住んでいた世界から、フロレンスの世界へ移動するところだった。

 その途中であろうことか、儂の尻にお主が頭突きを喰らわせたゆえ、魔法陣が歪んで二人とも世界と世界の狭間に落ちた」

 自分が置かれた状況はさておき、思わず吹き出しそうになってしまう。

 何かに頭突きしてしまったと思ったが、よりにもよって老人じいさんのケツだったとは――。

 何にしてもラブホテルの裏で、老人のケツにヘディングして死ぬのは絶対に勘弁して貰いたい。しかし、こうなった以上は何としても無事に元の世界に戻りたいところだが――。


「なるほど――。

 何かよく判らないものに頭突きをした感覚はあったんだが、あれはあんたのケツだった訳か」

「茶化すでない。

 ――殺意でもあれば避けられたが、あまりに不意で避けられなかった」

 殺意という言葉が、何となく不穏な雰囲気をかもし出す。

 俺は不穏な空気を振り払うように、話の立て直しを図って単純な疑問をぶつけてみることにした。

「それで――ここから出るのはどうすればいいんだ? 目が覚めれば元に戻る、とかでもいいんだが」

 そういうと、目の前の老人はニヤリと笑った。

「この世界の狭間から抜け出すことは不可能ではないが、その前にやっておくことがある」

 老人の笑みは、余り品の良い笑みではない。何となく嫌な予感を抱きながら、俺は目の前の老人に頼んだ。

勿体もったいぶらずに何が必要なのかを言ってくれないか」

「一つだけ、お主に約束して貰いたいことがある。

 ――儂とこの空間で会ったことを、誰にも言わないで欲しいのだ」

 比較的平易な内容で助かった――と思った俺は、それを何でもないことのように伝えた。

「そんなことか」

「――そんなことではあるのだが、儂は少々疑り深い性分でな。

 できればお主と“魔法”で約束を交わしたいのだ」

 真面目に「魔法」などという言葉を聞くと思っていなかった俺は、問い返すようにその言葉を繰り返した。

「魔法? 魔法ってアレか。呪文を唱えて、火が出たり、爆発したりする――」

 俺の言葉に老人が、思わず笑い出す。

「そうだ、そうだ。

 その“魔法”だ。

 ――火が出たり爆発はしないが、お主が儂のことやこの空間のことを話せないようにする、“制約”を掛けることになる」

 その程度なら――と思わなくもないが、正直訳の分からない施術を受けるのは気分の良い話ではない。

 徐々に夢も現実も良く判らないような話になりつつあるが、いまいち乗り気にならない俺を見て、老人は気になることを言い始めた。

「制約の魔法は単なる制約とはいえ、契約コントラクトの一種だ。

 契約コントラクトというのは、差し出したものに対する対価を得るためのものだから、お主は制約を受ける代わりに、一つの能力を手に入れることができる」

「能力?」

「左様。

 お主のいた世界では考えられないような能力を身につけることができるぞ。

 ――例えば誰よりも速く走る能力。それに誰よりも魔力量が多くなる能力。

 誰よりも豊富な知識や、透視する能力など――」

「と、透視!?

 途轍とてつもなく男のロマンをくすぐるキーワードだ――ううむ」

 ――いや、待て待て。

 おねーちゃんたちの裸が見れたところで、単に見えるだけじゃあ逆に生殺しじゃないか。


 ――俺がここで採り得る選択肢は、まず制約を受けるか受けないかというものだった。

 制約の魔法を受けなかった場合、そもそも老人が俺をこの空間から出してくれなくなる危険性リスクがある。これが夢ならそんな危険性リスクなど関係ないが、夢でなかった場合は目も当てられない。

 逆に制約の魔法を受けた場合は、老人は俺をこの空間から出してくれる可能性が高い。

 そしてこれが夢なら制約を受けても何ら問題は起こらないだろう。

 逆に夢でなかった場合は、制約は受けてしまうが、代わりに一つの能力と、この空間から出られるという引き換え条件を得られる。


 そう考えれば、俺が採るべきなのは、制約を受けるという選択肢だ。


 制約を受けるなら、万が一夢でなかった場合を考え、得られる能力はしっかりと考えておくべきだ。


 ――そう思った瞬間、何故か俺の脳裏に久木部長と加茂田の顔が浮かんできた。

 正直さっさと忘れたい出来事ではあるが、一方で俺はあの光景を見なければ、何故加茂田がマネージャーに抜擢ばってきされたのかという本当の理由を、永遠に理解することがなかっただろう。

 ――最終的にどう行動するかは後のことだ。問題は、最適な行動を行うための“情報”が最初に得られるかどうかだ。

 そう考えると、ふと頭に浮かんだ一つの考えが、次第に確実な形を作り出してくる。


「――よし、決めた。

 制約を受け入れる。

 その代わり、人や物など、あらゆるものの詳しい状態が判る能力が欲しい」

 俺がそう言うと、老人は俺を見てニヤリと笑った。

「――ほう、お主にはそれの価値が判るというのか」

 老人の価値観でも、俺が考えた能力の価値は高いのだろうか?

「知るだけではどうしようもないことも多いが、知らなければどうしようもないこともある」

 俺は自分の選んだ能力に対して、自嘲じちょう気味に言ってみる。

「――了解したぞ。

 その能力と引き換えに、お主に制約を課すことにしよう」

 そういうと老人は右手を挙げ、人差し指で何やら空間に文字のようなものを描いていく。

 その文字は不自然に自ら発光し、何やら不可解な図形のようなものを形作っていった。

「――魔法――陣?」

「そうだ。

 制約を施し、この空間より転移する」

 もはや夢なのかそうではないのか、良く判らない状態になっているのだが、俺は魔法陣を描く老人を見て、素直に感心してしまった。

「じいさんは――神様だったりする訳か?」

「いいや。

 儂はクランシー神の使徒に過ぎん。

 お主に頭突きを喰らって、失敗もするしな」

 ニヤリと笑った老人が、妙に白く揃った歯を見せる。


 俺は徐々に魔法陣が放つ光に包まれていき、身体が浮き上がるような感覚を覚え始めた。

 ――この空間に来る前と同じだ。正直、あんまり気分はよろしくない。

 確実に魔法陣の光を受けた俺を見て、老人は再びニヤリと笑い出した。

 品が良くないだけに、その笑みを見ると、どうしても嫌な予感がしてしまう。


 ――だが、この時ばかりはその予感が“的中した”。


「そうそう、一つ伝え忘れていたことがあった。

 ――儂はお主のいた世界から、“フロレンス”の世界へ移動する途中だ。

 なのでお主はこの空間から抜け出すことは出来るが、お主のいた世界ではなく、“フロレンス”側に落ちる」

 俺はその発言を聞き、少し考えた後でその意味に愕然がくぜんとなった。

「――は? それってまさか――!!」

 床から強烈な光が立ち上がると、その光は俺の視界を完全に奪おうとする。

 視界が完全に奪われる直前に見た老人は、あの品の悪い笑みを浮かべていた。

「諦めろ。

 儂はこの空間から抜け出せるとは言ったが、元の世界に戻すとは一言も言っておらん。

 まあ、“フロレンス”から、ひょっとしたら元の世界に戻る手段が見つかるかもしれんて」

「畜生、だましやがったな!!」

 これが夢で、覚めてくれれば――という思いが一瞬ぎった。


 このままでは俺は元の世界に戻らずに、異世界に落ちることになってしまう。

 だが、老人を掴もうとした俺の手は空を切り、俺の意識は薄れていく。


 俺はそれに抗うように、再び絶叫した。

 その言葉が老人に届いたのかどうかは判らない。

 直後、俺の意識は完全に途絶えてしまい、抵抗むなしく今日二度目の暗闇の中へと落ちていくのだった――。




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