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①②③

タイトル 『輪廻転生――怨霊の怨霊による怨霊の為の演奏(ライヴ)――』


四〇〇字詰め原稿用紙換算枚数……284枚 〔40字×36行〕



「吾ふかき罪におこなわれ(しゅう)(うつ)浅からず。すみやかに功力をもって、かの(とが)を救わんとおもう莫大の所業を、しかしながら(さん)悪逆(あくぎゃく)になげこみ、その力をもって、日本国の大魔(だいま)(えん)となり(こう)を取って(たみ)となし、民を皇となさんと」




かなしこの経を魔道に廻向(えこう)して、魔縁と成って遺恨と報ぜんと仰せければ、この由都へ聞えて御有様見て参れとて、康頼を御使に下されけるが、参りて見奉れば、柿の御衣の(すす)けたるに、長頭巾を巻きて、大乗(だいじょう)(きょう)の奥に御誓状を遊ばして、千尋(ちひろ)の底に沈め(たま)ふ。その後は爪をも切らせ(たま)わず、御髪をも剃らせたまわで御姿を(やつ)し悪念に沈み(たま)いけることおそろしけれ。 〔源平盛衰記〕




一段の陰火、君が膝の下より燃上りて、山も谷も昼のごとくあきらかなり。光の中につらつらの御気色を見たてまつるに、朱をそそぎたる竜顔(みおもて)に、(おどろ)(かみ)(ひざ)にかかるまで乱れ、白眼(しろまなこ)を吊りあげ、熱き(いき)をくるしげにつがせ(たま)ふ。御衣は柿色のいたうすすびたるに、手足の爪は獣のごとく生ひのびて、さながら魔王の(かたち)、あさましくもおそろし。 〔雨月物語〕



――生きながらにして天狗の姿にならせたもうぞあさましき 〔保元物語〕


「松山の浪にながれてこし船の

やがてむなしくなりにけるかな」 〔雨月物語〕

























「瀬を早み 岩にせかるる滝川の われても未に あはむとぞ思う」 


滝の水は岩にぶつかると二つに割れるが、すぐまた一つになるので、現世では障害があって結ばれなかった恋人達も、来世では結ばれましょう。






















〔1〕 怨霊座


 京都府京都市――


 自分でも狂っているとは思う。

 天上院顕(あき)(ひと)は、自らの過去を振り返りながら、白峰神宮の境内の傍らにある、寂れた石碑を見据えていた。梅雨の始まりを迎えた頃、灰暗色の空の下で、今にも泣きだしそうな形相を浮かべている青年は、安物のシャツにジーンズと冴えない身なりで、傘も差さず茫然と立ちつくしていた。

 境内の幾本かの松の木は、寂しげに雨に打たれ、項垂れている。降り続く雨のせいか、境内には顕仁の他は誰もいない。神主でさえも、社務室に控えて、テレビを見ている始末である。

 慰霊碑には――崇徳天皇歓迎之碑――と彫刻されている。

 日本史の授業で習った事がある。そう遠くない記憶の糸を辿る。

 この石碑は、人が怨霊を信ずる証なのだ。顕仁は、小さく手を合わせ、言葉など発しようもない石碑に語りかけるのであった。

「貴方は、どこか俺に似ている――俺は、いや、俺には分かるんだ。貴方の気持ちが――」

 顕仁は高校三年生だった。世間ではただの子供(ガキ)だろう年頃である。しかし、顕仁自身は、そのような心境に至った事はない。少なくとも同い年の高校生と同レベルで見られていると思うだけで吐き気を催すのだ。――俺は普通ではない。

 ずっと、そうやって自分自身に言い聞かせてきたのだ。そうしなければ、普通を装っている自信が無かった。

 友人が居ない訳ではない。寧ろ、友達には恵まれていると思う。だが、世間的に云う、普通な友人達では無いのかもしれない。彼らは変わり者なのだ。

 変人奇人の類と呼んでもいい。

 同じ組に在籍する御影吉秋だってそうだ。小説家などと訳の分からない職業を目指しながら昼休みになるといつも、机の上に文庫本を拡げながら、孤独に自分の世界に浸っている。時折、顕仁が、機嫌良く話しかけても、「ふん」 とか 「何だよ」 とか曖昧な返事しかしない。が、どことなく大人ぶった雰囲気が自分自身に似ていたのか、顕仁は吉秋を気に入る様になった。

 何でも吉秋はホラー小説を書くのを趣味としているようだ。

 顕仁は何度か彼の小説を読んだ事がある。授業中に教師の目をこっそり盗んで、机の下に吉秋が書いた小説を幾度となく拡げていた。

 駄作だった。

 全く面白みのない、何の恐怖さえも感じない下らない日記だった。

 顕仁は、吉秋に何度も忠告したことがある。小説家など目指すのは辞めた方がいいと。けれど吉秋は断固としてその忠告を拒絶していた。普段、大人しい吉秋は、その時ばかりは腹を立てた様で、顕人の胸倉を掴み、もう二度と忠告などしないようにと、忠告し返したのだ。

 変わっているが、心は腐っていない。

 顕仁は吉秋を羨ましく思った。夢に向って一直線に突き進む彼の姿が深く心に焼き付いた。

そういう熱い人間は、他にもいる。

 桐生誠である。

 長身で、端麗な容貌をした桐生は、内向的な性分の吉秋などとは比べモノにならぬほどに女子生徒の人気を集めていた。彫りの深い白人の様な面持ちに、鷲の様な高い鼻。二重瞼から覗く、どこまでも深く黒い瞳。艶やかな黒髪。言うなれば男前(イケメン)である。

 桐生は、口数が少ない男であったが、その美しい容姿に惹かれる人間は何人もいた。いや、惹かれる理由は他にもある。それは、彼の歌声だ。

 桐生は、「飛鳥」と云う、意味不明な視覚(ヴィジュアル)系バンドに所属している。これが又、奇怪なバンドで桐生の思いつきで結成されたバンドらしい。社会科の授業で、飛鳥時代について教師が教壇の上で熱弁している最中、彼の頭には、突然の閃きが舞い降りた。日本は奈良から始まった――奈良発進――桐生は、変わり者の道へと突き進むことになる。

 飛鳥時代に活躍した英雄達をモチーフにした視覚(ヴィジュアル)系バンドは、異彩な衣装を纏った桐生の他、学生四人が、喧しい音楽を奏でるという奇怪な集団である。

 桐生は、自らに「聖徳」と云うバンドネームを付け、どこで買ったのかも分らぬ、派手な朝服のような着物を纏っているだけでは済まさずに、奇妙な勺さえも手にし、あろう事か、七聖刀と称する模擬刀を携えながら熱唱するという、体育館の舞台上で、繰り広げられる、衝撃の演技(パフォーマンス)に、顕仁はすっかり呆れてしまった。まるで社会科の教科書に載っているような連中が舞を舞いながら歌っているのだ。昨年度の秋に繰り広げられた文化祭での出来事だった。

――くだらない。

 顕仁はそう思った。

 しかし、そう感じたのは天上院顕仁だけであったのだ。飛鳥時代――怒濤の時代で大活躍した聖徳太子、蘇我馬子、天智天皇、中臣鎌足、天武天皇、艶やかな衣装をした高校生が、華麗なる音色――無論、そう感じたのは他の生徒だけであるが――を奏でて舞すらも踊っている光景は、他の生徒だけではなく教師陣達も唸らせ、文化祭は顕仁の予想も虚しく盛大な盛り上がりを見せたのだった。

 桐生は口癖の用にこう言った。

「――日本を音楽で変えてやる――俺は英雄だ」

 顕仁は桐生を本物の馬鹿だと思った。変人だと感ぜずには居られなかった。音楽で日本が変わる訳などない。飛鳥時代、聖徳太子達が活躍出来たのは、それまでに日本に何も無かったからだ。法も秩序も常識さえもない王のみが好き放題出来る時代――そんな時代に中国から仏教が伝わり、仏の教えに忠実だった聖徳太子は、それを元に律令国家の完成を夢見た。怒濤の時代だからこそ、彼らは活躍出来たのであって、平成の時代を迎えた現在で、行き成り朝服や冠を被って髭のはやした男が、「法律を作ろう」 などと訴えた所で、そいつは大方、ただの愚か者に過ぎないのだ。かと言って桐生の言いたい事も分かる。

 くだらない日本。堕落していく世界――それを傍観する事しか出来ぬ国民達。いつまでも変わらない日本経済を桐生は黙って見ている事が出来ないのだろう。

 そのぐらい桐生は正義感の強い男だったのだ。

――変わっている。どいつもこいつも。

 いや、一番変わっているのは、顕仁なのかもしれない。絶望している癖に、何も行動に出ない自分がもどかしくて、それとは対照的に未来に突き進もうとしている友人達が羨ましかっただけなのかもしれない。

 顕仁は欝病の一歩手前まで来ていた。いや、鬱ではない。これは、怨念――

 自分は何も悪くはないのだ。

 悪いのは産まれてきた状況、そして育って来た環境だ。

 

 家に帰りたく無かった――

 居場所が無かった――

 ただ、それだけだった。


 顕仁は生まれたくなかった。けれど生まれてしまった。

 自分が母親の不倫相手との間に出来たのを知ったのは、高校一年の春だった。母親は顕仁が高校に入学してすぐに自宅のマンションで首を吊って自害したのである。

 ゆらゆらと揺れる母親の骸を目の前に、顕仁は魂が抜けてしまったかのように膝まづき、そして、一畳間のテーブルの上にひっそりと放置された母親の遺書を発見した。

 母親――天上院悦子は、その死を起点(きっかけ)に全てを告白したのだ。白い手紙には、血で書いたのか、紅色の汚い文字が長々と書き綴られていた。悦子の首吊り死体の手頸から未だに鮮血が滴り落ちているのを伺うと、彼女は最初、手首を切って自害しようとしたが、死にきれ無かった為、首を吊ったようだ。

 遺書には何故、悦子が死んだのか? その理由が長々と綴られていた。



◆悦子の遺書◆


 ごめんなさい。

 離婚したなんて言っていたけれど、嘘なの。

 本当は、真実を話すのが怖かっただけ。

 けどもう怖くない。

 だって、今日、死ぬから。

 驚かないで欲しい。真実を知った所で、顕仁は私の子であることに変わりはないから。昔、貴方にはね、鳥場(とば)光一郎という父親がいたの。けど、貴方が、私と不倫相手との間に出来た事を知った途端、彼はどこかに行方を晦ましてしまった。無理も無いわよね。私自身が招いた結果だから。けどね、けど、可笑しいと思わない? 私に子を宿した不倫相手の男――白川法斗(のりと)は、その話を私から聞いた途端に、すぐに別れを切り出してきた。私は不思議に思った。どうしてそんなに情けの無い仕打ちが出来るのかって。もう胎児を堕ろせる時期は過ぎていたから、私は必死に白川に訴えた。「無責任よって」 

けれど、私の存在を疎ましく思った白川は、突然、私の前から消えた。彼は勤めていた会社も辞めて、住んでいたマンションも引っ越して、煙のように私の前から消えてしまった――私は一人になった。

 だけど、まだ私は一人じゃなかった。

 何とか家族に協力――とは言っても、お祖父さんとお祖母さんしか居ないんだけど、私が働いている間は出来るだけ貴方の面倒を見て貰うようにした。私の実家に貴方が住んでいたのは三歳ぐらいの頃までだから、貴方の記憶にはほとんど残っていないかもね。

 仕事の方が順調になると、私はマンションに引っ越すことにした。貴方を児童施設に預けながら仕事に通う事にしたの。

 それからは、ずっと、このマンションで、私達二人で過ごしてきた。いつまでも過ごす事が出来ると思っていた。私の父母も歳だったから出来るだけ負担をかけたくなかったのもあるけど、理由はそれだけじゃない。あの二人の――お祖父さんとお祖母さんの私を憐れんでいる様な眼に、私はどうしても耐えられなかった。馬鹿にしないで欲しかった。

 私は弱くなんてない。ずっと自分にそう言い聞かせながら貴方と二人で生きてきた心算だった。

 だから、仕事だって頑張る事が出来たの。もしかしたら、私生活での精神的(スト)圧力(レス)を仕事に没頭する事で慰めていたのかもしれない。捌け口って奴ね。朝は派遣の仕事に、夜はアルバイトと、死に物狂いで働いたわ。貴方を守る為――そして自分の為に。

 時折、過去を思い出すと、独り泣いてた。

 そして、等々、その捌け口が無くなってしまったの。

 すくすくと育っていく貴方は、どことなく白川の顔に似ていて、彼の面影は私を苦しめ始めた。まるであの人が帰って来たかのような幻想に捉われるようになったの。家に帰る度、制服姿の白川が、何の屈託もない微笑みを浮かべながら、「おかえり」と言うの。私は狂ってしまった。

 また、あの人が私を不幸に陥れるのかという妄想さえ、抱くようになった。目の前にいるのは、あの人では無く、愛している我が子だというのに。

 その幻想は、日に日に私の心を蝕んでいき、そして、仕事にも支障をきたすようになった。

 だから――昨日、解雇(クビ)になったの。

 嗤えるでしょ? 馬鹿みたいだよね。でも、もう貴方、高校生だもの。私の死、受け入れられるよね。

 だから、深い怨みの中で私は、眠りたい。

 だから、ごめんなさい。ごめんなさい。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

 

◆◆


「ごめんなさい、じゃねぇよ」


 悦子の葬儀が終わった後、顕仁は、祖父母の元で生活を送るようになった。しかし、もう還暦を迎えた祖父は働く気力もなく年金だけで生活を立てていたので、どこまでも貧しい生活を強いられるようになった。

 それでも、顕仁は惨めな生活でも、構わないと思った。帰る家、温かい布団、質素なご飯。生きる為に、彼に選択肢は無かったのだ。

 だから、祖父たちが無理に見せる笑顔が余計に、顕仁の心を切り刻んで切った。ただ居坐らせて貰っているだけではなく学費まで二人に工面して貰っているのだから、顕仁はわがままも言わず、不器用な微笑みを浮かべるように出来るだけ努力していた。

 顕仁は次第に家に居る事そのものが、精神的圧力に感じるようになった。歪に歪んでいく自らの心が哀しかったけれども、顕仁にはどうすることも出来なかった。

 悦子の仏壇の前で、顕仁が膝まづく回数は、日に日に増えていく。

 限界だった。

 こんな家、いたくない。

 仏前で、微笑んでいる悦子の写真が、顕仁の心の傷を深めていく。時折、顕仁は考える。悦子は浮かばれたのだろうか? 


 顕仁は、苦渋に表情を歪め、石碑の前で項垂れ、そして握り拳を力強く握りしめた。

 雨足が強くなり、横風が強くなったせいか、顕仁のシャツは透けてしまうほどに濡れていた。勢いを増す風音が、亡者の雄叫びの様に鼓膜に響いている。

 崇徳院の怨念が目を覚ましたのだ。

 ――錯覚だったのかもしれない。

 報われなかったのは、悦子だけではない。悦子の怨念を、自分は託されたのだと、顕仁は悟った。

 誰を憎めば良かったのか?

 その答えに対する明確な答えなど分かりはしない。生きながらにして顕仁は怨念とやらを背負っていかなければならなかった。

 だから――

 何をするべきか、何をするべきなのか? と選択しなくてはならない場面に彼は差しかかっていたのだ。

 顕仁は、友人達の顔を思い出す。

 文化祭の時に輝いていた桐生誠、人呼んで「聖徳」。何一つ徳を積んだ事など無い、若造(クソガキ)が怖れ多くも過去の英雄を気取って、大勢の生徒達の前で雑音を奏でていた記憶が鮮明に蘇る。馬鹿らしいかもしれない。愚かだと罵られるかもしれない。――それでも、あの時の彼ら――飛鳥は眩しかった。憧れなどではない。

 自分も――怨念の塊であろう自分でも、彼らの様に輝ける場所があるのかもしれないと、微かな希望を抱いたのだ。

 

「日本の大魔王と称された貴方の力を借りたい。お願いします」


――自分でも狂っていると思う。


「飛鳥」というバンドが正義を語るならば、自分は、怨念という力で、日本を変えてみよう。虚勢でもなく夢でもない。

 これが世の理だと、教師が語っていた。

 日本にこれだけ多くの神社があるのは何故だと考えた時、答えは一つしかない。神を祀る社――それは怨霊を慰める為の社だ。亡者達の無念の想いに報いるべくして、神社というものは存在する。


 顕仁は、徐に踵を返し、慰霊碑の前を後にした。雨水を吸った柔らかい地面を茶色く汚れたシューズで踏み歩き、歩を刻む達、泥が跳ねて、ジーンズに染みを作った。

 雨で黒く変色した石の鳥居を潜ると、目の前にはバス停があり、バス停の前で黒い学生服を着た若者達が列を作っている。中学生だ。

 顕仁はもう祖父母が住む家に帰る心算は無かった。

アルバイトで稼いだ金で、一人暮らしをしながら、桐生や吉秋の様に高校を卒業して、馬鹿馬鹿しい夢を追おうと思った。音楽という夢を。

 眼の前を水飛沫をまき散らしながら高速車が通り過ぎ、学生達の賑やかな声音が耳元を素通りする。

 これほど深い怨みの中にいる自分なら、魔王にでも悪魔にでも鬼にでもなれる筈だと思った。

 歩道の中、一人茫然と立ち尽くし、黒い空を見上げながら顕仁は小声で呟く。


怨霊座(おんりょうざ)――」


 顕仁は全く奇怪な視覚(ヴィジュアル)系バンドの誕生を、心なしか嬉しく思った。




























〔2〕 7年後


 変わり者の友人の唐突な誘いで、私は心斎橋の商店街の地下にある一軒のライヴハウスの前で立ち尽くしていた。地下へと連なる階段の前には派手な和服を纏った幾人かの男女が談笑していて、通路を塞いでいる。ライブハウスの横には服屋やCDショップが軒を連ねていて、如何にも若者達が屯しそうな街である。そしてこの階段の前で通路を妨害している若者達も、私達と同じくして、「怨霊座」という訳の分からぬ訝しいバンドの演奏(ライヴ)を観に来たのだろう。

 突然だった。

 今朝の八時頃に目が覚め、いざ執筆しようと思い立った時、私の携帯電話に一件のメールが届いていて、誰かと不思議に思ったら、あろう事が久しく連絡の途絶えていた高校の時の友人ではないか。私は久し振りの友人のメールに驚き、聊か高陽とした心境で携帯画面を見つめていたが、その文の内容の意味が分からず、しばらく口を開けて間抜けな形相を浮かべていた。

 何でも、友人である天上院顕仁は、今だに音楽活動を続けているとの事らしい。

 懐かしいのか、可笑しいのか、不思議な感覚だった。

 あれから、もう七年は経過しているというのに、顕仁は時の流れに逆らって、現在も尚、怨霊をテーマにした不可解なバンドをやっている。

 顕仁がモノマネに興味があるのかは分からないが、高校時代に遡ると、もう一組、くだらないバンドが校内で活躍していたのだ。

 「飛鳥」という名称のバンドだった。

「飛鳥」に所属していた桐生誠も、私の数少ない友人である。

 高校三年生の時分――

 最後の文化祭の時、「飛鳥」に対抗するかの如く、突如、怨念の化身――崇徳上皇の末裔を名乗った顕仁が、狂言や能劇で使うような能面を被り、漆黒の着物を纏ってギターを演奏をしているではないか。

 彼らの他二名は、自らを「怨霊座」と名乗った。

 白衣を衣装とする「飛鳥」と対になる様な漆黒の羽衣を纏い、妖艶で流麗且つ怪しい音楽を奏でていた記憶は未だに鮮明である。

 最初はくだらないと思った。

 しかし、演奏(ライヴ)が始まってすぐに体育館の空気は変わった。面を被った三人組の変態達を嘲る様に睨んでいた生徒達はすぐに笑みを消し、談笑の声音は音楽に掻き消され、そこに鳴るのは怨霊座の暗くも美しい演奏だけだった。

 そして、二組のバンドは、私達の高校の伝説になった。

 歴史の教科書から飛び出て来た幻想的なバンドは、私達に良い想い出を贈ってくれたのだ。

 その彼らが未だに夢を追っているのか。いや、もう叶えたのかもしれない。

 だから、私はこうして小さくはあるが立派なライヴハウスに足を運んで、多くの愛好者(ファン)を抱えた「怨霊座」に会いに来たのではないか。

 私も顕仁に伝えたい事がある。――それは、私も高校時代から追っていた、小説家という夢を叶えたということだ。駆け出しの小説家であるが。ホラー小説ばかり書いている人間でもそれなりに見栄と誇りは持ち合わせている。胸を張って友人に会おう。私は心なしかすでに楽しんでいたのだ。私は口元に微かな弧を描くのだった。


――何、にやにやしているの?


 佐伯月乃は、懐かしい記憶を辿っていた私に隣から質問を投げ、怪訝そうに私の間抜け面を覗きこんできたのだが、私は、すぐに表情を固くさせ、仏頂面に戻した。

「別に何も――ただ昔の事を思い出していただけさ。これから見るバンドは、僕の旧友なんだよ」

「変わったバンドね。――怨霊座なんて、ちょっと怪しいかも」

 佐伯月乃は手にしているチケットを見据えながら言った。

 彼女とは滋賀県の蒼湖風穴という鍾乳洞を取材する最中で出会った。礼儀知らずな大学生ではあるが、あの時の事件をきっかけに私達は連絡を取リ合うような不思議な関係になったのである。

 彼女を誘ったのは、一人でこんな賑やかな場所に来るのに嫌悪感を覚えたからだ。学生なら丁度、夏休みを迎える時期に差し掛かっていたのもあり、暇をしているのではないかと睨んだ私は彼女に連絡を入れて、無理やりここに誘いだした訳だ。無論、顕仁に対する知識は皆無であり、彼がどの様な、演奏(ライヴ)をするのかも全くの無知である。怨霊座の愛好者(ファン)達は彼らの衣装を真似る様に艶やかな着物姿をしているというのにも関わらず、月乃は花柄のシャツにショートパンツという聊か浮いた服装をしているのがその証拠だ。私もTシャツにデニムという身形なのだから、彼女の事はとやかく言う筋合いも持ち合わせていないのだが、兎に角、私と顕仁の付き合いはそれほどまでに途絶えていたという事だ。

 腕時計の針が、午後六時を指している。演奏(ライヴ)は確か六時半からだ。私と月乃は階段を塞いでいる着物姿の若者達の群れを搔き分け、会場へと向かった。照明の数も疎らな薄暗い階段を抜けると、黒い鉄製扉がある。扉のすぐ隣には受付を担当する若い女が一人たっていて会場へ入ろうとする客のチケットを受け取り、半券を客に返していた。私達も客の群れに混じり、女にチケットを渡した。すると受付の女は一冊のパンフレットの様な冊子をくれたのだった。扉を抜ける。扉の向こうには一つの部屋があって、怨霊座のファングッスやCDなどの販売所が設置されていて、部屋の傍らには椅子までもが用意されており、待ち合い席としても使用されているようだった。この部屋には更に奥へと続く防音扉が二つ用意されていて、その扉の向こう側がライヴ会場である。

 私達は、時間になるまで、この部屋で待つ事にした。

「ねぇ、この崇徳って――あの崇徳天皇の事よね? 昔、日本史の授業で習った事がある」

「あぁ。その通りだと思う。高校時代から活動しているバンドなんだよ。怨霊をテーマにした妖しいバンドではあるが、彼らの演奏(ライヴ)は不思議と人の心に響いてくる。本当に懐かしい」

「怨霊――確かに日本三大怨霊の名前が「怨霊座」のメンバーそれぞれのバンドネームに使われているわね。「崇徳」、「道真」、「将門」――歴史に余り詳しくない私でも、この三人の名前ぐらいは知っているわ。有名だもの」

 月乃は先ほど受付の女から貰った小冊子を見ながらそう言った。冊子には彼らについての簡単な紹介や、活動履歴が簡潔に書されているらしい。

 昔のままだった。

 バンドネームでさえ、高校時代のままである。

 七年という月日を忘れさせるのも無理はない。

「インディーズの世界では有名なバンドみたいだね」

「私、視覚系バンドに疎いから、よく分らないんだけど、インディーズって要するにプロまであと少しのバンドなの?」

 私もその問いに詳しく答えられるほど、音楽に詳しい訳ではないが、私の持てる知識の中から、有りっ丈の情報を搔き集めて彼女に説明することにした。そもそも彼女をここに連れてきたのは私なのだから、彼女にそれなりに楽しんで貰わなければならないと妙な義務感に苛まれたのである。且つ、これから舞台に立つのは私の旧友なのだから、誤りがあっては彼らに申し分が立たないのだ。

「詳しくは分からないが、レコード会社に所属しないで、アーティスト自らが独自に行うCDリリースを行っているバンドであるらしい。ほら、あそこに購買部があるだろ。ああやって、ライヴに来るお客にCDを手売りしているんだ。メジャーなアーティストなら、あんな事しなくてもCDは売れる。あぁやって地道に知名度を上げて、もし有名になれば、レコード会社が契約してくれるんだよ。恐らく怨霊座もまだまだメジャーを目指す過程にあるみたいだ」

 月乃は、購買部の方へ視線を滑らせた。長テーブルの上に山積みになったCDが、スタッフの手からお客達へと次々と流れていき、見る見る内にCDの山は低くなっていったところから伺うに、やはり怨霊座はそこそこ名の知れたバンドということになる。今日の演奏(ライヴ)も、ワンマンという事からメジャーまで本当に後少しの所まで来ているのだろう。

「貴方の周りには、変な人達が多いのね」

 そう言って月乃は微笑んだ。

 否定は出来ない。確かに私の数少ない友人には変人と言わざるを得ない変わり者達が多いのだ。高校時代、顕仁は私の書いた小説を酷評した事がある。くだらない、という一言で私の全力を嘲笑った記憶は生涯忘れる事は出来ないが、その時ばかりは、普段怒らない私でも堪忍袋の緒が切れて彼に熱くなった。

 そんな他愛のない喧嘩が、次第に私と顕仁の心の距離を縮めたのかは曖昧であるが、私を馬鹿にした顕仁を見返したくて、更に執筆に精を出し、彼を唸らせたい一心で小説を書いた。

 私は、彼に何度も小説を読ませたのだ。

 友人になるきっかけなど、何だっていい。

 私達はよく話をするようになった。私は彼に自分の夢や、夢を目指す理由などを熱心に語り聞かせた。私に便乗するかのように彼もまた、私に腹を割って話してくる様になったのだ。

 そこで、私は、友人の心の傷を知る事になる。

 想像を絶する様な話だった。

 私の父母、美冬と修也は世間一般で言えば、普通である。今年で結婚生活三十年目に入るらしいが、二人は、私の目から見ても仲むづまじい夫婦であると思う。訊けば、結婚記念日になれば、父親は母に必ず贈り物を贈るというではないか。一人息子の私でさえ、赤面する様な話である。

 そんな父母の遺伝子を賜った私にとって、顕仁の育ってきた家庭環境は異質である。

 彼は、私を羨ましいと言った。

 自分にも、何か出来るのではないか。と、そう言ったのだ。

 それ以来、彼はすっかり変貌してしまった。

 それが高校最後の年に行われた文化祭の出来事である。

「――瀬を早み 岩にせかるる滝川の われても未に あはむとぞ思う」

 私が思想していると、月乃は唐突にそんな事を呟いた。

 私が首を傾げると、彼女は先ほどの独り言の意図を紐解き始めた。

「――百人一首の和歌よ。崇徳上皇の和歌」

「あぁ」

 私は、百人一首などに興味もない為、彼女の話を聞く事しか出来ないでいた。

「悲運の天皇と言われていたみたいね。高校時代に習った記憶だから、うろ覚えだけど、確か、鳥羽天皇の長男として生まれてきたらしいんだけど、彼は天皇に歯向かい、保元の乱を起こした。原因は鳥羽天皇側にあったらしいの。鳥羽天皇はね、知っていたのよ。崇徳天皇が父である白河天皇の(たね)で生まれてきた子供だってことを。要するに崇徳がお祖父さんと奥さんとの間で出来た子供ってこと。不倫で出来た子なんだから、憎んで当然よね。自分の血を受け継いでいない崇徳院を鳥羽は忌み嫌い、白河天皇の死をきっかけに、崇徳院の弟に天皇の地位を譲った――当然、崇徳院は怒り、父に謀反した」

「詳しいな。その話なら僕も知っている。確かその後は、乱に負けて、讃岐に流されたんだろ。だから崇徳院は別名、讃岐院なんて呼び方もされている」

 月乃はどこか悲哀そうに頷いた。

「そこで、崇徳院は、懺悔の意味も込めて五大乗経を書写して、京に送ったのだけれど、崇徳院の怨念が込められているんじゃないかって、京に住む人間は睨んで、その有難い経を崇徳院に送り返したの。当然、反省の意図で経を書写した彼は怒り――そして狂った。髪も剃らず、爪も伸ばし、生きたまま天狗の姿になり変わり、自らの舌を噛み切って、滴る血で、経に呪いを書いたの」

「吾ふかき罪におこなわれ愁欝浅からず。すみやかに功力をもって、かの(とが)を救わんとおもう莫大の所業を、しかしながら三悪逆になげこみ、その力をもって、日本国の大魔縁となり皇を取って民となし、民を皇となさんと」

 私は古文を滔々と語って見せた。

 私も多少なり共、友人のバンドの意図を勉強してきた心算ではあったが、月乃がここまで博学であった事に驚いたのである。流石は現役大学生だ。

「そう――彼は讃岐の地で死んで、その後冥界の地で大魔王となった。それから何十年も過ぎた頃、崇徳院の呪いは現実のものになるの。各地で争いが起こり、戦乱の世の果て、本当に民が皇になる時代が訪れてしまった」

 彼女は半ば神妙な面持ちである。

 崇徳院は死ぬまでは、天皇の位を与えられた訳ではない。崇徳天皇の称される様になってから随分と後の事になってからである。祟りを畏れた人々は彼の報われない魂を鎮める為に、崇徳天皇という地位を、彼の没した後に贈ったのであった。

「どうして、崇徳という名前を自分に付けたのかしら? 貴方の友達は」

 月乃が問いかけたのだが、私にも、明確な答えは出来なかった。だが、心辺りはある。それは、彼の家庭環境に影響しているのだろう。

 鳥羽祖父との不倫により生まれた崇徳ではあるが、子は産まれてくる環境を選ぶ事など出来ないのだから、崇徳には何の罪もないというのに、父、鳥羽は崇徳を忌わしく思った。

 祟徳院はさぞかし無念だったに違いないのだ。

 自分は何も悪くないのに――

 そんな心境が、天上院顕仁の心と重なったのだろう。

 彼は日本史が好きと言っていた。

 だから――

 結局、顕仁の心の全てを知る事が出来ないまま、卒業の季節を迎える事になり、それからは、顕仁は京都に引っ越した為、疎遠になってしまった。

 彼が今、何を思い生きているのか、私には分らない。

 私は受付の女から貰った小冊子をパラパラとめくり始める。活動履歴の詳細が、視界に飛び交う。怨霊座の愛好者(ファン)達は、彼らの演奏(ライヴ)の事を「乱」と呼ぶ。

 その「乱」と呼称される演奏(ライヴ)が誰に対して行われるのか、私は知らない。若しくはそれは人の為に行われる訳では無いのかもしれない――それは世の中に対しての乱なのか。

 怨念――

 その力で、顕仁は今も生きているのかと思うと、先ほどまで高陽としていた気分は少し沈んでしまった。顕仁が夢を追っているという現状が、彼が怨念の塊だという証拠なのである。

 母を失い、自分が不倫相手との間に出来た望まれぬ子であった事を知り、祖父母を忌わしく思い、京都へ経った顕仁――私は、もう考えるのさえも煩わしく思った。

 全ては怨霊座の演奏(ライヴ)を鑑賞すれば、紐解かれる筈だ。

「さぁね、どっちにしろ、怨霊による祟りなんて、現在では有り得ない現象なんだから、その世界感を表現しようってだけで有名になれるんじゃないかな。世の中には物好きな人間もいるし、コアな愛好者(ファン)もついて良いこと尽くしじゃないか」

「――でも昔の日本には確かに怨霊は存在したのよ」

「そんな事知っているさ。昔の日本には怨霊信仰があったくらいだからね。それと云うのも理由が無いわけでもない。何故なら、昔の日本には、科学や医療がなかったからだ。だから、人々は雷や地震の天変地異を神の怒りや、怨霊による祟りだと畏れ、敬ったんだ。今や学問の神と称えられている天神――菅原道真公だって、基は怨霊だったんだ。――怨霊が日本国家を形成するきっかけになったと言う事だけは否定できない事実なんだよ」

 私は有りっ丈の蘊蓄(うんちく)を並べた心算である。

 自己中心的で、一方的な性分の月乃は珍しく私の下らない話を黙って聴いていた。

「小説家? その友達って、誰かを祟ってやろうとでもしているの?」

 

 さぁね。


 私は再び愛想なく言葉を返し、彼女の問いに対する答えをはぐらかしたのだった。

 徐に腕時計の方へ視線を落とすと、間もなく午後六時半を指そうとしている所である。私達は分厚い防音性の扉を抜け、会場へ向かうのであった。


 空間は闇一色である。広大な面積の客席ではあるが、座席などもなく、愛好者(ファン)達全員が、直立しながら、舞台上に彼らが登場するのを待ち遠しそうにざわめいてる。オールスタンディングとチケットにも記載されていたのだから、今から二時間もの間、立ち姿勢で演奏(ライヴ)を鑑賞しなければならないわけだ。

 黒い後頭部の影の向こう側は、舞台になっていて、その背面には黒い垂れ幕が掛かっている。垂れ幕には、

――我、大魔王とならん――

 と云う文字が、黒照明(ブラックライト)の灯りを受け、紫色に妖しく浮かび上がっていたのであった。未知なる世界感ではあるが、視覚系バンドなのだから、舞台上の演出にも拘っているのは、寧ろ当然なのである。私達は、人ゴミに塗れながらも、出来るだけ、前へ、前へと進んでいったが、客席の丁度真ん中辺りに差し掛かったところで、進行するのが不可能になるほど、人の群れが圧縮していた。私達は派手な衣装を纏った愛好者(ファン)に囲まれた訳である。

 

 突然――黒照明の灯りが消えた。


 辺りは静謐に包まれ、さっきまでのざわめきが幻聴であったが如く、静かだったのである。暗闇の中で視界に映る人々の顔は一斉に舞台の上に向けられた。

 いよいよである。

 その時だった。

 哀しい音色が会場に鳴り響いたのだ。歌詞などは無い。あるのはオルゴールが奏でる切ない旋律だけだった。

 何故か、そのオルゴールの音色は「冬」を彷彿とさせた。

 間もなく夏を迎えるというのに、私の感性は狂っているのかもしれない。だが、その哀しいオルゴールの音は、私の心の闇に一筋の光を指し示す様に慈愛に満ちていて、そして、やはり哀しかった。

 哀切な旋律の中で、舞台袖から現れる三人の(シルエット)――

 怨霊座である。

 と思った瞬間に、舞台は金色の光に包まれた。照射(スポット)(ライト)の灯りを全身に浴び、彼らの神々しいまでに艶やかな姿が、露になった。

 舞台に堂堂と仁王立ちする三人。三人の周りにはドラムや鍵盤(キーボード)など、音楽に疎い私には到底名前など知る由もない巨大な音楽設備が舞台上に設えられている。

 漆黒の着物に、赤い血飛沫のような柄が入っている衣装を纏っているのが友人――崇徳である。崇徳は女性のように長い黒髪を靡かせ、顔には天狗の能面を被っている。

 まるで能劇のシテ役者を務めるような身なりの崇徳は、五本の指にそれは、それは長い付け爪をしていて、その付け爪は血に染まったかの様に紅いのだ。

 その仮面の中で、顕仁がどの様な形相をしていようと、舞台上の彼はずっと嘲笑しているのである。


 あぁ、美しい。

 

 それが崇徳に抱いた印象だった。

 私は狂しくなっていたのかもしれない。

 いや、そうではなかった。

 私の隣にいる月乃だって、先ほどから、舞台を注視せずにはいられないではないか。彼女は沈黙を貫いたまま、妖しくも美しい演出に捉われてしまっていたのだ。

崇徳の右方に立つエレキギターを握る男――いや、女か? どちらにせよ、そのギタリストも、雷神を彷彿させるような鬼の面を被っているので性別すら判断できないが、小柄で髪が長い事から女なのかもしれないと睨んだ。

――道真である。

 道真は、漆黒色を背景に桃の花が描かれた着物を纏っている。

 金色のギターは、雷でも表現(イメージ)しているのであろうか。

 続いて、向って左側。背の高いベーシストは、これもまた白い鬼の面を付けていて性別は判断しにくいが、着物の裾から伸びた逞しい掌から、男である事は間違いないだろう。

 無表情な鬼の面の被った男は、右手に漆黒の日本刀を手にしている。

 将門である。

 「新皇」という大きな文字が刺繍された藍色の着物を纏った彼は、漆黒の鞘から刀を抜き、そして銀白色の刃を照射灯の灯りに向けたのである。

 刃が光を受け、輝く。


 鳥肌が立ったのだ。

 七年という歳月の中で洗練された怨霊座の世界感に、思わず恍惚としてしまったのである。

 オルゴールの音色が消えた。

 照射灯の光の色は、静寂なる蒼へと変化し、空間は寂しく、冷たい雰囲気に呑まれた。舞台上に立っていた三人はそれぞれの定位置に着き、演奏(ライヴ)する楽器を手にした。

 崇徳はスタンドマイクの前に立ち、自らの口元をゆっくりとマイクへと近づけていく。

 そして、囁くような声音でこう詠んだのである。


松山の浪にながれてこし船のやがてむなしくなりにけるかな。

  

 二人の知らぬ父を 忌わしく思い憎み続けし 魔の心

 とおき日に消えた 母の顔を忘れられず

 怨念に取り憑かれし 歪んだ我が躰は

 何処に消えた 二人の影を――


 今は亡き怨霊の歌を詠んだ後、崇徳は続けて、なんとも悲哀に満ちた言葉を囁いた。

 私は旧友の見事な演出にすっかり嵌ってしまったのだ。もう後戻りは出来ず、私も月乃も幻想優美の世界に誘われる他無かったのである。

 道真の奏でる寂しい伴奏(イントロ)が鳴る頃、崇徳は、顔を覆っていた天狗面を徐に外した。

 その不気味な嘲笑の下に隠れていた崇徳の素顔は、忘れもしない旧友の女性の様な整った顔であった。白く透ける様な肌は、あの時から何も変わらない。

 どこか翳のある漆黒の瞳も艶やかな虹彩も昔のままであった。


〔3〕


あぁ――美しい。

  派手な演出が舞台上で繰り広げている中で、次第に私の視線は、怨霊座というよりも、彼らを注視している一人の女に向く様になった。

 すらっと伸びた背筋に、腰まで掛った長い髪。艶やかな桜が刺繍された着物を着た美しい女は、その周りにいる、どんな愛好者(ファン)達よりも際立つ美しさであった。私と月乃がいる観客席中央部に対して、その女は、客席の前方の方で怨霊座を見据えていたのである。

 彼女のゆらゆらと揺れる黒髪が、美しい。

 私は、自らの胸の高鳴りを抑えようとしたが、如何せん私の心は言うことを聞かず、私はついついその美しい女の後姿に見入ってしまった。

「どうかしたの?」

恍惚としている私に月乃が問いかけた。

「別に」

 私は仏頂面に戻して素気なく言葉を返した。

 私の隣にも世間的には美人といわれる類の女がいるというのに、今一つ心が動かないのは、彼女との出会い方に問題があったからだろうか。

 私は、正しくこの時、その着物女に一目惚れしてしまったのだ。

 売れない小説家であろうとも、恋愛に奥手だった訳でもなく、今までも私は世間的に見れば普通の恋愛をしてきた筈だった。

 これは人生で三度目の恋である。

 最初の恋は高校一年の時で、二人目が高校三年の時。それから二年ほど付き合ってからというもの、私は恋愛というものから遠のいた生活を送るようになった。高校を卒業すると小説家を目指しながらアルバイト生活を強いられる様になり、朝早くから働き、夜は執筆と、忙しい生活を送るに連れて、恋愛という言葉すら忘れてしまっていたのであった。

 久しい感情だった。

 私は美人に惹かれやすい体質なのかもしれない。

 時折、見える彼女の横顔は雪の様に白く透き通っているだけではなく整っていた。

「ちょっと前に行ってくるよ」

 咄嗟に出た言葉だった。

「え」

 呆然とする付き人を置いてきぼりにし、私はもっと彼らを近くで見たいと偽りの言葉を彼女に残して前へ、前へと人ゴミを無理やりかき分けて突き進んだ。無論、もっと近くで見たいのは怨霊座ではなく、その女なのだが。私は強引に客席の前方へ進んで、漸くその女の隣に辿りつく事が出来た。舞台上にいる崇徳をじっと見つめる彼女の横顔がこんなにも近くにある。私は赤面した。

 目的すらも忘れ、私の視線は、愛好者(ファン)の一人に集中した。演奏(ライヴ)は間もなく終焉を迎える頃である。

 若い女だった。

 音楽が鳴りやむ隙を狙っては、躊躇し、悩みながら彼女に掛ける言葉を探したのではあったが、何せ恋愛からしばらく遠のいていた為に中中、第一声が出なかった。

 羞恥心が苛むのである。

 観客の声音が行きかう中、漸く私は腹を括り、彼女に声を掛ける事が出来た。

「あの――この曲好きなんですか?」

 当たり障りのない普通の疑問である。私は平然を装いながら和服美人に声を投げた。

 訝る様な目付で彼女は隣にいる私を見据えた。

「ええ」 和服美人は小さく頷いた。

 怨霊座のライヴに来るのは、この日が初めてだと言う事を支離滅裂に私が説明すると彼女は軽く口角を上げたのだった。

 先ほどの怨霊座が演奏(ライヴ)していた楽曲についての話題は、私が想像していたよりも遥かに彼女の興味をそそったらしく、和服美人は、微笑を浮かべながら、怨霊座について無知な私に、先ほど流れていた曲名を教えてくれたのである。

「――「消えた魂の行方 忌わしい記憶」という曲なんです。哀しいメロディだけど、私が怨霊座を好きになったきっかけがこの曲だから、とても思いれの深い曲なんですよ」

 何故かタイトルを聞いて私の心は揺らいだ。

「誰が作詞したか分かるんですか」

 怨霊座以外に話題を見つけられない私は、出来るだけ彼女との会話を続けようと必死であった。特に興味もないその曲について私は質問攻めすることになる。

「崇徳です。ほら、今、舞台上でマイクを握っているあの人が、さっきの曲を書いたんですよ。凄く思いれのある曲みたいで、崇徳が生まれて初めて書いた詩だって、本人も昔語っていました。彼にどんな過去があるのかまでは知らないけど、彼の忘れたくても忘れられない過去の事について書き綴った曲らしいです」

「詳しいんですね」

 私がそう言うと、和服美人は照れ臭そうな微笑を浮かべた。

 透き通った瞳をしていて、瞼を覆いかぶさるほどに長い睫が彼女の奇麗な面立ちに震いを掛けている。私は正真正銘に恋をしたのだろう。会話を途絶えさせ手はならぬ。そう思った。

「いつから好きになったんだい?」

「三年前――ある人から勧められて、すっかり、独特な雰囲気の彼らの愛好者(ファン)になってしまいました。着物姿の天狗が歌っている光景はどこか滑稽ではあるけれど、奏でる音楽が美しくて、幻想世界に誘われてしまう。不思議なバンドなんです。私、それまで視覚系バンドなんて興味無かったけど、それからすっかり嵌ったわけなんですよ」

 彼女はまた恥ずかしそうに微笑んだ。

「確かに彼らは異質ですね――」

 そう言って私は舞台上に視線を投げた。丁寧に歌い上げる崇徳は、高校時代より遙かに綺麗で、とても男には見えない。中性的な容貌である。

「貴方も誰かに誘われてここに来たんですか?」

「いや――確かに誘われたと言えばそうなんだけど」

 私が言葉を濁すと彼女は小首を傾げる。

 今、目の前で歌っている崇徳から直接チケットを貰ったと言ってしまえば、愛好者(ファン)である彼女の反感を買ってしまうのではないかと不安に思ったのだ。

「そんな事よりも、さっき彼が冒頭で言っていた台詞の意味、教えてくれませんか?」

 私は強引に話題を切り替えた。

「冒頭の台詞?」

「ほら、あれですよ。演奏(ライヴ)が始まってすぐに崇徳が囁いた詩の様な台詞ですよ。 

二人の知らぬ父を 忌わしく思い憎み続けし 魔の心

とおき日に消えた 母の顔を忘れられず

怨念に取り憑かれし 歪んだ我が躰は

何処に消えた 二人の影を――

って、やつです」

 私は崇徳の囁く様な低い声音を真似て先ほどの台詞を言った。

 余りにも似ていなかったのか、和服美人はクスクスと笑うのである。

「私も詳しくは分かりませんけど、恐らくは怨霊座の(リーダー)である崇徳の過去が影響している台詞なのかもって愛好者(ファン)達の間では囁かれています。あの台詞の意味なんて本人は決して語ろうとした事もありませんし、基基、「怨念、怨霊」をテーマにしているバンドだから、あの台詞は演出の一つだって言う人もいます。どっちにしろ、私は知らないって事です」

「怨霊――何となくわかる様な気がします」

「え?」

「あっ――いや、何でもありません」

 私には、その台詞の意味が何となく分かる様な気がした。何故なら私は崇徳の友人なのだから。知っていてるけれども彼女との話題を見つけられない為に、知っている事を、何も知らない彼女に訊ねたのである。――いやな男だ。そう思った。

 「二人の知らぬ父」というのは、恐らく顕仁の父親――白川と光一郎の事だ。

 「とおき日に消えた母」は、自殺した顕仁の母親、悦子の事。

 怨念に取り憑かれたのは顕仁で――

 何処に消えたかも分らぬ二人の父親を――

 その先は、私にも分らない。

 最後の曲の演奏(ライヴ)が始まると、私達の会話は途切れて、二人とも怨霊座の方へ顔を向け、彼らの寂しい音楽に耳を傾けた。

「泣いているのか」

 私は舞台上で涙を浮かべながら歌う友人の顔を見て、表情を強張らせた。

「奇麗だとは思いませんか。崇徳は、「乱」の終焉を哀しんでいるんです。いつもそう――」

 着物美人の言った意味が私には理解出来なかった。

 それでも、何となくは分かる。

 涙が照射灯の灯りを受け、光っているのだ。光を纏った崇徳の瞳は輝いていて、哀しくて、見ている私でさえも、哀しくなってきて、結局のところ、言葉には出来ない何かが心の奥底から込み上げてくる様だった。――これが感動と言うのか。

「来て良かったと思いませんか?」

「そうですね。――来て、良かったです」

 私は自分の心が分からず、ただ混乱するばかりであった。


◆◆


 会場を去っていく愛好者(ファン)達は、小喧しい話声を洩らしながら流れる水の様に防音扉の向こうへと消えていく。舞台裏では、怨霊座というロゴマークが入ったシャツを着た職員(スタッフ)達が汗を流しながら機材を片付けている。

 崇徳は道真と将門と腕を交差するようにぶつけ合い大阪公演「夏の乱」の成功を祝ったのである。

「ほら、呑もう」

 柔和に表情を綻ばせ、崇徳に向けて一本の缶ビールを放ってきたのは、道真である。

「まだ早いだろ。どの道、しばらくはゆっくり出来るんだから、そう慌てる事はない。こいつは返しておくよ」

 崇徳は言って、道真に缶ビールを返した。

 冗談なのか、今すぐにでも本気で呑みたい気分なのかは分からないが、この謎の行為はもはや道真の悪癖の様なものであり、習慣なのだ。

 将門は二人をよそ目にして、丁寧にベースをケースの中に仕舞っている。 

 怨霊座を結成して七年の月日が経過し、漸くバンドは軌道に乗り始めてきたのもあるが、人気稼業という音楽業界なのだから、何時、怨霊座が解散するなどいう出来事が無いとも言いきれない。しかし、怨霊座を解散させる訳にはいかない。

 それ相応の理由が崇徳にはあった。

 こいつ等とも腐れ縁である。道真も将門も、高校時代からの付き合いである。高校卒業を控えた時期に差し掛かった頃、崇徳は祖父母と離縁して、家を飛び出した。毎日家に帰って気まずい空気を感じながら祖父達の顔を見るぐらいなら一人暮らしでもした方がマシだった。高校を卒業してから崇徳は仲間達と共に京都で暮らす様になり、怨霊座という奇怪なバンドの名の下で日々の生活をしている。

七年前――

世間の風は崇徳の想いの他、猛烈に冷たかった。

友人の桐生誠が率いる視覚系バンド「飛鳥」に真似て立ち上げた怨霊バンドは、母校の文化祭で生徒達の素晴らしい想い出になった。

だが、京都では、御笑いバンドの演奏(ライヴ)が通じないのである。

高校の文化祭で光を放っていた怨霊座も、街の一角にある小さなライブハウスでは馬鹿にされ嘲られた。観客の数も疎らで、くだらない茶番だと笑われた。

視覚系バンドの恥さらしだと謳われた。

五年間、世間の冷たい風に浴びてきた顕仁は、素人の世界でも通用しない自分自身を呪い、一時は解散し、真っとうな生き方を探そうかと選択に迫られた時期もあった。

「雷神――道真」と自らの命名した怨霊も、一度、演奏(ライヴ)が終わり、化粧や衣装を外せば、普通の女に戻るし、彼女には時永早百合という立派な本名があるのだから、何時だって音楽を捨ててることも出来た。時永もバイトで生計を立てながら音楽活動を行っている。何でも居酒屋で夜遅くまで働いているそうだ。

 「新皇――将門」と命名した怨霊にも、温海将太という本名がある。彼に限っても普段はガソリンスタンドで春夏秋冬働きながら、音楽に精を出している。

 自分だって二人と何も変わらない。

 天上院顕人という名前に誇りが持てるならば、何時だって真っとうな人生を送れるのだ。だが、あの忌まわしい家に帰るぐらいなら、このまま売れないバンドに賭けている方が幾分マシであった。

 だが、そのように納得していたのは崇徳だけであり、二人は、等々二年前に顕仁に解散を迫ってきたのである。

 崇徳は選択に迫られ、苦しんだ。自分は何の為に怨霊座を創ったのか。追い詰められた顕仁はその時に漸く初心に帰ったのだった。

 アイツを――

 あの男たちを――

 自分の人生を狂わせた二人を――

 俺を大魔王に変えた憎たらしいあの二人の男達を――


 探す為ではないか。

 

 果たすべき目的の為に音楽活動を行ってきた訳でもない。顕仁には少なからずとも愛好者(ファン)がいる。そして特に愛して病まない愛好者(ファン)が、恋人でもある、藤原(ふじわら)彰子(しょうこ)である。

――売れないバンドをいつまでも続ける理由はよく分らないし、貴方が何故、そこまで不思議な世界観に捉われ続けるのかは、理解できない。だけど、私は好きよ。顕仁の音楽――

 無理やり彰子を演奏(ライヴ)に連れていった時から、彼女は怨霊座の愛好者(ファン)の一人になり、彼女の慰めや労りが顕仁の心の傷を癒しては、一筋の光明を示してくれた。

 顕仁は自分の生み出した幻想(バンド)に責任を持たなければならないと自覚したのである。妄想や絶望から始まった物語をここまで大きく育てる事が出来たのは、やはり彰子の存在が影響しているに違いない。

大阪公演「夏の乱」の会場の控え室で、崇徳は遠い日の記憶を呼び覚ましていた。

 

――今日も(たね)は居なかった――


 崇徳は悄然としながら、艶やかな着物を脱ぎ棄て、動きやすい私服に着替えた。

「悪いけど、先に帰る。今日、旧友(ともだち)がここに来てるから」

 崇徳は素気なく事情を将門に説明した。道真は女子用の控え室にて着替えを済ませている為、後に将門の口からこの後行われる呑み会には参加できないと彼女に伝えて貰おうとした。

「旧友? お前が誘ったんか?」

 将門が訊ねた。関西弁が様になっている男である。

「あぁ。しばらく連絡取って無かったからな。久し振りに声を掛けたら、乱に来てくれる事になった。募る話もあるし、向こうも時間を割いて来てくれたんだから、少しは絡んどかなきゃな」

「そうか。分かった。道真には言うとくわ。けど、また日を改めて飲みにいこな」

 将門は白い歯を唇の隙間から覗かせた。

 彼も、酒好きな男である。

「分かってる」

  顕仁に戻った崇徳は、長い髪を後頭部で結い上げ、振り子のように尻尾(ポニー)(テール)をゆらしながら控え室から小走っていった。



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