少女は明日の夢を見る 前編
町外れにある森の奥。そこには外壁に蔦の蔓延る古い洋館が佇んでいる。
大きな鉄製の門は所々赤く錆びており、開くと甲高い、不気味な鳴き声を静寂の中に響かせる。
鬱蒼と繁る木々により、洋館は外界から切り離されているようだった。
門から玄関まで続く道の脇に生える芝は短く刈られ、あまり人気を感じさせないこの洋館にも住む者が居ることを教えてくれる。
入り口の扉にある黒い輪っかを掴み、そのまま二度ノックする。
コン、コンと中に居るはずの住人を無機質な音が呼んだ。
少し間を置いて開かれる扉の音に、不安と期待が入り交じる。
「ようこそ、『人形師の館』へ」
――室内から流れ出た空気は、どこか異質で冷たく感じた。
<少女は明日の夢を見る>
人形師イオリ。
そいつはなんでも死人を生き返らせることが出来るらしい……いつ、誰が言い出したかもわからない噂。
本当かどうかもわからない、よくある噂。
だが絶望の淵にいた者は、それを単なる噂で済ませることが出来なかった。
中曽根 伍郎(なかそね ごろう)――彼はそれなりに名の知れた資産家だった。
生まれもったリーダー的資質と著しい努力により、一代で会社を築き上げた。
主に地元の雑誌やテレビなどで目にすることもあるだろう。
誠実で堅実な彼の在り方は多くの人間から信頼を集め、正に人格者と呼ぶに相応しい。
伍郎には美しい妻と一人娘がいた。
十八歳になる娘は母親に似て――いや母親より美しく、彼女は成長した。
一目見れば脳裏に焼き付き、決して離れないと言われ心を奪われた者も少なくない。
両親に溺愛され、大切に育てられた娘に与えられたのは残酷で凄惨な仕打ちだった。
自宅から数キロ離れた廃工場で焼死体となって発見された。
エンバーミング(遺体の修復)も不可能と言われ、美しかった娘の変わり果てた姿に母親は発狂。現在は病院で療養中である。
「……犯人は分からず、動機もはっきりしていない…。何故あの子があんな目に遭わなければならなかったのか、私は知りたい。だが何より……娘に、会いたいのだ」
案内された居間の白いソファーに腰を沈め、沈痛な面持ちで伍郎は語った。
話を聞くのは彼を迎えた亜理砂だ。
長い黒髪を後ろに束ね、華奢な体にグレーのパンツスタイルスーツがよく似合う女性である。
涼やかな目元を飾る赤縁眼鏡を指で上げると、亜理砂は「事情は分かりました」と言い続けて、
「ではまずこちらにサインをお願いします」
「これは…?」
「禁制事項とそれを犯した際の私共の対応についてです。よく目を通してください」
伍郎は差し出された一枚の紙を手に取った。
『一、家から出さない
二、肉を与えない
三、月光浴を三十分以上させる
四、金曜の日没~土曜の日没は動かさない
五、製造から七日経ったら還す
上記を破った場合、契約主の安全は保証されません。
また、いかなる手段を持ってしても人形を破壊します。
更に罰則として契約金の七割を御支払いただきます。』
簡単な内容のものだったが、その中でも特に重要なのはここらしい。
『人形』や『製造』といった単語に伍郎は訝しげに眉を寄せた。
なんだこれは?
娘は生き返るのではないのか?
まさかそっくりな人形?
だが動けるようだ……一体どういうことなのか……
頭の中で生まれた疑問を口に出そうとした時、スッと亜理砂は席を立った。
そして伍郎が言おうとしたことが解っているかの様に「詳しくは人形師が直接お話します」と、どうやらこの洋館の主人の元へ向かうらしい。
いよいよ噂の人形師に会える、と思うと玄関のドアが開けられた時の感情が戻ってきた。
もしかしたら、今は不安の方が大きいかもしれない。
彼の疑問が解消されるまでは。
真っ黒なドアの前で亜理砂は足を止めた。
白茶系の柔らかな色合いを基調としているらしいこの邸内で浮いているそれは『いかにも』な雰囲気をさらけ出している。
「イオリ、ご依頼主様をお連れしました」
二回のノックと亜理砂の呼び掛けに「どうぞ」と返事が聞こえた。
伍郎が心を落ち着ける暇もなく白く細い指がドアノブを回した。
「ようこそ初めまして、俺がイオリだ。依頼主さん」
家具も何も置かれていない真っ白な室内の中央に、足を組みながら椅子に座っている人物を見て思わず目を見開いてしまった。
茶に染まった髪は今時の若者のようにセットされ、服装も黒い襟付きシャツにウォッシュ加工されたデニムジーンズ……首や指で輝くシルバーアクセサリー。
その風貌はどう見ても十七、八の少年にしか見えなかった。
というか、噂の人形師とは思えなかった。
不敵な笑みを浮かべる少年に、最早不安しか感じない。
騙されているのか……?と伍郎が疑念を持ち始めた時、少年もといイオリはビシッと人差し指を立てて前に出した。
「なんか噂では俺は死人を生き返らせるらしいが、それには語弊がある。
生前と同じような状態に出来るだけだ」
笑みはそのままにイオリは続ける。
「ゴーレムって知ってるか?ゲームなんかでもよく出るよなー。
俺は土に仮の命を与え、七日間だけ活動させることが出来る。契約書にあるルールは守ってもらわなきゃならねーけどなぁ。
ただあくまで人形、魂までは戻らない。
だから『生き返る』わけじゃない。
あ、性格や見た目は本人と同じだから安心してくれな」
一気に話すと、ふぅっと一息ついて腕を組んだ。
言われたことを理解しようと伍郎は脳内で整理する。
ゴーレムというのは耳にしたことがあるが詳しくは分からない。
恐らくルールさえ破らなければ、七日間だけは一緒にいられるのだろう。
例え人間ではないとしても、構わなかった。
娘に会えるなら。妻に会わせてやれるのなら。
「本当に……娘に会わせてくれるのか?」
「もちろん、その為にアンタはここに来たんだろう?」
腰をあげると、イオリは部屋の隅に置いてあった大きな袋を持ちその中身をぶちまけた。
中央にあった邪魔な椅子は蹴飛ばされ、派手な音を立てる。
亜理砂は無言でそれを持って室外へと出ていった。
袋の中身は土のようだ。
何処にでもありそうな、普通の土に見える。
そこへ戻ってきた亜理砂が、抱えていた透明な瓶をイオリに手渡すと栓を抜き中の液体を土にかけていく。
無色透明なそれは水だろう。
服が汚れるのも構わず、土と水とを混ぜていく。
まるで子供の泥遊びだ。だが混ぜている本人は至って真面目な顔をしている。
そして数分後には人の形に仕上がっていた。
(人形……泥人形?これが娘になるというのか?あの美しい娘に!)
まるで信じられないが、イオリは伍郎に向かって手を出した。
「娘さんの一部、持ってきてるよな?」
それを渡せ、ということらしい。
確かに持ってきている。ここに連絡した際にそう言われたからだ。
懐から手の平サイズに折り畳まれた紙を取り出すと、ゆっくりと開いた。
白いそれは愛しい娘の骨だった。
どの部分かは判らないが、指定はされていないので構わないのだろう。
壊れないように丁寧に指先で掴むと、少し躊躇いながら泥だらけの手の上に置いた。
そん親指ほどの小さな骨を、イオリは優しく泥人形の胸に埋めた。
「……依頼主さん、強く願って。娘さんのこと想うんだ。強く、強く……」
アンタの想いが強ければ、強いほどよく出来る――背中越しに呟かれた言葉に、伍郎は胸中にあった不安を掻き消すように指を組んでただ娘のことを考えるようにした。
会いたい……会いたい、愛しい愛しい我が娘……
お前に会えるのなら、私はどんなことでもしよう。
声が聞きたい。笑顔が見たい……! どうか、どうか……!!
祈るように目を閉じ、娘の姿を思い浮かべる。
溢れる涙を拭うこともせず、ただひたすら想い、願った。
それ以外に伍郎に出来ることはなく、また娘に会う方法もないからだ。
「我が声に応えよ。ズィラーウ・ラアス・サーク・バトゥン・カルブ……彼の生命なき土塊に今一度、浅き夢を……偉大なる神の祝福を! シェム・ハムフォラシュ!!」
胸を中心に、淡く発光し出す土人形。
それが全体に及ぶと、徐々に見え始める肌色。
指先から、ゆっくりと茶色を覆ってゆく。
丸みを帯た女性らしい肢体が露になる。
そうして、現れた美しい人形に同姓であるはずの亜理砂でさえ魅せられた。
まるで天使――そう言っても過言ではない気がした。
「――詩穂!」
駆け寄り、抱き起こした体は温かく柔らかい。
さらりと落ちる、緑の黒髪の細やかな感触に色のいい唇。
先程までただの土だったとは信じられないほど……それ以前に死んだ事実を忘れてしまいそうなほど、彼女は『人間』であった。
その存在を確かめるように抱き締めると、ぴくりと瞼が動いた。
開かれた瞳も黒く、だが決して暗さは感じさせない。
「おとう……さん」
何処か儚げな雰囲気を纏いながら、掠れた声で彼女は父を呼んだのだった。
その胸に『emeth』の文字を刻まれながら。
今回は人形師がどういうものかを中心に書いています。
次回は伍郎さん達が主になるので、人形師ほとんど出ません。
扱いが主人公じゃないですね☆
なんか呪文みたいなとこはアラビア語です。
ヘブライ語にしたかったのですがどーしても解らず、同じアジア語属のアラビア語を(調べたら分かりやすい辞書がありまして…)
意味は「腕、頭、脚、腹、心臓」のはずです。
英語すら満足に理解してないのにアラビア語とは無謀ではないかと多少思っております。
『emeth 』の文字は、『人形』が出来た後に自動で刻まれます。
紙を貼ったり口の中に入れたりするよりもカッコいいかな…って。