『夕暮れの図書室と、ほどけない視線』
放課後の旧図書室は、新校舎の喧騒から切り離されたように静まり返っていた。高い窓から差し込む西日は、床に並ぶ木製の机を濃い琥珀色に染め上げ、空気中に漂う微かな埃の粒をキラキラと光らせている。
「ねえ、諒。そこ、なんて書いてあるの?」
隣の席から、鈴の鳴るような声が聞こえた。
声をかけてきたのは、同じクラスの角谷美月だ。彼女は自分のノートを広げたまま、上目遣いにこちらを覗き込んでいる。肩にかかるくらいの黒髪が、夕日に透けて綺麗な茶色に見えた。
「これ? ……ああ、これは世界史の論述の要約。次のテストに出るって先生が言ってたから」
「やっぱり! 諒のノート、いつも綺麗で見やすいから頼りになっちゃうな」
美月はそう言ってふわりと微笑むと、さらに椅子を近づけてきた。ふたりの肩が触れ合うか触れ合わないかという、絶妙な距離感。彼女から漂う、ほんのりと甘いシャンプーの匂いが、諒の鼻腔をくすぐる。
学校にいるときの美月は、誰にでも明るく接するクラスの中心人物だ。男子からも女子からも人気がある彼女が、なぜか放課後になると、この誰も来ない旧図書室で、諒と一緒に勉強をするようになった。
最初はただの偶然だと思っていた。しかし、回数を重ねるごとに、美月が選ぶ席はいつも諒のすぐ隣になり、今ではこうして、お互いの体温が伝わってきそうなほどの距離にいる。
「……あのさ、美月」
「ん? どうしたの?」
美月がノートから顔を上げ、じっと諒の目を見つめた。その瞳は驚くほど澄んでいて、まっすぐに諒の心を射抜いてくる。周囲に他の生徒は誰もいない。この静寂の中で見つめ合っていると、ドクン、と自分の心臓の音がうるさく響くのが分かった。
「いや……別に。ただ、最近よく付き合ってくれるなって思って」
「不満?」
「まさか。嬉しいよ」
諒が少し不器用に応えると、美月は嬉しそうに目を細め、机の上においてあった諒の左手に、自分の右手をそっと近づけた。触れるか触れないかの距離で、美月の指先が微かに動く。
「私ね、みんなといる時の自分も好きだけど……こうして、諒と二人きりでいる時の自分が、一番落ち着くんだ」
ささやくような声。夕暮れの光の中で、ふたりの境界線が少しずつ曖昧になっていくような、そんな特別な時間がゆっくりと流れていた。




