塩対応の受付嬢はギルドのエースの求愛を受け入れられない
「ただいま!」
ギルド入口を大きく開けて騒々しく入ってきた金髪の男が、まっすぐにカウンターに向かう。
歳は二十歳過ぎ、鍛えた身体も腰の剣もここギルドでは珍しくもない。
カウンター内で書き物をしていた若い女性は手を止めて立ち上がった。
「依頼、終わらせてきた」
自分に向けて細められる鮮やかな緑色の瞳をちらりと見てから、女性は男に続いて入ってきた三人にも視線を向ける。
「皆様お疲れ様でした」
「フィアの顔見たら疲れなんて吹っ飛ぶって」
「大きな怪我はなさそうで何よりです。今報告書を用意しますね」
視線の間に割り込むように勢いよくカウンターに両手をついて乗り出した男に、水色の髪をうしろでひっつめた女性は抑揚なく応じる。
「やめろアーク。お前は毎度毎度」
中年男がアークの首根っこを掴んでカウンターから引きはがした。
「フィアさんごめんね」
「もう帰り道からこんな調子なんだ」
隣で苦笑する青年ふたり。
「いえ」
にこりともせず、フィアは報告書をカウンターに置いた。
暫し真面目に依頼完了の報告書を書いていたアークが、書けたよ、と紙を差し出した。しかしフィアが受け取ろうとした瞬間、さっとそれを引く。
目標を失った手を瞬時に掴み、アークがにんまり微笑んだ。
「ねぇ、フィア」
握り込まれる手にも、フィアは表情を変えずにアークを見上げる。
「フィアは今日日勤だからもうすぐ仕事終わるよね? 食事行こうよ」
「お前人の勤務時間把握してんのかよ」
ぼそりとツッコまれても気にした様子もなく、アークはフィアの深い青の瞳を見つめる。
「新メニュー美味しかったよ?」
「結構です」
「依頼料入るし奢らせて」
「結構です」
「依頼頑張ったんだから労ってよ〜」
「お疲れ様でした」
「嬉しいけどそうじゃなくて〜!!」
ぐすんとわざとらしく鼻をすすって、アークは握る手をぎゅっと強くする。
「フィア。俺は本気だからね」
「いいかげんみっともないマネはやめろ」
見かねた中年男がアークの手から報告書を引き抜いた。それを合図に残る二人がアークの手を引き戻す。
「好きな人を口説くのの何がみっともないんだよ」
フィアの手を素直に放したアークは、それでも眼差しだけは留めたまま。
「好きなものは好きってはっきり言わなきゃ。手に入んないだろ」
視線にも声音にも籠る熱。
「だからフィア。俺と――」
「結構です」
「まだ何も言ってないのに! せめて最後まで聞いてよ?」
「結構です」
「そう言わずにさぁ〜」
平行線のやりとりに溜息をつきながら、中年男が報告書をフィアに渡した。
懲りないアークの誘いを右から左に聞き流しながら報告書を確認したフィア。毎度の様子に苦笑いの役員から依頼料を渡してもらって手続きは終了となった。
「お疲れ様でした」
「今度は付き合ってよね」
「結構です」
じゃあまた次にね、と少ししょんぼりとした笑顔を向け、アークはトボトボとギルドを出ていった。
肩を落としたうしろ姿は見送らず、椅子に座ったフィアは脇によけていた冊子を開く。
アークたちが去り、ギルド内も静けさが増したように感じる。
騒々しいというだけでなく、周囲の雰囲気を明るくするという意味でも、だ。
視線だけは冊子に向けて考えに耽る。
ああ見えてもギルド一番の実力者であるアーク。多少注意力散漫で猪突猛進なところがあるが、それをカバーできる今のパーティーなら彼も力を発揮できるはずだ。
来たる日に向け、できることを。
今の自分にはそれしかできないのだから――。
溜息を呑み込むのにももう慣れた。
意識を冊子に戻し、フィアは書き物を再開した。
ギルドを出て酒場へと向かいながら、いつも通りあえなく全敗したアークにパーティーメンバーの三人が呆れ声を掛ける。
「アークはさぁ、なんであんなにフィアに執着してるの?」
「どう考えたって望みないだろ」
「そのうちギルマスから注意されるぞ」
「なんでって言われても。好きだからとしか言えないかな」
焦がれる眼差しを宙へと向けて答えるアークに、三人からは納得と諦めの溜息が漏れた。
「アークは強くて顔もいいしモテるんだから。恋人なんて選び放題だろ」
「なんでよりによって自分に関心ない子を好きになるかなぁ」
「だからなんでって言われても。好きなんだから仕方ないだろ」
冬空色の髪は乱れなく纏められ、深い水底色の瞳からは感情が全く読めない。飾り気のない服装に変わらぬ無表情、淡々とした物言いも相まって、ギルド員たちには陰で氷の受付嬢と呼ばれている。
だがそれが他人への無関心からではないことを、アークは知っていた。
「それに、フィアってすごいんだ。皆のことよくわかってるから、依頼の振り方が的確でさ。今までの記録からダンジョンの傾向も見つけてくれたりしてるだろ」
受けようとした依頼を断られ興味のない仕事を無理に受けさせられた、パーティーメンバーを別パーティーに引き抜かれた、などという話も聞くが、大きな問題にならないのはそれで上手くいっているから。
勤務中も手の空いている時はずっと資料を読んでは何か書き出している。
表には出ていないが、おそらくそうした行動で助かった命がいくつもあるのだろう。
「ホント、尊敬する」
「お前が本気なのはわかったが、周りはそうは見てないぞ」
真剣味の増した声音に、アークが足を止めた。
「フィアさんの方がお前をたぶらかしたってな」
「あー、確かにあからさまな悪口増えたよね」
「フィアさん反応ねぇから、相手も気が済まねぇんだろうな」
三人揃ってアークを見据え、現状を告げる。
「引くのも彼女のためだと思うがな」
最後に落とされた言葉に、アークはその手を握りしめた。
◇ ◇ ◇
バシャン、と少し仰け反るくらいの勢いで水が掛けられる。
「大体あんたは生意気なのよ!」
目の前のギルド員の金切り声と濡れて張りつく服の感触に、フィアは心中面倒だとぼやいていた。
その日、女性のギルド員三人に何やらクスクス笑われながら、見てほしいものがあるといって連れてこられた建物裏。
着くなり三人から『アークに色目を使うな』と散々詰られた。
もう仕事に戻っていいですか。
いい加減気が済んだだろうと思いそう言った途端の出来事だった。
「アークは誰にでも優しいから、魔力が一切ない出来損ないのあんたを憐れんで話しかけてくれてるだけだって、どうしてわからないの?」
「そうよ! あんた生活魔法も使えないんでしょ? あり得ないわ」
「よく恥ずかしげもなく人前に立てるわね」
魔法で水をぶっ掛けた女の言葉を皮切りに、色恋とは関係のないことでまで罵倒され嗤われる。
ギルドに来るたびに言い寄るアークと、表情ひとつ変えずに受け流すフィア。
アークのことが好きな彼女たちにとって悪者は自分なのだろう。
「とにかく! あんたじゃ釣り合わないんだから、さっさとギルドを辞めてアークから離れてよね!」
「離れるも何も、私が近寄っているわけでは――」
バシャっと更に水が掛けられる。
「水で済ませてるうちに頷いた方が身のためよ」
そう告げた女の手のひらの上に、ちらりと赤いものが揺らめく。
「いくらあんたでも、顔に火傷を負いたくはないでしょう?」
完全に脅しでしかない女の様子に、フィアは内心息をついた。
目の前でキャンキャン喚いた挙句、吹けば消えそうな火を得意満面に見せつける女。
馬鹿らしくて芝居をする気にもなれない。
(でも所詮は私も同じ、よね)
方法は違えど、理由は同じ。
彼女と自分は同類なのだ。
「早く辞めるって言いなさいよ!」
怯えるどころか驚いた様子すら見せないフィアに、苛立った様子で声を上げる女。
逸れていた意識を目の前に戻し、フィアはまっすぐ女を見据えた。
「貴女がそれほどにアークさんのことを愛しているのなら、どうぞご自由に」
淡々と言い切り、纏めていた髪を解く。
水を含んだ髪が重そうに広がり落ちた。
「なっ、何を……」
「ご自由に、と。言いましたが?」
頬に張りついた髪を耳に掛け、フィアは緩く口角を上げる。
雫のしたたる前髪に、濡れたからこそよくわかる長いまつげ。なめらかな女性らしい曲線を強調するように張りつく服とその仕草も相まって、同性でも息を呑むほど妖艶で。
固まる女たちへ、フィアはすっと瞳を細める。
「ここで私を焼けば貴女自身も罪に問われます。それでも私という害虫から愛する人を守るためだと言うのでしたら、どうぞご自由に」
明確に「罪」を意識したのか、女たちが僅かにたじろいだ。
――罪だと指摘しただけで揺らぐ程度の思いなど。
笑って指摘してやりたいのを堪えて続ける。
「ですが私は私の愛する人のために。ここで貴女に焼かれようが、誰に何を言われようが、やめるわけにはいかないのです」
少し声を張るのは己自身に改めて覚悟を示すため。
ただひとつの願いを叶えるために。
あの時失われたものを繋ぎ止めるために。
自分はそれだけのために生きている。
「お互い愛する人のため。方向性は異なりますが、自分をどこまで犠牲にできるかの勝負ですね」
周囲の気温が一段低くなったかと錯覚する、冷えた笑みと感情を含まぬ声音。
時間ごと凍りつくように、その場に静寂が訪れた。
暫く待ってみても動かぬ女たち。
じっと見据えていたフィアが、ぱちりと瞬いた。
「どうしましたか? 遠慮なくどうぞ?」
その声に我に返り、気圧されていた自分たちに気付き。
羞恥に紅潮し、女たちはフィアを睨みつける。
「……あ、あんた頭おかしいんじゃないのっ」
「人を好きになるのなんて、所詮はそんなものでしょう?」
意に介した様子もなく、フィアは肩をすくめた。
「貴女方だって、十分おかしな行動をしているじゃないですか」
「何を――」
「もうそれくらいにしとけよ」
突然割って入った声に、女たちははっとして振り返る。
「アーク!」
「脅すとこも見てる。報告はさせてもらうから」
「違うの、あれは――」
「言い訳はギルマスにしてくれ」
聞く気はないとばかりに話を切り、アークは女たちの横を通り過ぎ、上着を脱いでずぶ濡れのフィアへと掛けた。
「大丈夫?」
女たちを見ていた冷えた眼差しと、フィアへの優しい声音。
その明確な差が何を示すのかなど考えるまでもない。
絶望を浮かべ走り去る三人を見送ってから、フィアはようやくアークへと視線を向ける。
「ありがとうございます。上着、濡れてしまいましたが……」
「いいからそのままじっとしてて。さすがにちょっと乾かさないと」
返そうとするフィアを止め、魔法で風を当て始めるアーク。
「アークさん、そこまでしなくていいので」
「目のやり場に困るから。他の奴らに見られたくないんだ」
上着で隠せるのは上半身だけ。ぺたりと足に張りつくスカートの感触に、フィアもおとなしく口を噤んだ。
アークが風を当てている間、フィアが髪を絞って纏め上げる。
見慣れた髪型のはずなのに、隠れていた白い項が徐々にあらわになる様子になんとも言えずドギマギとして。
いつもの軽口を見失ったアークは、なるべく見ないようにしながら服を乾かしていた。
「……ごめん。俺のせいだね」
どうにか動悸が落ち着いたところで、ようやく謝意を口にする。
「アークさんが謝る必要などありません。ここまでしてもらって、むしろ私がお礼を言わなければ」
わざわざ自分の方に向き直ったフィアがまっすぐ見上げてきた。
折角見ないようにしていたのに、自分の上着を着たフィアにまたどきりとする。
「ありがとうございます。おかげさまでみっともない姿を晒さずに済みました」
「みっともないんじゃなくて……」
その先は吐息に変えて、アークは再び目を逸らした。
「……それにしても、どうしてあんな煽るようなこと言ったんだよ」
「勝負を受けただけです」
「勝負って。それで本当に火をつけられてたらどうするつもりだったんだよ」
どうもしません、といつもの顔で答えるフィア。
「ご丁寧に先に濡らしてくれましたし。攻撃魔法ではなかったので、少し火傷をするくらいかと」
「だとしても、だよ」
あの三人に外へ連れていかれたと聞いて、慌てて探した。
ずぶ濡れのフィアはいつもと様子が違っていて。驚いてすぐに出られなかった。
――あの時すぐに出ていれば、聞かずに済んだかもしれないのに。
また何も言えなくなって黙り込んでいるうちに、少し軽さを取り戻したスカートが風になびくようになった。
「ありがとうございます。もうこれだけ乾けば着替えに戻れます」
上着は乾かして明日返します、と業務連絡のように告げてくるフィア。
知らない振りをしていれば、今まで通りでいられる。
そう、わかっていたのに。
「……好きな奴、いるんだ?」
堪えきれず、聞いてしまっていた。
◇ ◇ ◇
目の前が赤に染まる。
見上げる高さにあった金の髪がゆらりと揺れて落ちていく。
その背の向こうで倒れる魔物に、何が起きたのかを把握する。
膝をついた彼。胸元から首筋にかけて奔る一筋の赤。
力ないその背を支え、自分の膝に頭を乗せる。
最後のポーションをかけ、治癒魔法を展開する。
たかが一本のポーションと専門外の治癒魔法では、治すどころか止血すらできない。
いつも自分を見つめる優しい緑の瞳から急速に光が失われていく。
「いや……だめ、死なないで……!!」
必死に彼の手を握る。いつものようにぎゅっと握り返してはもらえない。
「……うそ……ねぇ、お願い、置いていかないで」
瞼が閉じると同時に、ふっと彼の身体から力が抜けた。
「アーク!!」
◇ ◇ ◇
目を開けたのは暗闇の中。
何かにのしかかられていたかのような疲労感を深い息で逃し、フィアは起き上がった。
幾度となく見た夢。
本当に夢ならばよかったのに、と。何度思ったことか。
夜明けまではまだ暫くありそうだが、もう眠れそうになかったので諦めて起きることにした。
部屋の隅に吊ってある、洗濯を済ませて今日返すつもりのアークの上着。近付いて、指先でそっと触れる。
掛けられたあの瞬間感じた彼の匂い。
懐かしく遠い記憶は未だはっきりと身の内に残っていた。
柔らかな指通りの金の髪。幸せそうに自分を見つめる緑の瞳。唇は甘く囁き、長い指は優しく触れて。
零れた涙に気付き、フィアは袖口で拭う。
繰り返す、愛する人を失うまでの日々。
全魔力と引き換えに得た幾度かの機会。
いつ途切れるかもしれないこの繰り返し。
(……もうすぐ、ね……)
この町から一番近いダンジョンで魔物の暴走が起きるまで。
あの日失う彼を取り戻すため――。
「ありがとうございました」
昨日の件でギルドマスターに呼ばれていたアーク。話を終えて受付に戻ると、フィアが上着を用意してくれていた。
「わざわざ洗濯してくれたんだ? ありがとう」
カウンターに置かれた上着を手に取り、アークはにこりと笑う。
「お礼に食事行かない?」
「結構です」
「洗ってくれたお礼させてよ」
「結構です」
「面談緊張して喉渇いたし」
すっと立ち上がって奥の続き部屋へと入っていったフィアが、すぐに水の入ったグラスを持ってきた。
「どうぞ」
「ありがとうだけど違う!」
でももらうよ、とアークはグラスに口をつける。
いつも通り纏められた水色の髪。
もう用はないだろうとばかりに逸らされる青い瞳。
昨日まで変わらぬ距離なのに、どこか遠く感じる。
――フィアの好きな相手は自分の知らない人で、今はここにはいないらしい。
どうやらまたギルドに戻ってくるのを待っているようだった。
昨日彼女が絡まれたのは自分のせい。もうすっぱり諦めて距離を取った方がいいかとも考えたのだが、まだ自分にもできることはあるかと思って現状維持を選んだ。
応えてくれないとわかっている。
触れるのもやめる。
だから想い人が戻るまで、自分を盾代わりに使ってくれればいい。
自分につれない態度を取る様子を見せることで、言い寄ってくる男は減っているはずだから、と。
あの三人への対応を間違えなければ、傍目にもただ自分が熱を上げて一方的に迫っているだけだとわかるだろう。
想い人が戻ったらそこできっぱり手を引くと約束して、珍しく戸惑う様子のフィアを押し切った。
氷どころか炎を思わせる苛烈さで、その愛を示したフィア。あの時の彼女を見てしまえば、もう一縷の望みすらないとわかるのだが。
女々しいながらも、せめてそれまでは。
近くて遠いこの位置で、彼女を見つめていたかった。
◇ ◇ ◇
「じゃあ行ってくるよ」
「お気をつけて」
「帰ってきたら食事行こう」
「結構です」
「だって今日の仕事ってフィアの発案だろ? 特別手当つかない?」
「相応の報酬はお支払いしています」
「減らしていいからさ〜」
バカ言うな、とパーティーメンバーに小突かれる。
何すんだよとぼやいてから、アークはカウンター内のフィアを見た。
おそらく誰も気がついていないが、いつもより幾分緊張した面持ちで。何度も手を握りしめている。
――今日の大規模なダンジョン調査はフィアの進言によるものと聞いている。
行き慣れたダンジョンだというのにと呆れる声もあるが、ギルドマスターから一部の者には魔物の暴走の懸念があるので心してかかるようにと告げられていた。
フィアの緊張は間違いなくそれに関わることだろう。
いつも資料を読んでは纏めていた彼女。その彼女の言うことなのだ。
だからおそらく魔物の暴走は起きる。少なくとも自分はそう思っている。
「大丈夫。油断しないでしっかり見てくるよ」
今までのフィアの努力に報いるためにも、兆候を逃さずに初期で抑え込む。
それが自分にできること、だ。
笑顔で言い切るアーク。
見返すフィアの眼差しが少し緩んだように見えた。
「アーク、さん」
名を呼ばれたのはいつもの素っ気ない声ではなく、親しげに何度も呼んだ名のような、そんなぬくもりを含むもの。
瞠目するアークをまっすぐ見据え、フィアが続ける。
「あなたにはどんな局面でも乗り切れるだけの実力があるのですから。決して焦らずに周りを見て、仲間の声を聞いてください」
まるで今までの自分の戦いを見てきたかのようなその口振りに滲むのは、心配ではなく信頼。
「よろしくお願いします」
深く頭を下げるフィア。
「わかった。任せて」
ぐっと拳を握りしめ、アークが頷いた。
アークを見送ったフィアは、とさりと椅子に座ってうなだれる。
――ついにこの日が来た。
今までに起こった他ダンジョンでの魔物の暴走の記録を集められるだけ集め、多少こじつけだろうが尤もらしい理由を並べ立て、今日の魔物の暴走の可能性をギルドマスターに信じてもらった。
ひとり突き進みがちなアークを止められる人物と、後方支援と隙のできやすい背後を守るための適任も見つかった。
自分が抜けた分の戦力も、向き不向きを自覚させて経験を積ませた他パーティーの同行で補えるだろう。
あの日から何度も繰り返し、同じ数だけアークを死なせてきた。
その何度もの失敗の末の、今回。
繰り返せる回数はその者の魔力量に依るらしい。いくらかつては人並み外れた魔力量であったとはいえ、次も戻れる保証はない。
今までで一番整えられた盤面。
ただただアークの無事を願う。
昼前に魔物の暴走が始まったと連絡が来てからは、フィアも対応や支援要請に追われた。
事前に準備をしていたおかげで、忙しくはあったが混乱はなく。日が落ちる頃には抑えることができただろうとの一報がきた。
今夜は夜通し見張りを続け、明日いっぱい様子を見て。それでも変化がなければ少し警戒を緩めても大丈夫だろう。
怪我人はいるが命に関わるような傷ではない。
そして死者もひとりも出なかった。
報告を受けたフィアは、座り込みそうになるのをなんとか堪える。
繰り返しの終点は二日後の夜。
アークがその日を無事に終えることができたなら――。
◇ ◇ ◇
魔物の暴走から三日目の朝。
本当に時が巻き戻らないか心配で一睡もできなかったフィアは、白んでいく空にようやく胸を撫で下ろした。
これで本当にアークの命は守られた。
あの日自分の不注意で失われた彼の命を取り戻すことができたのだ。
ついに解けた緊張を流していくように、自然と涙が溢れていく。
(よかった……)
これからも彼は生きていける。
それが何よりも嬉しい。
そして、自分ももうアークへの想いを隠さなくてもいい。
どこまで説明できるかもわからない。
今更何をと言われるかもしれない。
それでも。
もう自分は自分の気持ちを素直に出してもいいのだから。
今までアークが諦めずにいてくれたように、今度は自分が諦めずにアークに愛を伝えればいい。
愛する人さえ騙しながら、心を凍らせ何度もやり直してきた自分なのだ。
心のままにいられるようになった今、一体何に怖じるというのか。
無事に終わった安堵感はすぐに期待と不安に成り代わり、結局落ち着くことができず。
それなら動いている方がましかと思い、まだ早いがギルドに向かったフィア。
到着した人もまばらな早朝のギルド前に。
ぽつりとアークが立っていた。
「おはようございます、アークさん」
「フィア……」
一瞬瞠目したあと戸惑いを浮かべるアーク。
そのらしくない表情に不安になる。
魔物の暴走では特に怪我をしたとは聞いていないが、もしかして今になって不調が出たのだろうか。
「どうかしましたか?」
慌てて尋ねるフィアに、うん、と歯切れ悪く呟きながら、アークはじっと見つめてくる。
「……仕事までまだ時間あるなら、ちょっと話を聞いてほしい」
ここじゃなんだから、とギルドの面会室を借りて。
心配そうなフィアと向き合って座ったものの、何をどう話せばいいのかとアークは戸惑う。
――夢を見たのだ。
夢の中の自分もここのギルドの一員だったが、今のパーティーではなく火魔法使いの女性と組んでいた。
新入りの時から一緒の彼女。ギルドで一番と言われるようになる頃には、互いに愛し合うようになっていた。
さらりと長い水色の髪。落ち着いた輝きを湛える深い青の瞳。そんな静かな外見に反し、戦闘中は厳しくも果敢で、しかし普段は明るくはしゃぐ。
そんな彼女の名は――。
「……フィア、なのか……?」
名も容姿も同じでも、今まで自分が知っていたフィアとは全く違っていた。
しかし、脅されながらも微塵も引かなかったフィアの様子と、夢の中の彼女の姿が重なった。
生きながら死ぬ苦痛を乗り越え続けられたのは、彼女に確かめたかったから。
夢の中で心から愛しいと思った相手と、叶うことがないと知りつつ諦められなかった彼女。
もし同一人物ならば。あの日フィアが語った「愛する人」は――。
黙ったまま夢の話を聞いていたフィアの瞳から、見る間に涙が溢れ出す。
「おかえりなさい、アーク」
間にあるローテーブルを飛び越えて、アークはフィアを抱きしめた。
自分を強く抱くその腕に、フィアはこれが現実であると知る。
まさかアークが記憶を取り戻すなんて。
考えてもいなかった奇跡を逃さぬように、自身もしっかりとアークを抱きしめる。
「俺のフィア、でいいんだよな?」
「私は私だって。いつも言ってるでしょ」
あの頃何度も言われた言葉。
そのたびに笑ってそう反論した。
背中から肩へと手を移し、引きはがすように距離を取るアーク。
抱き合うと見えなかったその顔は、今にも泣き出しそうに歪んでいる。
「やっぱり俺のフィアだ」
「そうね、あなたのフィアでもあるわね」
こうして最後に認めるのも、あの頃のまま。
アークの手が優しくフィアの涙を拭い、そのまま頬を包み込む。
近付く影に、フィアは目を閉じた。
ようやく夢ではないのだと互いに確信してから、フィアは請われるままに何をしたのかを話し始める。
「廃ダンジョンの奥で石板を見たことがあったでしょ?」
「ギルマスに忘れろと言われたやつか」
ふたりにとっては大きな出来事。
座るフィアの前に膝をついて向き合うアークも、悩む素振りもなく頷く。
「そう。あれを使ったの」
古いダンジョンの奥で見つけた石板には『望みを叶える魔法』が書かれていた。写し帰ったフィアとギルドマスターで解読したところ、使用者の全魔力と引き換えに決めた終点までを繰り返すものらしいと判明した。
国に報告すれば資金と人員を割いて詳らかにしてくれるだろうが、使い方次第で白くも黒くもなりそうな魔法である。今は国の情勢も落ち着いているが、もし有事となった場合どのような使い方をされるかわからない。
これは外に出さないほうがいい。
そう決め、記録を破棄した。
「ちゃんと覚えているかも、思った通りの効果なのかも、成功したところであなたを救えるかどうかも、何もわからなかったけど。私にはこれしか手がなかった」
何もかも不確かなまま全魔力を手放す魔法を使った。
その事実を知ったアークは、悲痛な面持ちでうなだれる。
「……フィア、俺のためにそんな……」
「もとはといえば油断した私がいけないの。本当ならあの時死んでいたのは私だったはずよ」
うつむくアークの髪を指で梳き、そのまま頭を引き寄せて。
「あなたに守ってもらった命だから。あなたを救うために懸けたかった」
アークは暫く黙って抱かれていたが、そのうちぽつりとありがとうと呟いた。
「そういえば、なんであんな態度だったんだよ?」
ひとしきり話したあと、突然拗ねたようにアークがぼやく。
「別に恋人になったって支障はなかっただろ?」
「あったのよ」
戻って一回目、自分はアークを探してすぐに恋人となった。
どこまで話していいかもわからず、この先起きる魔物の暴走のことを知らせることができないまま。
だがあの時も自分たちで止めることはできていた。だから大丈夫だと思っていたのに。
「アークったら魔物の暴走の最中に、私が心配だからって戻ってきちゃったのよ」
結果、魔物の暴走を止められず、膨れ上がった魔物の群れに襲われ町は壊滅。アークも自分もその時命を落とした。
もう自分は共に戦うことができない。
だからアークが心配できない立ち位置になるしかなかった。
決められた未来に抗うためには、余程の運と努力が必要なのだろう。
戦力不足にアークの不注意、魔物の暴走が起きると言い過ぎて処罰されたこともあった。
ふたりで町を離れればもしかして。そう過ることもあったが、それが何を意味するのかを考えるととても実行する気にはなれなかった。
幾度もの失敗を重ねての今回。
ようやくすべてが報われた。
あの態度は自分のせいだと言われたアークは暫く落ち込んでいたが、クスクス笑うフィアに仕方なさそうに表情を緩める。
「今度こそ応えてくれる?」
自分に向けて伸ばされる手。
これまでもずっと、何度も何度も。
どれだけ冷たく接しても、アークは必ず自分を好きになってくれた。
応えることができなくても。何度繰り返しても変わらず向けてもらえるその想いに、自分はずっと力をもらってきたのだ。
「ええ。愛してるわ、アーク」
やっと取ることができたその手をしっかりと握る。
自分が仕向けたにも拘らず、言い切ったフィアを照れた顔で見返して。
アークはもう片方の手でフィアの手を包んで引き寄せた。
変わらぬ緑の瞳だが、今は熱を含み。
ずっと自分だけを見続けてくれたその瞳に導かれるまま、フィアも自ら距離を詰める。
「俺も。愛してる」
唇を重ねてから、アークがフィアを抱きしめた。
そろそろ仕事の時間だと、ふたりして立ち上がる。
「これからは受付でも普通に接してくれるんだよな?」
「もちろんよ」
もうアークから距離を取る必要も、冷たくあしらう必要もない。
よかったと嬉しそうに笑ったアークだが、なぜか直後に真顔に戻った。
「……なぁフィア。魔法使えないの不便だろ? もう一緒に暮らさないか?」
「え?」
既視感に思わずぎくりとする。
初めて戻ったあの時も、恋人になって暫くでそう言われた。
そのうち生活魔法すら使えない自分を過剰に心配するようになり、家から出してもらえなくなった。
固まるフィアに、だって、と視線を落とすアーク。
「フィアがあの態度やめたら絶対言い寄る男が出るに決まってる」
そんなことないと言おうとして、今まで無碍にしてきたアークからの誘いの数々を思い出す。
特に最後は自ら盾としてくれと言ってきた。
きっとこれもそのつもりなのだろう。
「……いいけど仕事は辞めないわよ」
あの時とは違うとわかりつつも、思わずそんな予防線を張ると。
「フィアは今回の功労者なんだから、そもそもギルマスが辞めさせてくれないと思うけど」
屈託なく笑うその声に、いらぬ心配だったかと内心安堵する。
――これから始まるのは、今までのどの繰り返しとも違う日々。
そしてもう戻ることはない、一度きりの時間。
「行こうか」
「ええ」
差し出されたアークの手を取って。
フィアは未知の今日へと踏み出した。
お読みくださりありがとうございました。





