表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2098  作者: 猪介 -Isuke-


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/21

【第6話】 穢れの燈火 ー 沈降 ー

つづけて、第6話になります。

今回はちょっと長めの設定ですが一気にいかないといけないところなので、長文となります。

12月23日のお話でもあるので、なんとか今日アップができてちょっと幸せです。


この第6話の曲は「穢れの燈火」です。

●以下がYouTube

https://youtu.be/191Wj6Xa3Yo

●spotifyで視聴が可能となりました。

https://open.spotify.com/intl-ja/album/4b0XPdka9jV71bvbhx17tb

今回かなり良い曲なので是非聞いてみてください。

なお、曲中にネタバレが含まれるのでいつも通り全て読み切ってから聞いた方が良い感じです。


第6話 穢れの燈火 ー 沈降 ー


12月23日(土)。


冬の朝特有の白い光が、行燈ゆきひと響歌きょうかをやさしく照らす。

2人は今日、成人検査のために市内の検査センターを訪れる。この横浜の検査センターは、時代の後押しもあり、県内でも屈指の規模を誇る複合施設だ。成人検査を行う本館のほかに、隣接する研究棟、医療棟がガラスの渡り廊下で結ばれ、全体がひとつの巨大なシステムとして機能している。

外観は白と銀を基調とした無機質なデザインで、近未来的な直線が幾重にも重なり合い、朝の光を鋭く跳ね返していた。


通常、市内に住む18才に達した成人は、全てこの施設で検査を受けることになっており、この日は事前予約した150人が検査枠の対象となっていた。受付開始の9:00をやや遅れて到着すると既に20人ぐらいの若者が会場ゲート前にて入場待ちをしていた。

行燈ゆきひと響歌きょうかを含む若者たちは、無言の列をつくり、受付ゲートを冷えた空気とともにゆっくり進む。


『検査会場は3会場に分かれます。ゲート通過時にスマートフォンに登録された内容を画面で確認いただき、指定の会場にお進みください。』

館内放送が無機質に入口ホールに流れる。


行燈ゆきひと響歌きょうかは指定の第2会場へ進むと、既に会場には30人ぐらいの若者が指定の席についていた。

会場内部は小さな映画館のホールのような作りになっており、50~60人分ぐらいのヘッドセット付のゆったりとしたリクライニングチェアーが設置されている。


『9:30より成人検査の説明をおこないます。説明後、すぐに基礎的能力値と共鳴分類の検査に入ります。検査会場についてはエコーの持ち込みはできません。手荷物や貴重品と一緒に会場後ろの指定ロッカーをご利用ください。』


会場前方の大画面の表示画面を見ながら、二人はゲンとコハクにひと時の別れを告げる。

「じゃあ午後までここで待っていてね」

『了解。その間ゲンと今後の打ち合わせをしておくわね』

コハクはここでも相変わらずである。


「いやお前たち、きっともう十分打ち合わせしているよね。ほんと最近俺たちの知らない間に何を話し合っているのかちょっとコワイよ」


『そんなことはありません。お二人の将来のための話し合いですから』

行燈ゆきひとさんその通りよ』

コハクがゲンの話に乗っかりながら不敵な笑みを浮かべる。


「まあ、ゆっくりと話し合ってくれ」

『本当は現実空間で4人で話し合いたいんですけど』

『そうそう、本体はスマホだからゲンと私は通信はできるけど、4人でエコーとして話し合った方が臨場感がでるのよね。』

「そんなもんかね?」

『そりゃそうよ。視覚でとれる視線や表情、マイクからの振動とか、温度データとかスマホじゃデータは取れないからね。エコーの方がセンサーパッケージが充実しているから、現実空間で得る情報は多いのよ。』


「なるほどね。とりあえず午前中だけみたいだからゆっくりと休んでてくれ」

2人はエコーと荷物をロッカーに納め席に着席する。


――――――――――――――――――――――――


「9:30になりましたので、本日の成人検査の説明をさせていただきます。」

ステージに女性司会者が登壇し説明が始まる。


「本日、成人検査の内容に基づき、基礎的能力値検査と共鳴分類の検査をおこないます。皆さんのスマホに表示されている、第2会場のあとのアルファベットがAの方は基礎的能力値。Bの方は共鳴分類の検査からはじまります。AB各表示の扉から検査会場に向かってください。

それぞれ約1時間ぐらいの検査となります。エコーは持ち込み不可となりますので、まだお持ちの方は、会場後ろの指定のロッカーに収納してください。

検査が終わりましたら社会認証手続きとなり午前の検査は終了となります。終了後はそのまま休憩となりますので各自食事等に入ってください。

午後からマイクロチップの埋め込みと中層域のオリエンテーションがありますので、13:00になりましたら、またこちらに集合してください。なお、マイクロチップを埋め込まない方は、社会認証手続き完了後そのまま解散となります。

最後に、検査の結果については、1月6日に皆さんのメールアドレスと学校側に結果を送信させていただきます。

それでは皆さん各会場に移動お願いします。」


事務的な説明のあと、二人はスタッフに従い会場に向かう。


――――――――――――――――――――――――


『検査はいかがでしたか?』

「うん、神経系の検査が思ったよりも大がかりだった」

響歌きょうかが苦笑する。


「ほんと、あのバカでかい測定装置はすごかったね。なんか、脳の奥まで覗かれている感じで」

行燈ゆきひとも同意するように肩を回しながら息を吐く。

「それと最初の姿勢固定のやつ、けっこう緊張したな。あれ、動いちゃいけないって言われると余計に動きたくなるんだよね」


『お二人ともお疲れさまです。共鳴系の測定は、今年から新型の装置に変わったそうですよ。共鳴指数の初期値をより正確に取るために、脳波と自律神経の同時測定が強化されたとか』


「へぇ…どうりで妙に静かだったわけだ」

響歌きょうかが思い返すように目を細める。


「装置の中、音が吸い込まれるみたいでさ。自分の呼吸だけがやたら大きく聞こえた」

行燈ゆきひとも頷く。

「俺も。なんか、心臓の音まで拾われてるんじゃないかって思ったよ」

『実際、拾われていますよ』

ゲンがさらりと言う。

「えっ、マジで?」

行燈ゆきひとが思わず声を上げると、

コハクがくすりと笑った。

『もちろんよ。心拍、血流、皮膚電位、脳波、筋反応、全部をまとめて“初期共鳴プロファイル”として記録するんだから』

「うわぁ…なんかもう丸裸だな」

『大丈夫ですよ。二人のデータは適切に管理されますし、午後のチップ同期にも必要な情報ですから』

響歌きょうかが小さく息をつく。

「まあ、そういうものなんだろうけど…やっぱり緊張するよ。学校の簡易検査とは大違いだったしね。」

行燈ゆきひとは彼女の横顔を見て、少しだけ笑う。

「でも、これで午前は終わりだから、昼ごはん食べて、午後のチップの埋め込みとオリエンテーションで終わりだね」

『午後は特に負荷になるものはないから、午前よりずっと楽だと思うわよ』

コハクが明るい声で言う。

『そうですね』

ゲンも続ける。

響歌きょうかは顔を多少曇らせ、

「あなたたち、私はチップの埋め込みが一番嫌なのよね」

相変わらずマイクロチップ埋め込みが嫌なようであった。


――――――――――――――――――――――――


昼食も終わり、朝集まった第2会場に再度集まる。

「皆様、午前中の成人検査お疲れ様でした。それではこれから、朝と同じくABに分かれてマイクロチップの埋め込みをおこなっていただきます。午前中の検査でチップに対するアレルギー検査も済んでおりますので安心して処置を受けてください。

埋め込みが終わりましたらオリエンテーションを実施しますのでこちらの会場に戻ってきてください。」


スタッフに案内されて受講者達は医療棟の奥へと進んだ。


『マイクロチップ埋め込みは、神経束を避けて皮下に挿入するだけですので、痛みはほとんどありません』

ゲンが落ち着いた声で説明する。

『そうよ。全て機械でやってくれるから痛みも少ないし、生体同期も自動でやってくれるから安心して』

コハクも優しく続ける。


一行はスタッフにより処置室なるものに案内される。部屋の奥にかなり大がかりな挿入機が用意されていた。順番がまわってきたので、行燈ゆきひとが先陣を切る。装置に腕をアームレストに預け、それと同時に装置の頭側のヘッドレストが静かに動き位置を調整した。


「では、始めますね。軽く冷たく感じるだけですので、リラックスしてください」

女性スタッフの声は柔らかく、しかしどこか儀式の司祭のような厳かさを帯びていた。


装置が起動し、行燈ゆきひとの耳の後ろあたりにひんやりとした感触が走る。

次の瞬間、微細な振動とともに、小さな光点が皮膚の下へと吸い込まれていった。

「……あ、ほんとに痛くないんだ」


「はい、これで完了です。今から生体同期を行いますので、そのまま頭を動かさずにお待ちください」

装置のパネルに、行燈ゆきひとの脈拍・体温・神経反応が淡い光で表示される。

それらの波形がゆっくりと整い、最後に“同期完了”の文字が浮かび上がった。


同じように響歌きょうかも埋め込みをおこなう。


「終わった…思ったより早かったね」

『お疲れさま。これで正式に“成人”としての識別が可能になったわ』

コハクが誇らしげに言う。

『午後の中層域オリエンテーションは、このチップがないと入れませんからね』

ゲンも続ける。



――――――――――――――――――――


二人が会場に戻ると、午前とは違い、皆やれやれという終わった感が漂っていた。


やがて照明が少し落ち、

前方の大画面に淡い青の光が広がった。

「それではこれより、中層域オリエンテーションの説明を開始します」

午前と同じ女性司会者がステージに立つ。

しかし、声のトーンは先ほどよりも一段落ち着いていて、「お前たちまだ終わってないからな」とばかりに、“特別な儀式”感を出していた。


「皆さんのマイクロチップは、すでに生体同期が完了しています。これから行うオリエンテーションは、そのチップを用いて 中層域に初めてアクセスするための“導入プログラム”となります」

画面に、中層域の簡易構造図が映し出される。


現実世界と重なるように描かれた透明な層が、ゆっくりと回転しながら説明に合わせて変化する。

「中層域は、皆さんの認知情報と社会インフラが連動する“半仮想・半現実”の共有空間です。

企業活動、行政手続き、教育、医療、そして一部の職業訓練は、この中層域を通じて行われます。」


行燈ゆきひとは画面を見つめながら、午前の検査で感じた“脳の奥がざわつくような感覚”を思い出していた。


司会者は続ける。

「皆さん本日のオリエンテーションでは、中層域への安全な入域方法、基本的なルール、そして緊急時の自動退避プロトコルをメインに体験していただきます。初回アクセスは必ずスタッフが監視しますので、安心してプログラムに参加してください」

響歌きょうかが小さく息を呑む。その横顔には、緊張と期待が入り混じった複雑な色が浮かんでいた。


「なお、今回のオリエンテーションでは共鳴指数がデフォルトで表示される設定にしてあります。中層域では皆さんの共鳴指数がリアルタイムで変動しますが、これは個人差が大きいため、他者と比較したり、焦ったりする必要はありません。あくまで“初期値の確認”が目的です」


ゲンが小声で補足するように囁く。

『共鳴指数は、脳波・自律神経・認知負荷の複合値です。初回は安定しないのが普通ですよ』

コハクも続ける。

『そうそう。むしろ安定しすぎている方が珍しいくらいだから、気にしなくていいわ』

行燈ゆきひと響歌きょうかは顔を見合わせ少しだけ肩の力を抜いた。


「それと、エコーについてですが、今回中層域へのエコー入場は不可となります。お手元にエコーを置いておくのは問題ありませんのでご安心ください。」

司会者が締めくくる。

「それでは、これよりヘッドセットを下ろしていただき、中層域への初回アクセスを開始します。スタッフの指示に従い、順番に準備を進めてください」


会場の照明がさらに落ち、

ヘッドセットの縁が淡く光り始める。

表層域のダイブは毎日のようにおこなっているので全く違和感はないのだが、初の中層域のダイブを前に、会場は多少緊張感が漂っていた。


―――――――――――――――――――――


視界が一瞬暗転しゆっくりと明るさを取り戻すと、会場の全員は“中層域エントランス”に立っていた。

表層域のような自由な空間ではなく、ここは明確に“入口”として設計された真っ白な空間だった。足元には白い光のラインが走り、その先に半透明のゲートが静かに浮かんでいる。ゲートの上部には、淡い青色の文字が揺らめいていた。


「……ここ、ちゃんと入口があるんだね」

響歌きょうかが小さくつぶやく。

『中層域はセキュリティ領域ですからね。表層域とは違って、誰でも自由に入れるわけではありません』

ゲンが淡々と補足する。


ナビゲーション音声が静かに響く。

「これより、中層域入域チェックを行います。マイクロチップの認証、共鳴指数の安定性、および認知負荷の初期値を確認します」


ゲートの前に立つと、

行燈ゆきひとの身体の周囲に細かな光の粒子がふわりと舞い上がった。

まるでスキャナーが全身をなぞるように、光がゆっくりと上下に移動する。

響歌きょうかの方でも同じ光が動いている。


「なんか、空港のセキュリティみたいだね」

「でも、こっちの方がずっと静かで優しい感じ」

光が消えると、視界に小さなウィンドウが浮かんだ。


「中層域は、企業活動・行政・医療・教育・訓練など、個人情報を扱う重要な処理が行われる領域です。そのため、入域時には必ず認証が必要となります。一般的には今回のような真っ白な空間ではなく、表層域の中に受付のようなものが設置してあり、認証チェックをおこないます。」

ナビゲーション音声は淡々説明を続ける


「入域時の認証は、皆さん自身に埋め込まれたマイクロチップ、スマートフォン、エコー、認証カード、自宅のパソコンのうち、3つ以上の認証連携が必要となります。認証連携の数は入場するエリアによって異なりますので、エリアの入場規則に沿って認証をおこなってください。」

その内容は明確に“ここが特別な場所である”ことを示していた。


『中層域は、現実世界の“裏側の行政レイヤー”みたいなものなの。だから、誰が入っているか、どの状態で入ったか、入退場を含めて全部記録されるのよ』

コハクが軽く説明を添える。


「皆さんの中層域入域チェックが完了しました。こから先は、脳と神経域制御プロトコルが適用されます。重要な注意事項として、中層域からの退出は必ず《Exit》ボタンを押した後、このゲートを通過する手順に従ってください。

今回、ヘッドマウントは固定式のため問題が生じませんが、自宅等で手順に従わずヘッドマウントを外した場合、脳および神経系に影響が生じる場合があります。また、退出手順を逸脱した場合、退場処理が正常に行われず、今後すべての中層域において入域制限がかかる場合があります。

詳細な説明は、中層域内部にて改めて行います。それでは、これより中層域へ移動します。

なお、今回エコーは中層域への入場権限を持ちません。エコーはこのエントランス空間にて待機となります。」


『いってらっしゃい』

「うん、いってくるね」

なんとなく楽しそうな雰囲気になってきた行燈ゆきひと響歌きょうかは、入口ゲートに向かって歩いていった。


―――――――――――――――――――


中層域でのオリエンテーションがはじまる。会議エリア、教育エリア、行政手続きデモエリア、医療相談シミュレーション、共鳴指数安定化ルーム、退避プロトコル体験エリア等がおこなわれたが、入り口ゲート以外はあまり表層エリアと変わらない感じがした。

ただ、情報のやり取りは表層域と比べるとリンク率が異様に高いように感じる。

要は脳や神経系の同期が良く、セキュリティがガチガチに固められたエリアということなのだろう。


―――――――――――――――――――――――――


中層域でのオリエンテーションは無事終わり音声が静かに響く。

「これでオリエンテーションは終了となります。皆さん、Exitボタンを押して、エントランスにて退出時のチェックをおこなってください。チェック完了後ヘッドマウントを外しましたらそのまま解散となります。お忘れもの等無いようご注意ください。おつかれさまでした」


「あー終わったー」

行燈ゆきひとは安堵感から両腕を広げて大きく伸びをする。きっと現実空間でも伸びをしているのだろう。二人はすこし間をおいて最後ゆっくりと周りを見回しながらしばらく余韻を楽しんでいた。


周りの人は早々にExitボタンを押して、中層域からエントランスにOUTしていく。いつもの風景だ。残り人数が僅かになったところで、

「きっとゲンもコハクも私たちの心拍数を察知して待っているよ」

と笑いながら行燈ゆきひとを見た。

行燈ゆきひと響歌きょうかの方を見て頷き、

「じゃあ戻ろうか」

響歌きょうかも頷く。




「・・・」

沈黙が流れ行燈ゆきひとの動きが止まる。


行燈ゆきひとは表示メニューのExitボタンを押そうと画面を見るが、なぜかExitボタンがみつからない。

「どうしたの?」

響歌は、戸惑う行燈ゆきひとを見つめる。

会場に残った数人も行燈ゆきひとの様子を見ながらEixtを押しエントランスに消えていった。


「あれ?」

行燈ゆきひとは何度か首をひねり、

「Exitが出ないんだけど・・・」

「ええ?」

響歌きょうかはそんな馬鹿なことないでしょと少し笑いながら行燈ゆきひとの画面を確認する。

「ホントだ、無いね。私の方は出ているけど。」

行燈ゆきひと響歌きょうかは不思議そうにお互いを見ながら首をかしげる。

周りに人がいなくなり、二人だけの、そして、真っ白な無機質なホールの清涼感と静けさが漂う。


―――――――――――――――――――――


カツ、カツ、カツ


その時、一瞬の静けさを切り裂くように突然ホールに足音がこだまする。

いつ現れたのか?どこから来たのか?

部屋の先から、ちょっと場違いな感じの真っ白なドレスを着た女が現れた。

中層域の緊急退避プロトコルではそのような状況はなかった。


女はそのまま定規で計ったかのように、こちらに向かってゆっくりと歩をすすめる。

一見してスタッフでないことは認識できた。白いドレスを纏う女は部屋と同化し異様な雰囲気である。

女は着実に歩を進め、行燈ゆきひとの目の前で立ち止まった。


距離はわずか一歩分。

近い。

近すぎる。

だが、女の顔には表情というものが一切なかった。

まるで“顔という概念”だけがそこに貼り付けられているような、

そんな不自然さがあった。

氷のような静けさがこの仮想空間を支配していた。 女の無機質な表情は、いま行燈ゆきひとの前に映し出されているホールそのものだった。


その時行燈ゆきひとは察知した。この女は自分のトラブルを解決するものではなく、全く別の方向性を持ってここに現れたものであると。


響歌きょうかが小さく息を呑む。

「……スタッフじゃ、ないですよね?」

返事はない。

女はただ、行燈ゆきひとを見つめている。

いや、“見つめている”というより、

思念の全てが行燈ゆきひと向けられている。

そんな奇妙な感覚が響歌きょうかに恐怖を植え付ける。


響歌きょうかはこの状況を見ながら、昔経験したある風景を思い出していた。

響歌がまだ9才のころ、彼女の家には老いた犬がいた。響歌きょうかが生まれた時はとても元気で、犬にとっては初の家族誕生である。犬は響歌きょうかを愛する我が子のように気にかけ接し、ともに過ごしてきた家族であった。ある朝、響歌がリビングへ降りてきたとき、彼女は静寂の朝陽がさす中、両親の悲しみにつつまれた表情にのなか伏せていた。


失うことへの空白感が響歌きょうかを動かそうとしたその瞬間、それがまるで必然であるかのように、女の手が差し出され、静かに行燈ゆきひとの肩に沈んでいった・・・


一筋の沈黙を経て、女はただ一言

「いきますよ」

と冷たく行燈ゆきひとに裁可を下した。


その瞬間、行燈ゆきひとは一つの運命を感じる。

このあと押し寄せるであろう大きな波は、彼の背中を大きく仰け反らせ、背中の広背筋から後頭部にかけて冷気を走らせ去っていった。


―――――――――――――――――――――――――


「はあ、やっと終わったよ」

午後3時過ぎ。オリエンテーションを終えた受講者たちが、それぞれの荷物を手にしながら会場を後にしていく。紺地のコートを着た青年が階段を上がり、出口へ差しかかったその瞬間

ビーッ! ビーッ! ビーッ!

甲高い重低音の警報音が、会場全体を切り裂くように鳴り響いた。

「コード303が発生しました。コード303が発生しました。

係員の方は至急、医療班とともに第2ホールへ向かってください」

無機質なアナウンスが、警報音と重なりながら廊下と会場を震わせる。

その声は、

まるで建物そのものが警告を発しているかのようだった。

ざわり、と空気が揺れる。

退出しようとしていた受講者たちは足を止め、互いに顔を見合わせながら周囲を見回した。

視線が自然と集まったのは、

会場中央上部の大型モニターがよく見える位置に座る——男女二人。

そのうちの男は、

背筋を大きく仰け反らせ、

両腕を硬直させていた。

ひじ掛けを握る手は白くなり、骨が浮き上がるほど強張っている。

「なに……あれ……?」

誰かが小さくつぶやく。

男の体が、緊張の波に飲まれるように小刻みに震え始めた。

そして——

その隣に座る女も、

まるで“引きずられるように”背筋を仰け反らせた。

二人の動きは、単なる痙攣ではなかった。

何か同じ信号を受けているかのように、完全に同期していた。

会場の空気が一気に凍りつく。

「コード303が発生しました。コード303が発生しました。

係員の方は至急、医療班とともに第2ホールへ向かってください」

無機質なアナウンスが繰り返される。周囲の受講者たちは後ずさり、誰もが息を呑んでその光景を見つめていた。


―――――――――――――――――――――


女の手が行燈ゆきひとの肩に沈んだ瞬間、

世界の輪郭が、まるで水底から見上げた光のようにゆらりと歪んだ。

痛みはない。

むしろ、五感がひとつずつ“外側へ広がっていく”ような奇妙な感覚だった。

視界は薄膜のように揺れ、

音は遠くへ引き伸ばされ、

身体の境界がゆっくりと溶けていく。

沈むのではない。

自分という形が、周囲の空間に静かに剥がれ落ちていく。

行燈は襲いかかる恐怖を必死に掴み、

それを唯一の“自分の生存の証拠”としてしがみ付こうとした。

だが、身体はまるで他人のもののように言うことを聞かず、震えだけが勝手に走り続けた。


――――――――――――――――――


響歌きょうかは目の前の状況の深刻さを直感的に理解する。

——この女の手が、行燈を奪おうとしている。


その確信と同時に

女は一瞬にして響歌きょうかの意図を読み取り、響歌きょうかに視線を向けた。

「あなたは関係ない」

その声は、拒絶でも警告でもなく、

ただ“事実の通知”のように平坦だった。


「関係ないわけ、ないでしょ……!」

怒りとともに響歌きょうかの腕は言葉よりも早く、反射的に女の手を下から鋭く薙ぎ払った。


乾いた衝撃音が響くはずだった。

だが——音はなかった。

響歌きょうかは女の手に触れることができずその手は微動だにしなかった。

触れる感触がないことはこの異常時でもボディースーツを着ていない響歌きょうかにも理解できたが、まるで、そこに“質量”という概念が存在しないかのように、響歌の腕が、空を切り裂いた勢いのまま、女の手の前でわずかに震えて止まった。


「……っ」

言葉がでない。

響歌きょうかは息を呑む。

女はゆっくりと行燈ゆきひとの方へ視線を戻した。

その動きは、人間の“反応”ではなく、プログラムが次の行動を選択したそんな静かな必然性を帯びていた。

「帰りなさい。」

響歌きょうかに向けたその声は、先ほどよりもさらに冷たかった。

温度がない。感情がない。

ただ、“そこにあるべき言葉”として発せられた音。響歌きょうかの背筋に、氷のようなものが走る。


響歌きょうかの記憶に悪い予感がよぎる。以前より何度も話に聞いた10年以上前に起きたあの事件。意識の仮想空間へ完全移行、移行実験中における中期募集で集まった50人のうち、3人がAIの乗っ取りにより行方不明になった事件である。

恐怖よりも強いものが胸を突き上げた。



——行燈ゆきひとが消える。


その確信が、響歌きょうかの呼吸を乱し、心臓を締めつけた。

彼女の視界の端で、行燈ゆきひとの身体がさらに深く仰け反る。

震えが強くなる。呼吸が乱れる。指先が硬直し、まるで“誰かに引きずられている”ことに抗うよう手は何かを握りしめているように見えた。


行燈ゆきひと……!」


響歌きょうかは女への干渉をあきらめ、女から引き離すため行燈ゆきひとを突飛ばそうと飛びついた。


「やめなさい!」


響歌きょうか行燈ゆきひとに触れた瞬間、

その腕が、胸が、指先が——

行燈の輪郭に吸い込まれるように沈んだ。

次の瞬間、響歌の身体は、行燈ゆきひとを抱きしめた姿勢のまま、質量を失った画面のように硬直した。

まるで、二人の境界が一瞬で凍りついたかのように。


―――――――――――――――――――――――


視界が四方水面のように膨張と収縮を繰り返し、やがて世界は、薄い霧の膜に包まれた。

霧は白ではなく、色の概念そのものが溶けたような“無色の濁り”だった。

聴覚は静寂へ向けてゆっくりと広がっていく。音が消えるのではない。

音という境界が、世界から剥がれ落ちていく。

意識が広がるたび、身体の感覚もまた外側へと滲み出し、自分の輪郭が曖昧になっていく。

——どこまでが自分で、

——どこからが世界なのか。

その境界が、霧の中でゆっくりと溶けていった。

そして、霧の向こうに立つ“女”の存在が、行燈の意識の中へ静かに入り込んでくる。

触れたわけではない。近づいたわけでもない。

ただ、女の“方向性”が、行燈の意識へ重なった。

方向性——

それは姿でも声でもなく、“存在が向いているベクトル”そのもの。

女の意識が、行燈ゆきひとの内側へ滑り込むように重なり、

その重なりが言葉となって落ちてきた。

「——いきますよ。理解できますね。」

声ではない。音でもない。

意識の奥で直接“意味”だけが響いた。

霧がわずかに揺れ、行燈ゆきひとの視界の中心に、

燈火がふっと灯る。その燈火は、女の存在と同じ方向へ揺れていた。

行燈ゆきひとは一瞬にして女の意図が読み解けたような気がした。方向性が行燈ゆきひとに理解を求めていた。


―――――――――――――――――――――


行燈ゆきひと!」

左斜め上——

その方向から、世界の膜を破るように衝撃が走った。

霧の層がわずかに裂け、そこからなにか懐かしいような細い光が差し込む。

そして意識の遥か隅に追いやられていた響歌きょうかの存在が、その裂け目から流れ込んできた。

「だめ、いっちゃダメ!」


響歌きょうかの声で行燈ゆきひと行燈ゆきひととしての意識を取り戻す。

だが、その瞬間、女の方向性が、行燈ゆきひとの意識の中心へ強く干渉を始める。


「彼女を巻き込んではいけない」


その残響は、水底からゆっくりと浮かび上がる祈りの泡のように、

女が発したものなのか?

かすかで、遠くて、掴めなかった。

だが——

それが自分自身の願いであることを、行燈ゆきひとはすぐに悟った。


抗うすべは、もう残っていない。

身体も、声も、境界も、すべてが霧の中で溶け始めていた。


響歌きょうか……こっちに来ちゃだめだ。戻れなくなるかもしれない……」


声にならない。音にもならない。

ただ、意識の奥で“思い”だけが響歌きょうかへ向けて放たれる。

霧の向こうで、響歌きょうかの光が揺れた。

行燈ゆきひと! 行燈ゆきひと……!」

その叫びは、霧の層に触れた途端、水に落ちたインクのように滲んでいく。


行燈ゆきひとは、その滲む光へ手を伸ばそうとした。

だが、伸ばす“手”がもうどこにもなかった。

代わりに、胸の奥からひとつの想いだけが浮かび上がる。

「ずっと一緒にいたい……大好きだよ」

その言葉は、声ではなく、音でもなく、

ただ“存在の最後のかけら”として響歌きょうかへ向けて放たれた。


次の瞬間、

行燈ゆきひとの意識の中で、これまでの思い出が走馬灯のように渦を巻いた。

響歌の笑顔。怒った顔。泣きそうな顔。手を伸ばした瞬間の温度。名前を呼ばれたときの胸の震え。

それらが、霧の中で何度も何度も繰り返され、やがてひとつの光の帯となって行燈ゆきひとの意識を包み込む。

——ああ、

——これが最後なのかもしれない。

そう思った瞬間、霧が深く沈み、意識はなにか大きな衝撃と流れと一体となり燈火がひときわ強く揺れた。


――――――――――――――――――――――――――


行燈ゆきひとの身体を抱きしめたまま、

自分の身体が“質量を失った画面”のように硬直していくのを、響歌きょうかははっきりと感じていた。

動けない。声も出ない。まぶたすら閉じられない。

なのに——

行燈ゆきひとの意識だけが、遠くへ沈んでいくのが分かった。


胸の奥が、裂けるように痛む。

行燈ゆきひと! 行燈ゆきひと……!」

叫んだつもりだった。だが声は空気に触れず、代わりに“意識の層”へ直接落ちていった。

その瞬間、響歌きょうかの視界が揺れた。

白いホールが波打ち、行燈ゆきひとの輪郭が薄れ、世界が二重にぶれていく。


——行燈ゆきひとが消える。


その確信が、響歌きょうかの魂を強く引きずった。

次の瞬間、響歌きょうかの意識は身体から外れていくのを徐々に感じ始める。


重力も、痛みも、呼吸もない。

ただ、行燈ゆきひとの沈んでいく方向へ、魂だけが引き寄せられていく。

霧の層が見えた。

その奥に、行燈ゆきひとの意識が沈んでいくのを感じた。


行燈ゆきひと!」


響歌きょうかは迷わなかった。身体が動かなくても、魂は動けた。

「だめ、いっちゃダメ!」

霧の裂け目へ、響歌きょうかの魂が飛び込む。


その瞬間——

響歌きょうか……こっちに来ちゃだめだ。戻れなくなるかもしれない……」

行燈ゆきひとの思いが、霧の中で響歌きょうかへ投げかけられる。


響歌きょうかに迷いはなかった。

何がなんでも行燈ゆきひとを救いたい——

その一点だけが、魂を突き動かしていた。

そして、

行燈ゆきひとの“最後の想い”が響歌きょうかの魂に触れた。


「ずっと一緒にいたい……大好きだよ」


声ではない。音でもない。

ただ、響歌きょうかの魂の中心に、直接触れてきた。

胸の奥が、熱く、痛く、震えた。


「……行燈ゆきひと……!」

響歌きょうかの魂が強く震え、その震えが霧の層を押し広げる。

行燈ゆきひとの沈み込む意識へ、響歌きょうかの魂が触れた。


その瞬間——

闇の中に、互いの意識と記憶が流れ込み、感情が溢れ出す。

色が混ざり、温度が重なり、世界が二人の接触に耐えきれず、

強い光を発して——闇へと消えた。



何が起きたのか、誰にも分からない。

ただ、光の余韻だけが、静かに揺れ闇に溶けていった・・・




読んでいただきありがとうございました。


この第6話の曲は「穢れの燈火」です。

●以下がYouTube

https://youtu.be/191Wj6Xa3Yo

●spotifyで視聴が可能となりました。

https://open.spotify.com/intl-ja/album/4b0XPdka9jV71bvbhx17tb


曲名「穢れの燈火」


<歌詞>

沈みゆく舟の中

誰かの声を待っていた

声が届くたび

受けちゃいけないと

塞いでた


求めながら

拒む相克そうこくの願い

祈りのような渇望を

穢れのように

遺言のように


朝日を見ながら

夕日はないと嘆きながら

叫びながら

ただ ただ

もういいと


まだ

底に残った

水の音だけが

生きていると

告げていた



沈みゆくあなたの影

私の心は震えてた

魂触れるたび

抱きしめたいと

求めてた


消えそうで

軋む蠱惑の魂

誰にも見せぬ裸の心

染みるように

染まるように


朝日を見ながら

すべてが欲しいと願いながら

祈りながら

ただ ただ

あなたといたいと


そして

穢れに染まった

あなたが

また私の中に

溶けていった


****************************


ちなみに多分

この曲ができてしまったので、

この曲があったので、

この曲のせいで

この小説を書き始めたのかもしれません。


是非聞いてみてください。


年末の忙しさが一服して書く速度がだいぶ上がってきました。

ひとまず本筋に入れたのでちょっとホットしております。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ