追加エピソード⑳:凱旋と昇格
魔術師ギルドの重厚な扉が厳かな音を立てて開かれると、建物内に溜まっていた静謐な空気と入れ替わるように、外の活気が流れ込んできた。
ゼロス達が石造りの階段を降りていく。
西に傾きかけた陽の光を受け、黄金色に輝くネクサスの街並みが目に飛び込んできた。行き交う馬車の車輪の音、遠くから響く売り子の呼び声――それら全てが、懐かしい日常の風景として彼らを迎えた。
ゼロスが肺いっぱいに外の空気を吸い込み、大きく背伸びをした。
「んぁー…久々に我が家に戻ってきたって感じだなぁ」
エメルダが髪を風になびかせながら振り返った。
「ゼロス、今回は世話になったな」
ゼロスは眩しそうに目を細め、軽く手を振った。
「ん? まぁ、いいってことよ、元はイレインからの依頼だったしな」
エメルダは少し考え込むような表情を浮かべた。
「そういえば、そうだったな…」
そこへ、シェルが二人に近づいてきた。彼はすでに街の喧騒に意識を向けているようだった。
「じゃぁ、俺はそろそろ戻るぜ。そうだ、ゼロス」
ゼロスが振り返った。
「ん?なんだ?」
シェルは意味ありげに片方の口角を上げた。
「あとで、冒険者ギルドに行けよ。ザックの旦那が首を長くして待ってると思うぜ」
ゼロスは少し考えて頷いた。
「ん?そっか、ならあとで行こうかな、アリシアさん達はどうする?」
アリシアは柔らかな笑みを返した。
「私もご一緒に致します」
ルナが元気よく手を挙げた。
「あたしもあたしもっ!」
その声を、エメルダの氷のような鋭い声が制した。
「待て、ルナ」
ルナはびくりと肩を震わせて振り返った。
「へ?」
エメルダは逃がさないと言わんばかりの真剣な眼差しで、ルナを見つめた。
「お前は魔術師ギルドに残って、修行してもらう」
ルナは素っ頓狂な驚きの声を上げた。
「え?えぇぇ!?」
エメルダは威圧的に腕を組んだ。
「なんだ?文句あるのか?お前は私の弟子であり、レオにもお前に修行をつける。と約束しているはずだ」
ルナは縋るような目でレオを見た。
「レ、レオォォォォ」
レオは申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
「…あはは、諦めて修行つけてもらおうよ、ルナ」
ゼロスも可笑しそうに笑いながら言った。
「まぁ、様子はあとで見に来るからよ、頑張るんだなルナ」
アリシアも同情を含んだ優しい声をかけた。
「応援してますよ、ルナさん」
ルナは今にも泣き出しそうな顔で叫んだ。
「うわぁぁぁぁぁん、二人ともぉぉぉぉ」
エメルダは観念した弟子を見て、満足そうに頷いた。
「ではな、ゼロス。また共に動く機会は増えるであろうが、その時は頼む」
ゼロスは軽く手を挙げた。
「あいよ、任された」
隅に控えていたお付きの魔術師が、恐る恐る、遠慮がちに口を開いた。
「…では、よろしいでしょうか? エメルダ様、ご確認いただきたい書類が山のように溜まっておりますので」
エメルダは天を仰ぎ、深いため息をついた。
「わかった。行くぞ、ルナ」
ルナは魂が抜けたように力なく答えた。
「…ふぁぃ…」
レオが慌てて後を追うように声をかけた。
「あ、僕もついて行きますよ」
エメルダは少し意外そうに眉を上げた。
「殊勝だな、レオ…なら、ついでに私の雑務でも手伝ってもらおうか、当然給金は出そう」
レオはパッと表情を明るくし、嬉しそうに答えた。
「ありがとうございますっ!」
魔術師ギルドの前で、ゼロスはシェルに向き直り声をかけた。
「シェル、お前はこれからどうすんだ?」
シェルは肩をすくめた。
「ん?俺か?俺は待たせてるパーティメンバーに会ってくるさ」
ゼロスは拳を握った。
「そうか、また一緒に働く機会があったらよろしく頼むぜ」
シェルもニッと笑い、同じように拳を突き出した。
「あぁ、その時は頼りにしてるぜ」
二人の拳が、軽く打ち合わされた。乾いた音が小さく響いた。
シェルはヒラヒラと手を振りながら、すでに夜の気配を纏い始めた歓楽街の方へと歩き出した。通りには魔導ランプのネオンが瞬き始めており、その背中はすぐに雑踏の中へと溶けていった。
アリシアがその背中を見送りながら呟いた。
「頼りになる人でしたね」
ゼロスは頷いた。
「そうだな、長い間Aランクパーティーのリーダー張ってるやつだから、色々経験値が違うんだろうよ」
アリシアは穏やかに微笑んだ。
「ふふ…では我々も参りましょうか?」
ゼロスも笑って答えた。
「ああ、行こうぜ、アリシアさん」
二人は冒険者ギルドに向かって歩き出した。石畳を踏む足音が、心地よいリズムを刻んでいた。
冒険者ギルドの重い扉をくぐると、そこは汗と酒、そして土埃の混じった独特の熱気に満ちていた。
受付には、ゼロスの顔なじみである受付員のラインが座っていた。
雑踏の向こうにゼロスの姿を認めたラインは、勢いよく席から立ち上がった。
「ゼロスッ!?」
その悲鳴にも似た大きな声は、喧騒に包まれていたギルド内の空気を一瞬で凍りつかせた。
グラスをぶつけ合う音も、クエストボード前の談笑も止まり、無数の視線が針のようにゼロスたちへと降り注いだ。
やがて、さざ波が広がるように冒険者たちがざわめき始めた。
「おい…あれって『始まりの雫』のゼロスじゃねぇか?」
「マジかよ…ヴァレリウスでユニークモンスター討伐したって噂の…」
「双頭の魔人を倒したって本当なのか?」
「あの一般職のゼロスが?信じられねぇ…」
「でも、エメルダと一緒に戦ったって聞いたぜ」
「エメルダと共闘できるってことは、相当な実力だろ…」
「つーか、あのヒーラーも一緒だな…落ちこぼれって言われてたのに」
「ユニークモンスター討伐だぞ?もう別格だろ」
好奇と畏敬の入り混じった視線。だが、ゼロスはそんな空気を気にする様子もなく、軽く手を挙げた。
「よぉ、ライン、久しぶりだな」
アリシアも一歩も引かず、丁寧にお辞儀をした。
「ご無沙汰しております」
ラインは一度大きく深呼吸し、震える口調をなんとか整えた。
「…お待ちしておりました…ザックギルド長が戻ってきたら、ギルド長室に来るように承っております…」
ゼロスは周囲の反応を楽しみつつ、感心したように呟いた。
「切り替え早ぇなぁ」
ラインに案内され、二人は視線の波を割ってギルド員専用通路を通っていった。
ラインが重厚な木の扉をノックした。
「ギルド長、『始まりの雫』のゼロス殿とアリシア殿をお連れしました」
室内から、よく通る快活な声が響いた。
「おぉ!入れ入れ!」
扉が開かれ、二人は中に入った。
ゼロスが気軽な様子で手を挙げる。
「おっす!ギルド長久しいな!」
ザックは書類から顔を上げ、呆れたように笑った。
「久しいな!じゃねぇよ、戦士ギルドの手伝いで、シレっとユニークモンスターなんざ討伐しやがって」
ゼロスはわざとらしく肩をすくめ、首を振った。
「いやぁ、あれには流石の俺も参ったぜぇ」
ザックは鼻で笑った。
「へ…よく言うぜ…まぁとりあえず、座れよ」
ゼロスは軽く返事をした。
「へいへい」
アリシアはスカートの裾を整え、丁寧にお辞儀をしてから座った。
「失礼致します」
ラインが頭を下げた。
「では、私はお茶をご用意致します」
ラインが給湯室へと消えた。
ザックは姿勢を正し、真剣な表情で二人を見つめた。その眼光には、トップランカーを見定める鋭さが宿っていた。
「まぁ、話は当然わかってるよな、お前らは遭遇回数が稀で、強力なユニークモンスター『双頭の魔人』を討伐したことにより、確定でSランクパーティー上位層に上り詰めることになった」
ゼロスは天井を仰ぎ、感慨深げに呟いた。
「こないだまで、最下位からスタートだったのになぁ、早いもんだぜ」
アリシアも静かに頷いた。
「そうですね、ゼロスさんとパーティを組んで、まだ1カ月経った程度でしょうか…?」
ザックは驚いた表情を浮かべた。
「早いなんてもんじゃねぇよ、ギルド史上最速でのランクアップだ」
ゼロスは目を丸くして声を上げた。
「…は?エメルダが最速だろ?」
ザックは首を横に振った。
「あの大魔術師でも、3ケ月は掛かってんよ」
ゼロスは口を開けたまま呆然とした。
「…なんとまぁ…」
アリシアも口元に手を当て、驚きを隠せなかった。
「…それは…」
ザックは二人の反応を見て、満足そうに笑った。
「一気に有名なパーティーの仲間入りだな」
ゼロスは眉を寄せて困った顔をした。
「まじか…ダンジョン攻略するときも目立つようになっちまうなぁ」
アリシアも少し心配そうに呟いた。
「今までみたいに、静かに攻略というわけにもいかなくなりますね」
ザックは顎に手を当て、少し考え込んだ。
「あ…そうか、Sランクパーティー上位勢が何してるかはお前ら、知らないのか」
ゼロスは不思議そうに尋ねた。
「高難易度ダンジョンの攻略じゃないのか?」
ザックは首を横に振った。
「いや…それはSランクに入って中堅までがやる仕事で、上位層は各国から来るスタンピード寸前のダンジョンの制御が主だってる」
アリシアは納得したように頷いた。
「…だから、普段ネクサスでもSランクパーティーの方々はお見掛けせずに、上がAランクパーティの方々ばかりなんですね」
ザックは肩をすくめた。
「まぁ、Sランクパーティー自体が数少ないってのもあるがね」
その時、ラインが部屋に戻ってきた。
彼女がお茶とお茶菓子をテーブルに並べると、湯気とともに芳醇な茶葉の香りが漂い、張り詰めていた室内の空気が少しだけ和らいだ。
ザックは礼を言った。
「ありがとよ」
ゼロスがラインに声をかけた。
「ん?ライン、お前自分の分、忘れてないか?」
ラインは呆れるような顔をした。
「仕事中だ…」
ゼロスは香りの良いお茶を一口啜りながら尋ねた。
「そっか、しかし、その依頼が来ない間は何してればいいんだ?」
アリシアもカップを手に、心配そうに言った。
「そうですね…いくら最上位ランクとはいっても依頼がないのであれば、生活に困ってしまいますよね…」
ザックは背もたれに深く体を預け、気楽そうに答えた。
「あん?その間はのんびりしてろよ、どうせ少し休んだら、どこからともなく声がかかるってのが最上位ランクってもんだ」
ゼロスは安心したように頷いた。
「ま…一応、ルーメンで稼いだ金もあるしなぁ」
ザックは思い出したように指を鳴らした。
「あぁ、ルーメンといえば、戦士ギルドにお前らを召喚した代金が振り込まれてるはずだから、今度受け取りに行けよ。一応、お前ら、あそこの客人ってことになってんだから」
ゼロスは顔を綻ばせて嬉しそうに笑った。
「なら、暫くは生活には困らなさそうだなぁ」
アリシアも穏やかに微笑んだ。
「ふふ…それなら安心ですね」
ザックは手を振った。
「ま、それまでは暫くネクサスでゆっくりしてな」
ゼロスはカップを置き、席を立ち上がった。
「あいよー」
アリシアも席を立ち、優雅な動作で丁寧にお辞儀をした。
ゼロスが部屋から出ようとドアノブに手をかけた際、ザックから声がかかった。
「あぁ、ゼロス。言ってなかったな…Sランク昇格おめでとう…苦労が報われたな」
ゼロスは振り返り、ザックを見てふっと笑った。
「あぁ、ありがとよ」
そう言って、二人は部屋を出ていった。
扉が閉まり、再び静かになった部屋で、ザックが独り言のように呟いた。
「…あいつがSランクか。出来る奴とは思っていたが…」
ラインも盆を抱えながら、感慨深げに答えた。
「そうですね、ゼロスのやつは根性はあれど、ジョブは一般職…それが戦闘職ひしめく冒険者ギルドの最上位に来るなんて…」
ザックは窓の外、夕焼けに染まる街を遠い目で見つめた。
「Aランクくらいには、成れると思っていたが…まぁ、世の中、何があるかわかったもんじゃねぇな」
ラインは静かに頷いた。
「そうですね、ギルド長」
冒険者ギルドを出ると、外はすっかり夕暮れ時を迎えていた。
どこからともなく、食欲をそそる香ばしい匂いが風に乗って流れてくる。
ゼロスが隣を歩くアリシアに声をかけた。
「…そだ、アリシアさん、飯でも食いに行かないか?」
アリシアは嬉しそうに答えた。
「あら?いいですね、ご一緒致しますわ。どちらへ参りますか?」
ゼロスは通りの向こうを眺め、懐かしそうに笑った。
「おやっさんのところに、久々に顔出そうかな、と」
アリシアは微笑んだ。
「楽しみですね」
二人は飲食街のはずれにある、年季の入った店目掛けて歩き出した。
石畳に落ちる建物の影は長く伸び、空は茜色から藍色へと変わりつつある。夕暮れの柔らかな橙色の光が、新たなスタートを切った二人の背中を、優しく温かく照らしていた。




