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『追放された荷物持ちの俺を「必要だ」と言ってくれたのは、落ちこぼれヒーラーの彼女だけだった。』  作者: ブヒ太郎


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追加エピソード⑯:天災(エメルダ)のショータイム

ゼロス達が騎士団を救出してから、ルーメン騎士団は息を潜めるように大人しくしていた。


エメルダの「何度もボスを倒して、を繰り返していたら時間が惜しい。近隣住民を避難させて、スタンピードまでほおっておけ」という進言を、ローラン騎士団長が受け入れたからだった。


当然、騎士団内部からの反発はあった。しかし、エメルダの睨み―――それは、かつて一年でSランクに駆け上がった『天才魔術師エメルダ』の、魔力そのものの重圧を伴う、容赦ない圧力だった―――によって、ルーメンは従うしかなかった。


その間、刻一刻とAランクダンジョンから魔素が瘴気のように漏れ出ていった。


空模様は暗転し、鉛色の分厚い雲が街を覆い尽くした。雷光が雲の奥で不気味に脈動し、まるでこの世の終末を告げる前触れのように、不気味な静寂が街を包んでいた。


エメルダは客室にて、Aランクダンジョン周辺の地図を確認していた。その目は鋭く、しなやかな指先で慎重に避難経路と魔術の射出位置を計算していた。


その時だった。


ドンッ!という、鎧が扉に叩きつけられるような荒々しい音と共に、ローラン騎士団長と大聖女アウレリアが、ノックもせずにエメルダの客室に転がり込んできた。


ローラン騎士団長の顔は蒼白で、鎧の隙間から汗が流れ落ち、必死に息を切らしていた。


「エメルダ様!!!ついに!!!」


大聖女アウレリアも、普段の完璧な優雅さを失い、整えられた髪を振り乱しながら必死の表情で頭を下げた。


「…どうかお助けください…」


その後ろから、眼鏡をかけたお付きの魔術師が、呆れたように二人を諫めた。


「…貴殿ら、ノックくらいしたらどうだ。このお方を誰と心得ている」


ローランとアウレリアは、その言葉にビクッと肩を震わせた。慌てて姿勢を正そうとする二人を、エメルダは「読んでいた」とでも言うように冷静に手を上げて制した。


「よい…スタンピードがついに発生したのであろう?」


ローランは息を整えながら、力強く頷いた。


「はい!その通りです!ダンジョンから凄まじい数のモンスターが溢れ出しています!このままでは街が…!」


エメルダは机に行儀悪く乗せていた足を下ろし、ゆっくりと椅子から立ち上がった。その動きには、ようやく獲物が現れたと言わんばかりの、戦場へ赴く戦士の静かな覚悟が滲み出ていた。


「ゼロス達を呼んで来い。私は彼らと共に向かう」


ローランは即座に一礼した。


「承知致しました!」


大聖女アウレリアも深く頭を下げると、二人は急いで部屋を出ていった。その足音が遠ざかるのを確認してから、エメルダは隣に控えていた魔術師に声をかけた。


「お前は馬車を手配しろ」


お付きの魔術師は恭しく頭を下げた。


「承知致しました」


魔術師も部屋を出ていき、残ったのはエメルダ一人となった。


静寂が部屋を支配した。


エメルダは音もなく窓辺に歩み寄り、暗く染まった空を見上げた。その口元が、ゆっくりと、歓喜に醜悪に歪んでいった。


「…さて、楽しくなってきたな…」


その顔は、魔術師ギルド長としての顔ではなかった。


秩序を守る者の顔でもない。


ただ純粋に「戦い」を、「破壊」を、「力比べ」を望む、一介の魔術師の顔だった。


かつて一年でSランクに駆け上がり、『天才魔術師』と謳われた女の、本性。


「…久々に本気で撃てるな。あの群れ、まとめてちりにしてやるよ」


彼女の瞳が、獰猛な光を帯びて輝いた。


豪華な馬車が、石畳の道を、車輪を軋ませながら激しく走り抜けていった。


車内には、ゼロス、アリシア、レオ、ルナ、シェル、そしてエメルダが乗っていた。馬車の窓からは、暗雲に覆われた空と、遠くで地平線を埋め尽くすように蠢く無数のモンスターの影が見えた。


ゼロスは窓の外、地平線を埋め尽くす黒い影を見ながら、低い声で呟いた。


「…近隣住民は本当に大丈夫なんだろうな?」


エメルダは、その懸念を鼻で笑うかのように、余裕の表情で頷いた。


「心配には及ばんよ、既にとっくに避難させてある」


ルナが窓に顔を近づけ、そのおぞましい光景に顔をしかめながら、不安そうに声を上げた。


「しっかし、凄いモンスターの数だねぇ…ほんとに師匠だけで大丈夫?」


エメルダは、すました顔で答えた。その声には微塵の不安もなかった。


「誰にものを言っている?雑魚が何匹集まろうが私の敵ではない」


シェルが苦笑いを浮かべた。


「まぁ、ネクサス最強の魔術師様は伊達じゃねぇな…」


ゼロスが、まだ納得いかないという顔で、皮肉っぽく呟いた。


「…なら、俺らいなくても大丈夫じゃ…」


エメルダは即座に否定した。


「なわけあるか…前衛あっての後衛だ」


ゼロスは窓からモンスターの群れを遠目で見ていた。


「でも、あの量からエメルダを無傷で護るって厳しくねぇか…?」


エメルダは窓から見える、遠くの小高い丘を指差した。


「たわけ、何も突っ込みはせんわ。あそこから撃ちおろす。ゼロスたちは、崖に駆けあがってきたモンスターだけを散らしてくれればいい」


ルナが驚いて声を上げた。


「師匠、距離凄い離れてるけど、大丈夫なの?」


アリシアは丘とモンスターがはびこっている距離を、冷静に目測した。


「そうですね…少なくとも300m以上は離れているかと…」


エメルダは、まるで庭先を掃くだけだと言わんばかりに、ごく自然と言い放った。


「5節の最上位魔術なら、特に問題ない」


ガタッ、と馬車が大きく揺れた。目的地が近づいている証拠だった。


ゼロスはふと、エメルダに尋ねた。


「なぁ、エメルダ」


「ん?」


「お前…楽しそうだな」


その言葉に、エメルダの笑みが一瞬だけ深くなった。


「…バレたか」


「バレバレだ」


エメルダは窓の外を見つめた。その瞳には、子供のような純粋な闘争心が燃え上がっていた。


「…そりゃあな。こんな大規模な殲滅魔術を撃てる機会なんて、そうそうないからな。あたしにとっちゃ、最高の舞台ステージだよ」


アリシアが少し怯えた表情で呟いた。


「…魔術師って、そういうものなんですか…?」


エメルダはアリシアを見て、いつものふざけた表情に戻った。


「いやいや、あたしが特殊なだけだから気にすんな。普通の魔術師は、もっと真面目で大人しいから」


ゼロスが苦笑いした。


「どの口が言うんだか…」


「あん?文句あんのか、ゼロきゅん?」


「ありません。何もありません」


その掛け合いに、少しだけ車内の緊張が和らいだ。


ゴトッ、と音を立てて馬車が停止した。


御者の緊迫した声が響いた。


「到着しました!」


エメルダが立ち上がり、扉を開けた。そこには、暗雲の下、地響きを立てながら無数のモンスターが蠢く地獄のような光景が広がっていた。


エメルダは馬車から一歩踏み出し、振り返ってニヤリと笑った。


「じゃ、行くぞ。ショータイムの始まりだ」


エメルダはあらかじめ用意された詠唱台(高台)に立ち、眼下に広がるモンスターの群れを見下ろした。


その数は数千、いや万を超えているかもしれない。地平線の先まで、黒い津波のようにうごめいていた。


ゼロス達とシェルは、エメルダの前方に展開し、崖を駆け上がろうとするモンスターを迎え撃つ構えを取った。


エメルダはゆっくりと両手を天に掲げた。


「さぁて…久々に本気出しますか」


その瞬間、彼女の魔力が解放され、周囲の空気が一変した。


大気を震わせるほどの凄まじい魔素の奔流が渦を巻き、エメルダの髪が激しく逆巻いた。


ゼロスは叫んだ。


「来るぞ!エメルダに近づける奴は一匹も通すな!」


「「「「おう!」」」」


戦いの火蓋が、切って落とされた。


そして、エメルダの詠唱が始まった。


『燃え盛る魂の熱よ、地の底より湧き出でよ――』


最初の一節が唱えられた瞬間、エメルダの足元から赤い光が溢れ出し、地面がビリビリと震えた。空気が一瞬にして熱を帯び始め、遠く離れたゼロス達の肌にさえ、その熱気がチリチリと伝わってきた。


ゼロスは戦斧を構えながら、エメルダの背中を見つめた。


「…始まったな」


アリシアは息を呑んだ。全身の産毛が逆立つほどの、圧倒的な魔力だった。


「凄まじい魔力…」


崖下からは、モンスターの咆哮が地響きとなって響き渡った。数体のモンスターが、その魔力に引き寄せられるかのように、崖を駆け上がり始めた。


レオが盾を構えた。


「来ます…!」


『虚空を穿ち、光を飲み込む災いの炎となりて』


エメルダの背後に、巨大な魔法陣が展開された。その数は三つ、四つ、五つ…そして瞬く間に十を超え、さらに増え続けた。幾何学的な炎の紋様が宙に浮かび、爛々と不吉な輝きを放った。


シェルが剣を抜き放った。


「接近してくるぞ!エメルダの詠唱を守れ!」


ゼロスは最初の一体に飛び掛かり、戦斧を叩き込んだ。轟音と共に、モンスターが崖下へと吹き飛ばされた。


「エメルダの邪魔はさせねぇ!」


ルナが詠唱を始めた。


『我の魔力に、燃え盛る炎を』


『その力、凝縮し、矢となりて飛翔せん』


『火の追跡者チェイサー、放て!フレイム・ボルト!』


炎の矢が放たれ、崖を駆け上がるモンスターを正確に撃ち抜いた。


『我の魔力と世界を繋ぎ、その理を歪めよ』


以前感じた、あの双頭の魔人の時とは比較にならないほど、濃密で凄まじい魔素の奔流が虚空に渦を巻いた。


空間がギシギシと音を立てて歪み始めた。エメルダの周囲の大気が渦を巻き、魔法陣の数はさらに増大した。二十、三十…その数はもはや数え切れないほどに膨れ上がり、高台全体を覆い尽くすように展開されていった。


アリシアは呼吸すらままならないほどの威圧感に襲われながらも、両手を広げた。


『虚空に漂うマナよ、集い、形を成せ』


『我が意思に従い、矢となりて放たれん』


彼女の背後に、七つの魔法陣が展開された。


『敵を貫け、マジック・ミサイル!』


七条の魔力の弾丸が、崖を駆け上がるモンスターを次々と撃ち抜いていった。


レオが盾で敵の攻撃を受け止めた。金属がえぐれる音が響いた。


「まだ来ます…気を抜かないでください…!」


アリシアは次の詠唱に入りながら、ちらりとエメルダの背中を見上げた。


(これが…元Sランクの…これが、魔術師ギルド長の力…!)


ゼロスは次々と襲い来るモンスターを薙ぎ払った。汗が額を伝ったが、その瞳は獣のように鋭かった。


「あと少しだ!持ちこたえろ!」


『万象を灰燼に帰す絶望の火柱となれ』


空が、赤く染まった。


エメルダの周囲に展開された無数の魔法陣が、一斉に紅蓮の炎を纏い始めた。その光は、空を覆う暗雲さえも貫き、まるで第二の太陽が出現したかのような眩しさと熱量だった。


崖を駆け上がるモンスターの動きが、一瞬止まった。本能が、絶対的な「死」を察知したのだ。


シェルが叫んだ。


「来るぞ…最後だ!」


エメルダの髪が、魔力の奔流によって激しく舞い上がった。その瞳は、炎そのもののように燃え上がり、口元には獰猛な笑みが浮かんでいた。


『今、その名を刻む――』


全ての音が消えた。


世界が静止したかのような、一瞬の静寂が訪れた。


『エクスプロージョン!』


その瞬間、天地が引き裂かれた。


無数の魔法陣から、凄まじい炎の奔流が一斉に解き放たれた。それはもはや魔術ではなく、天災だった。巨大な火柱となり、地平線を埋め尽くすモンスターの群れへと降り注いだ。


轟音。


衝撃波。


炎の嵐が、数万の軍勢を、大地ごと全てを飲み込んでいった。


崖の上から見下ろしていたゼロス達は、そのあまりにも神話的な光景に言葉を失った。


数千、数万を超えるモンスターの群れが、一瞬にして灰燼と化していった。


炎の柱が大地を焼き尽くし、灼熱の黒煙が天を覆った。


やがて、炎が収まった。


そこには、赤熱し、焼け焦げた大地だけが残されていた。


モンスターは、一匹たりとも残っていなかった。


エメルダは両手を下ろし、まるで極上の酒を味わったかのように、満足げに息を吐いた。


「…ふぅ。やっぱり、最上位魔術は気持ちいいな」


その背中を、ゼロス達は呆然と見つめていた。


ルナが震える声で呟いた。


「…嘘…」


レオも絶句していた。


「あれが…Sランク…」


アリシアは膝から力が抜けそうになるのを、必死で堪えた。


「一人で…全て…」


シェルは静かに剣を鞘に収めた。


「…こいつが、ネクサス最強の魔術師か」


ゼロスは戦斧を肩に担ぎ、エメルダの元へと歩み寄った。


「おい、エメルダ。やりすぎじゃねぇか?」


エメルダは振り返り、いつものふざけた笑顔を浮かべた。


「やりすぎ?何言ってんの。これでも手加減したほうだよ?」


「…マジかよ」


「マジマジ。本気出したら、この街ごと吹き飛んでたから」


その言葉に、ゼロスは深くため息をついた。


「…お前、やっぱり化け物だな」


「褒め言葉として受け取っておくよ、ゼロきゅん」


エメルダはウインクして見せた。


そして、空を見上げた。モンスターの瘴気と共にあった暗雲が晴れ始め、久しぶりの青空が顔を覗かせていた。


スタンピードは、こうして終わりを告げた。

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