追加エピソード⑫:中層の蟲
ダンジョン上層と中層を繋ぐ休憩区画。
そこは、ダンジョン特有の魔素の奔流から隔絶された、冒険者たちにとっての貴重な安息の場だった。天井から垂れ下がるヒカリゴケが放つ青白い光は、戦いに疲れた身体を癒すかのように、柔らかく空間を照らしていた。
ゼロスは、その広場をぐるりと見渡した。壁際には、かつて誰かが火を起こし、休んだであろう痕跡がいくつか残されていたが、今は人の気配など微塵もない。
「いねぇか…」
期待していた救助対象者の姿はなく、ゼロスは軽く息をついた。
彼は振り返り、後方で待機していた隊長のダリウスに声をかけた。
「…ダリウスさんよ、一応聞いておくが、ダンジョンで救援を待つ際の鉄則は、あんたんとこの騎士団も知ってるのか?」
その問いに、ダリウスは即座に胸を張って答えた。
「勿論です…モンスターが出現しない、こうした休憩区画で救援を待つ。これは恐らく世界共通のセオリーかと…」
「ふむ…」
ゼロスは腕を組み、思案するように眉をひそめた。セオリー通りならば、ここにいるはずなのだが。
レオが、不安そうにあたりを見回しながら口を開いた。
「先に進んじゃったのかな…それとも、ここまで辿り着けなかったか…」
アリシアも、彼の言葉に頷いた。その表情には、わずかな心配の色が浮かんでいた。
「一応、上層は私たちがくまなく探しましたから…ここにいなければ、やはり…」
その時だった。シェルが、何かに気づいたように視線を落とし、静かにしゃがみ込んだ。
彼は床の隅、岩陰に転がっていた、ほんの小さな黒い欠片を指先で拾い上げると、ヒカリゴケの光にかざして丹念に観察した。
「ほら、これ見ろよ」
その仕草に、一行の視線が彼の手元に集まった。ルナが首を傾げた。
「なんじゃそら?ゴミ?」
ダリウスもその欠片を見つめ、何かを確信したように息を呑んだ。
「…それは…まさか…」
シェルは、その欠片を指で捻りながら、淡々と答えた。
「そうだ…ルーメンの騎士団で配布される非常糧食の黒麦パンのクズだ。この乾燥と劣化具合から見るに…数日前、といったところか」
ゼロスは、そのミクロな発見と観察眼に、素直に感心したように声を上げた。
「…すげぇな。よくそんなの見つけられるな…」
シェルは、得意げに肩を竦めてみせた。
「ま、俺のジョブは斥候クラスだからな…こういう痕跡追跡は得意なんだよ」
アリシアは、その言葉に少し申し訳なさそうに眉を寄せた。
「…ならば、こんな大人数ですと、ジョブの特性的に不利ですね…」
確かに、斥候の真価は、気配を殺した少数精鋭の潜入作戦でこそ発揮される。今のような九人という大所帯では、その最大の利点が殺されてしまう。
シェルは、それを否定せず、やや自虐的に笑った。
「まぁな…本来は索敵なんかも得意なんだが…こんな大人数だと『見つけてくれ』と言ってるようなもんだしな…」
レオが、その空気を和らげるように、努めて明るい声で続けた。
「ま、まぁ大人数なだけあって、その分、戦力的には十分ですし!」
しかし、その励ますような言葉に、混成部隊の四人は微妙な表情で沈黙した。
彼らは先ほどの戦闘を思い出していた。あの、一方的過ぎる圧倒的な殲滅劇。
正直なところ、自分たちが戦力として数えられているのか、甚だ疑問だった。
「「「「・・・」」」」
その痛いほどの気まずい沈黙を察したのか、シェルは話題を変えるようにパン、と手を叩いた。
「…まぁ、そういうことにしておこうか。痕跡は奥に続いてる。さぁ、とりあえず、中層に進むか」
ゼロスも頷き、一行は再び歩み始めた。
休憩区角を抜け、さらに暗い通路の先へと進んでいく。やがて、彼らは中層へと続く、湿った空気を含んだ階段を降りていった。
階段を降り切った先に広がっていたのは、上層の乾いた石造りの回廊とは全く異なる光景だった。
壁一面に、不気味な緑色の苔がビッシリと這い、湿気が充満した洞窟が広がっていた。
天井からは絶えず水滴が滴り落ち、足元の石畳に無数の小さな水たまりを作っていた。
空気は重く、淀み、どこか生温かった。
シェルは、その場で立ち止まると、目を閉じ、静かに耳を澄ませた。
カサカサ、キチキチ、という微かな音が、遠くから無数に響いてきた。
彼の表情が、微かに険しくなった。
「…ふむ…こいつは蟲系モンスターの巣窟かな…」
その言葉に、女騎士ルアの顔が引きつった。
「蟲、ですか…それも、大群の…」
セリーナに至っては、鳥肌が立つのを隠しもせず、明らかに嫌悪の色を浮かべて自身のアームガードをさすった。
「私…蟲はちょっと、その…苦手で…」
二人のあからさまな反応を見て、シェルは少し意外そうに首を傾げた。
「…そうか?見た目はアレだが、食べると案外…」
その発言に、ルナが驚いたように目を丸くした。
「ぇ…食べれんの?このダンジョンの蟲?」
シェルは、何でもないことのように、あっさりと答えた。
「おう。カテゴリはモンスターだが、所詮は蟲だしな。毒さえ抜けば、食えなくはない」
ゼロスが、食料問題として興味深そうに尋ねた。
「…で、肝心の味は?」
シェルは、かつてネクサスで食した時のことを思い出したのか、遠い目をして答えた。その表情からは、あまり良い思い出ではないことが窺えた。
「ん-…まぁ、珍味だと思えば…食えなくもない、かな…」
アリシアは、その曖昧な答えから全てを察したのか、冷静に分析した。
「…糧食が尽きた際の、最終手段ですか…」
シェルは、その的確な指摘に感心したように笑った。
「へっ…鋭いなアリシアさんよ。その通り」
ダリウスも、その可能性を考え、部隊の糧食袋を確認しながら渋い顔をした。
「…確かに、万が一食べるものがなくなったら…」
カイルは、想像したくないといった様子で激しく首を振った。
「…いえ、遠慮します…想像するだけで嫌ですね…」
そんな暗く、食欲の失せるような空気を吹き飛ばすように、ゼロスが背中の巨大な背嚢を叩きながら、明るく声を上げた。
「まぁまぁ、そんな悩むな悩むな。俺のこの背嚢に、しこたま美味い食い物入れてるから、んなゲテモノ食う心配はいらねぇっての」
その言葉に、シェルは改めて意味深な視線をゼロスに向けた。
そうだ。この男が一人いれば、パーティの糧食問題は完全に解決するのだ。
「…まぁ、一パーティーに一人ゼロスが居たら、どんな長期戦になろうと、糧食問題は真っ先に解決だわなぁ」
そう言いながら、シェルは再び周囲を警戒するように視線を巡らせた。
レオが、そのシェルの言葉に、少し困ったように弁解した。
「…別に僕らが頼んでるわけじゃなくて、ゼロスが荷物は俺が持つっていうから…」
ルナも、そこに乗っかるように、待ってましたとばかりに声を上げた。
「そーだよ!自分らの分は自分が持つって言ってるのに、『荷物を持たせたら俺の右に出る者はいねぇ…』とかカッコつけて、ずっと自分で持ってるこのゼロスが悪い!!」
ゼロスは、その理不尽な言い分に眉をひそめた。
「なんだ!?誰も責めてねぇし文句言ってねぇだろ!?大体、お前らもそれで助かってる部分があんだろうが!」
アリシアは、そんな兄妹喧嘩のようなゼロスとルナの様子を見て、クスリと微笑んだ。彼女には、ルナの照れ隠しの本心が見えていた。
「ゼロスさん、きっとルナさんは、ゼロスさんに全部持たせて楽してるって、世間体を気にしてるだけですよ」
ゼロスは、そのアリシアのフォローに、心底不思議そうに首を傾げた。
「…はぁ?世間体?そんなつまらんこと、ダンジョンで気にしてんのか?」
ルナは、そのデリカシーのない言葉に、頬をカッと赤くして反論した。
「…っ!性格悪そうな女だって見られると、普通は嫌じゃない!?」
ゼロスは、ニヤリと笑い、悪びれる様子もなく答えた。
「…図星か。わりぃわりぃ」
その瞬間、ルナの堪忍袋の緒が切れた。
「なんだとゼロスゥゥゥゥ!!」
彼女の怒声が、湿った洞窟に響き渡った。シェルは、頭を抱えて二人を制した。
「お前ら、騒ぐな騒ぐな…マジで敵を呼ぶぞ…」
ダリウスが、そのあまりの緊張感のなさに、不安そうに声を潜めて尋ねた。
「…そ、その…こんな騒ぎ立てて、本当に大丈夫なんでしょうか…?」
カイルも、同じ心配を口にした。
「そうですね…もし捕捉されて囲まれるような事になったら…」
ルアとセリーナも、不安そうに周囲の暗闇を見回していた。
「「・・・」」
シェルは、何も言わず、ただ、先ほどよりも強くなった音に耳を澄ませていた。
その沈黙を破ったのは、ゼロスのあまりにもあっけらかんとした声だった。
「いや、騒ぐ前から、とっくに捕捉されてると思うぜ?」
その言葉に、混成部隊の顔が、一斉に青ざめた。
シェルは、それを肯定するように、やれやれと頷いた。
「…まぁ、そうだろうな」
彼は再び耳を澄ませ、確信を持って続けた。
「さっきから、あのカチカチ音がどんどん近くなってるしな」
ゼロスは、それが当然のことのように肩をすくめた。
「この大人数で移動してんだ。見つからないほうが苦労すると思うぜ」
ダリウスが、ゴクリと唾を飲み込み、緊張した声で指示を仰いだ。
「…どうされますか…?迎撃しますか?」
ゼロスは、迷うことなく前方を顎でしゃくった。
「まぁ、ここで足を止める必要もないし、このまま先に進もうぜ。どうせ向こうから来てくれるんだろ」
その言葉に従い、九人は苔むした洞窟の奥へと、再び慎重に歩を進めていった。
しばらく進んだところで、先頭のゼロスとシェルが、同時にピタリと足を止めた。シェルが静かに手を上げた。
「静かに…」
全員が即座に足を止め、息を潜めた。
ゼロスが、暗闇の奥を見据え、低く呟いた。
「おいでなすったか…」
シェルは、遠くの気配を探るように目を細めた。
「ああ。だが、まだ完全にこっちの位置を把握してるわけじゃなさそうだ…こっちの光に気づいて、様子見ってところか」
その張り詰めた緊迫した空気の中、後方のアリシアだけが、誰にも気づかれないように、そっと、小さく唇を動かしていた。
「・・・、・・・、・・・」
彼女の瞳が、淡く魔素の光を宿し始めた。
攻撃魔術の詠唱の第一節を、誰にも聞こえぬほどの囁き声で、既に紡ぎ終えていた。
やがて、前方の暗闇から、カチカチ、カチカチ、と硬い何かが石畳を叩く音が響いてきた。
それは一つではない。複数の巨大な何かが、こちらに向かって近づいてくる音だった。
遠くの前方、ヒカリゴケの青白い光に照らされて、その恐ろしい影が姿を現した。
全身が、鈍い輝きを放つ鋼のような甲殻で覆われた、巨大なサソリ――アイアンスティンガーが、五体。
それらは、獲物を探すように、不気味にその巨大な鋏をカチカチと開閉させながら、湿った洞窟を蠢いていた。
ルナは、その姿を見て、少し困ったように呟いた。
「んぁ…ああいう系か…相性悪いな」
火属性の魔術を好んで使う彼女にとって、金属質の分厚い外殻を持つ相手は、最悪に近い。熱が通りにくく、効きが悪いのだ。
レオが、冷静に状況を分析した。
「どうする?いくらゼロスでも、流石に5体に囲まれると…」
シェルも、短剣を抜きながら、慎重に答えた。
「俺なら1体は確実に引き付けられはするが…残りの四体、捌けるか?」
ゼロスは、戦斧を構え、即座に決断した。
「上等だ。じゃぁ、俺が手前の二体を引き受ける。シェルは一体頼む。残りはレオとルナで…」
だが、その言葉を遮るように、アリシアが静かに、しかし凛とした声で前に出た。
彼女の瞳は、既に膨大な魔素で満ちており、その輝きは先ほど待合所で見せたものとは比べ物にならないほど強くなっていた。
「いえ…ここは、お任せください」
そして、彼女は動揺する仲間たちを気にも留めず、淡々と、第二節を紡いだ。
『我が意思に従い、矢となりて放たれん…』
その瞬間、アリシアの周囲の空気が歪み、膨大な魔素が彼女の元へと激流となって収束していった。
そして、彼女を中心に、二十を超える爛々とした白銀の魔法陣が、まるで夜空に浮かぶ星座のように、幾何学模様を描いて展開された。
セリーナは、そのあまりにも神々しく、そして禍々しいほどの魔素の奔流を目の当たりにして、信じられないという顔で呟いた。
「…ほんとに、ヒーラーなの…?あのアリシアが…」
アリシアは、その疑問には答えず、振り返って仲間たちに、いつものように、にこやかに微笑んだ。
「もし、撃ち漏らしがございましたら、その時はどうぞお願いしますね?」
そう言うと、彼女は再び前方を向き、五体のアイアンスティンガーに向けて、静かにその指を指した。
そして――
『敵を貫け、マジック・ミサイル!』
第三節が完成した瞬間、展開された全ての魔法陣は一斉にその輝きを増し、膨張し、眩い閃光を放った。
次の瞬間、二十を超える魔法陣から、もはや魔素の矢というよりも、純粋な「破壊」そのものが凝縮されたような光の槍が、音速を超えて放たれた。
それは、もはや矢というよりも、全てを穿つ破壊の奔流だった。
アイアンスティンガーたちは、その絶対的な脅威を本能で察知し、鋼鉄の尾を盾にしようと逃げようとしたが、間に合わなかった。
魔素の奔流は、五体全てに寸分の狂いもなく同時に襲い掛かり、けたたましい爆音と共に炸裂した。
轟音が狭い洞窟を揺ががし、凄まじい土煙と衝撃波が吹き荒れた。
後方にいたダリウスたちも、思わず盾で顔を庇うほどの威力だった。
女騎士ルアは、その地獄のような破壊力に完全に言葉を失っていた。
「…これが、基礎魔術…?これはヒーラーが出していい破壊力じゃないでしょ!?」
セリーナは、ただ呆然と、かつて『無才』と自分が蔑んでいた女性の、その小さな背中を見つめていた。
「…アリシア…」
やがて、土煙がゆっくりと収まった。
そこに広がっていたのは、鋼鉄の甲殻ごと無残にもバラバラに粉砕された、アイアンスティンガーの死骸が五体、折り重なって転がっているだけの光景だった。
ゼロスは、その完璧すぎる殲滅劇を見て、苦笑しながら呟いた。
「…撃ち漏らしねぇ…」
彼は、上層で自分がストーンエイプ相手に言った「撃ち漏らしがあったら頼むわ」という、今となっては恥ずかしいセリフを思い出していた。
アリシアは、魔力の輝きが消えた瞳で、満足げに両手を胸の前で合わせた。
その顔には、大仕事を終えた子供のような、無邪気な笑顔が浮かんでいた。
「ふふっ…頑張りましたっ」
ルナが、その光景を見て、自分の出番が完全になくなったことに、大げさに嘆いた。
「えぇぇぇ!?あたしの出番は!?相性悪い相手だったけど、一体くらいやりたかったのにー!」
レオは、そんな幼馴染の肩に、優しく手を置いた。
「まぁ、ルナ…きっとこの先進めば、キミの出番も必ずあるよ…」
ルナは、手からパチパチと迸る電撃を虚しく眺めながら、うなだれた。
「あたしの…あたしの『雷光の連鎖』がぁぁぁああああ」
ゼロスは、そんなルナを横目に、アイアンスティンガーの死骸に近づき、粉々になった胴体部分を確認した。
そして、しょんぼりしているアリシアに振り返ると、教師のようにビシッと指を突きつけた。
「うーん…アリシアさん。威力は満点だが、戦果としては0点です!!」
アリシアは、その予想外の厳しい評価に、目を丸くして驚きの声を上げた。
「えぇ…!?なんでですか!?」
ゼロスは、もはや原形を留めていない、バラバラになった胴体部分の残骸を、これでもかと掲げてみせた。
「魔核まで粉砕してるからです!!これだと換金できず、お金になりません!」
アリシアは、その指摘に「あ」という顔をし、申し訳なさそうにシュンと頭を下げた。
「す…すいません…まだ威力の調整が不慣れで…つい全力で…」
ルナが、その会話にここぞとばかりに便乗して声を上げた。
「ほら見なさい!やっぱり魔核を綺麗に残せる、あたしの出番だったんですよ~~~」
レオが、やれやれと二人を窘めた。
「…まぁ、ゼロスもルナも…今回は救出任務で、お金稼ぎに来たわけじゃないんだから、大目に見ようよ…」
ダリウスは、そのSランクパーティの(金銭感覚を除けば)規格外のやり取りを、呆然と眺めながら、改めてその実力に驚嘆の声を上げた。
「いや…ほんとうにSランクパーティーの方々は、支援職と言えど、我々とは一線を画しますね…」
シェルも、深く感心したように頷いた。
「まぁ、だからSランクなんだろうがな…しっかし、あのアリシアさんの攻撃スペルが、アイアンスティンガーの鋼鉄の外殻を、魔核ごと粉砕できるほどの威力とはねぇ…恐れ入ったよ」
ひとしきり騒いだ後、一行は、再びダンジョンの奥へと歩みを進めた。
後方では、レオが、先ほどの大魔術の行使を気遣うように、アリシアに声をかけた。
「アリシアさん、魔素ポーション要りますか?顔色、少し白いですよ」
アリシアは、優しく首を振った。
「いえ、大丈夫です。まだ魔素は十分にありますので…」
そのやり取りを、シェルは隣を歩きながら、聞き耳を立てて聞いていた。
彼は、前方を警戒しながらも飄々と歩くゼロスの横顔を眺め、内心で呟いた。
(あんだけぶちかましても、まだ魔素に余力があんのかよ…ゼロス。お前、とんでもないのに拾われたもんだなぁ…)
シェルの目には、呆れと、羨望と、そして確かな敬意が宿っていた。




