追加エピソード⑧:月夜の散歩
楽しい時間はあっという間に過ぎ、すっかり夜も更けた頃。 ゼロス、シェル、アリシアの三人は、ほろ酔い気分で小料理屋を後にした。 ルーメンの夜風が、火照った体に心地よい。
店の軒先で、シェルは満足げに一つ伸びをすると、
「んじゃぁ、俺は一足先に王宮に戻るぜ」
と、にこやかに二人(特にアリシア)に目配せをして去ろうとする。
ゼロスは、シェルのその意図に全く気づかず、純粋に飲み仲間が帰るのを名残惜しんで、
「んだよ、ここまで一緒だったんだから、帰りも一緒じゃねぇのか?」 と、なんとなく引き留めようとするが、
シェルは、そんなゼロスの鈍感さと、その後ろで少し困ったように微笑むアリシアの様子を見て、楽しそうにニヤっと悪い笑みを浮かべた。
「馬鹿野郎。俺は、これからいい雰囲気になろうって男女の仲に、水を差すようなつまらない男じゃないんでな」
と、わざと大きな声で言い残して、ひらりと手を振り、夜の石畳を駆けていった。
「お!?おいっ!シェル!待て!だから俺とアリシアさんはそんな仲じゃ!?」
ゼロスが慌てて否定の言葉を叫んだが、その声が届く頃には、シェルの背中はもう、ルーメンの夜の街の雑踏に紛れて消えていった。
静かになった夜道に、ゼロスとアリシアの二人だけが残される。 ゼロスは、シェルの最後の言葉に本気で困ったように、非常に気まずそうにアリシアに振り向き、ガシガシと頭を掻いた。
「ははは…悪いな、アリシアさん。シェルが変なこと言って。あいつには俺からよく言っておくからさ…」
と、真面目な顔でそう伝えたのだが、当のアリシアは、怒るでも困るでもなく、
「ふふっ…」 と、楽しそうに小さく笑い声を漏らした。
「まぁ、いいじゃないですか。私たちが、それだけ仲良しに見えたということで…」 と、彼女は嬉しそうに微笑むのだった。 その笑顔は、先ほどのシェルの言葉を肯定しているかのようにも見えた。
そして、アリシアはふいと踵を返し、王宮とは違う方向、街の灯りが少なくなる方へと、ゆっくりと歩き始めた。
「アリシアさん?そっちは王宮への帰り道じゃ…」 ゼロスが戸惑いの声をかける。
アリシアは数歩先で立ち止まり、ゼロスに向き直った。 酒のせいか、それとも夜の闇がそう見せるのか。彼女の頬はほんのりと赤らみ、その瞳は潤んで、月明かりを反射して揺れていた。
「少し、歩きませんか?」
そう、彼女は再び微笑むのだった。 それは、ゼロスを困らせる悪戯な笑みではなく、確かな意志を秘めた、夜の花のような笑顔だった。 ゼロスは、その引力に逆らえず、黙って頷いた。
神聖法皇国ルーメンに流れる、街道沿いの小川。 その水面が月光を弾き、せせらぎの音だけが響く静かな石畳の道を、二人は並んで歩いていた。 王宮の荘厳さも、繁華街の喧騒も、今はもう遠い。
しばらく、心地よい沈黙が続いた後、先に口を開いたのはアリシアだった。
「良い夜ですね…」
「そ、そうか?」 ゼロスは戸惑いながら答える。
繁華街から離れ、薄暗い住宅街と隣接する、この人気のない小川の夜道。 良い夜というには、一見して少し寂しすぎるようにゼロスには見えたが…
「…ふふ。初めて会ったあの日を、思い出しませんか?」
アリシアは、欄干にそっと手を触れ、流れる水面を見つめながら、懐かしむような顔をした。
「…あの日…」 その言葉に、ゼロスの脳裏にも、あの夜の光景が鮮明に蘇る。 「…そういえば、そうだな」
グレイ達にSランクパーティから追放され、積み上げてきた全てを失い、これからどうしようかと思い悩んでいた、あの絶望の夜。
ギルド前の道端のベンチに、ポツンと一人で座り込んでいたアリシアと出会った、あの日。 ゼロスは、自分の人生の転機となったその夜を思い出し、苦笑した。
「思い出すぜ。あの時のアリシアさんは、今と違って、ちょっと強引だったよな…」
アリシアは、その言葉に少し頬を膨らませた。あの時の自分は、それだけ必死だったのだ。
「もう…せっかくの感動的な出会いの話ですよ。そういうことは、思ってても言わないでください…」
と、少し恥ずかしかったのか、拗ねたように目を伏せがちに答えた。
「わりぃわりぃ。…でも、ああして無理やりアリシアさんが俺を誘ってくれたから、今の俺がこうしてあるんだろうな…」
ゼロスは、からかうのをやめ、今度は心の底から、優しく微笑んだ。
「…そんな…」 アリシアは、その笑顔に胸が締め付けられるようだった。 「私があの時、無理やりゼロスさんをお誘いしたのは…」
アリシアは、ずっと胸に秘めていた過去の自分の行動を、今、懺悔していた。 人が好さそうなゼロスを、半ば強引にパーティに引き込んだ事。 本当は、落ちこぼれヒーラーと組んでくれる人なら誰でもよかった。ただ単純に、誰かに傍に居て欲しかったあの孤独な時期に、たまたま、そこにゼロスが通りかかっただけ。
なんて、ムシの良い話だったのだろうと、幸せになった今更ながらに思っていた。
ゼロスは、そんなアリシアの痛々しいほどの後悔を、その顔から敏感に感じ取った。
「そんな顔すんなよ。アリシアさん」 彼は、小川のせせらぎに負けないよう、はっきりとした声で言った。 「それに、俺は嬉しかったぜ。あの時、あんたが俺を必要としてくれたことが」
「『銀の剣』じゃ、俺はただの荷物持ちで、いてもいなくても同じだった。…けど、あんたは違った」
「誰かに頼られるって事が、どれだけ自分を奮い立たせてくれるかってのを、俺はあんたに会って、初めて実感出来たしな」
ゼロスは、ネクサスの下級ダンジョンで遭遇した、あのオーガジェネラルとの死闘を思い出していた。
いくら下層ダンジョンとはいえ、ボスはボスだ。Bランクダンジョンの雑魚モンスターが束になっても敵わない。それが、ボスモンスターの『格』というものだ。
あの時、自分の背後にいたのが、もしアリシアではなかったら… 自分はあの時、誰かを背にして、あそこまで戦えていただろうか? ボロボロになりながらも、最後まで立っている事は出来たのだろうか?
いや、アリシアだったからこそ、彼女が自分を支えてくれたからこそ、最後まで立っている事が出来たんだ。
「アリシアさん…俺は、あんたが俺の傍に居てくれたから、ここまでの事を成し遂げられたんだと思ってるよ」
ゼロスは、夜の闇に紛れて誤魔化すこともせず、真っ直ぐにアリシアの目を見て、言った。 それは、彼の無骨な心からの、精一杯の感謝と信頼の言葉だった。
アリシアは、その言葉に、ずっと張り詰めていた何かが切れたように、感極まり、瞳が急速に潤んでいった。 視界が滲み、目の前のゼロスの顔が、ぼやけていく。
「ゼロスさん…」
ゼロスは、そんな彼女の様子に、急に我に返り、照れくさそうに頭を掻いた。
「…あー…酒、呑み過ぎたかな。急に変な事言ってわりぃな」
と、ゼロスは慌ててアリシアの顔から目を背け、空を見上げた。
「いえ…そんな事、ありません…」 アリシアは、溢れそうな涙を必死にこらえ、震える声で答えた。
「私も…私も、ゼロスさんが傍に居て下さったから、諦めずに、ここまで来れたんだと…そう、思っております…」
アリシアは、照れながらも、今度は自分が、真剣な顔でゼロスに向けて言った。
その言葉の熱に、今度はゼロスがどう反応していいか分からなくなる。 二人の間に、甘く、少し気恥ずかしい沈黙が流れた。
「…そ、そろそろ帰ろうぜ。夜風に当たり過ぎて、風邪ひいたら大変だしな…!」
と、ゼロスはなんとかそれだけを絞り出し、ぎこちなく笑った。
「…はいっ」
アリシアは、涙の痕を隠すように俯きながらも、満開の笑顔でそう言って、ゼロスと共に、王宮へと続く道をゆっくりと歩き始めたのだった。 二人の影が、月明かりの石畳の上で、静かに寄り添っていた。
ルーメン王宮。 夜が更け、エメルダに宛がわれた豪奢な客室は、小さな宴の終わりを告げていた。 高価そうな酒瓶が床に転がり、食べかけの料理がテーブルに並んでいる。
その部屋の大きな天蓋付きベッドでは、 ルナは既に酔い潰れて、幸せそうな寝息を立てながら突っ伏していた。
「ぐははははっ!!レオくん!キミは見込みがあるじゃないかっ!」
対照的に、エメルダは顔色一つ変えず、床に転がる酒瓶の山を前に上機嫌だった。 彼女は、自分と変わらぬペースで酒を飲み干していくレオを、心底気に入った様子で楽しそうにしていた。
「あははは…そうですか?」 と、レオは苦笑いを浮かべる。 そう言いながらも、エメルダに注がれた高価そうな葡萄酒の盃を、彼は次々と礼儀正しく空にしていく。
それを楽しそうに見ていたエメルダは、ガシッと音を立てんばかりの勢いで、唐突にレオの手を両手で握りしめた。
「いやぁ、感動したよっ!レオくん!!キミにもし魔術師の適性があったら、あたしの3人目の弟子としてスカウトしたいくらいだ!」
エメルダは、感動のあまりだろうか、その丸眼鏡の奥の瞳を、魔素と好奇心でキラキラと輝かせている。
そのあまりの圧と、酔っ払い特有の純粋な熱意に、レオはたじろいだ。 「はは…きょ、恐縮です…」
しかし次の瞬間、エメルダは握っていた手をパッと放し、再びソファに深く座り直すと、優雅に足を組んだ。
「ルナも見込みがありそうだが…レオくん、キミも結構面白いね」
先程までの、腹を抱えて笑っていた酔っ払いの勢いは、綺麗に霧散していた。 部屋の空気が一瞬で張り詰める。
急に、ギルド長としての冷徹な仮面が半分顔を覗かせたかのように、レオを値踏みするような鋭い目が、彼に向けられる。
レオは、その急激な温度差に背筋が冷たくなるのを感じた。 楽しい酒の席から、一転して尋問の場に放り出されたような緊張が走る。 「そ、それはどういう意味ですか…?」
エメルダは、楽しそうに、しかしその目は笑っておらず、ニヤリと口の端を吊り上げた。
「キミのその盾の技術。水銀を操作して盾にするあの技を習得する上で、キミ、相当無理したんじゃないかぁ?」
その言葉は、レオの心の最も深い部分を正確に撃ち抜いた。 レオは、核心を突かれたことに動揺し、思わず、先ほど握られた自身の手を反対の手で覆い隠した。
だが、エメルダはその仕草を意にも介さず、淡々と分析結果を告げる。 「さっき手を握った時に視えたよ。ところどころ、腕の魔術回路が焼き潰れて、修復が追い付いていない。おまけに、潰れた箇所を無視して、無理やり魔術で再度こじ開けたような…無茶苦茶な跡があった」
レオは驚愕に目を見開いた。 まさか、あの酔った勢いで、ほんの一瞬手を握られただけで、自分の最大の秘密が、その代償がバレるとは、思いもしなかった。
エメルダは、そのレオの動揺を面白がるように、さらに踏み込んだ質問を重ねた。その瞳は、獲物の秘密を暴こうとするかのように、好奇心に輝いている。
「…何がキミをそこまで無茶をさせるに至った?錬金術師のジョブなら、それなりに稼げるだろうし、食うに困らないだろ?わざわざ魔術回路を焼き切ってまで、盾の技術を磨く必要があったのかい?」
レオは、その鋭い指摘に困った顔をした。 彼は視線をエメルダから外し、ベッドで幸せそうに寝息を立てるルナに目を向けた。その寝顔を見つめる彼の瞳には、一瞬、深い愛おしさが宿る。 やがて彼は覚悟を決めたように、エメルダに向き直り、正直に答えることを選んだ。
「…ルナが、都会のネクサスに出て、大成したいと言い出して。僕は…それに付いていくために、彼女を守れる力が欲しくて、必死に自分を鍛えました」
エメルダは、彼の返事を聞き、ほう、と興味深そうに頷いた。
「ふむ…それで繋がった。して、ルナは魔術師としての高い適性があるにも関わらず、なぜか戦士ギルドに入った。これにはどんな理由が…?」
レオは、その時のルナの不器用な優しさを思い出し、困ったように、しかし嬉しそうに笑った。
「その…魔術師の適性がない僕が一緒だと、魔術師ギルドには二人で入れそうにないから、って。だから、二人で入れる戦士ギルドにするって…」 「それが、僕が村からついてきてくれたことへの礼なんだって、ルナが…そう言ってくれたんです」
それを聞いたエメルダは、先ほどのギルド長の顔から一転し、目をキラキラと輝かせて言った。
「ほほぉ…あのじゃじゃ馬娘が、なかなか殊勝じゃないか……しかし、レオくん」 彼女は、何か最高に面白いゴシップを嗅ぎつけたかのように、ニヤニヤと意地悪く笑いながらレオに顔を近づけた。 「そこまでしてルナに執着する理由は…まさかお主?」
エメルダは、からかうように聞いた。 それに対して、レオはもう何も隠す必要はないとでも言いたげに、そのまっすぐな瞳でエメルダを見返した。
「はい。僕は、ルナの事が好きです。だから、僕は後悔ない選択をするために、彼女の隣に立てるように自分を鍛えました。それだけです」
そのあまりにもストレートで、純粋な告白を聞いたエメルダは、
「~~~っ!!!」
と、ソファの上で興奮のあまり足をバタバタとさせた。 (かーっ!青い!青すぎるぞこの少年!こういうの大好物だ!) と、ギルド長の威厳など欠片もない喜びようだった。
そうして、ひとしきりの興奮が収まったあと、エメルダはバン!とテーブルを叩いた。
「…よっし!レオくん、そういう事なら、お姉さんも全力で応援しようっ!さぁ、今夜は二人の馴れ初めを肴に、吞み明かすぞっ!!」
と、何か最高に良いことを聞いたかのように、興奮気味に言ってくるのだった。
しかしレオは、その興奮よりも、彼女が発した別の言葉に反応してしまった。
「お、お姉さんですか…?」
エメルダは、そのレオの素朴な疑問に、一瞬、ピクリと眉間に皺を寄せた。
「…あぁん?なんだ?文句あるのかぁ?」 と、低い声で凄んでみせる。
しかし、レオは全く悪意なく、正直に答えた。
「い、いや…てっきり、僕とせいぜい同い年くらいかなと…その、お姉さんって言われましても、あまり実感が…」
それに対してエメルダは、先ほどよりも激しく、
「~~~~~~っ!!!!!」 と、さらに足をばたつかせた。
(こ、こいつ!同い年くらいだと本気で思ってるのか!?あたしが魔術師ギルド長だと知って尚、似たような歳だと!?見た目が多少魔術で若返ることも知らんのか!このピュアな田舎の少年はっ!!)
と、その発言が、彼女の別の琴線に触れたらしく、内心で酷く興奮していた。
レオは、そのあまりの興奮ぶりに、何か地雷を踏んだのかと慌てた。
「あの…すいません、女性に歳の事を言ってしまって…」 と、申し訳なさそうに言ったが、
エメルダは、もはや笑みが抑えられないといった顔で、グラスを高々と掲げ、カッコつけながら言った。
「ますます気に入ったぞ、レオ…さぁ、今夜は寝かせないぞ!!!」
と、再びレオの空になった盃に、なみなみと酒を注ぎ始めた。
こうして、片や酔い潰れ、片や恋バナに花を咲かせるという、奇妙な宴会は、夜が白み始める寸前まで続くのだった。




