第四話:さらなる探索
ホーニーラビットの骸が転がる洞窟に、しばしの静寂が訪れた。
自分の力で誰かを守り、そして依頼を達成できた。
その事実は、理不尽に追放されて以来、乾ききっていたゼロスの心に、小さな潤いを与えてくれた。
(……でも、前衛って……俺が?)
アリシアからの唐突な提案が、思考の片隅で重くのしかかる。
Aランクパーティに所属していた頃からずっと、彼にとって『荷物持ち』以外の役割など考えたこともなかったのだ。
「と、とりあえず依頼の魔核も三個以上集まりましたし、戻りましょうか」
彼は努めて明るい声を出し、アリシアに向き直った。
「余った分は追加報酬で期待できますし、良い狩りでしたね」
これで帰れる。そう思った矢先だった。
アリシアのきっぱりとした声が、ゼロスの言葉を遮った。
「まだですっ!」
「……へ?」
「まだ来たばっかりですよ! もうちょっと探索しましょうよ!!」
「ま、マジっすか……」
アリシアの瞳は、好奇心と決意に満ちて、ダンジョンの奥を真っ直ぐに見据えていた。
このEランクダンジョンには特異な性質がある。
およそ一ヶ月周期で内部構造が地殻変動のように変わり、以前の地図は全く役に立たなくなるのだ。
しかし、その構造変化は再生成の恩恵ももたらす。一度掘り尽くされた鉱脈や希少な植物が再び姿を現すのだ。
アリシアは、満面の笑みを浮かべてゼロスに向き直った。
「と、いうわけで、次はゼロスさんが《《前衛》》をお願いします!」
「……何が、『と、いうわけで』だ……」
話の飛躍に全くついていけず、ゼロスはこめかみを押さえた。
彼の困惑した表情を見て、アリシアの笑顔がすっと消え、悲しげな色に変わる。
「……嫌、ですか?」
潤んだ瞳が、不安げに揺れながら、ゼロスを下から見上げてくる。
そのあまりの破壊力に、ゼロスの心臓が大きく跳ねた。
(うっ……! そ、そんな顔で見られたら……!)
「嫌じゃない嫌じゃない! わかったわかった! やるからそんな顔するな!」
彼は慌てて両手を振り、半ば叫ぶように承諾していた。
途端に、アリシアの表情が、ぱっと花が咲くように明るくなる。
その笑顔を見て、ゼロスは胸の奥に、ふと温かい感覚が蘇るのを感じていた。
(ああ、そうか……)
追放される前、仲間から「道具」のように命令されるのとは違う。
純粋な信頼と共に「あなたが必要だ」と頼られる感覚。
それは、彼がとうの昔に忘れてしまった、心地の良い感覚だった。
アリシアに押し切られる形で、二人の探索が再開された。
浅層から中層へと続く道は、それまでとは明らかに様相が異なっていた。
その時、血の匂いに誘われたのか、ホーニーラビットの群れが物陰から猛然と襲い掛かってきた。
「アリシアさん、危な……」
ゼロスが警告を発するよりも早く、彼の体が動いていた。
横から飛びかかってきた一体を、まるで肩の埃を払うかのように、自然な裏拳で打ち据える。
――ゴッ!
鈍い音がして、魔物は壁に叩きつけられ動かなくなった。
続けざまに正面から迫ってきた個体には、最小限の動きで放たれた蹴りが炸裂する。
荷物持ちとして常軌を逸した重量を背負いながら、戦闘職の速度に遅れず並走し続けてきた彼の肉体は、ただ振るうだけでも恐るべき凶器と化していた。
その圧倒的な光景を、アリシアは背後から感嘆のため息と共に見ていた。
(やっぱり……ゼロスさんはすごい……!)
あの大きな背中は、ただ荷物を背負うためだけのものではない。
道を切り拓く、本物の前衛の背中だ。
中層へと続く道の途中、二人は壁一面に自生した光ゴケが青白く輝く『安定区画』を見つけた。
「少し、休みましょうか」
二人は壁際に腰を下ろす。ゼロスは戦利品の魔核をすべて地面に広げた。
「だいたい三十個くらい採れたな。銀貨換算で八十枚から九十枚にはなるんじゃないかな」
「そ、そんなに!?」
アリシアは素っ頓狂な声を上げた。
「すごいですゼロスさん! これだけあれば、丁寧にやりくりすれば一ヶ月は余裕で暮らせますよ!」
しかし、ゼロスの反応は心底意外だというものだった。
「え? そうなの? これだけだと、だいたいもって一週間……」
「……え?」
気まずい沈黙が流れる。
アリシアは震える声で尋ねた。
「ゼ、ゼロスさん……以前のパーティでは、どんな暮らしを……」
ゼロスはぽつり、ぽつりと語り始めた。
『銀の剣』での日々。膨大な荷物を一人で運ばされ、物資の管理を押し付けられ、挙句に「無能」として追放されたこと。
話を聞き終えたアリシアは、怒りで拳を握りしめていた。
「ひ、酷すぎます……! ゼロスさんを奴隷みたいに扱うなんて……!」
「まぁ、言っても俺、基本戦わなかったしなぁ。お金も、消耗品に消えてたし」
「……お金、何に使ってたんですか?」
「ポーション系各種とか、脱出用のスクロールとかだよ。あの3バカ、消耗が派手すぎるんだ。体力ポーション三十本に、魔素ポーション十本……。それを俺の《《自費》》で補填してたんだよ」
アリシアはもはや開いた口が塞がらなかった。
「ゼロスさん……それ、一般人の感覚なら、三ヶ月は余裕で暮らせる金額ですよ。それを一回の探索で……?」
「な、なんと……」
その時、ゼロスは初めて、自分がどれほど不当に搾取され続けてきたのかを自覚した。
「ともかく……私は、ゼロスさんをそんな酷い扱いは絶対にしません! 貴方は『始まりの雫』の《《リーダー》》なんですから!」
アリシアの真っ直ぐな信頼に、ゼロスは照れたように立ち上がった。
「さて、そろそろ中層を見学に行こうか」
中層へ続く通路を抜けた先には、幻想的な光景が広がっていた。
そこは、蒼白く発光する巨大なキノコが大木のようにそびえ立つ、夜の森のような空間だった。
「ここは、まるで森の中にいるみたいですね」
「そうだねー。面白いよね」
呑気な会話をしていた、その時だった。
ゼロスがゆっくりと立ち止まる。
「囲まれたな。たぶん、ダイアウルフじゃないかなぁ」
「ダイアウルフ!? Cランクのモンスターですよ!? 逃げましょうっ!」
「大丈夫だって。キミが死ぬような場所なら、そもそも連れてきてないから」
刹那、キノコの影から一体のダイアウルフがゼロスの背中へ飛びかかった。
ゼロスは振り返ることなく、左腕を鞭のようにしならせる。
――ゴッ!!!
放たれた裏拳が顔面を捉え、さらに右手で頭頂部を鷲掴みにすると、右膝を猛烈な勢いで突き上げた。
メシャアッ。
水風船が割れるような音と共に、Cランクモンスターが瞬殺された。
「ね? 大丈夫だったでしょう?」
彼は服の返り血を払いながら、悪戯が成功した子供のように笑う。
「あぁ……ごめん。怖かったよね。すぐ終わらせるからさ」
彼は腰の大型ナイフを抜き放った。
「刃が欠けないといいけど……」と、モンスターよりナイフの心配をしながら。
ゼロスの『筋力強化(微)』が一段階引き上げられる。
アリシアの目には、ゼロスの姿が掻き消えたように見えた。
漆黒の影が戦場を駆け巡り、ダイアウルフの首が次々と宙を舞う。
ほんの数秒で、群れは全滅した。
「ま、所詮はEランクダンジョンだし、こんなもんか」
(とんでもない人を……私は味方につけてしまったのかもしれない……)
アリシアは畏怖の念を抱きながら、彼の振るう黒いナイフを見つめた。
「ゼ、ゼロスさん、そのナイフ……材質は?」
「わかんないんだよね。数年前に市場でヨボヨボのおじいちゃんから買ったんだ。『家宝なんじゃ』って言われてさ。お気に入りの解体用ナイフなんだよ」
「おいくらだったんですか……?」
「確か、金貨5枚だったかな?」
「き、金貨5枚ぃ!?」
アリシアは眩暈がした。金貨5枚――半年は遊んで暮らせる大金だ。それを「解体用」にポンと払う金銭感覚。
「そ、そんな貴重品、解体専用にしてくださいっ!」
詰め寄るアリシアに、ゼロスは真剣な眼差しを向けた。
「……でも、さっきの一撃で仕留めそこなったら、アリシアさんに襲い掛かるかもしれなかったし。仕方ない、仕方ない」
「え……」
(わ、私のために……? 家宝級のモノを、惜しげもなく……!?)
不意打ちの優しさに、アリシアは顔が熱くなるのを感じた。
「さ、帰って昼飯にしようか」
朝日のような笑顔で笑うゼロスに、アリシアは上ずった声で返事をした。
「あ、はいっ!」
赤くなった顔を隠すように、彼女はそそくさと彼の後に続いた。
二人は今度こそ、ダンジョンの出口に向けて帰路についたのだった。
(第四話/了)




