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『追放された荷物持ちの俺を「必要だ」と言ってくれたのは、落ちこぼれヒーラーの彼女だけだった。』  作者: ブヒ太郎


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第四話:さらなる探索

ホーニーラビットの骸が転がる洞窟に、しばしの静寂が訪れた。

自分の力で、誰かを守り、そして依頼を達成できた。その事実は、追放されて以来、乾ききっていた彼の心に、小さな潤いを与えてくれた。


(…でも、前衛って…俺が?)


アリシアからの唐突な提案が、思考の片隅で重くのしかかる。荷物持ち以外の役割など、考えたこともなかった。


ゼロス「と、とりあえず依頼の魔核も3個以上集まりましたし、戻りましょうか」


(そうだ、この話は一旦終わりだ。早くギルドに戻って報告しないと)


彼は努めて明るい声を出し、アリシアに向き直った。


「余った分は追加報酬で期待できますし、良い狩りでしたね」


これで帰れる。そう思った矢先だった。

アリシアのきっぱりとした声が、ゼロスの言葉を遮った。


アリシア「まだですっ!」


ゼロス「…へ?」


思わず、間の抜けた声が漏れる。


アリシア「まだ来たばっかりですよ!もうちょっと探索しましょうよ!!」


ゼロス「ま、マジっすか…」


アリシアの瞳は、好奇心と決意に満ちて、ダンジョンの奥を真っ直ぐに見据えていた。


彼らがいるEランクダンジョンは、初心者向けの場所として知られているが、決して侮っていい場所ではない。

このダンジョンには特異な性質があった。およそ一ヶ月周期で、内部の構造が地殻変動のように著しく変わり、以前の地図は全く役に立たなくなるのだ。しかし、その構造変化は危険なだけではない。一度採掘された有用な鉱脈や、希少な植物などが再生成されるという恩恵をもたらす。世界の物流が安定しているのは、ある意味でこのダンジョンの気まぐれな再生成のおかげでもあった。

だからこそ、構造変化後のダンジョン探索は、危険と大きな富が隣り合わせの冒険となるのだ。


アリシアはそんな危険と富に満ちたダンジョンの奥を見据え、くるりとゼロスに向き直ると、満面の笑みを浮かべた。


アリシア「と、いうわけで、次はゼロスさんが前衛をお願いします!」


ゼロス「...何が、『と、いうわけで』だ...」


話の飛躍に全くついていけず、ゼロスは思わずこめかみを押さえた。

彼の困惑した表情を見て、アリシアの笑顔がすっと消え、悲しげな色に変わる。


アリシア「...嫌、ですか?」


潤んだ瞳が、不安げに揺れながら、ゼロスを下から見上げてくる。

そのあまりの破壊力に、ゼロスの心臓が大きく跳ねた。


(うっ…!そ、そんな顔で見られたら…!)


ゼロス「嫌じゃない嫌じゃない!わかったわかった!やるから!やるからそんな顔するな!」


彼は慌てて両手を振り、半ば叫ぶように承諾していた。

アリシアの表情が、ぱっと花が咲くように明るくなる。


その笑顔を見て、ゼロスは胸の奥に、ふと温かい感覚が蘇るのを感じていた。


(ああ、そうか…)


追放される前、パーティの仲間から「あれを持ってこい」「これを運べ」と命令されるのとは違う。

純粋な信頼と共に、誰かから「あなたが必要だ」と頼られるこの感覚。

それは、彼がとうの昔に忘れてしまった、心地の良い感覚だった。


アリシアに押し切られる形で、二人のダンジョン探索が再開された。

浅層から中層へと続く道は、それまでとは明らかに様相が異なっていた。道幅は狭まり、壁からは常に水が滴り落ち、ひんやりとした空気が肌を刺す。


その時、血の匂いに誘われたのか、新たなホーニーラビットの群れが、物陰から猛然と襲い掛かってきた。


「アリシアさん、危な…」


ゼロスが警告を発するよりも早く、彼の体が動いていた。

横から飛びかかってきた一体を、まるで肩についた埃を払うかのように、自然な動きの裏拳で打ち据える。ゴッ、と鈍い音がして、魔物は壁に叩きつけられ動かなくなった。


続けざまに正面から迫ってきた個体には、最小限の動きで放たれた蹴りが炸裂する。骨が砕けるおぞましい音と共に、ホーニーラビットはくの字に折れ曲がり宙を舞った。


それは、もはや戦闘と呼べるものではなかった。

降りかかる火の粉を、ただ淡々と、面倒臭そうに払いのけているだけ。

その圧倒的な光景を、アリシアはゼロスの背後から、感嘆のため息と共に見ていた。


(やっぱり…ゼロスさんはすごい…!)


震えるほどの感動が、彼女の胸を駆け巡る。

あの大きな背中は、ただ荷物を背負うためだけのものではない。仲間を守り、道を切り拓く、本物の前衛の背中だ。

アリシアの確信は、憧れにも似た熱を帯びて、より一層強くなるのだった。


中層へと続く道の途中、二人は壁が広く開けた空間を見つけた。

そこは壁一面に自生した光ゴケが、青白い柔らかな光を放つ、ダンジョン内には珍しい「安定区画」だった。モンスターの気配は完全に途絶え、岩肌を伝う清水の滴る音だけが静かに響いている。


「少し、休みましょうか」


ゼロスの提案に、アリシアはこくりと頷いた。

二人は壁際に腰を下ろし、束の間の休息を取る。ゼロスは革袋から戦利品であるホーニーラビットの魔核をすべて取り出し、ごとり、と地面に広げた。


ゼロス「えーと…」


光ゴケの幻想的な光を受けてきらめく魔核を、彼は一つ、一つと指で数え上げていく。


「だいたい30個くらい採れたな。銀貨換算で80枚から90枚にはなるんじゃないかな」


アリシア「そ、そんなに!?」


その数を聞いて、アリシアは素っ頓狂な声を上げた。その瞳は驚きと喜で見開かれている。


「すごい、すごいですゼロスさん!これだけあれば、丁寧にやりくりすれば1か月は余裕で暮らせますよ!」


(家賃を払って、毎日ちゃんとしたご飯を食べても、お釣りがくる…!)


彼女にとって、それは夢のような大金だった。しかし、ゼロスの反応は、アリシアの予想とは全く違うものだった。


ゼロス「え?そうなの?」


彼は心底意外だという顔で、アリシアを見つめ返した。その表情には、喜びなど微塵も浮かんでいない。


アリシア「・・・え?」


気まずい沈黙が、二人の間に流れる。

先に口を開いたのは、ゼロスだった。彼はどこか遠い目をして、地面に転がる魔核を見つめる。


ゼロス「これだけだと、だいたいもって1週間…」


アリシアは、ゼロスの言葉の意味をすぐには理解できなかった。

1ヶ月分の生活費が、たった1週間で消える。そんな馬鹿げたことがあるはずがない。

アリシアは、震える声で尋ねた。


アリシア「ゼ、ゼロスさん…以前のPTでは、どんな暮らしを…」


ゼロスは少しだけ逡巡した後、ぽつり、ぽつりと語り始めた。

Sランクパーティでの日々。彼が任されていたのは、戦闘ではなく、膨大な量の荷物を運ぶことと、物資の管理だけだったこと。そして、地味なスキルしか持たない役立たずとして、一方的に追放されたこと。


話を聞き終えたアリシアは、怒りで唇をわなわなと震わせていた。

彼女はぎゅっと拳を握りしめる。


アリシア「ひ、酷すぎます…!こんなに有能なゼロスさんを、そんな奴隷みたいに扱うなんて…!」


(ゼロスさんの力があれば、どんな依頼だって達成できるのに…!それを荷物持ちだなんて…!)


自分のことのように、腹の底から怒りが込み上げてくる。

しかし、当のゼロスは、困ったように笑うだけだった。


ゼロス「まぁ、言っても俺、基本戦わなかったしなぁ」


その諦めたような態度に、アリシアは逆に納得がいかないという顔をする。


アリシア「…じゃぁ、なんでそんなにお金を使ってたんですか…ハッ!?まさか女の人を買ってたとか!?」


(有り余るお金で、夜な夜な豪遊を…!?)


ゼロス「やめろやめろ。そんなとこに使う余裕なんてあるわけないだろ。ダンジョンで使う補給品とかだよ。ポーション系各種とか、最下層からの脱出用のスクロールとか」


彼の剣幕に、アリシアはびくりと肩をすくめる。そして、彼の言葉を反芻し、信じられないという顔で聞き返した。


アリシア「…それ、毎回買ってたんですか?もしかして、ゼロスさんの自費で?」


ゼロス「あの3人は、認めようとはしなかったけど、消耗の仕方が派手すぎるんだよ…」


彼は思い出すだけでも腹が立つ、といった様子で、苦々しく言葉を続けた。


「ポーション類に至っては、体力系なら軽く30本は使うし、魔素ポーションだって10本はくだらない。さらには最下層から帰るのが面倒だからって、毎回高価な脱出用スクロールを…あ、思い出したらイライラしてきた」


アリシアは、その浪費の規模に、もはや開いた口が塞がらなかった。

彼女は恐る恐る、一つの事実をゼロスに告げる。


アリシア「ゼロスさん…それ、一般人の感覚なら、3か月は余裕で暮らせるだけの金額ですよ」


ゼロス「な、なんと…」


その時、ゼロスは初めて、自分がどれほど異常な環境に置かれ、どれほど不当に搾取され続けてきたのかを、はっきりと自覚したのだった。


ゼロスが自らの過去の境遇に愕然としていると、アリシアは彼の前に立ち、その両手をぎゅっと握りしめた。彼女の瞳には、怒りと、そして強い決意の光が宿っていた。


アリシア「ともかく…私はゼロスさんをそんな酷い扱いは絶対にしませんからね!!何より、私たちのパーティ、『始まりの雫』のリーダーなんですから!」


ゼロス「リーダーって柄じゃないんだけどなぁ…」


(リーダー、か…重たい響きだ)


追放された荷物持ちの自分が、誰かを率いるなど考えたこともなかった。謙遜するゼロスを、アリシアはキラキラと期待に満ちた瞳で見つめ続ける。その真っ直ぐな信頼が、少しだけ気恥ずかしい。


ゼロスはその視線から逃れるように、ふっと立ち上がった。


「さて、そろそろ休憩を終わりにしようか」


アリシア「え!?もういいんですか?もう少し休まなくても…」


ゼロス「うん、今回は大して荷物を背負ってないから全然疲れてないよ」


かつては数百キロの荷物を背負ってダンジョンを往復していたのだ。今の身軽さは、彼にとって休息そのものだった。


(あの頃とは、違うんだ)


その事実が、静かな自信となって彼の心を支えていた。


アリシア「そ、そうですか」


納得したような、していないような顔でアリシアも立ち上がる。


ゼロス「さて、まだ浅層で狩りを続けるか、それとも中層に挑戦するか。どうする?アリシアさん」


彼はアリシアの目を見て、対等な仲間として問いかけた。


アリシア「中層…」


その言葉に、彼女の表情が曇る。


「浅層と比較すると、3倍程度、モンスターの戦力が跳ね上がるんですよね…私、正直、不安です…」


ゼロス「そっか。なら、ちょっと見学程度に見ていこうか」


アリシア「け、け、見学!?そんな遠足気分で足を踏み入れるような場所じゃないですよ、中層は!」


彼女の慌てぶりに、ゼロスは苦笑した。


ゼロス「だから、ちょこっとだけだよ。入り口の雰囲気を確かめて、危なそうならすぐに引き返せばいい」


アリシア「わ、わかりました。ゼロスさんがそこまで言うなら、お供します」


彼女は覚悟を決めたように頷いたが、それでも不安は拭えないようだった。


「でも、くれぐれも無理はしないでくださいね。私の治癒魔法も、さっき使ってしまったので、あと2回程度しか使えませんから」


ゼロス「了解~」


あまりにも軽いその返事に、アリシアの胸に、一抹の不安がよぎる。


(本当に…本当に大丈夫なんでしょうか、この人…)


その思いをよそに、ゼロスは未知なる領域、中層の入り口へと、迷いのない足取りで歩き始めた。


ゼロスに促され、アリシアは固唾を飲んで中層へと続く通路を抜けた。

その先に広がっていた光景に、彼女は思わず息をのむ。

ひんやりとした岩壁に囲まれた洞窟はどこにもなく、そこはまるで、月明かりに照らされた夜の森のような、幻想的な空間だった。天井からは巨大なキノコが傘を広げ、その表面が蒼白く発光して、大木の代わりとなっている。地面は柔らかな苔で覆われ、足を踏み出すたびに、しっとりとした土の匂いがした。


アリシア「さっきまで、ただの石のダンジョンだったのに…ここは、まるで森の中にいるみたいですね」


目を見張りながら呟くアリシアに、ゼロスはこともなげに相槌を打った。


ゼロス「そうだねー、ダンジョンは1か月くらいで風景も中のモンスターも変わって、結構面白いよ」


アリシア「面白いって…」


(この人は…今まで、一体どんなダンジョンを潜り抜けてきたんだろう…)


常識外れの強さも、金銭感覚のズレも、そしてこの動じない態度も、全ては自分とは比べ物にならないほど過酷な経験から来ているのかもしれない。アリシアは、目の前にいるゼロスの背中が、少しだけ大きく見えた。


しばらく、幻想的な森の中を歩き続けていた、その時だった。

ふいに、先を歩いていたゼロスが、ゆっくりと立ち止まる。その動きには、一切の無駄も焦りもなかった。


アリシア「どう…されました?」


(何か、いる…?)


空気が変わったのを、アリシアも肌で感じていた。さっきまで聞こえていた、微かな虫の音や水滴の音が、完全に途絶えている。


ゼロス「囲まれたな」


アリシア「か、囲まれたって、何にですか!?」


彼の静かな声とは裏腹に、その言葉の内容は絶望的だった。アリシアは咄嗟に周囲を見回すが、光るキノコの落とす影が深く、敵の姿を捉えることはできない。


ゼロス「たぶん、ダイアウルフじゃないかなぁ」


(この数…7、いや8匹か。厄介だな)


まるで天気の話でもするかのような、呑気な口調だった。


アリシア「に、逃げましょうっ!」


恐怖に駆られ、彼女は即座に踵を返そうとする。ダイアウルフは、Cランクに相当する強力なモンスター。しかも群れで狩りをする。今の自分たちでは、到底太刀打ちできる相手ではない。


ゼロス「決断が速いな。でも、逃げる方が面倒だよ?」


(背中を見せたら、一番弱いアリシアさんから狙われる。そうなったら、守りながら戦うのは骨が折れる)


アリシア「それでも、ここで全滅するよりマシです!」


彼女の悲痛な声が、静まり返った偽りの森に、空しく響いた。


アリシアの悲痛な声が、静まり返った偽りの森に響く。

その必死の形相を見て、ゼロスは困ったように笑いかけた。その表情には、絶望的な状況にいるというのに、不思議なほどの落ち着きがあった。


「大丈夫だって。キミが死ぬような場所なら、そもそも連れてきてないから」


その言葉が、気休めや虚勢ではないと、アリシアはすぐに理解することになる。

ゼロスの背後、光るキノコの影となっていた草むらが、がさり、と揺れた。

刹那、黒い弾丸となって一体のダイアウルフがゼロスの背中へと飛びかかる。その顎は大きく開かれ、喉笛を食い千切らんと鋭い牙が煌めいた。


アリシア「ゼ」


ゼロスの名前を叫ぼうとした、まさにその時だった。


振り返ることすらなく、ゼロスの左腕が鞭のようにしなった。

放たれた裏拳が、ダイアウルフの顔面を的確に捉える。ゴッ、と骨が砕ける鈍い音が響き、痛みに怯んだ獣の動きが一瞬だけ止まった。

ゼロスは、その好機を逃さない。

空いた右手でダイアウルフの頭頂部を鷲掴みにすると、そのまま右膝を突き上げ、獣の頭部を挟み込むように叩き潰した。

メシャア、と水風船が割れるようなおぞましい音が響く。


ゼロスが掴んでいた頭を離すと、ずるり、と地面に崩れ落ちたダイアウルフは、既に絶命していた。

一連の動作は、あまりにも滑らかで、あまりにも暴力的だった。


ゼロス「ね?大丈夫だったでしょう?」


彼は、服についた返り血を軽く払いながら、悪戯が成功した子供のように笑う。

アリシアは、その光景にただ絶句していた。


(こ、この人の実力って…Cランクモンスターを、不意打ちで、素手で、一撃…?軽くBランクは越えてるんじゃ…)


驚愕に目を見開いたまま固まっているアリシアを見て、ゼロスは彼女が恐怖に震えているのだと勘違いしたようだった。


ゼロス「あぁ…ごめんごめん。ここまで来たのは、さすがに怖かったよね。大丈夫、大丈夫。すぐ終わらせるからさ」


彼はそう言うと、腰に下げていた大型のナイフを、すっ、と鞘から抜き放った。

月光のようなキノコの光を反射して、分厚い刃が鈍く輝く。

ゼロスは、周囲に潜む残りのダイアウルフたちではなく、手の中のナイフに視線を落とし、心配そうに呟いた。


ゼロス「刃が、欠けないといいけど…」


アリシア(い、命の心配をしてくださいぃぃぃぃぃぃ!)


彼女の心の叫びは、もちろん、目の前の規格外の男に届くはずもなかった。


斥候であった一体が瞬殺されたことで、ダイアウルフの群れは完全に警戒態勢に入った。

光るキノコの影から、唸り声を上げながら三体のダイアウルフが姿を現す。その赤い瞳は憎悪に燃え、ゼロスただ一人を標的として、三方向から同時に襲いかかった。


「…やれやれ」


ゼロスは小さく息を吐くと、自身のスキル――

『筋力強化(微)』

の出力を、一段階、引き上げた。


アリシアの目には、次の瞬間、ゼロスの姿が掻き消えたように見えた。

いや、違う。彼の動きが、彼女の動体視力を遥かに超えてしまったのだ。

彼女に認識できたのは、ただ、漆黒の影が戦場を駆け巡り、ダイアウルフたちの首が、まるで熟れた果実をもぎ取るかのように、次々と宙を舞う光景だけだった。

悲鳴を上げる間もなく、三体の獣は首なしの骸となって、どさりと地面に崩れ落ちる。


静寂が戻った偽りの森の中央で、ゼロスは血振りもせずに、ナイフを鞘に納めていた。


ゼロス「ま、所詮はEランクダンジョンに出てくるモンスターだし、こんなもんか」


あまりにも素直な感想が、彼の口からこぼれる。


アリシアは、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


(とんでもない人を…私は、味方につけてしまったのかもしれない…)


恐怖ではない。畏怖。神話の英雄譚でも見ているかのような、現実感のない畏怖が、彼女の心を支配していた。


ゼロス「さて、これ以上アリシアさんを怖がらせても仕方ないから、魔核を採ったら、さっさと帰りましょうか」


(やっぱり、怖がらせちゃったか)


勘違いをしたままのゼロスに、アリシアはかろうじて声を絞り出す。


アリシア「え…あ、はい…」


ゼロスは慣れた手つきで、四体のダイアウルフから手早く魔核を抜き取っていく。


帰路。アリシアは、先ほどゼロスが振るったナイフに視線を向けた。


アリシア「ゼ、ゼロスさんって、ナイフでの戦闘も得意なんですか…?」


ゼロス「そんなわけないじゃん~。力任せに適当に振ってるだけだよ。いやー、本当に刃が欠けなくてよかったよ。このナイフ、結構高かったからさ~」


彼は心の底から安堵したように言った。


アリシア「…少しは、ご自身の身の安全の心配をしてください…」


そのツッコミは、もはや溜息に近かった。


アリシアは、ゼロスが腰に下げているナイフを改めて観察した。

刀身は光を吸い込むような黒色で、刃渡りは20cmほど。装飾の一切ない、実用性だけを追求したシンプルなデザインだが、大型の戦闘用ナイフと言っても通用するだろう。あれだけの力でモンスターを切り裂いても、ビクともしない途方もない耐久性を持っている。


アリシア「そのナイフ、材質ってなんなんですか?黒鉄…とも違うみたいですけど…」


ゼロス「それが、わかんないんだよね。数年前に、市場の出店で、ヨボヨボのおじいちゃんが売ってたんだよ。『ウチの家宝なんじゃ』って言ってさ。デザインがシンプルで気にいって、つい買っちゃったんだよね。それ以来、俺のお気に入りの解体用ナイフ」


(まさか、こんなに硬いとは思わなかったけど)


アリシアは、そのあまりにも頼りない入手の経緯に、再び眩暈を覚えるのだった。


斥候であった一体が瞬殺されたことで、ダイアウルフの群れは完全に警戒態勢に入った。

光るキノコの影から、唸り声を上げながら三体のダイアウルフが姿を現す。その赤い瞳は憎悪に燃え、ゼロスただ一人を標的として、三方向から同時に襲いかかった。


「…やれやれ」


ゼロスは小さく息を吐くと、自身のスキル――**『筋力強化(微)』**の出力を、一段階、引き上げた。


アリシアの目には、次の瞬間、ゼロスの姿が掻き消えたように見えた。

いや、違う。彼の動きが、彼女の動体視力を遥かに超えてしまったのだ。

彼女に認識できたのは、ただ、漆黒の影が戦場を駆け巡り、ダイアウルフたちの首が、まるで熟れた果実をもぎ取るかのように、次々と宙を舞う光景だけだった。

悲鳴を上げる間もなく、三体の獣は首なしの骸となって、どさりと地面に崩れ落ちる。


静寂が戻った偽りの森の中央で、ゼロスは血振りもせずに、ナイフを鞘に納めていた。


ゼロス「ま、所詮はEランクダンジョンに出てくるモンスターだし、こんなもんか」


あまりにも素直な感想が、彼の口からこぼれる。


アリシアは、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


(とんでもない人を…私は、味方につけてしまったのかもしれない…)


恐怖ではない。畏怖。神話の英雄譚でも見ているかのような、現実感のない畏怖が、彼女の心を支配していた。


ゼロス「さて、これ以上アリシアさんを怖がらせても仕方ないから、魔核採ったら、さっさと帰りましょうか」


勘違いをしたままのゼロスは、アリシアにそう声をかけると、手慣れた様子でダイアウルフの解体を始めた。


アリシア「え…あ、はい…」


茫然としながらも、彼女はゼロスのそばに歩み寄る。彼の振るう黒いナイフから目が離せない。


アリシア「ゼ、ゼロスさんって、ナイフでの戦闘も得意なんですか…?」


ゼロスは解体の手を休めずに答える。


ゼロス「そんなわけないじゃん~。力任せに適当に振ってるだけだよ。いやー、本当に刃が欠けなくてよかったよ。このナイフ、結構高かったからさ~」


アリシア「…少しは、ご自身の身の安全の心配をしてください…」


そのツッコミは、もはや溜息に近かった。アリシアは、ゼロスが使うナイフを改めて観察する。

刀身は光を吸い込むような黒色で、刃渡りは20cmほど。装飾の一切ない実用的なデザインだが、大型の戦闘用ナイフと言っても通用するだろう。あれだけの力でモンスターを切り裂いても、ビクともしない途方もない耐久性を持っている。


アリシア「そのナイフ、材質ってなんなんですか?」


ゼロス「それが、わかんないんだよね。数年前に、市場の出店で、ヨボヨボのおじいちゃんが売ってたんだよ。『ウチの家宝なんじゃ』って言ってさ。デザインがシンプルで気にいって、つい買っちゃったんだよね。それ以来、俺のお気に入りの解体用ナイフ」


アリシア「高いっておいくらだったんですか…?」


ゼロス「うーん、どうだったかな…確か、金貨3枚だったような…?」


アリシア「き、金貨3枚ぃ!?」


彼女は本気で頭がクラクラした。


「それって…!ちょっと裕福な暮らしをしても、3か月は余裕で持つほどの金額ですよ!?それを、刃物1個にポンと払うだなんて、正気ですか!?」


ゼロス「だから、高いって言ったじゃーん」


彼は、どこか悪びれない様子で肩をすくめる。


アリシア「そ、そんな貴重品なら、もうモンスターを倒すために使わないでくださいっ!解体専用にしてください!」


もはや、どちらがパーティリーダーなのか分からない剣幕で、彼女はゼロスに詰め寄った。

すると、ゼロスはそれまでの飄々とした態度を消し、解体の手を止めて、真剣な眼差しでアリシアを見つめた。


ゼロス「…でも、さっきの一撃で仕留めそこなったら、アリシアさんに襲い掛かるかもしれなかったし。仕方ない、仕方ない」


アリシア「え…」


その言葉に、アリシアはカッと顔が熱くなるのを感じた。


(わ、私のために…?私のために、そんな家宝級の高価なモノを、惜しげもなく…!?)


心臓が、早鐘のようにドキドキと鳴り響く。


そんな彼女の心境の変化に気づく様子もなく、四つ目の魔核を取り出し終えたゼロスは、パン、と手を叩いた。


ゼロス「さ、そろそろ帰って昼飯にしようか」


血の匂いが漂う薄暗いダンジョンの中だというのに、彼の笑顔は、アリシアの目には朝日のように爽やかに映っていた。


アリシア「あ、はいっ!」


彼女は、上ずった声で返事をすると、赤くなった顔を隠すように、そそくさと彼の後に続いた。

二人は今度こそ、ダンジョンの入り口に向けて、帰路についたのだった。


(第四話/了)

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