第29話:偽りの勝利、そして…
帝都ギルド『アイギス』がBランクダンジョンを踏破したという報告は、一夜にして黒鉄の城塞を駆け巡り、帝国騎士団を深い動揺の渦に叩き込んだ。
「嘘だろ…たった二日で落としたというのか…」
「我々の部隊では、事前の調査や準備だけでも、最低でも一週間はかかるぞ」
「いや、そもそも騎士団としての出撃許可が下りるまでを計算すれば、その倍は…」
「これでは、俺たちの存在価値とは一体…」
城塞の廊下の至る所で、騎士たちのそんな囁きが交わされていた。これまで帝国最強と謳われてきた彼らの矜持は、アイギスの圧倒的な成果の前に、脆くも崩れ去ろうとしていた。
騎士団が不安に渦巻く中、アリシアはマリウスの執務室の扉を叩いていた。
コンコン、と控えめなノックの音。中から、疲労の滲む声が聞こえる。
「入れ」
アリシアが静かに部屋へと入ると、マリウスは執務机に山と積まれた書類から顔を上げた。
「何やら城塞内が騒がしいようですが、何かございましたか?」
「あぁ…アリシアさんか。立って話すのもなんだ。そこに座るといい」
マリウスは、来客用のソファを勧めた。
「失礼致します」
アリシアがソファに腰かけると、マリウスは手にしていた一枚の報告書を、彼女の前にそっと置いた。
「読んでみるといい…」
アリシアは、その羊皮紙に記された簡潔な報告文に目を通した。
「…二日間で、攻略…でございますか。私、冒険者になって日が浅いのですが、これは早いのですか?それとも、遅いのですか?」
「異例の速さだ。指示が出てからパーティーを組み、ダンジョンに移動し、そして攻略する。普通なら一週間…いや、もっとかかってもおかしくない…」
「左様でございますか…。して、この報告が意味するところは?」
アリシアの問いに、マリウスは苦悩の表情で頭を掻いた。
「…キミなら、もうわかっているだろう…」
「騎士団の、価値の低下…でございますか?」
「…そうだ。我々騎士団なら、最低でも十日はかかるところを、『アイギス』はたった二日でやってのけた。彼らにそれが出来るというのなら、我々は…」
「…ダンジョンの抑圧、制御という騎士団の主要任務は解かれ、組織の規模縮小もあり得る、と………でも…」
アリシアは、そこで言葉を切った。
マリウスは、その言葉の続きを促すように、怪訝な表情で彼女を見つめる。
「…なんだ?言ってみろ」
「…彼らに、それだけの実力が、本当に備わっているのでしょうか…」
アリシアは、静かに、しかし確信を込めて言った。マリウスは、黙って彼女の言葉に耳を傾けている。
「先日、彼らのギルドを尋ねた際、彼らと私達は衝突致しました。ですが…その時、脅威と感じるようなお方は、正直、おりませんでした…。私が、普段からゼロスさんの戦いぶりを見ているから、というのもあるでしょうが…」
「…ふむ…」
マリウスは腕を組み、思考を巡らせる。
「…確かに、言われてみれば不自然かもしれんな。『アイギス』と、我ら騎士団の一般兵たち。個々の戦力に、そこまで大きな差はないはずだ…とすると…」
アリシアは、静かに頷いた。
「…今、ゼロスたちは何をしている?」
アリシアは、その問いにふわりと微笑んだ。
「訓練場で、汗をかいております」
「…そうか。すぐに、彼らのところへ向かおう。君たちに、頼みたいことがある」
マリウスは、迷いを振り払うように立ち上がった。
「承知致しました」
アリシアも静かに席を立ち、二人は執務室を後にするのだった。
訓練場に足を踏み入れると、マリウスとアリシアは凄まじい轟音に迎えられた。
「うらぁぁぁっ!!!」
ゼロスが訓練用の木の棍棒を、レオが構える巨大な銀の盾に一心不乱に叩きつけている。盾が殴打される度に、衝撃波が訓練場の乾いた土を巻き上げていた。
「ゼロス!もっと本気で来い!」
盾越しに、全身で衝撃を受け止めながらも、レオは一歩も引かずに叫ぶ。
「やってらぁぁぁぁぁあああ!!!」
ゼロスは筋力強化(微)の出力を一段階引き上げ、渾身の力で盾の中心をさらに豪打する。
轟音と衝撃波で、レオの身体が三歩ほど後ずさったが、彼はすぐに地面を踏みしめて前進してきた。
「こんなんじゃ、僕の盾は割れないよ!!」
「こっちは訓練用の棒きれなんだよ、ボケェェェ!!!」
ゼロスがさらに力いっぱい盾をぶん殴った、その瞬間だった。バキッ!と乾いた音が響き、彼の棍棒が、その衝撃に耐えきれず粉々に砕け散った。
「「あっ…」」
ゼロスとレオの声が、ぽかんと重なる。
「試合終了ぉぉぉぉぉおおお!!!レオの勝ちぃぃぃぃいいい!!!」
いつの間にか審判役をしていたルナが、レオ側の手を高々と上げた。
「勝者、レオォォォ!!!」
「ぐあぁぁぁぁああああああ!!!俺の無敗記録がぁぁぁああああ!!」
ゼロスは頭を抱え込み、その場に崩れ落ちた。
「え!?ゼロスって、今まで無敗だったの!?」
レオが驚いて尋ねる。ゼロスは芝居がかった仕草で、涙を拭いながら顔を上げた。
「ノリだ、ノ・リ☆」
マリウスは、その光景をただ唖然として見ていた。
「…一体、何をしているんだ、君たちは…」
横にいたアリシアは、その様子を微笑ましく見守っている。ゼロスはすっと立ち上がると、何事もなかったかのように答えた。
「なにって、訓練だよ、訓練」
「ふむ…」
マリウスは、砕け散った棍棒の残骸と、あれだけの殴打を一身に受けて凹み一つ生じていないレオの盾を、厳しい目で見比べた。いや、凹んだ瞬間に、錬金術で修復しているのか。
「…お前たちに、頼みたい事がある」
「やっと仕事か」
ゼロスは、にっと笑った。
「ああ、そうだ。頼みたい内容は…」
一方その頃、ヘレナ自室。
彼女は無言で机の引き出しから、「騎士団人員リスト」と書かれた羊皮紙の巻物を取り出すと、音もなく扉を開け、どこかへ向かう姿があった。その表情は、固く閉ざされ、何を考えているのかうかがい知ることはできなかった。
場面は再度、訓練場へ。
「…ふむ。『竜の牙』の周辺調査か…」
マリウスの話を聞き終えたゼロスが、腕を組んで呟いた。
「そうだ。騎士団で有名な武芸者の顔は、当然、先方に割れている。だから、ダデウス男爵やアイギスの一部の者以外には、まだ顔が知られていないお前たちに頼みたい」
「…つまり、『アイギス』の実力を、裏から探れ、というわけですね」
レオが冷静に分析する。
「そうだ…。もし、報告通りダンジョンが鎮圧されているなら、それで良い。だが、それがもし嘘偽りであったなら、その証拠を君たちに持ち帰ってもらいたい」
「ってことは、証拠はBランクダンジョンの主の魔核か…。それも、暫く踏破ができていないダンジョンからのみ生まれるという、特別製の…」
「そうだ。危険な任務になるが、頼まれてはもらえないだろうか…」
ルナが、やれやれといった様子で口を開いた。
「どうせ、この人、頼まれちゃうんでしょ?」
「…まぁ、ゼロスだしなぁ…」
「いいじゃありませんか。それが、ゼロスさんの良いところですよ」
アリシアが優しく微笑む。
「…キミたち………よく、わかってんじゃないの」
マリウスは、深く頭を下げた。
「すまない…感謝する…」
ゼロスは、そんな彼の肩にポンと手を置いた。
「気にすんな。そのために、俺たちは呼ばれたようなもんだ…。ま、終わったら、酒でも奢ってくれよ」
「…あぁ!もちろんだ!」
マリウスの顔に、ようやく笑みが戻った。
こうしてゼロスたちは、新たな任務への準備を整え、黄昏が迫る帝都を後にし、『竜の牙』山脈地帯へと旅立つのだった。
(第29話/了)




