第22話:過去との決別
夕方過ぎ、王都の繁華街は仕事を終えた人々でごった返していた。ゼロスたち一行は、その喧騒の中を戦士ギルドが運営する酒場へと向かっている。ランタンの温かい光が石畳を照らし、行き交う人々の陽気な話し声が響いていた。
ゼロスは振り返り、新しい仲間たちに太陽のような屈託のない笑みを向けた。
「よっし、とりあえず今日は冒険者ギルドの報酬もあるし、四人で旨いもの食おうぜ」
「ゼロス…そんなに気を遣わなくても…」
レオが恐縮したように、少し眉を下げて微笑む。
「そんなんじゃねぇよ。四人で同じモン食ったほうがいいだろー。変に一人だけ、不味いものや安いものを食ったところで、こっちの気分が悪くなるだけだ」
その言葉の裏には、彼がかつて味わったパーティー内での疎外感の記憶が、微かに滲んでいた。
「…一人だけ…?まさか、レオをいじめる気!?」
ルナがレオを庇うように、頬をぷくりと膨らませてゼロスを睨みつける。
「やるなら、お前だけだな、ルナ」
ゼロスはからかうように、にやりと笑った。
「むきぃぃぃぃ!」
顔を真っ赤にして怒るルナに、ゼロスはひらひらと手を振る。
「冗談だ、冗談」
「ふふっ…なんだか、兄妹みたいですね、お二人…」
アリシアが口元に手を当て、楽しそうに笑うと、ルナはさらに顔を赤くして反論した。
「どこがだ!?こんな兄貴がいてたまるかっ!」
「やれやれ…どこの世界も、妹とはこんなもんですかね」
「妹扱いすんなっ!」
「まぁまぁ…ルナ。折角のゼロスの厚意だ。ありがたく受けておこう」
レオがやれやれ、と困ったような、それでいて楽しそうな笑みでなだめる。
「…レオがそう言うなら、いいけど…」
ルナはちらりとレオを見つめた。その視線には、不満そうな色の中にも、全幅の信頼が込められている。
ゼロスは呆れた表情で、大げさにため息をついた。
「…そういうのは、二人だけの時にやってくれ…見てるこっちが気まずいんだよ…」
「…っ!なによ!?あんただって、アリシアさんとそういう関係なんでしょっ!」
ルナに話を振られ、アリシアは「そ、それは…」と頬を染め、恥ずかしそうに視線を泳がせた。
「んなわきゃぁ、ないでしょうに…」
ゼロスが、心底不思議そうな顔でそう言い切った瞬間、ゴッ、と鈍い音が響いた。アリシアが無言のまま、彼の脇腹に肘を突き入れていた。
「ごふっ!」
「さぁ、変な話をしてないで、早く行きましょうか?」
アリシアは完璧な、しかし全く目の笑っていない笑顔をゼロスに向けた。
「そ…そうね…」
ルナはその笑顔にぞくりとしたものを感じ、少し青ざめて、こくりと頷いた。
目的の酒場へ向かう通りの一角に、見慣れた人影があった。
グレイだった。彼は壁に寄りかかり、ただぼんやりと雑踏を眺めている。普段の自信に満ちた威圧的な雰囲気はなく、その表情には深い疲労と、虚ろな色が刻まれていた。
「…あら?久しいな、グレイ」
ゼロスは、旧友に会ったかのような軽い口調で声をかけた。
「!!…ゼロスゥゥゥ!!!」
その声に、グレイの虚ろだった瞳が、一瞬にして燃えるような憎悪の色に染まる。彼は壁を蹴り、獣のような形相でゼロスに詰め寄った。
「あらやだ、随分と情熱的な目でアタシを見てくるのね。恥ずかしいわ、そんな…」
ゼロスはわざとらしく頬に手を当て、おどけて見せる。
「ふざけるなっ!」
「なんだよ、いつもの事じゃねぇか。相変わらず真面目だなぁ、お前は」
「お前は相変わらず、ふざけているな…!」
「…んだよ、カリカリしてんなぁ。カルシウム、足りてっかぁ?」
ゼロスが心底心配そうな顔で言うと、グレイのこめかみの血管がぴくりと浮き出た。
「…黙れ」
ゼロスが黙ると、グレイは耐えきれないといった様子で叫んだ。
「貴様は、俺を馬鹿にしているのか…!」
「してねぇよ。お前が『黙れ』って言ったんだろ」
きょとんとした顔で、ゼロスは答える。
「ちっ…貴様と話していると、頭がおかしくなりそうだ…」
「そうかい、そうかい。変わらなくて安心したぜ。お前ら、なんか最近うまく行ってねぇって聞いたからよ」
「…何の話だ…」
「Sランクダンジョンの上層攻略が進んでいないって話と、Aランクで金を稼ごうとしても中層止まりで、上手く行ってないって聞いたぜ」
「…ふざけるな…」
グレイの顔が、怒りと屈辱で赤く染まっていく。
「あん?違ったのか?そいつはすまねぇなぁ。俺も人伝で聞いただけだからよ」
ゼロスが肩をすくめると、グレイは激情のままに叫んだ。
「俺たちがうまく行かなくなったのは、お前が勝手に出ていったからだ!!」
「…はぁ?お前らが『出てけ』って言うから、アタシ…涙ながらに…シクシク」
ゼロスは指で目元を押さえ、嘘泣きを始めた。その指の隙間から、面白がっている目が覗いている。
その異様な光景に、ルナは小声でアリシアに尋ねた。
「…あの人、誰…」
しかし、アリシアはルナの言葉が聞こえていない。彼女は普段の穏やかさとは打って変わり、その瞳に冷たい怒りの炎を宿し、グレイを睨みつけていた。
「…よくも、抜け抜けと…!」
「…レオ、どうしよう。これ、修羅場ってやつ?」
「…そのようだね…とりあえず、ここはゼロスの様子を見ていよう…」
「グレイって人、ブチギレてるけど、ゼロスはなーんか余裕ある感じだよね…」
「…あれが、ゼロスの普段の態度なんだろう」
レオとルナは、固唾をのんで成り行きを見守る。
グレイは言葉に詰まり、何かを言いかけた。
「お前…あの場なら…!」
「俺が謝って残るような性格に見えるかぁ?俺ら、付き合いが長いんだから、俺がどう返すかなんて、わかってんだろぅ?」
ゼロスが挑発するように、にやりと笑うと、グレイはついに堪忍袋の緒が切れた。
「…勝負だっ!ゼロス!!」
「…呑みの?俺、いまから仲間と一緒に飯食いに行くから、ライアスとシーナの三人で行ってきてくれよ~」
「貴様のふざけた態度に付き合ってられるか!!俺と、真剣で勝負しろ!!」
グレイの叫び声に、周囲の通行人たちが何事かと足を止め、ざわめき始める。
ゼロスはやれやれと息をついた。その表情には、目の前の男への怒りよりも、純粋な面倒くささが浮かんでいる。
「ここ、街中だぜ?なんで、わざわざそんなことしないといけないんだよ」
「黙れ!!俺がこの勝負に勝ったら、『銀の剣』に戻ってこいっ!」
グレイは、もはや周りの目など気にしていない。その声は、怒声でありながら、どこか懇願にも似ていた。
「へぇ。じゃあ、俺が勝ったら~?」
ゼロスは、つまらなそうに返す。その気のない態度が、さらにグレイを苛立たせる。
「お前が、この俺に勝つなど、万に一つもないだろうが…そうだな、ここはフェアに行こう。お前がもし俺に勝ったら、この俺がお前の軍門に下ってやろう。いい条件だろう!このSランクパーティーのリーダーが、お前のDランクパーティーに協力してやると言ってるんだ!」
グレイは、それがどれほど寛大な申し出であるかを、必死の形相で説いた。
「あ、今日Cランクに上がったんで、もうDランクじゃないです。大丈夫です」
しかしゼロスは、あっさりと訂正した。
「…お前がパーティーを結成してから、まだ一週間程度しか経っていないというのにか…」
「一回、動きを見てるやつが多いんだ。当然だろ?じゃ、勝負は無しで~」
ゼロスが呆れたように踵を返そうとする。
「待てゼロス!逃げるのか!!」
「逃げるって…貴方、あたしに有利なメリットを何も言ってないじゃないの…アタシが、そんなツマラナイ挑発に乗るような女に見えるわけ?ふふん」
その様子を、ルナはレオに小声で話す。
「…なんか、楽しそうだね、ゼロス」
「…うん。悪友をからかっているようにしか見えないね…」
「黙れ!!」
ついに我慢の限界を超えたグレイが、真剣を抜き放った。白銀の刃が、夕暮れの光を鈍く反射する。
「うわっ!バカ、街中で抜くやつがあるかよ。一般人を巻き込むぞ!」
「なら、お前が俺の勝負を受ければいいだけだ!」
「…はぁ…仕方ねぇなぁ…」
ゼロスは深く息を吐くと、ゆっくりと拳を構えた。その表情は、面倒なことに付き合わされてうんざりしているようにしか見えない。
「…ちょっとだけだぞ」
「背中の武器は飾りか!ゼロスッ!」
「べっつに、殺し合いたいわけじゃねぇだろぉー?お前は剣しか使えねぇけど、俺は斧がないと戦えないってわけじゃねぇからさ。大丈夫だよ」
その言葉には、憐れみにも似た響きがあった。その侮辱に、グレイの顔が怒りで歪む。
「貴様…後悔するなよっ!」
「しねぇよ。ほら、開始していいか?」
「…行くぞっ!ゼロスッ!!」
グレイはそう言い放つと、俊足で一気に間合いを詰めた。一般人からすれば、その姿は一瞬掻き消え、次の瞬間にはゼロスの眼前に現れたようにしか見えないだろう。
彼は渾身の力を込めて、ゼロスを袈裟斬りに叩き斬ろうとする。だが、ゼロスは迫りくる刃を、まるで緩慢な動きを見るかのように、その表情一つ変えずにひょいと左手で打ち払った。グレイが剣を握る手首を、下から拳で軽く跳ね上げたのだ。
「ぐっ!?」
いとも容易くいなされ、グレイの体勢が大きく崩れる。そこへ、ゼロスの右ストレートが、風を切って放たれた。
「!?」
グレイは死を覚悟したが、その拳は彼の鼻先寸前で、ぴたりと止められていた。拳から放たれた衝撃波だけが、グレイの髪を激しく揺らす。
ゼロスは寸止めした拳を、ゆっくりと引いた。その瞳は冷たく、何の感情も映していなかった。
「これで満足かぁ?俺、暇じゃねえから、お遊びはこの辺で切り上げたいんだが?」
グレイは、ただ驚愕の表情を浮かべていた。
「…バカなっ…なぜお前…俺の動きについてこれる…」
「…そりゃぁ、」
ゼロスは、さも当たり前のことのように、こともなげに言った。
「今、荷物を背負ってねぇもん」
その言葉に、グレイはその場に崩れ落ちた。彼の顔から血の気が引き、怒りも憎しみも消え、ただただ呆然とした表情だけが残る。
「…そんな、はず…本来なら、俺よりも速いとでも言うのか…」
その時だった。
「衛兵さん!こっちです!!あの人がいきなり武器を抜いて、あの人に斬りかかったんですっ!!」
一般人の通報を受け、六人の衛兵がグレイとゼロスを囲む。
「斧を担いでるキミ!怪我はないか!?」
「捕縛用意!!」
「ゼロス!!貴様、謀ったのか!?」
怒りで状況が見えなくなったグレイが叫ぶ。
「何をふざけたことを!」
「あー…ぁー…衛兵さん、大丈夫です」
ゼロスは、やれやれといった様子で衛兵たちを手で制した。
「…なにを?キミは斬りかかられているんだぞ?」
「こいつ、俺の知り合いなんですよ。ちょっと彼女に振られてヤケになってたこいつを、俺がからかっちゃって…そしたら、マジギレしちゃって…。だから、これはただの喧嘩なんで、捕えるのはやめてくれません?」
「ゼロス…お前っ!」
グレイは、信じられないものを見るような目でゼロスを見つめた。
「悪かったって、からかって。とりあえず、彼女とはまたちゃんと話せよ。きっとわかってくれるって。だから、今日は大人しく帰りな」
ゼロスは、諭すように言った。
「…キミがそういうなら、いいだろう」
「人騒がせな…解散っ!」
衛兵たちは、呆れたように持ち場に戻っていく。
「じゃぁな。グレイ。もう会っても話しかけてくんなよ」
ゼロスはそう言うと、少し考えて付け加えた。
「あ、話しかけたの、俺からだったか。わりぃな」
「…」
アリシア(なんで、この人は、こんなにも簡単に人を許せるのだろうか…)
「待たせたな。行こうぜ」
ゼロスは、アリシアの肩にそっと手を置いた。
「あ、、、はい」
そうして、四人はその場を去っていった。
グレイは、一人、広場の中央に残されていた。
猛烈な敗北感と、そして、彼が差し伸べた最後の情けに、ただ打ちのめされながら。
(第22話/了)




