第13話:Dランクの脅威
Dランクダンジョン。上層。洞窟の間に二人は降り立っていた。Eランクダンジョンとは明らかに違う、重苦しく湿った空気が漂っている。壁はぬめりを帯び、所々に光の届かぬ場所を好む苔が生え、天井からは一定の間隔で水滴が落ちる音だけが響いていた。
「さて…」
ゼロスはそう呟くと、背中に担いでいた巨大な戦斧の布をほどき、その重さを確かめるように軽く振ってから、肩に担いだ。黒鉄とドラゴンの牙で作られたその武骨な塊は、薄暗い洞窟の中でも鈍い存在感を放っている。
彼は振り返り、アリシアに注意を促した。
「ゴブリンはウォリアーとアーチャーの混成部隊で動くことが多いんだけど、奴らは大体5匹の小隊で組んでくるから、1匹見つけたからと言っても、周りへの警戒を怠らないでね?」
「承知致しました。見つけ次第、ゼロスさんに教えますね」
アリシアはこくりと頷く。その殊勝な態度に、ゼロスは笑みを見せた。
「おっけ~、頼りにしてるよ、アリシアさん」
「お任せください」
アリシアは彼の背中を見つめ、力強く答えた。
(この人の言い方はいつも優しい…私がゼロスさんよりも索敵が早いわけないって、わかってるくせに…)
ゼロスの気遣いに、アリシアは胸が熱くなるのを感じた。彼は常に自分を対等なパートナーとして扱ってくれる。その事実が、何よりも彼女の心を強くしていた。
アリシアは歩きながら、疑問に思っていたことを口にした。
「しかし、ゴブリンとはよく資料で拝見致します。残忍で狡猾だと…しかし、私はともかく一般冒険者の方々なら、蹴散らせる気も…オーガと比べれば、戦力差に開きがある気がします。小柄なモンスターと聞き及んでおりますし」
文献で得た知識と、Dランクに指定される脅威レベルとの間に、矛盾を感じていたのだ。
ゼロスは戦斧を担いだまま、振り返りながら答えた。
「そう、だからみんな油断する。相手が一体なら、まぁ変な話アリシアさんでも倒せると思うよ」
「それほどまでに弱いのですか…ではなぜEランクよりも…」
アリシアは不思議そうに首を傾げる。
「さっきも言ったろ。小隊を組んでるって。1匹相手ならいいけど、戦闘になると大体はパーティ戦だ。連携の仕方が半端じゃないんだよ。連携が得意なモンスターは単体戦力ではなく、集団戦力で脅威度を測ってるんだ」
彼の表情が少し険しくなる。その目には、過去にゴブリンの狡猾な連携攻撃を目の当たりにした経験の色が浮かんでいた。
「…なるほど」
アリシアは納得したように頷いた。個体の強さではなく、集団戦術こそがゴブリンの真の脅威だということを理解したのだ。
「ですが、オーガを倒せることがDランク昇格の一つの条件でございますよね?オーガを倒せるパーティが、いくら相手が連携を組んでいてもゴブリンに遅れを取るものでしょうか?」
「まぁ…そう思う人が多いから、ランクが1個上がるだけで死傷率が跳ね上がるんだけどね」
その声には、多くの冒険者の過信と、その末路を見てきた者の重みが込められていた。
「…心得ておきます」
アリシアは背筋を伸ばし、神妙な面持ちで頷いた。
「うむ…ぜひ、心得てくだせえ」
急に芝居がかった古風な口調になるゼロス。その雰囲気に、アリシアはふっと笑みを漏らした。
「ほんとにゼロスさんといると緊張感が続きませんね」
ゼロスもつられて笑う。
「…なんだよ、せっかく緊張ほぐそうとしてんだから、素直に受け取れよぉー」
「はい、ありがとうございます」
アリシアは悪戯っぽく笑う彼に、心からの笑顔で返すのだった。
その時だった。洞窟を少し進んだ先で、ゼロスがぴたりと足を止めた。彼の笑顔が消え、その瞳が鋭く前方の闇を射抜く。暗闇の奥で、爛々と光る複数の赤い瞳が、こちらを覗っていた。ゴブリンだ。
「さて、やりますか」
彼の声は低く、先ほどまでの穏やかな響きは消え、ただ静かな闘志だけを宿していた。ゼロスは戦斧を両手でゆっくりと握り直し、その切っ先を僅かに下げて戦闘態勢に入る。
「ご武運を…いざとなりましたら、私も加勢致します」
アリシアは一歩下がり、即座に詠唱を始める。彼女の両手に淡い緑色の光が灯り、いつでもヒーリングが放てるよう準備を整えた。
「うん、その時はジェネラル のときみたいに頼むよ~」
彼は振り返ることなく、ヒラヒラと軽く手を振りながら前進していく。その一切の気負いを感じさせない余裕のある態度は、アリシアの胸に灯った緊張の炎を和らげてくれた。
ゼロスは闇に向かってまっすぐ進み、洞窟の天井から伸びた巨大な天然の石柱の前で、ふと歩みを止めた。彼は一瞬だけ、獲物ではなく石柱の太さと硬度を確かめるように見上げる。そして、口の端を吊り上げた。
「…開戦だっ!」
鋭い叫びと共に、肩に担いでいた戦斧を凄まじい風切り音を立てて振り回し、猛烈なスピードで石柱に叩きつけた。
ゴォォォンッ!!!
轟音と衝撃が洞窟全体を揺るがす。巨大な石柱が、まるでガラス細工のように粉々に砕け散った。砕けた石柱の破片は無数の石つぶてと化し、暗闇の中で爛々と光る赤い瞳目掛けて、散弾のように飛んでいく。
直後、暗闇の向こうから、数体のおぞましい絶叫が木霊した。回避する間もなく、石の弾丸を全身に受けたゴブリンたちの断末魔だった。
「もう一撃っ!」
ゼロスは一撃の反動を利用して身体を円のように回転させ、その遠心力を全て上乗せして、残った石柱の根元部分に再び戦斧を叩きつけた。
ドガァァァンッ!!!
先ほどを上回る爆音が響き渡り、今度はより大きな石の塊が砕け散って、第二波の石つぶて攻撃が闇の奥へと放たれる。それは天然の地形を利用した、あまりにも規格外な広範囲攻撃だった。
二発の石つぶて攻撃を放った後、暗闇から聞こえるのは、先ほどとは打って変わって小さく弱々しい、虫の鳴くような悲鳴だけになっていた。その数も、明らかに減っている。
「さて…何匹生き残った?」
ゼロスは戦斧を構え直したまま、油断することなく慎重に前に進んだ。まだ生き残りが潜んでいる可能性を、彼は決して軽視しない。
その先には、五匹のゴブリンが倒れていた。腕や足、頭部が石つぶての直撃で無残に吹き飛んでおり、洞窟の床に凄惨な光景を描き出している。
ゼロスは戦斧を肩に担ぎ直しながら、静かに過去を振り返った。
「ふむ…3年前はもうちょっと苦戦してた記憶あるんだけどなぁ」
グレイたちと一緒にいた頃、同じようなゴブリン討伐で彼らが苦戦し、自身も必死に立ち回っていた遠い日の記憶を思い出していた。
アリシアは戦闘が終わったと思い、ゼロスの元へと駆け寄ろうとしたが、彼が振り返って、それを手で制止した。
「あー…見ない方がいいと思うよ?こいつら人型だし、暫くご飯食べれなくなっちゃうかも」
その声には、アリシアを気遣う優しさが込められていた。アリシアは、その言葉を聞いて素直に歩みを止めた。確かに、いくら敵とはいえ人型のモンスターの無残な死体を見るのは、精神的にこたえるものがあるだろう。
不意に、ゼロスが彼女の元へと歩み寄り、その腕を掴んだ。
「…どうされました?」
ゼロスはアリシアを洞窟の壁際までぐいっと誘導する。突然の行動に、アリシアは困惑の声を上げた。
「ゼ、ゼロスさん…一体何を…?」
ゼロスは人差し指を自身の唇に当て、静かに、と合図した。
「…あいつら背後取るの上手いからさ。アリシアさんは奇襲を受けないために、必ず壁に背を向けておいて。きっと今の音で次の攻撃が来るからさ」
彼は悪戯っぽく笑いかける。
「…すいません、私の足がもっと早ければ撤退も可能…なんですよね?」
自分のせいで彼を危険に晒しているのでは、とアリシアは申し訳なさそうな顔をする。ゼロスはそんな彼女の頭を、大きな手で優しく撫でた。
「気にすんなよ。レディを護れる騎士様になれるなら本望だよ」
アリシア(…っ!?…私、年上なのに、また年下扱いされてる気がする…)
アリシアは顔に集まる熱を感じてうつむいた。その気恥ずかしい表情を、ゼロスは洞窟の暗さゆえに気づいていなかった。
彼はアリシアの前に立つようにポジションを取り、周囲を警戒しながら呟いた。
「…さて、次は何が来るかな?」
「…っ!」
ゼロスが鋭く息をのんだ瞬間、暗闇の奥からヒュン、と鋭い音を立てて矢が飛んできた。ゴブリンアーチャーの狙撃だ。
ゼロスは腰のナイフを左手で抜き放つと、飛来する矢を空中で正確に叩き切る。キン、と甲高い金属音が響き、切断された矢が宙に舞った。
彼は舞い上がった矢じりを空中でキャッチし、指で挟むと、矢が飛んできた方向に向かって弾丸のような速度で投げ返した。
直後、矢じりを返した方向から、甲高い悲鳴が上がった。どうやら正確に急所を射抜いたようだ。
ゼロスはそのまま数秒間、耳を澄ませていたが、新たな動きがないことを確認すると、ふっと肩の力を抜いた。
アリシアはその一連の神業のような光景を、息をのんで見ていた。
アリシア(何度見ても本当に凄い…)
「あの…ゼロスさん、終わりましたか?」
「うんー、終わったよ~」
ゼロスはいつもの飄々とした口調に戻ると、腰のナイフで手際よくゴブリンたちから魔核を取り出し始めた。
「…こいつら、面倒な割にはEランクの上層モンスターとあんまり報酬変わらないんだよなぁ…」
アリシアは彼の背中に近づきながら尋ねた。
「そうなのですか?ホーニーラビットよりも遥かに手間がかかってるようにお見受けしましたが…」
「お見受け通りだよぉ。でも、そんなポンポン報酬なんかギルドだってあげられないじゃん?この大きさの魔核だと、せいぜい照明に使われるくらいだしねぇ…」
彼は小さなゴブリンの魔核を手のひらに乗せて見せながら説明した。
「ま、ランク上げちゃったし、仕方ない…基本報酬自体は上乗せされてるんだし、こいつらの魔核10個でも60銀貨と基本報酬で70枚にはなるし」
「あはは…金銭感覚が狂いそうです…でも、ゼロスさん。本当に器用ですね、まさか遠距離攻撃もお得意だなんて」
アリシアは感心したような声で言った。
「ん?うん、そうだねっ!俺オールラウンダーだからさっ!」
自慢げに胸を張るゼロスに、アリシアはふと、先ほどから感じていた違和感を口にした。
「…私が傍にいるからですか?」
ゼロス(うーむ………)
彼女の鋭い指摘に、ゼロスは内心で舌を巻いた。彼は少し慌てたように、わざと大げさな口調で言った。
「ええい、やめろやめろ。さっきも言ったろ?俺が騎士ならアリシアさんは姫様だ。騎士が姫を護るなんて当然だろう?」
「…ゼロスさん…」
その気遣いが嬉しくて、アリシアは頬を染めて俯いた。
「その表情もやめろやめろ。もっと…こう…うむ。くるしゅうない。とか言ってればいいんだよ」
「…ふふっ…ほんと、どこから覚えてきたんですか?その時代がかった口調は」
彼女は楽しそうに笑うと、少しお澄ましした顔で言った。
「じゃぁ…うむ、くるしゅうないぞゼロスよ」
「ははー!ありがたき幸せでございます、姫様っ!」
ゼロスはその場で恭しく平伏してみせた。彼の優しさに、心のどこかにあった「足手纏いになってはいけない」という硬い気持ちが、少しずつ解けていくのをアリシアは感じた。
「さてと、これくらい時間潰せば…」
ふと顔を上げたゼロスの笑顔が消える。彼の視線の先、洞窟の暗闇の至る所から、無数の赤い瞳が爛々と光っていた。
「い、いつの間に…ゼロスさんっ!」
「アリシアさんは身を低くして屈んでな」
「でもっ!」
「言ったでしょ!騎士は姫を護るのがお仕事だってさぁぁぁぁぁぁ!!!」
雄叫びを上げ、ゼロスはゴブリンの大群に向かって一人突進していった。
数分後。
洞窟内に満ちていた鬨の声と断末魔は、嘘のように静まり返っていた。
「うっへ…つっかれた…慣れないもん、ぶん回し続けるもんじゃないな」
彼の周囲には、おびただしい数のゴブリンの骸が転がっていた。その数、およそ五十体。その大群が、たった一人の男によって、文字通り「蹂躙」されていた。
壁際に屈み込んでいたアリシアが、おそるおそる顔を上げる。目の前に広がる地獄のような光景と、その中心で荒い息をつくゼロスの背中に、彼女は言葉を失っていた。
「ゼ、ゼロスさん…!」
彼女は弾かれたように駆け寄り、その震える手をゼロスの背中にそっとかざす。手のひらから溢れ出した柔らかな緑色の光が、彼の荒い呼吸を少しずつ和らげていった。
「ふぅ…ありがとう、疲れがだいぶ良くなったよ…」
彼は振り返り、いつものようにへらりと笑ってみせる。だが、その額には玉のような汗が浮かび、その強がりが、アリシアの胸を締め付けた。
彼は息を整えながら言った。
「さて、今日はこの辺で切り上げようか」
「はいっ、お疲れ様でした。ゼロスさん」
彼女は安堵の息を漏らし、心からの労いの言葉をかけた。二人は信じられないほどの戦利品を革袋に詰め込むと、血の匂いが満ちた洞窟を後にし、ギルドへの帰路についた。
(第13話/了)




