第12話:それぞれの現在地
ゼロスとアリシアのささやかな祝勝会の酒場へ向かっていた、ちょうどその頃。
グレイ、ライアス、シーナの三人は、王都から馬車で半日以上も離れたSランクダンジョン『黄昏の迷宮』の前に立っていた。その名の通り、周囲は常に薄暮のような光に包まれ、不気味な静寂が満ちている。
グレイは待機させていた馬車の業者を顎で使い、横柄な口調で言い放った。
「おい業者、俺たちは日暮れまでには上層を踏破してくるから、俺たちが帰るまで待ってろよ」
その視線は、まるで格下の生き物に向けるように冷たい。
「承知致しました。Sランクパーティー『銀の剣』さま」
業者は顔色一つ変えず、深々と頭を下げる。
「わかればいい」
Sランクという新たな称号に酔いしれ、グレイは満足げに鼻を鳴らした。
「さぁ、行こう。ライアス、シーナ」
「ああ」
ライアスは短く応じ、シーナも軽く手を上げた。
「りょーかい」
三人はそれぞれ、回復薬と魔素ポーションを三つずつ、そして非常食を二日分詰めたマジックアイテムの背嚢を背負っている。これまでの遠征に比べれば、羽のように軽いはずの荷物だった。
グレイは肩をすくめて、嘲るように言った。
「しかし、この程度の荷物を毎回持っているだけで、ゼロスは文句を言っていたんだな」
ライアスは肩を回し、背嚢の重さを確かめるようにしながら同意する。
「全くその通りだ。こんなもの大した負荷にもならん」
「ま、才能無しだから仕方ないのよ。街で働いているほうがあいつには合ってるわ」
シーナは髪をかき上げながら、吐き捨てるように言った。
グレイはフッと笑みを漏らす。
「…それもそうだな…」
三人は嘲笑を浮かべ、迷宮の入り口へと向かう。そこはまるで巨大な獣の顎のように、ぽっかりと暗い口を開けていた。
グレイは入り口の前で立ち止まり、宣言した。
「さて、ここからが俺たち三人の栄光へ至る道だ」
「このまま頂点を目指そうぜ」
ライアスは拳を握る。
「そうね、ここを踏破すれば一生お金に悩まなくなる暮らしが出来るわね」
シーナは恍惚とした表情を浮かべた。
それぞれが地位、名声、そして尽きることのない富への野望を胸に、三人はSランクダンジョン『黄昏の迷宮』の闇へと足を踏み入れていった。
ダンジョン内部は、その名の通り常に薄暗い光に満たされ、静寂が支配していた。ひんやりと湿った空気が肌を撫で、影が奇妙に長く伸びている。明らかにAランクダンジョンとは異質なその雰囲気に、三人は緊張で胸を震わせた。
グレイは慎重に周囲を見回しながら、声を潜めて呟いた。
「…さすがSランクダンジョン…緊張感がAランクとは段違いだ」
「…全くだ。油断せずに行こう」
ライアスも額に汗を浮かべている。
「油断…ね。そうね、あの天然バカもいなくて、むしろ集中できていいわ」
シーナの言葉に、三人の脳裏に同じ光景が浮かぶ。もしここにゼロスがいたら、きっとこう言っただろう。
空想ゼロス「まぁまぁ、お前ら…何かあったら、お前ら三人全員俺が担いで、逃げてやっからよ。気楽に行こうぜ?」
「あぁ…全くだ。あのバカがいないだけで集中力が違う」
「あいつ、何もできない癖に態度だけはデカかったからな」
「…そうね、逃げ足だけは一級品だったけどね」
三人はそう言って笑い合ったが、その声はどこか虚しく、重苦しい静寂に吸い込まれていった。気を引き締め直すと、三人は洞窟の奥へと突き進んだ。
暫くすると、空気がさらに重くなるのを感じ、三人は足を止めて武器を構えた。
「…何かいるな」
「あぁ…」
「…っ!くるわよ!!」
シーナの警告と同時だった。闇の奥から、複数の疾走する足音が響く。それはただの足音ではない。石の上を滑るような、影そのものが高速で移動しているかのような不気味な音だった。
ライアスが目を見開いた。
「…あれは!」
「シャドウ・ハウンドッ!」
グレイが叫ぶ。三人がその姿を黒い輪郭として捉えた瞬間には、シャドウ・ハウンドの一匹が、既にグレイの顔を噛み砕こうと眼前に迫っていた。
「ぐっ…!!」
咄嗟に身を捻るが、頬を鉤爪で深く裂かれる。激痛に顔を歪めながらも、グレイは手にした長剣を反射的に横薙ぎに振るい、襲い掛かってきた一匹を両断した。
彼は血を払い、傲然と呟いた。
「…ふっ、大したこと…」
――ないな。そう言おうとした瞬間、ライアスの怒声が洞窟に響き渡る。
「一匹じゃないぞ!!」
ライアスが警告すると同時に、闇の奥からさらに五匹の群れが、赤い眼光を爛々と輝かせながら姿を現した。
「ちっ…一掃しろシーナッ!」
シーナは言われるまでもなく、既に呪文の詠唱を始めていた。その表情には焦りの色が浮かんでいる。
「炎よ、我が息吹に集い、地獄の業火となれ――」
通常の冒険者が使う詠唱省略ではなく、短い言葉で魔素を練り上げる簡易詠唱。威力は増すが、魔素の消費量も跳ね上がる諸刃の剣だ。
「インフェルノブレス」
シーナの眼前に魔法陣が展開され、そこから広範囲を焼き払う炎の津波が、地を舐めるようにシャドウ・ハウンドの群れに襲い掛かった。
「よしっ!」
「終わったな」
グレイとライアスが勝利を確信したが――
シャドウ・ハウンド五匹のうち、先頭の一匹が炎の中心に躊躇なく突進し、自らの身を盾にして炎の壁に穴を開けた。その一瞬の突破口から、残る四匹がまったくの無傷で炎を抜けてくる。
「そんなのありっ!?」
人間でもそうそう行わない非情な荒業を、モンスターが何の躊躇もなく実行したことに、シーナは驚愕の声を上げた。
グレイが叫ぶ。
「ぼけっとするな!!二発目を放てっ!」
「連続で撃てるわけないでしょっ!」
「…ちっ!グレイ!時間を稼ぐぞ」
ライアスは四匹の一体に照準を合わせ、渾身のスキル『剛砕』を解き放つが、シャドウ・ハウンドは『そのスキルは溜めがある』とでも言いたげに、軽々とそれを回避する。
「こいつっ!」
ハンマーでの通常打撃に切り替え、追い打ちをかけようとするライアス。だが、その一瞬の隙を突き、別の影に隠れていた一匹に右腕を喰いつかれた。
「…っ!」
「ライアスッ!」
グレイが急ぎ救援に向かおうとしたが、その前に残るシャドウ・ハウンドが勢いよく突っ込んでくる。
「どいてろ、ゴミがっ!」
シャドウ・ハウンドの突進にカウンターを合わせる形で横薙ぎに切り裂こうとしたが、敵は空中でしなやかに身を捻り、グレイの一閃を紙一重で交わした。そして、『仲間の仕返しだ』とばかりに、がら空きになったグレイの脇腹を横薙ぎに裂いた。
「ぐっ!」
激痛によろめき、グレイは二、三歩後ろに下がる。そして、長年染みついた戦いの習慣が、彼の口から無意識の叫びを迸らせた。
「ゼロスッ!!さっさと隙を作れっ!!」
いつものように、自分の背後にはあの男が控えている。そう、疑いもせずに。
今までなら、この叫びに応えて「仕方ねぇなぁ、分け前よこせよ!」などと軽口を叩きながら、石か何かを投げつけてモンスターの注意を完璧に引きつけてくれていた。しかし――返ってきたのは、洞窟の不気味な静寂だけだった。
「ゼロスッ!!」
グレイは焦燥に駆られて後ろを振り返るが、そこにいるはずの援護役は、当たり前だが居ない。その空虚な空間が、彼の絶望を加速させた。
「何してるグレイッ!!」
その間にも、ライアスは右腕に噛みついたままのシャドウ・ハウンドを、壁に渾身の力で叩きつけ、左手で持ったハンマーでその頭蓋を粉砕していた。
「あいつは追い出したでしょっ!」
シーナが叫ぶ。
「…くっそ!あの役立たず!!」
忌々しげにそう言い放つと、グレイは再び目の前に迫っていたシャドウ・ハウンドに意識を集中させた。
「失せろっ!」
とっさにスキル『斬鉄』を発動し、鋼をも切り裂く一撃で獣を切り裂く。
「シーナッ!」
ライアスが叫んだ。
シーナは最後の力を振り絞るように、杖を突き出した。
「火の追跡者、放て!」
簡易詠唱と共に、複数の炎の矢がシーナの手から放たれる。高速で放たれた誘導弾が、残る二匹のシャドウ・ハウンドを的確に捉え、断末魔の叫びと共に爆散させた。
洞窟に、つかの間の静寂が戻る。聞こえるのは、三人の荒い息遣いと、傷口から滴る血の音だけだった。
「…ぐっ…はっ…はっ…」
戦闘が終わり、グレイはその場に膝をついた。背中の背嚢を乱暴に下ろすと、中から回復ポーションを取り出し、脇腹の傷口に振りかける。魔法の液体が傷に染み込み、あっという間に肉が盛り上がり、傷が塞がっていく。この高価なポーションがあるからこそ、この三人は高単価なヒーラーを雇わずにいたのだ。
ライアスも解放された右腕にポーションを使い、苦々しい表情を浮かべていた。
自分の脇腹の傷が完全に塞がったのを確認したグレイが、忌々しげに呟く。
「…なぜだ…今までの俺たちなら、いくらSランクのモンスターでもこんな簡単に傷を受けなかった…」
「…背中の荷物かもな」
ライアスの冷静な指摘に、グレイは苛立ちを隠さずに食って掛かる。
「…ライアス…何が言いたい?ゼロスを切ったのは不味かったとでもいうのか?」
「…いや、そんなことはない。ただ、この荷物の重さが若干、俺たちの動きを阻害している。そういうことだ」
ライアスの瞳は、ただ事実だけを述べていた。
「…ゼロス…」
ぽつりと、シーナがその名を呟いた。
「シーナッ!」
グレイは睨みつけた。ゼロスに味方するのか、貴様も追放に賛成だったろう、と彼の顔は語っていた。
「違うわよ…ただ…あいつ、今まで自分含めて四人分…多い時は一人十日分の荷物をあの背嚢に入れながら、よくモンスターの攻撃を躱してたなって、ちょっと思っただけよ」
「それは俺たちがヘイトを買ってたからだろっ!」
「そうね…そうよね…」
シーナはそう言いながらも、その表情は晴れない。彼女は回復ポーションよりも更に高価な魔素ポーションを取り出し、静かに口にした。
ライアスは一同の疲弊しきった顔を見渡し、重々しく口を開いた。
「…今日はいったん引き揚げよう」
「…なんだ?怖気づいたか?まだ六匹しか倒してないぞ。いくらSランクと言えど、これでは金貨六枚がいいところだ」
「落ち着け。既に一戦目でポーションを使っている。シーナと合わせても回復ポーションは全員であと七個だ。二戦目を切り抜けても三戦、四戦と続いては、身体の微妙な負荷に適応できていない俺たちだと全滅もあり得る。そういうことだ」
「…そーよ。いつもあのアホが言ってたでしょ、『命あっての物種だから~』って。私はあのアホより先に死ぬ気はないわ」
シーナは皮肉な笑みを浮かべて、ゼロスの口癖を真似た。
グレイは忌々しげに舌打ちした。
「…ちっ…撤退だ」
吐き捨てるように言うと、グレイはふらつく足で立ち上がった。
三人は危険性を考え、ダンジョンから離脱した。
入り口で待っていた業者は、三人の纏う血の匂いと、刺々しいまでの不機嫌さを感じ取り、何も言わずに馬車を走らせた。
三人がギルドに戻ると、そこは一日の依頼を終えた冒険者たちの熱気で満ち溢れていた。成功を祝して乾杯する声、戦利品を換金する者たちの喜色満面の顔。その陽気な雰囲気が、敗北感を抱えた三人の心にはむしろ冷たく突き刺さる。
カウンターに立つと、職員は淡々と告げた。
「お疲れさまでした。シャドウ・ハウンド六体とSランクモンスター生息調査の報酬を、規定に合わせて金貨十枚でお支払い致します…」
職員はそう言うと、少しだけ同情的な目を向けた。
「よくご無事で」
「…何が言いたい?」
その視線を侮辱と受け取り、グレイは低い声で威嚇する。
「いえ、慣れてないダンジョンでのご無事での生還を喜んでいるだけですよ。『Sランク銀の剣』殿」
皮肉にも聞こえる職員の言葉に、グレイは「…ふん」と鼻を鳴らし、カウンターに置かれた金貨十枚を乱暴に掴んだ。
宿や食事には困らないが、問題は消耗したポーションだった。今日使ったのは上級ポーション二本。一本、金貨十枚はくだらない。つまり、本日の収支は完全に赤字だ。
「…くそ…あのクズ…」
グレイの脳裏に、忌々しくもゼロスの顔が浮かぶ。
もしゼロスがいたなら、「上級ポーション寄越せ?ダメダメ、それくらいの傷なら、初級一個で塞がるだろー?」と軽口を叩きながら、安価だが十分なポーションを的確に手渡してきたはずだった。彼らの資産管理まで、あの「役立ず」が担っていたという事実に、グレイは奥歯を噛みしめた。
ライアスが重い口調で言った。
「…今日は頭を冷やそう」
「そうね…酒場で一杯やりましょう」
「…そうだな」
三人は重い足取りで、ギルドの出口へ向かおうとした。
そのはずが――
「…聞いたか?ゼロスのやつ…」
「…ああ、聞いたぜ、すげーよなぁ…」
――ゼロス。
その名前を聞いた瞬間、三人はまるで呪縛にでもかかったかのように、その場に足を止めた。
周囲の冒険者たちの声が、嫌でも耳に流れ込んでくる。
「…Eランクダンジョンとはいえ、新人ヒーラーを庇いながら、単独で素手でオーガジェネラルを殴り倒したらしいじゃねぇか…」
「…新人ってことは、逃げ足もとろいだろうしなぁ、ゼロスも止む無くって感じだったんだろうが…」
「…かっこいいよなぁ、普段はヘラヘラしてんのにあいつ…」
「…『銀の剣』在籍時も、あいつが大怪我したなんて、一回あったくらいか?…」
「…ああ…あれだろ、グレイを庇って、ゴーレムの鉄拳を受けた時だろ?…」
その言葉に、グレイの肩が微かに震えた。
「…あいつらがBランクだった頃か。あの三人、見舞いにもいかなかったらしいよなぁ…」
「…まぁ、ゼロスも次の日にはケロっと、『復帰しましたー』とか強がってたけど…」
「…普通抜けるよなぁ、変に義理堅いからなぁ、あいつ…」
グレイはそこまで聞いて、全身の血が沸騰するのを感じた。屈辱と、暴きたてられた過去への怒りで、こめかみがドクドクと脈打つ。
彼は拳を握りしめ、声のした方へ振り向いた。
「おい、お前ら…」
目障りな会話を腕力で塞ぐために、声をかけようとした、まさにその瞬間だった。
その怒声が放たれる寸前、不意に横から穏やかな声がかけられた。
「あんたらが、話題のパーティー『銀の剣』?」
グレイは苛立ちを隠さずに、声の主を睨みつけた。
「誰だ貴様」
振り返った先に立っていたのは、特に目立つ装飾の武具も身に着けていない、地味な印象の男だった。だが、その立ち姿には隙がなく、その瞳は剃刀のように鋭い。
男は三人の敵意にも全く臆さず、やれやれと肩をすくめた。
「おぉ、ひどいな。この間まで一緒のAランクだったじゃないか」
「貴様など見たこともない」
ライアスが吐き捨てる。
「地味な男…」
シーナも侮蔑を隠さない。
三人の刺々しい態度にも、男は全く動じた様子を見せず、自己紹介を始めた。
「噂に違えず、辛辣だな、あんたら。俺は、Aランクパーティ『残響』のリーダーのシェルだ」
グレイは舌打ちし、吐き捨てるように尋ねた。
「俺たちに何の用だ?」
「まぁ、あんたらっていうより、あんたらのところに居た荷物持ちくんに用があってな」
その言葉に、グレイは眉をひそめた。
「…ゼロスにか?あんなゴミに何の用だ?」
その言葉に、シェルの目が面白そうに細められた。
「…勧誘、とでも言っておこうか」
「…は?」
「と、言いたいところだが、あいつ、もう既に新人ヒーラーと組んで新パーティーを立ち上げたらしいからな。泣けるよなぁ、行き場所がなくて途方に暮れてた無才能のヒーラーの姉ちゃんと組むとはねぇ」
シェルは心底おかしそうに言った。
グレイの表情が、驚きと不快感で歪む。
「…あいつがリーダー…?」
「バカバカしい」
ライアスが鼻で笑う。
「そうね、あんなバカがリーダーとか、そのパーティー、永久にEランクじゃないの」
シーナも同意して嘲笑を浮かべた。
三人の嘲笑に、シェルは心底不思議そうな顔をした。
「噂を知らねぇのか?Eランクダンジョンの主を素手で殴り倒したっていう」
「…主を、素手…だと?」
あり得ない、とグレイの顔がこわばる。
「だよなぁ。いくら肉体強化しても、主級なんてどいつもこいつもクソみたいに体力がある。一人で、しかも武器無しで倒せるわけがねぇ。先に自分の骨が砕けるだけだ」
「…そんなはずはない…あいつは逃げ足だけの…」
グレイが否定の言葉を口にすると、シェルは深くため息をついた。
「…まぁ、お前らのあいつへの評価が最低だってことはよくわかったよ。だが、俺は、その『最低』のゼロスくんと一緒に仕事がしたいんだ。Aランクダンジョンの踏破の仕事をな」
「…はっ!何を言うかと思えば」
「話にならん…荷物しか持てないゴミに何の用が…」
グレイが吐き捨てると、シェルの表情から笑みが消えた。
「Aランクダンジョンに行くまで、お仲間を庇う以外、目立った怪我無し。超重量級の荷物を持ち、更に踏破の為に高速で移動するパーティーに並走できるやつを、『ゴミ』、ね。面白い冗談を言うじゃないか」
シェルの淡々とした言葉が、三人の胸に重く突き刺さる。それは彼らが今まで目を背け、当たり前のこととして切り捨ててきた、ゼロスの真価そのものだった。
グレイは言葉に詰まり、絞り出すように言った。
「…黙れ。話はそれだけか」
「あぁ、それだけさ。ま、無駄だとは思うが、あいつに会ったら伝えておいてくれ。『Aランク、残響のシェルが会いたがってる』ってな」
そう言い残し、シェルは興味を失ったように身を翻し、雑踏の中へと消えていった。
シェルが去った後、三人はまるでその場に縫い付けられたかのように、しばらく動けずにいた。周囲の喧騒が、急に遠い世界の出来事のように感じられる。
やがて、残されたシーナが動揺した表情で呟いた。
「…流石に盛ってるんじゃない?」
ライアスもまた、信じられないといった顔でそれに続く。
「…だろうな…この俺でも素手では倒せん…まぐれ勝ちなど起きるはずが…」
だが、グレイは、ただ一人、血の気の引いた顔で真実を悟っていた。
「…あいつは魔素適性が己の肉体のみの荷物持ち…そのあいつが、死ぬ気でやると決めたら………ゼロスッ…!!」
グレイは、自分たちが手放した存在の計り知れない大きさと、それに気づき始めた他者の存在に、嫉妬と怒りで頭がおかしくなりそうだった。
翌日
グレイたちが嫉妬と焦燥に沈んでいた頃、ゼロスとアリシアは既に次の一歩を踏み出していた。
朝日が爽やかに照らすDランクダンジョン前。二人はその入り口に立っていた。石造りの古い遺跡のような門からは、ひんやりとした空気が漂ってくる。
アリシアは手にした依頼書を確認しながら、凛とした声で尋ねた。
「ゼロスさん、今回の依頼目標はなんですか?」
「んー…ゴブリン三体以上討伐、みたいだな」
ゼロスも依頼書に目を通しながら、こともなげに答える。
その単語を聞いた瞬間、アリシアの表情が僅かに曇った。
ゴブリン――繁殖能力が異様に高く、異種族のメスを攫って孕ませ、子供を産ませたあとは食い殺すという、非常に残忍な特性を持ったモンスター。女性にとっては特に恐ろしい相手であることを、アリシアは知識として理解していた。
「ゴブリンですか…」
呟いた彼女の声には、隠しきれない不安が込められていた。
その微かな変化を、ゼロスは聞き逃さなかった。彼は振り返ると、力強く、そして心を落ち着かせるような優しい笑顔でアリシアを見つめた。
「大丈夫。俺の後ろから離れないでね、アリシアさん」
その言葉と、絶対的な信頼を抱かせる眼差しに、アリシアの不安は氷が溶けるように消えていった。
「はい…」
彼女はゼロスを信頼しきった表情で見つめ返し、こくりと頷いた。その瞳には、もはや不安の色はなく、彼への揺ぎない信頼だけが輝いていた。
(第12話/了)




