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『帽子。……お兄さまが作ってくれたら、許してあげるわ』
少女の姿をした赤い女王は、赤くした目元、すねるような顔をしながらそう言った。
けれどいつも白い服を着ている王配は、それにすっかり困ってしまったのだ。
ルイの知らないところで、王城をだいぶ好き勝手していたらしい貴族達。
その尻拭いとして与えられた困難に、王配はすっかり頭を抱えてしまったのである。
もちろん貴族達の好き勝手を認めてしまったことにはルイにも非があるし、それ自体はルイも認めるところである。
貴族というか、人間なんてそもそもが基本的に自分勝手で欲深くい生き物だ。それを理解していたにも関わらず、ルイも色々管理が適当なところがあったし、日頃から女王に興味を持たなかったのもいけなかったとは思う。
しかしその結果として与えられた課題が、よりにもよって帽子作り。
どうして金や宝石で解決させてくれないのかと、ルイは口元を引き攣らせるのも無理はなかった。
縫い物が苦手、というわけではない。
貴族の男として生まれたにしては、ルイは珍しく、そういう針仕事は結構得意な方だった。帽子を作るのだって得意だ。きっとどんな仕立て屋にも負けない素晴らしい帽子を作れるだろうという自負もある。
けれど、だからこそ問題なのだ。それが問題なのだ。高位貴族の姓を持つ生まれながらの貴公子。今は王配でもある男が針仕事が得意だなんて知られたら、それこそとんでもない恥である。
───幼い頃から、ルイは何かを作るのが好きだった。
模型、錠前、チェスの駒。元々そういう、細々とした作業が得意な性質を持って生まれたのだろう。幼少期、ルイがよく一人だったことも関係しているのかもしれない。
年の離れた兄は寄宿学校に行って滅多に家に戻らないし、父は年中いろんな愛人の元へ通い、母はストレスから体調を崩して寝込むことも珍しくはなかったから。
何かを作るのは楽しかった。一人で黙々と作業を進められるというのも良い。少しずつ上達するとやはり嬉しくなったし、自信にもなった。
色んなものを作った。けれどルイがその中でも一番夢中になったのは、よりにもよって女々しい縫い物。それも刺繍のような物ではなく、卑しい帽子作りであったのだ。
子供だったのだ。貴族として何の益にもならない錠前弄りなら良くて、針子や商人が日々の糧のために作る帽子がダメなんて知らなかった。
あの頃のルイはただ、幼い頃に見た健康だった頃の母の帽子を思い出して、あれだけ華やかで美しい物を作れたら素敵だろうなと甘い考えで帽子作りに手を出したのである。
それに、運の悪いことに帽子作りがルイの性根に合っていた、というのもあるのだろう。布の合わせ方、糸の縫い方一つで表情を変える帽子作りが楽しくて、あっという間に夢中になった。クローゼットにある服の糸を解いては布にして、不恰好な帽子をいくつも作った。
瓶の中に船の模型を作るよりも、錠前を弄って遊ぶよりも、チェスの駒を削るよりも、ルイにとっては帽子を作ることの方がずっと果てがないように感じられた。
だって帽子作りには正解がない。手間だって凄くかかるし、一つ作るだけで随分と時間がかかった。特にあの時のルイは独学で全部やっていたから、出来上がる帽子は全部悲惨な物で、左右非対称でぺちゃんこな紳士帽を作ったこともある。
でも、楽しかった。一つ作るごとに自分が上手くなって行くのがわかって嬉しかったし、何よりも、そうだ。
きっと、ルイは帽子が好きだったのだ。
『カリスト家の息子が帽子作り!帽子作りだと!?何と情けないことを、お前は私の顔に泥を塗るつもりか!』
『っ辞めてあなた!ルイは悪くないわ、寂しかっただけなのよ!そうよね、ルイ。そうでもなければ貴方がこんなことをするはずない。ね、そうでしょう?悪いのはお母様とお父様よね。わたくしがもっと貴方に構ってあげていれば!』
『やめろサティ!退きなさい!ルイをこのままにしておけば、ここで矯正してやらなければ、後々のルイのためにもならない!』
『何よ……!元はと言えばあなたが悪いんじゃない!愛人にかまけて息子のことさえ碌に見ないで、ルイと話す時にはいつも上司のように無機質で!あなたと一緒にいるとこの子は、わたくしだって駄目になってしまう!』
『な……っ!』
『法さえ許せば、私はいつだってあなたと離婚してやるのに!あなたと結婚したことがそもそもの間違いだったのよ!!』
母の、悲鳴のような叫びが屋敷を響いていた。ルイが帽子を作っていたことが父に露見した日、カリスト邸は大層な騒ぎになったことを覚えている。
殴られた頬が熱かった。母と父はそれから随分と長い間言い合いを続けて、メイド達の部屋に匿われながら頬を冷やしていたルイの元まで、その喧騒は聞こえて来るほどだったのだ。
まぁ、それ以降両親の関係性が少しは良くなったことは、結果として良かったと言えるのかもしれない。
雨が降って地面が固まるという言葉があるように、それ以降は母も父に遠慮しなくなったし、父は相変わらずの頭と下半身で浮気を辞められなかったが、甘んじて母の尻に敷かれるようにはなった。母もストレスから寝込むことは減って、多分、一度あれだけの大喧嘩をすることは必要だったのだと思う。
あの後、ルイは母に抱きしめられた。
母は星のような瞳からほろほろと涙を流して、『寂しい思いをさせてごめんなさい』とルイの頭にキスをしたのだ。『わたくしがしっかりしていれば、貴方だって帽子作りなんてものには手を出さなかったはずなのに』と同情されて。
ルイは確か、そうだ。にこりと優等生の笑みを貼り付けて、『僕も卑しい真似をしてしまってごめんなさい』と謝ったのだ。
母と父の関係性が悪いのは、それこそルイが生まれた時からだった。兄が家にいないのも昔からだった。本当は寂しくはなかったし、平気だった。
ものづくりはただ退屈だったから始めただけで、帽子作りもただ楽しかったからしていただけ。
でも、それは駄目なことだったのだ。
侯爵家の息子が帽子作りを喜んでするなんて恥ずかしいことだし、世間に知られるわけにはいかないような不祥事。ずっと子供に無関心であった父がはじめて息子の頬を打ち、母親は世界の終わりでも知ったみたいに泣き崩れてしまうほどの事態だった。
だから、そうだ。ずっと臥せているお母様に素敵な帽子をプレゼントとしたら、お母様は元気になってくれるかなぁ、なんて。
そんな子供の考えは全くもって的外れなものであったし。あの陽だまりの色の帽子は、ひっそりと燃やされて当然のものだったのである。
「───お兄さま?」
鈴を転がしたみたいな声にそう呼ばれて、ルイはハッと我にかえったように目をまばたいた。どうやら昔を思い出すうち、ぼうっとしてしまっていたらしい。
「あ……。ごめんごめん、女王陛下。ちょっと考えごとをね。それでええと、何の話だったっけ?」
「もう、お兄さまったら!帽子に使う生地の話をしていたんじゃない。ね、お兄さまはどれが良いと思う?」
「どれ……。うーん、どれかなぁ。女王陛下はどういうのが良いの?」
「赤い色!私の髪みたいな真っ赤が良いわ」
そう言って無邪気に笑う女王は、今は確か14歳。だというのに言動の節々に幼さが残るのは、やはりそういう風に育てられたからだろう。
周囲から向けられる侮りに気付ける程度には聡明な性根のはずだが、それ以上に世間知らずに育てられたので、良くも悪くも純粋なのだ。
「うーん……。となると、やっぱりこの辺りかな。女王陛下の髪に映えそうなのはベルベットだけれど、これからの季節を考えるならこういう涼しげな物の方が良さそうだ」
「そう?なら、こっちか、こっち?」
「うん、良いと思うよ。ただ、そうだなぁ……。女王陛下の髪の色は素敵だけれど、全く同じような色だとかえって違和感が出てしまうだろうからね。飾りと形で調整する必要はありそうかな……」
「………」
「?どうしたんだい、女王陛下。僕の顔に何かついている?」
「あ、ううん。ただ、やっぱりお兄さまってすごいのねって思ったの。素材から選ぶのに慣れてるみたい」
綻ぶように微笑んだ女王に、ルイは思わずピタ、と身体の動きを止めてしまった。
けれど何とかすぐに「そうかな」といつも通りの飄々とした様子で笑う。
「まぁでも、布を選ぶのと実際に作るのでは話は違ってくるからね。あまり期待しないで貰えると助かるかな」
「大丈夫よ。だってお兄さまだもの」
「女王陛下には僕がどんな風に見えてるんだろうね……」
苦笑を浮かべながら、ルイはしまったなぁ、と内心で眉を下げる。
やってしまったな、と思ったのだ。結局あの後、幼かった頃のルイは帽子作りを捨てられなかった。やっぱり内緒に帽子を作っては、誰にも悟られないように燃やして捨てる日々。
出来上がった後の数秒だけ『ルイの帽子』はこの世に存在していて、ルイはその数秒を楽しみに、みっともないことに、大人になっても帽子作りを続けていたのだ。
知られてはまずい秘密である。だからボロを出してはいけないのに、本当は慣れないふりをして、下手にしないといけないのに。ルイはこの状況を、本心では少し楽しんでいるところがあった。
こっそり入手しないでも、こうして大っぴらに布を選べる状況。隣にはルイ以外の誰かがいて、ああでもないこれが良いと話が出来る。これが本当に、駄目なことだけれど、ちょっと楽しかったのだ。
「あっ、ねえお兄さま!帽子にはこういう小さな羽飾りを付けたらどうかしら。近頃に流行っているらしいの」
「ああ、それは良いね。最近流行ってるのは青い羽だけれど、女王陛下の帽子に付けるなら……。こればっかりは見た方が早いかな。待ってて、今図鑑を持ってくるから」
肩を寄せ合い、布のサンプルと図鑑を覗き込んでくすくすと笑い合いながら、ルイはあ、と気が付いた。
女王の前で、嘘でも偽りでもなく本当の意味で笑うのは、多分これが初めてだ。
「素敵!これなら宝石はかえって要らないかしら。だって羽だけで宝石みたいだもの」
「そうだね。あまりゴテゴテしくしてもかえって醜くなってしまうから、バランスを考えて……」
うーん……、と顎の下に手を置きながら、ルイはせめてこの後は取り繕わないとなぁ、と思う。
縫い方や作り方だけでも下手なふりをして、不恰好な帽子を作らなくては。布の種類や帽子の装飾に詳しいのは、オーダーメイドの多い貴族ならまぁおかしなことでもない。
知識としては詳しいけれど、作ることは知らないふりをしないといけない。
少し残念だけれど、その辺りだけははちゃんとしておこうと、この時のルイは貴族の男としての真っ当な考えでそう思っていたのだ。
まさかアリアがそれからも、ルイが帽子作りに取り掛かっている最中まで連日ルイのところに押しかけるとは思いもせず。
隣ですごいすごいと褒められて、作りながらもあれやこれやと意見を出し合うのが楽しくなってしまったルイが、思わずちゃんと針を持ってしまうことになるとはルイ自身でさえ想像が付かず。
結局ルイが正気に戻ったのは、女王の前に仕立て屋かたなしの見事な赤い帽子を差し出した時のことだったのである。




