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「こんな帽子いらない!私は赤が良いって言ったのに、どうしてこんな紫になるの!?」
で。
それから僅か一時間後には、アリアは髪をかき乱すようにして憤っていた。
つまるところ、これがアリアの言っていた『癇癪の時間』である。
「じ、女王陛下。よくご覧になってくださいな。ほら、とても鮮やかな赤ですわ。ねえ仕立て屋?」
「は、はいもちろん!これは最高級の南部の生地を使用しており、」
「まぁ本当!とっても見事!女王陛下によくお似合いになりそう!」
「い、如何でしょう?一度お手に取ってみては。そうしたら女王陛下だって、きっとこの生地をお気に召すはずですわ!」
「ええ、ええ。それに女王陛下がお召しになれば、この生地はきっと新しい流行になります。新しく流行を作ることは女王陛下にとっても……」
あからさまなおべっかでアリアの機嫌を取ろうとするメイド達は、流石に家門の利益が関係しているから必死である。
アリアがこの生地を気に入る、新しい流行にするとはつまり、それだけこの生地の生産と輸入が増えるということだ。
貴族の令嬢にとって流行とは、追いかけたいものではなく、追いかけなければならないもの。
女王が始めた流行は、それがどんなものでも追いかけなければならないのが社交界というものだ。マリー・アントワネットが船の模型を紙に飾り付け、派手な盛り髪が流行った中世のように。
アリアがこの生地で出来た帽子を身に付ければ、それは暫くの間、貴族の娘達にとっての必需品となる。その分取引量も格段と増えるだろう。
アリアの侍女は誰もが貴族の、それも同じ派閥家門の令嬢ばかり。実家によくよく言い聞かせられているのだろう。
が、アリアはそんな彼女達の分かりやすいおだてる言葉を「うるさい、うるさい、うるさい!」と叫ぶことで一封した。
アリアが耳を塞ぎながら喉を震わせ唇を戦慄かせれば、メイド達も仕立て屋も、サッと顔を青褪めさせて押し黙る。
ここのところのアリアの癇癪と不機嫌の凄まじさは、アリアの側で仕える彼女達もよく知ることである。毒を盛られてからというものの、アリアはこれ幸いと情緒を不安定にし始めたのだ。
そして今日の癇癪は特に激しかった。何せ目的がある。
メイド達も今日は簡単に収まらないことを悟り、何人かがそろりと後退したのをアリアは視界の端で捉える。
「っお前達も私を馬鹿にしているんでしょう!?こんな帽子を被らせて、私を笑いものにするつもりなんだわ!!私を笑いものにして、惨めにさせて、惨めさに耐えきれなくなった私が死ねば良いと思っているのよ!!」
「女王陛下!!なんということを、なんて恐ろしいことを……!!」
「まさか陛下は、本心でわたくし共がそのようなことを企んでいるとお思いなのですか……?陛下が即位なされてから、ずっとお側をお守りしてきましたのに!」
「嘘つき、嘘つき!みんな本当は、私が死ねば良いと思っているくせに!私が死ねば良いと思って、毒を食べさせたくせに、また食べさせようとしているくせに!!」
「へ、陛下……!」
「近寄らないで!!」
毛を逆立てる獣のようにアリアは叫んで、側にあった花瓶を壁の方へと投げ付けた。アリアはこれでもヒステリーのふりは前世からの得意なのである。
陶器の砕ける音が部屋に響いて、メイド達はグッと言葉を飲み込んでアリアから距離を取った。しかしそこに焦った様子はあまり見受けられない。
一応、アリアはこれまでどれだけ物に当たり散らしても、彼女達に直接危害を加えたことがない、というのもあるのだろう。
今回投げた花瓶も明後日の方向だし、メイド達はただ諦めたように距離を取るだけだ。ひとまずは落ち着くまで放っておこうと思ったのだろう。
それに、何よりも。
「おっと。まずいところに来てしまったかな。女王陛下は取り込み中?」
「王配殿下!」
隅に固まっていたメイドの一人が、救いを得た信徒のようにパッと華やいだ声を上げた。アリアはそれを確かめて、来た、と思う。
今日は元々、一週間の『視察』から戻って来たルイがアリアの元へ顔を出す予定であったのだ。メイド達は彼が来ることを知っていたからこそ、ああして大人しく暴れるアリアをそのままにしていたという訳である。
ルイ・カリスト。名目上のアリアの夫である。アリアの十個年上であるから、今年で確か24歳。
相変わらず狐のような男だ、とアリアは思った。光の加減で金にも白にも見える髪を片方の耳にかけて、今日も今日とて眩しい程の白い服に身を包んでいる。金色の瞳は柔らかく微笑んで、だけどそれが逆に胡散臭い。しかしまぁ、流石は世には美男子として名を馳せ、女王の夫であるというのに遊びたい遊ばれたいと年若い令嬢にはしゃがれるだけあって、相変わらず大層綺麗な顔立ちをしていた。
けれどアリアは、ルイが王配、つまりは幼い女王に代わって国政を動かせる立場を使って何をしているかを知っている。だから一度だって彼に心をときめかせることは無かったし、きっとこれからもそれは変わらないだろう。
駆け寄ったメイドがルイの近くで声をひそめて何かを話す。
ことの次第を聞かされたのだろう。ルイは仕方のないように眉を下げた苦笑を浮かべて、「分かった、君達はもう下がりなさい」と彼女達と、ついでに隅で震えていた仕立て屋も下がらせた。
「さて。女王陛下、不躾な使用人達は全部帰したよ。もう安心だ」
柔らかな微笑みを浮かべるルイに対して、けれどアリアは相変わらず、横椅子の上でキッとルイのことを睨み付けていた。
普段はルイに従順と言えるほど逆らわないアリアが、唯一ルイに敵意を表すのが癇癪の時間なのである。
「一週間ぶりに貴女の顔を見たいんだ。そっちに行っても?」
「っ、いや!!」
「毛を逆立てた猫みたいだね」
くすくすと肩を揺らして、ルイはお構いなしにアリアの方に歩み寄ってくる。アリアが投げた花は、けれど花でしかないので、やはりルイのところまで届かない。凶器にもならない。
ルイは簡単に女王の目の前までやってくると、片膝を付いてアリアよりも下の目線からアリアのことを見上げた。
「ルイが戻りましたよ、女王陛下。折角一週間ぶりに会えたのだから、よく顔を見せて欲しいな」
「いやっ!!」
「うーん……。今日の女王陛下は、どうしてこんなにご機嫌斜めなのかな。何がそんなに悲しかったんだろうね。誰が貴女をそんなに怒らせてしまったんだい?」
へにゃりと下げられた眉。蜂蜜みたいなルイの目がアリアを見つめている。
「それとも陛下は、僕に会いたくなかった?」と聞かれれば、アリアはグッと言葉を飲んだ。ルイを『お兄さま』と慕っていることになってるアリアには、これを否定することしか出来ない。
アリアが顔を伏せたまま、それでも首を横に振れば、ルイは分かっていたように「良かった」と安心した。
「ね、女王陛下。それなら何が嫌だったのか教えてくれるかい?」
「………」
「貴女を悲しませた者がいるなら、僕が代わりに罰するよ。決して表を歩けなくしてやる。ね、話してごらん」
「………み、みんな、」
震える声だった。アリアが話し出すと、ルイは静かな表情でそれを聞いた。怒りに震える手をそっと握られる。
「みんな、私を馬鹿にするの。わ、私が子供で、何も分からないと思って!!あたかも私の味方のふりをして、私を馬鹿にして笑っているの!!」
「陛下……」
「私の周りにいるのは、隠れて私を馬鹿にしているか、それとも私を殺そうとしているやつばかり!!どうして?私が幼い女王だから?だから皆、私を嫌うの……!?」
「陛下、聞いて。周りの者が皆、貴女を馬鹿にしているなんてことは決してないよ。だってあってはならないことだ。陛下は確かに幼くして王位に就いたけれど、それでも貴女の身には、他の誰よりも尊い王家の血が流れている。それだけで、貴女は誰よりも尊重される理由になるんだ」
「ならどうして私の食事に毒が入るの!ならどうしてみんな私を笑うの!」
「それは、」
「ならあの帽子は何……!」
引き攣るようなアリアの叫びに、ルイは「帽子?」と胡乱な表情を浮かべた。アリアが指差した先には、先程の仕立て屋が持ち込んだ赤紫の帽子がある。アリアの癇癪に恐れて逃げ出して、これを持ち帰るのを忘れたのだろう。
派手なばかりで、よく見れば雑な作り。アリアが好む赤色とは程遠い、くすんで澱んだ赤紫。間違っても女王に買わせるようなものではない。
ルイの顔がこわばるのが分かった。
「これは……」
「メ、メイド達が言ったのよ。最近ではガーデンパーティーも、そこで帽子を身につけることも流行でしょう。だから素敵な帽子を買ってお兄さまに見せたらどうでしょうって言って。いつもの仕立て屋を連れてきたの……」
「待って、女王陛下。いつもだって?」
「そうよ!い、いつも、いつも我慢していたわ。メイド達が私に勧めるから、私の為を思っているはずだからって。でも、でも……!!私だって、我慢の限界はあるの!!」
悲鳴のような叫びだった。ルイは泣くアリアの前で目を見開いて、は、と息のような声を吐く。
あの仕立て屋は中々どうしようもない者だった。
貴族に取り入り、攫った子供に刻印を入れさせて、使い捨てるように働かせて縫い仕事をやらせている悪質な業者だ。ジャックに調べさせたから間違いはない。
素人の子供を、無理に酷使して作らせているのだ。だからあの仕立て屋が差し出す物は、間違っても女王に捧げられるほどの物ではない。
だと言うのに城にああして上がれるていたのは、それだけ貴族相手に多くの上納金を渡しているからだった。
あの仕立て屋は女王の衣装を仕立てては、その度に質に見合わない高額な金をせしめていたのである。女王に当てられた予算が大きいのを良いことに。ついでに女王御用達の称号を得た仕立て屋は平民相手にも大稼ぎ。
そしてあんな悪質な仕立て屋を女王に当てがった貴族達は、けれどそれだけの上納金を得るのだ。本当に上質な衣服を、女王に当てがった者とは比べ物にならないくらい腕の確かな専属に作らせて、正真正銘の高級品を手に入れていた。
そうして社交界には、派手なばかりのハリボテのドレスや帽子を纏った女王と、細部まで精巧に縫われた衣裳を着る貴族達の図が出来上がるというわけである。
ルイは気付いていなかっただろう。ここ最近は『視察』と言いながら女の元へ向かうのが忙しくて、あまりアリアの側には居なかったから。
普段から社交界に出る時は一応、パートナーとして出席しているけれど、アリアのことなんてきちんと見たりはしなかっただろうし。
ルイはそもそも、それだけアリアに興味がないのだ。適当におだてて相手をしておけば、勝手に懐いて言う通りになると思っている。だからアリアのことなんていちいち気にしたりはしない。
だからこうして、きちんと見せる必要があったのだ。
一応ルイは生まれながらの貴族だ。一級品に囲まれて暮らして居たので見る目はある。こうして突きつければ、嫌でも気付く。
カリスト派の貴族達が、けれどその息子であるルイの目を掻い潜り、勝手に利益を貪ろうとしていたことにも。
「みんな私を馬鹿にしてるのよ……!!もう嫌、みんな、皆だいっきらい!!」
叫びながら、「こうなってみれば、毒を盛られたことも中々悪いことではないな」とアリアは思っていた。
アリアが癇癪を起こすようになったきっかけとしてはピッタリだし、お陰でことあるごとに暴れられるようになった。こうすればルイだって、いくらアリアに興味がなくても、様々なことに気付かずにはいられない。動かざるを得ない。
ルイ頼みというのは中々癪に触るが、今のアリアは実権がないから仕方がない。最近歯痒く思っていたことを、折角だからこの際色々解決してしまおう、と思ったのだ。
「、……」
部屋には嫌な沈黙が流れて居た。アリアがぐすぐすと泣く音だけが響いていて、ルイは暫く言葉を失ったようである。
けれど切り替えが早いところがルイの嫌な部分であり、ルイはすぐにこれから取るべき行動を整理したようで、手のひらの付け根の部分で涙を拭うアリアの手を取った。
「……ずっと、そんな思いをさせてしまっていたなんて。僕は本当に、貴女の夫失格だ」
悲しげに下げられた眉。アリアはそれにただ泣くばかりで答えなかった。嗚咽に喉を震わせながらルイの言葉の先を待つ。
すると案の定、ルイはそれからすぐに「どうしたら、女王陛下の傷付いた心を癒せるかな」とアリアに尋ねてくる。
「何だってするよ。貴女の気持ちが少しでも晴れるのなら、あの仕立て屋の首を刎ねたって良い。教えて、女王陛下。僕はどうしたら良い?」
「あ、あの仕立て屋が、もう二度と服も帽子も作れないようにして……っ。あ、で、でも。従業員は可哀想……」
「女王陛下は優しいね。分かった。それなら新しい働き口も用意するよう取り計らうよ。メイド達はどうする?」
「怒りたい、けど。悪気がなかったら、どうしよう……。く、クビには、したくないの。折角、六年も一緒にいるのだもの」
メイド達には釘を刺してもらいたいけれど、折角色々と勝手が分かってきたのだ。ジャックも彼女達の扱いが上手くなって、丸め込ませてアリアの時間も増やせるようになった。
総入れ替えをしてまた関係性の構築を一からやり直すのも、それはそれで遠慮したい。
そんな思惑を込めてアリアがそう言うと、ルイは優しく細めた目で「分かった」と頷いた。
ルイとしても、アリアのメイドは派閥内の家から選んだ貴族令嬢ばかりだ。いくら問題を起こしたとしても、一気に解雇をして派閥内で変ないざこざを起こすことは避けたかったのだろう。
「その辺りもちゃんと調べようか。もしかしたら変なところに唆されてしまった可能性もあり得るしね。大丈夫、悪いようにはならないさ。他には?」
「ほか……」
冷たいルイの手が頬に添えられて、親指で目元の涙を拭われる。アリアはそれに、少し考えるように目線を逸らした。
ひとまず、目的らしい目的は最低限遂げられた。たくさん暴れて溜まっていた鬱憤もそこそこ解消されたし、他に望みなんてない。
ただ、甘やかされて育てられている以上、何かわがままを言うべきだろう。ひとつわがままを聞いてやればすぐに機嫌を直す、分かりやすい子供だと思われていた方がアリアとしても都合が良い。また宝石をねだるか、それとも新しい庭園でも城内に作らせるか。
少し悩んで、アリアはあ、と思いついた。どうせならルイに、ちょっとした嫌がらせをしてやろう。
「……帽子」
「帽子?」
「お兄さまが作ってくれたら、許してあげるわ。あんな仕立て屋に台無しにされてしまったけれど、帽子が欲しかったのは、本当だもの」
「帽子かぁ。それなら僕がいつも頼んでいる仕立て屋に、」
「ううん。お兄さまが作って」
「ええと……。もちろん生地や形は僕が選ぶつもりだけど。それじゃあ女王陛下は嫌、ということかな?」
困ったようにアリアを見上げるルイに、アリアはにっこりこっくりと頷いた。
真っ直ぐな赤い瞳でルイを見つめて、「お兄さまが、作って」としっかり言葉にする。
「型紙とか、縫うのとか、そういうのを全部お兄さまがやって作ってくれたら、私機嫌を直してあげてもいいわ」
「…………おっと」
さっきまでの余裕ぶった表情が崩れて、ルイの米神に冷や汗が流れる。
些細な嫌がらせではあるけれど、確かな効果はあるようだ。アリアはその瞬間流石にちょっと楽しくなってしまって、くすくすと喉を鳴らして、楽しげに笑ってしまった。




