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転生したら女王だったので、独裁を敷いてみることにしました  作者: 久里


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16

 

 気が可笑しくなりそうだな、とルイは思った。


 あの日から、ダイアナはずっとルイのそばに付きっきり。

 朝から晩まで四六時中、ルイのそばに居てごっこ遊びのような恋人仕草を繰り返して、それに従うことだけが今のルイに許されている全てであったのだ。


「いい子にしていてくださいね、ルイ様。わたくしもすぐに戻ってきますから」


 監禁生活が始まって何日かが経った今日。ダイアナはそう言って、ルイの唇に真っ赤なルージュの色を移した。

 ルイがそれににこりと笑って「待っているよ」と頷けば、ダイアナは頬をぽっとピンクに赤らめる。きゃあきゃあとはしゃぐ姿や、「すぐに戻ってきますからね!」と話す姿は無垢な乙女のようですらあった。


 そんなダイアナをにこやかに見送ったルイは、しかし彼女の足音が遠くなっていくのを確かめるなり表情を削ぎ落とす。

 ようやく解放された、と安堵してひと息を吐くには、あまりにも状況が悪過ぎた。

 ルイは領地に行かなければならない。あの抜け目ない、ルイよりも余程『貴族らしい』兄が何を考えているかは分からないが、何にせよ碌なことにはならないだろう。

 止めなければならない。一刻も早く、ここから抜け出さなければ。


 今日はまたとない機会だ。何日もルイのそばを離れないかったダイアナが、どうやらアントレイ伯爵との予定があるらしく屋敷を出たのである。

 もちろん、ダイアナはすぐに帰ると言っていたし、何より扉の前にも屋敷の周りにも見張りが居る。この隙に逃げ出すことはあまり現実的ではないけれど、この隙に策を講じることくらいはルイにだって出来るだろう。


 リン、とベルを鳴らす。するとすぐに使用人が現れて、「御用でしょうか」と恭しく頭を下げた。

 ダイアナが手配した使用人なので、当然男である。


「やぁ、すまないね。食事の用意を頼みたくて」

「承知いたしました。何をご用意いたしましょう?」

「そうだな……。肉が良いかな。普段ダイアナと同じものばかりを食べている物は、僕にはあっさりし過ぎて居るんだ。どうにも味気なくてね」


 肩を竦めて苦笑をする。すると燕尾服に身を包んだ使用人は同情を溢すように、僅かに眉を動かした。ルイが四六時中ダイアナに付き纏われていることは、この屋敷にいれば誰でもわかることだからだろう。

 気の毒そうにしながら、使用人は「すぐにご用意いたします」と再び頭を下げる。ルイはそれに「頼むよ」と柔らかく微笑んで見送った。


 使用人があまり感情を表に出すことはよろしくないこととされているけれど、彼は新人なので仕方がないことだ。

 伯爵家で雇われていた使用人。特に給仕を行う使用人は、これまで女ばかりだったという。けれどダイアナがルイを閉じ込めることに決めたから、急いで男の使用人を探すことになったのだ。嫉妬深いダイアナには、女の使用人をルイに付けるという選択肢がなかったようである。


 元は生活に困っていた男。やっと見つけた仕事を手放すわけにはいかないから、伯爵家に従順で口が堅い。

 万が一、それこそ自責の念に駆られて誰かにこのことを知らせるようなことがあったとしても、元々碌な身寄りのない人間だ。片付けるのも容易い。

 監禁されているルイの世話をさせるにはピッタリな相手ということでもある。


 ルイはふと、蠱惑的に微笑んだダイアナが「ですから、あれに助けを求めても無駄ですよ」と話したことを思い出した。

 けれど。助けを求めることが目的でないのなら、新人というだけであの男は都合が良い。まだ仕事に慣れておらず、様々なことに目が届かないのであれば、隙を伺うことは可能だろう。


 間違えて食事をこぼしたみたいに、食器をひっくり返してバラバラにさえすれば。

 肉を切るために付いてくるはずのナイフ。それをひっそりと盗んで、隠しておくことだって出来るはずである。










 ▪︎


「ルイ様っ!ああ、恋しかった!」

「おっと」


 首に回された細い腕。飛び込むようにして抱き着いて来たダイアナをルイは難なく受け止めると、「昼間に別れたばかりじゃないか」と苦笑した。

 そんはルイにダイアナはむぅ、と頬を膨らませて、「それでも恋しかったんです」と拗ねた顔をしてみせる。


「ルイ様は?わたくしが居なくても、平気でしたか?」

「まさか。僕も早く貴女に会いたくて堪らなかった。……ここは少し、静か過ぎる」

「まぁ……っ」


 眉を下げて、参ったようにルイは言った。するとダイアナは感極まったように頬を薔薇色に染めて、「ルイ様ったら」とてれてれと喜んだ。


「ねえ、ダイアナ嬢。貴女さえ良ければ、今日あったことを、僕と離れていた間に貴女がどう過ごしていたかを教えてくれないかな?お茶でも淹れて、ゆっくりと」

「っ……!ぜひ!わたくしもルイ様にお話したいと思っていたんです。嬉しいわ、ルイ様からそう言っていただけるなんて!」

「貴女が喜んでくれると、僕まで心があたたかくなるよ。そうだ、どうせなら庭園でお茶にするのはどうだろう?」

「え。……庭園、ですか?」

「ほら、今日はとても良い天気だから。もちろん、貴女が嫌がるなら無理にとは言わないよ。ただ、日の光の下で見る貴女は、いつだって誰よりも輝いていたから……」


 ダイアナの頬に手を添える。顔を上向けるようにしてこつんと額を合わせれば、睫毛と睫毛がくっつきそうなほどに二人の距離が近くなる。

 かっと耳まで赤くなるダイアナに、ルイは悪戯のようにくすくすと笑った。


「大丈夫、逃げたりしない。だって貴女さえいれば、僕は安全で、幸福なんだろう?心配なら側に騎士を付けたって良いよ。デートを覗かれるのは、少し、恥ずかしいけどね……」


 囁くような甘い言葉。照れるように目を睫毛を伏せれば、「ルイ、さま……」と熱の籠ったダイアナの声がか細くこぼれる。あとは簡単だ。キスの一つでもしてやれば良い。


「……駄目、かな?」


 ルイがここまでして、駄目、と言った女は居ない。

 それはやはりダイアナも同じで、黒髪の乙女はやがて恥じ入るように、「……今回だけ、ですからね?」と頷いた。


 庭園に行くためには、ルイの足枷を外さなくてはならない。赤い頬でルイの足元に跪くダイアナが、ポケットから鍵を出す。

 そうしてカチャン、と金属の音がして、足の戒めがなくなった瞬間。


「───ああ、ありがとう、ダイアナ」

「え?っ、きゃあ!?」


 ガン!とルイがそれまで座っていた椅子が勢い良く倒れる音。

 ダイアナが衝撃に目を白黒とさせた時には、ルイはダイアナの肩を抑えるようにして捕まえていた。


「る、ルイ様!?何を、何をなさるの……!?」

「おっと、こらこら。あまり暴れてはいけないよ。間違えて首を切ってしまったら大変だ」

「っひ……!」


 隠し持っていたナイフをダイアナの喉元に押し付ければ、ダイアナは引き攣った声で怯えてみせた。押し当てられた冷たい金属の感触が、ダイアナにも分かったのだろう。


 ダイアナのエメラルドの瞳が恐怖に震えて、ルイの腕の中を逃げ出そうと暴れていたダイアナは、すると途端に大人しくなった。ルイはそれにニコリと笑って、「そう、良い子だね」と優しく褒める。

 それはダイアナの恋人のように振る舞っていた時とまったく同じ、ダイアナのいう、『王子様みたい』な微笑みだった。


 するとダイアナは、無意識だったのだろう。「どうして……」と、掠れた言葉がこぼされる。

 ルイは相変わらず優しくダイアナを見下ろしたままで、だからこそ、首の冷たい温度の理由が分からない様子であった。


「仕方が無かったんだよ、ダイアナ嬢。貴女が僕を閉じ込めてしまったから、僕もこうして強硬手段に訴えざるを得なかった」

「そんな、だって、ダイアナはルイ様の為に……っ」

「貴女の愛は嬉しかったよ。守ってくれようとしてくれてありがとう。でもごめんね、生憎僕にはそれよりもずっと、余程」

「ル、ルイ、様……?」

「……大事なことがある」


 ルイの言葉に、ダイアナは息を呑んだ。ダイアナがルイと婚約者であった期間はとても長い。ダイアナは、ルイがほんの幼い少年であった頃から、彼が青年となるまでの間を婚約者として、一番近くで過ごしてきた。

 だというのに。ダイアナは、こんなにも真剣で恐ろしいルイの言葉を、この時初めて知ったのである。


 とはいえ、それはほんの一瞬のことだった。

 次に「さて」と言った時にはルイの声もいつも通りである。


 そうしてルイはダイアナの喉元にナイフを突きつけたまま、思い切りテーブルを蹴り倒した。

 その瞬間大きな音が部屋に響く。テーブルの転がる音だけではない。使用人を呼ぶためのベルが転がる音まで、随分と大きな音だった。


「お嬢様、ご無事ですか!?」

「っ……!!お、お嬢様!!」


 もちろん、これだけ騒がしくしたのだ。扉の前に居る見張りが来ないはずがない。勢い良く開けられた扉から飛び込んだ二人の騎士は、部屋に押し入るなり目に入った景色にサッと顔色を変える。


「やぁ、よく来てくれたね。君達には一つ仕事を頼みたいんだ。良いかな?」

「か、カリスト令息、一体何を……!」

「ダイアナ嬢の命が惜しければ、僕に馬を用意してくれ。それと充分な路銀も頼むよ。水と食糧は要らない。君達に頼んで、変な薬でも盛られてはたまったものではないからね」

「っ駄目、駄目よ!聞いては駄目、ルイ様を行かせたりしたら許さないわ!!」

「し、しかしお嬢様……っ」


 叫ぶダイアナに、狼狽える騎士。ルイはにこりと微笑むと、「ダイアナ嬢が死んだら、それこそ伯爵は許さないはずだよ」と告げた。


「それとも、君達が伯爵令嬢の命の責任を取る?」

「それ、は……」

「………は、伯爵に、判断を仰ぎたい!」

「どうぞ?でも急いだ方が良いよ。僕はあまり気が長い方ではない。伯爵にもそう伝えて」


 すると二人は、示し合わせたように一斉に駆け出した。どちらかが残る、という選択肢は無かったようである。目の前で伯爵令嬢を殺されて、責任を負うことになるのが怖かったのだろう。

 まったく呆れたことである。城と言いこの屋敷と言い、この国はどこもかしこも人手不足なのだろうか。ルイからすれば都合の良いことだけれど、碌な人材というものがどこにも居ない。


 まぁ、仕方のないことかもしれないが。

 何せルイやカリストが築いた長い治世の間に、この国では誠実な人間は、簡単に蹴り落とされるのが当たり前になってしまったのだから。


「ル、ルイ様。お願いです、こんなこともう辞めて!こんなのルイ様らしくないっ!!」

「いいや、これこそが僕だ。目的の為なら女子供であろうが簡単に傷付けるし、殺すし、不正も犯罪だって喜んでやる。貴女が知らないだけで、僕はずっとそうだったよ」

「そんなはずない!ルイ様はとても優しくて、勇敢で、素敵で……っ!」

「うーん、聞き分けのない子だなぁ……」

「何のため、ですか?先程話していた、大事なことのため?それって何?わ、わたくし以外に、このダイアナの他に、愛する人がいるとでも言うの……!?」


 考えるうちに、恐怖よりも嫉妬が先に来てしまったのだろう。首筋にナイフを突き付けられているとは思えないほど元気に、きゃんきゃんと吠える子犬のように畳み掛けてダイアナは言った。

 愛。ルイは思わずダイアナの話した言葉を口の中で転がして、僅かに苦笑する。「……そんなものじゃないよ」とこぼれた言葉は、ルイ自身でも驚くくらい、柔らかな色のものだった。


「愛だ恋だと語れるほど、僕は純粋な生き物にはなれなかったからね。だから愛なんかじゃない。………あの子に救われて、あの子が好きで、あの子のために何でもしてあげたいのは本当だけれど」

「──ル、」

「ああ、来たみたいだね。ははっ。走る音が聞こえてくる。伯爵も走れたのか」


 普段悠々と歩いているところしか知らなかったから、あのアントレイ伯爵が走っていると思えば中々面白い。

 ルイは僅かに肩を揺らして笑うと、「じゃあ、お利口にね」と言って、改めてナイフをしっかりと握った。


「ダイアナ!!っ、ルイ・カリスト、貴様……!!」

「やぁ、伯爵。早かったね。伯爵の部屋とここは、同じ屋敷とはいえ正反対のところにあったろうに」

「御託は良い、ダイアナを離せ!私の娘に傷一つでも付けてみろ、お前の命はないぞ!!」

「その娘を人質に取られているとは思えない、随分と強気な発言だ」


 そう言ってルイは、ふわりと優しく微笑んだ。ルイの言葉を受けた伯爵がグッと奥歯を噛み締めて押し黙る。

「……望みは何だ」と尋ねる声は地を這うようで、憎しみに満ちていて、ひどく苦々しいものだった。


「健康な馬と充分な路銀を。それだけで良い。すぐに用意をしてくれれば、これ以上ダイアナ嬢に危害は加えない」

「あっ、だ、駄目!お父様!」

「分かった。すぐに、用意をさせる」

「お父様っ!!」


 伯爵は、彼を咎めるダイアナの声から目を逸らすように、そばの使用人に素早く指示を出した。ルイはナイフを離さないまま、伯爵の動きを監視する。

 馬と荷物が庭園に準備されたという報告は、すぐに届いた。


「では、ダイアナ嬢。悪いけれど、君にはもう少し付き合ってもらうよ」


「馬まで付き合ってくれ」と微笑んで、ルイはダイアナを引きずるようにして部屋を出る。

 伯爵と廊下に集まっていた使用人、騎士達は一定の距離を保ちながら、固唾を飲んでルイとダイアナを見守っていた。嫌な緊張感が満ちているような空間だ。その間にも、ダイアナは「いや、いや!」と駄々をこね続けていたけれど。


「あ、貴方さえいれば良いの!お願いルイ様、行かないで、行かないで!!」


 自分を捕まえるルイの腕に縋って、泣いて、ダイアナははらはらと「ダイアナと一緒にいて」と懇願する。


「……ごめんね?」


 けれどルイはそれに応えることなく、ほんの一言。ダイアナにだけ聞こえるような小さな言葉で呟くと、ダイアナを突き放し、素早く馬に飛び乗った。

「ダイアナ!!」と伯爵がダイアナに駆け寄るが、ダイアナはそれに構わず、「ルイ様!!」と悲鳴のような、縋るような声でルイの背中に叫ぶ。


 けれどルイは止まらなかった。

人質が居るという状況の優位を保つため、こちらが有利なのだと騎士や伯爵に示すため、貼り付けていた飄々とした態度。それを削ぎ落とし、険しい顔で手綱を握る。


 本当は伯爵を待っている間も、馬を待っている間も、ダイアナにナイフを突き付けている間もずっとじれったくてもどかしくてたまらなかった。

 焦っていることを知られれば足元を見られるから、何とか取り繕っていただけ。特に伯爵は食わせ物と有名な人物だから、少しも気が抜けなかったのだ。


 馬を手に入れ取り繕う必要がなくなったから、ルイはようやく、本心の焦燥のままに手綱を握って馬を走らせることが出来ている。

 ルイが屋敷に捕まって数日が経った。ダイアナが「領地は危険だ」とルイに教えてから、更に日数が経ったということだ。

 間に合わないかもしれない、と思った。嫌な予感だけが胸に積み重なって仕方がない。


「っクソ……」


 ああ、と思う。悔しくて恐ろしくてたまらない。

 城に引き返し、アリアに会って直接全てを話すことも考えた。けれどアリアはルイには決して会わないだろう。アリアが16歳になった日、あのパーティーの夜から、アリアはルイが何度訪ねても会ってはくれなかった。


 城に戻っても、きっとアリアはルイの話を聞いてはくれない。それどころか、アリアとアントレイ伯爵との間には何かしらの取引があったようなのだ。下手をしたら伯爵家に送り返されかねない。


 だから、ルイが直接領地に行くしかないのである。

 だから本当は、こんなところで立ち往生している場合などでは無かったのに。







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