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あの夜から王城の勢力図は一変した。
アリアはそれまで王城を牛耳っていたカリスト派の貴族達を遠ざけて、それどころか次々と処刑を命じている。
王配であるルイとさえ女王は碌に顔を合わせない始末。その代わり、アリアの周囲にはこれまで日陰に退かされていた元王権派や中立派の貴族達が集まり、実権を握るようになったのだ。
まぁ、元王権派と呼ばれていた面々を引き入れたのだ。当然中にはかつてアリアの毒殺を試みた者も紛れていたけれど、アリアにとっては瑣末なことである。
しっかり働いてくれるのならそれで良い。権力に溺れ不正に手を出さないのなら、ひとまずは構わないと考えたのである。
「取り敢えず、カリスト派の中でも有力だった貴族達はこれで一掃出来ました。彼らに便乗する形で甘い蜜を吸っていた弱小の貴族達も、ひとまずは大人しくしているようです」
「エドガール・カリストの身柄は?カリスト家の嫡男、ルイの兄。領地から逃げ出したと聞くけれど、まだ身を潜めているのでしょう?」
「はい。ですが妻と子を連れ立っての潜伏を選んだらしく、思っていたよりも簡単に足取りが掴めました。潜伏は、伴う人数が多ければ多いほど難しくなりますからね。近いうちに捕まえられるかと」
「そう。素晴らしいことね」
軽やかな赤い色のワンピース。リボンで軽く纏めただけのポニーテール。ゴテゴテと飾り付けていたこれまでとは打って変わって、涼しげな服装になったアリアは満足げに頷いた。
アリアの前に立って報告を上げるのは、やはり騎士になったジャックである。
あの後、血と死体の溢れる大広間で正式に騎士としての身分を認められて、ジャックはすっかり名実共にアリアの副官となっていた。
ジャック・レドモンドと名乗るようになったジャックに与えられた爵位は公爵。女王の権限で無理矢理認めさせた爵位だけれど、これでジャックの仕事に文句を言える者は居なくなったのだ。お陰で日々の改革も順調である。
もちろん、内心では彼を『奴隷の癖に』と蔑んでいる者もいるだろう。なぜかジャックは首筋の奴隷印を隠さないことを選んだから、初対面の者にギョッとされることも多い。だ
けどそれでも人を従えさせることが出来るのが権力というもので、今はアリアが次々反逆者達を処刑して回っていることもあって、誰もアリアにもジャックにも逆らわなかった。
「押収した財産はどの程度になったかしら」
「ああ……。凄まじい額でしたよ。詳細はこちらに纏めてありますが、向こう十年は予算を気にすることなく国家運営が出来るかと」
「そんなに?随分溜め込んでたのね」
呆れたように顔を顰めるアリアに、ジャックは「全くです」とため息を吐くように頷いた。
通りで民は貧しさに喘いでいるし、貴族街以外の街も整備がされず、仮にも公務員である地方役人の給料が未払い、なんて騒動にもなるわけだ。カリスト派がどれだけ国政を放棄していたのかが分かって嫌になる。
まだ奴隷だった頃のジャックを時々騎士団に行かせていた時にも、設備が全く古いままで整っていない、という話も聞いたし。それで帳面上ではしっかりと予算が振り分けられていたのだから、おかしな話である。
そしてアリアはこれから、そんなおかしな状況を正しくしていかなければならない。
「でもまぁ、国を動かす上でお金に悩まなくて済むのは良いことだわ。どうせ元々は不正に横領された税収だし、早いところ全部国と民のもとへ還元してしまいましょう」
あまりにも多くの場所で問題が起きていて、どこから手を付けたら良いのかわからないという辺り、本当に頭が痛いけれど。
どうせ国を動かす上で最も大変な、議会の承認だとか根回しだとか、そういうものはとことんまで省けるのだ。アリアの一存で国を動かせるのだから、ちゃっちゃか進めて一つ一つを確実に解決していこう。
独裁万歳、主権一統法万々歳である。
「……お兄さまは、もう『領地』に着いた頃ね」
ぽつりと平坦な声。窓の外、快晴の空を眺めながら、ふとした様子でアリアは呟いた。
あの夜以降、殆ど碌に顔を合わせることも話すこともしなかった、アリアの10歳上の夫。
閉じ込められた父親を助けたかったのか、それももアリアの真意を知りたかったのか。
ルイは何度もアリアに会おうとしたけれど、アリアがそれを全て拒絶し、そしてその代わりのように『領地』への帰還をルイへ勧めたのだ。
密かにルイの様子を確かめさせていた侍医だって、折れていた腕もすっかり治ったと言っていた。ルイはもう怪我人でもなくて、だからもう、ルイをここにわざわざ置いてやる理由も無くなったのだ。
書類越しの提案だったけれど、ルイは驚くほどあっさりとそれを受け入れたのである。家臣達も揃っている領地へ戻って、対策でも練ろうとしたのかもしれない。
ルイはあらゆる情報をシャットアウトされていたから、カリスト家の領地が今どんな風になっているのかを知らなかった。自分の兄家族が追われ姿を隠していることも、カリスト家の家臣がどれだけ捕まえられたかも知らなかったのだ。
何も知らないルイが馬車に乗り込んで、城を発ったのが今朝のこと。
ルイを乗せた馬車は今頃、カリスト家の領地ではなく、アントレイ伯爵邸へと到着した頃である。
父の仇、母の仇。カリスト家の息子であり、王配としての権力をカリスト家の為だけに使っていた男。国の腐敗を進めた立役者で、カリスト派の中心人物だった者。
これからアリアが殺す男。
精々束の間の平和を享受しておけば良い。
ダイアナ・アントレイは執着が強く情熱的な女性ではあるが、美しいし、ルイを愛していることだけは事実だ。悪いようにはしないだろう。
閉じ込められるかもしれないが、政治、政争、親兄弟の惨憺たる死を知るよりはその方がずっとマシなはずだ。
もちろん伯爵だって、両親の死やその後の不正政治に関わっていた貴族の一人だ。見逃したりはしない。ただ今は居た方が都合が良いからある程度見逃しているだけ。
だから改革の全部が終わって、アントレイ伯爵の利用価値が無くなれば、伯爵家ごとルイは死ぬ。
良いザマだわ、とアリアはこぼすように呟いた。
あの日から、アリアは一度だって帽子を被ってはいない。
ルイが作った帽子は全部、クローゼットの中に押し込めたままである。




