13
恐怖。期待。不安。優越感。焦燥。
宮廷音楽が雅やかに響き、煌びやかなシャンデリアに照らされた王城の大広間。女王の成人を祝う為そこに集まった数多くの貴族達は、けれどそれぞれ両極端とも言える様子でそこに佇んでいた。
十中八九、少し前に定まった主権一統法の影響だろう。いち貴族の傀儡と化した君主が絶対王権を手に入れたのだ。こうなることは当然予想出来ていた。
楽しげに談笑をするのは、カリスト家が率いる貴族派達。そうではない貴族達は、暗い面持ちで佇むか、鎮痛な面持ちで壁際に集まり、ひそめた声で何かを相談している様子だった。
「アリア。今夜、父上が君に何かをさせようとするかもしれないけど、」
「大丈夫よ、お兄さま。分かっているから」
アリアが珍しく、はっきりとルイの言葉を遮るようにそう言うと、ルイは一瞬驚いたように目を見開いた。アリアはにこりと笑って、「それよりも」と組むように触れる腕に視線を落とす。
「お兄さまは私のことより、お兄さま自身の腕の方を心配した方がいいと思うわ。治りかけとは言っても、まだ完全にくっついた訳ではないのでしょう?痛まない?」
「あ、ああ。平気だよ。多少まだ痛みはあるけど、一曲程度なら踊れるし」
「無理は良くないわ。今日は安静にしておきましょう」
「だけど君の成人を祝う場だって言うのに、僕達が踊らない訳には」
「良いのよ。どうせ今夜は誰も踊れやしないから」
「それは、どういう」
戸惑うように瞳を揺らしたルイに、アリアはただ微笑んでルイの疑問を黙殺した。いつもと様子の違うアリアに、彼は何か嫌な予感でも感じているみたいで肩を強張らせる。
けれどアリアはそんなルイに構うことなく、王族が大広間に入る為の出入り口を守る侍従達に合図をした。
「待ってアリア、今日の君、何だか様子が……」
「お兄さま。カーテンが開いたわ、もう行かないと」
女王の登場を知らせるトランペットの音色が響く。重厚な赤いカーテンが開いて、会場を照らすシャンデリアの、白い明かりがアリア達の目を焼いた。
盛大な拍手がアリア達を迎えた。王冠に使われている黄金が、シャンデリアの明かりに照らされてギラギラと不吉に輝いていた。
背筋を伸ばし、顎を引き、王配を連れて女王は歩く。
今までのような王配に捕まることでしか立つことの出来ない、頼りない子供の立ち姿では無かった。綺麗に纏め上げた髪。髪と同じ色の鮮やかな赤いドレス。ルビーを嵌め込んだような目は、けれど冷たさを感じさせるほど静かに前だけを見据えていた。
誰かがハッとして目を見張る。その面持ちに、あの日無惨に殺された先王の姿を幻視して。
二つ並んだ豪奢な椅子。女王と王配が腰を下ろしてようやく、大広間に満ちていた拍手が止む。
それを見渡すように確かめたアリアは、ようやく冷たかった横顔を微笑ませた。
「───素晴らしい夜だわ」
シン、と静まり返った大広間。女王はそう言って、おもむろに口を開いた。誰も彼もがアリアを見ている。誰かは期待を込めた目で、誰かは不安に満ちた目で。
アリアの声は不思議とこの広い空間によく響いていた。特別張り上げている訳でもないのに、何故か遠くにいてもなおはっきりと言葉が分かる。
「今日という日を私がどれだけ心待ちにしていたか、分かる者はきっと居ないでしょう。私が女王と呼ばれるようになったのは八つの歳の頃。先王の死をきっかけに王座を得たけれど、幼い子供であったあの頃の私には、本当の意味での王権は渡されなかった」
目蓋を閉じる。走馬灯のように、この八年という長い年月の記憶が脳裏を駆けていくのが分かった。
「ずっと、歯痒い思いをしていたわ。どうして私は子供なのだろうと、何度だって奥歯を噛み締めた。やりたいことは幾らでもあった。その為の力が私には無かった。幼かった頃の私は、それが本当に悔しくて……」
酷い八年だった。何度だって屈辱を噛み締めた。愚かな子供のふりをして、欲しくもない宝石を捧げられては喜んだ。師と呼ぶのも悍ましい無能の教師を「先生」と仰いでは、夜には薄暗い灯りでひっそりと本を読み漁る日々。
ケーキを食べるのが人生で一番の楽しみみたいな顔をしてクリームで口の端を汚しながら、アリアを子供と侮る者どもを安心させるように、必要以上に子供らしく振る舞った。
「だからこそ、今、私は本心から喜んでいる。今日という日に、私は16歳になった。成人を迎え、真実の意味での女王となった。私の忠臣達が、あの頃の私が求めた通りの力をくれたわ。主権一統法という素晴らしい法が制定されたことは、このモンテタルトという国において最も喜ばしいことの一つと言えるでしょう」
女王は立ち上がる。アリアが前に進むと、最前列とも言える場所に立っていたロイドと目があった。微笑む女王に、満足げに頷く侯爵。
ハッとしたように女王を追いかけようとした王配を、けれど誰かが行く手を阻むようにして止めた。
「何故ならこの主権一統法は、私が女王としてこの国を守っていく為に、何よりも必要な物であったのだから」
女王の後ろで、王配が『アリア、』と声を上げようとする。だけどやはりそれも防がれた。治りかけの腕を掴まれてルイが痛みに呻く。
ルイが気が付いたのはその時だった。まさかと顔を上げると、やはりそこに居たのは、ルイの行く手を阻んだのはアリアの奴隷であるジャックであった。もっと言えば、ジャックの腰には、確かに一本の剣がさされている。
「そしてそれを与えてくれた忠臣達にこそ、私は報いなければならない。まずは、レオン・アルディス」
動揺に瞳を揺らすルイを置いて、状況はどんどんと進んでいく。
侍従が差し出した羊皮紙。そのリストを開いたアリアがまず最初に呼んだのは、ロイド・カリストの側近とも言える貴族のうち一人であった。
「カイル・ヴァレント。エリオット・マリス。そして、フィン・ラドクリフ……──」
次々と呼ばれる名前。女王の呼ぶ名前は、やはりカリスト派の、それも中心人物と言える者ばかりである。
「……──エドガー・ルヴァン。ルーク・カリヴァン。アラン・フェルディス。以上の者達は、前へ」
誰かが「ああ……」と嘆くように息を吐いた。
呼ばれた名前は十六人。その誰もが鼻高々として女王の前に足を運んだ。きっと褒美として、爵位を引き上げられたりより高い役職を与えられたりするのだろうと誰もが察していた。
ロイド・カリストの名前は呼ばれなかったけれど。彼は女王にとっても特別だ。女王はすっかりロイドに懐柔されてしまっているから、後でより特別なものを渡されるのだろうと。
王配であるルイでさえ、思っていた。
けれど。
「ここに居る者達は、我が王国において重大な不正を行い、私腹を肥やしていた重罪人。よってこの者達の、───斬首を命ずる」
「……………は?」
柔らかな微笑みを携えた女王の言葉は、誰の期待も不安も裏切るものであったのだ。
は、と誰かが息を詰める。ロイド・カリストはまるで、今の状況が信じられないとでもいうように、呆然として立ち尽くしていた。
「私にはモントタルテの女王として、父母に恥じない治世を行う義務がある。不正の横行するこの国で、不正を喜ぶものが大きな顔をして過ごしていたこの王城で、八年という長くの時間を耐え忍び、父母を忘れず忠義を尽くしてくれた忠臣達に報いる責務がある」
「………な、」
「ここに宣言するわ。私の国に、二度と悪臣が蔓延ることはない。モンテタルトは今後一切、正しい者が正しく報われ、悪しき者は相応の罰を受ける国となることを!」
アリアはそうして、はじめて明確に、女王として声を張り上げた。
大広間に動揺が広がる。誰よりも早く正気に戻ったのはロイド・カリストで、「女王陛下!」と、焦りに満ちた声がアリアにかけられた。
「何を、何をお考えですか!その者達が不正を行ったなどと、ましてや斬首などと!彼らは長く、幼くいらっしゃった女王陛下を助けてきた者達ですぞ!」
「そ、その通りです!女王陛下は何か誤解をなされている!わたくしが不正をしたなどと、一体何故その様なことを思われたのか!」
「子爵の仰る通りです!そもそも証拠はあるのですか!?何の証拠もないというのに、こんな言い掛かりを付けられてはたまったものではない!」
「っええい退け騎士達!我々を誰だと思っておる!」
アリアに駆け寄ろうとして騎士達に阻まれ、それでもなお言い訳を叫ぶ者達を、けれどアリアは「不敬」と冷たく一蹴した。
馬鹿なこと。と冷えた眼差しでアリアは彼らを見る。証拠なんて、最早この国には必要ないのに。お前達が率先して、喜んで作ってくれた法律が、アリアの言葉だけで決まる処刑を許してくれるようになったのに。
「ジャック」
アリアが一言呼ぶだけで、騎士は心得たように抑え込めていた王配を他の騎士に渡して、大広間の中央。
まるで巨大なケーキでも隠すようにして置かれていた巨大な天幕を、一息に剥がしてしまった。異様な形状。ざわり、と一帯に動揺が広がる。
そこにあるのは数日前、他ならぬロイドに頼んで用意をさせていたもの。
この世界では全く新しい処刑器具。かつて地球という星に生きていたアリアにとっては馴染みある、ギロチンと呼ばれるものであった。
「ああ、そうそう。カリスト侯爵、貴方の身柄も拘束します。貴方には、彼らの不正を支持していた容疑がかけたから」
「っ女王陛下!!」
「───斬首の執行を。そこに居る逆臣共の首を、一つ残らず刎ねてしまえ!!」
腹の底から叫んだ言葉。ロイドの右腕であり左腕でもあった者達は、無理矢理身体を押さえ付けられて処刑台へと送られる。ロープが切られ、首が落ち、「きゃああああっ!!」と誰かの悲鳴。
異様な光景に腰を抜かす者もいた。逃げ出そうとする処刑対象はすぐにジャックが捕まえた。阿鼻叫喚と言ってもいい有り様で、特に不正に心当たりのある、カリスト派の貴族達は青い顔。
けれど反対に、『長くを耐え忍んでいた』方の元王権派や中立派の貴族達は、ときめくような表情でその光景を見つめていた。希望を見出した、敬虔な信徒のような顔をしたものも居た。
「今日からこの国は生まれ変わるわ」
本当に、素晴らしい夜ね、と。16人もいるから長く続いた処刑。恐怖に震える次の処刑対象の命乞いや悲鳴の中。アリアは細めた瞳で、噛み締めるようにそう呟いた。
ねえ、お父様、お母様。見ている?
アリアは二人の仇を取るわ。そうして二人が愛したこの国を、きっと綺麗に作り直して、より良いものにしていくの。
八年越しになってしまったけれど、それを二人への手向けとするから。




