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それからはあっという間だった。
根回し、根回し、またまた根回し。つまるところ根回しの日々である。
大変だったのは主に、カリスト率いる貴族派の敵対派閥。先王を慕い、貴族派の傀儡となった今代の女王アリアを憐れみ、要するにアリアを毒殺しようとしていた元王権派の者の説得である。
下手な人間に計画を教えて、企みが露見しては元も子もない。だから説得をする相手も慎重に選んで、アントレイ伯爵がよこしたリストも鵜呑みにはせず身辺の調査もして、その上でジャックを名代としてひそかに派遣する日々だったのだ。
説得そのものというよりも、王城の複雑怪奇な勢力図を紐解くことに苦心していた。
アリアが大っぴらに動くわけにはいかないから、特にジャックには苦労をかけた。
その間のアリアといったら相変わらずである。我儘放題の女王をやって、けれど散財するにしても土地や宝石など資産として数えられるものばかりを選んで買った。いつか国を建て直す日が来たら、全部売って資金源にするのである。
とはいえ、それまでの間に失われたものは取り返しがつかない。アリアが贅沢に溺れている間も、民草の貧困、苦痛に喘ぐ声は途切れず。
時折どうしようもない自己嫌悪と両親への申し訳なさに胸を引き攣らせて、何度も悪夢に飛び起きたこともあった。
けれどアリアはその度に、ここで下手に動いて警戒されて、台無しにしてしまっては元も子もないと何度だって自分に言い聞かせてきたのである。
アリアに出来ることは限られている。習慣のようにしている週に一度のお祈りで、神父様とお話をした後に、思い付きのように炊き出しをすることくらい。馬鹿だから影響を受けやすくて、その時だけの善行をしていると嘲られる程度のことしか出来ない。
前には家のない人のためのシェルターを作ろうとも思ったけれど、アリアが女王に当てられる予算の中から投じた金額に反して、出来た建物は貧相なものだった。
つまるところ横領をされていて、けれど普段から私服を肥やしている貴族達が、アリアが投じられる予算程度を魅力に思う筈はない。ならばその犯人は現場の責任者をしている平民上がりの役人で、末端に至るまでこの国は腐っているということになる。
今のアリアがどれだけ私財を投じようとも、民に反映されることはないのだ。
王座がアリアのものになってから、この国での暮らしは苦しくなるばかり。アリアは直接市井に赴いたことはないけれど、アリアがこの国の国民に随分と嫌われているらしいということは知っていた。
アリアが命じた炊き出しもシェルターのことも、全部カリスト家の善行として民達には知られているということもあるのだろう。
我儘放題、贅沢三昧、その為にいくらでも税を引き上げている女王。それを嗜めて、民達の助けになろうとしている王配とその生家のカリスト家。
民達にとっては、アリアこそが諸悪の根源なのである。
……まぁ、何の心境の変化があったのか。それともカリスト家の人間ともあろうものが、長く過ごしているうちアリアに情でも抱くようになったのか。
最近のルイはそんな現状を変えようとしている節があって、よく父親であるロイド・カリストと揉めている様子ではあるけれど。
「いた、いたたたたたたっ!ちょ、アリア、アリア!君の侍従、ちょっと手当てが乱暴過ぎないかい!?」
「そう?ジャックは手先が器用な方だし、手当てだって得意なものよ。お兄さまが単に痛みに慣れていないのもあるんじゃないかしら」
「いやいやいや、見てよこれ!思い切り患部を押されてるから!」
「あー。申し訳ありません王配殿下。尊い方の傷の処置など経験がなく、つい手に震えが……」
「うわぁ、すっごい棒読み。流石に不敬じゃないかなぁ!?」
「今の聞いたかい、アリア!」と涙目でアリアを見上げるのはルイ・カリストであり、その腕は見事に紫色に腫れ上がっている。
どうやらロイドと言い争いをしているうちに階段から落ちてしまったらしい。
階段から落ちたにしては腕一本の負傷で済んだので、その辺りは運が良かったと言えるだろうか。打ちどころが悪ければ、それこそ頭でも打っていれば死んでいてもおかしくない。王配が父親との喧嘩騒ぎの末、階段からの転落死なんて洒落にならない大問題である。
もちろん、『王配が父親との喧嘩騒ぎの末、階段から転落して負傷』というのも中々のスキャンダルであるのだけれど。
ルイが王室の侍医に頼まずアリアを頼ったのも、そういう事情が大きかったからである。
王配であるルイと、ただの貴族であるロイド。身分の上ではルイの方が有利に思えるけれど、ルイは長らく、ロイドの望む通りに政治を動かしていた。
影響力においてはロイドの方が余程大きく、ことと次第によってはルイの方が追い詰められかねない。幸いにしてルイとロイドの諍いを見た目撃者は居らず、だからこそルイも今は穏便に、こうして事態の隠蔽をはかっているのだ。
単に階段から落ちて怪我をした、という嘘を吐く手もあった筈なのにアリアを頼ったのも、怪我の事実を利用して静養だ何だと政治の場から追い出されることを懸念したのだろう。
「それで、今回はどうしたの?最近お兄さまと公爵の喧嘩がますます増えていたのは知っていたけれど、まさかこんな大怪我にまで発展するなんて。そもそも、どれだけ大きな言い争いになったら骨を折る羽目になるの」
「それはもちろん、父上の性格が悪いせいだよ。あとは遅れてきた反抗期のせいか、この頃どうにも父上が気に食わなくて。今回の喧嘩は……。政治の話で、ちょっと意見がぶつかり合ってね」
「ふうん……。具体的には、どんな意見でぶつかり合ったの?」
「些細なことさ。骨を折ったら忘れてしまった」
ルイはそう言ってからからと笑った。後ろの方で一纏めにされた、いつの間にか随分と伸びたブロンドの髪が小さく揺れる。
誤魔化されたのは、ロイドの本性や企みを、表向きにはロイドを随分と信頼していることになっているアリアに知らせない為か。それともそこから芋蔓式に、自分が過去にしてきた悪事を知られることを恐れているのか。
しかしまぁ、生憎アリアもルイの考えている通りの箱入り娘とは少し違うのだ。ある程度予想は付いている。どうせこの間正式に決まった『主権一統法』のことで揉めたのだろう。
ルイがこの法律を随分と嫌がっているようだということは知っていた。正確には、この法律で権力を増したアリアが何も知らない内に、ロイドに利用され使い捨てられることを憐んでいるようなのだ。
主権一統法。
二年近く前、アリアが14歳だった時、アントレイ伯爵に働きかけて成立を約束させた法律である。
王国における主権を唯一の王冠に帰属させると明文化した、絶対王政回帰のための根本法。長年、諸侯貴族に分散していた権力を再び王権に統合することを目的とする法律で、これが成立した暁には、この国において王とは神にも等しい存在になるということだ。
王がカラスを白と言えば白になるし、白い薔薇を赤といえばペンキで塗り替えてでも色を変え、「何時は罪ありき」と宣言すればどれだけ罪のない人間であろうと一発で罪人に出来る。
実に便利な法である。
アリアが16歳、つまるところこの国で定められた成人を迎えるまであと一ヶ月。
つまりアリアは16歳になった瞬間、未成年だったからと制限されていた権力の全てを取り戻して、ついでに絶対王政まで手に入れられるということだ。目指していた通りの、実に理想的なスケジュールである。
この法の成立が多少遅れることも視野に入れていたけれど、案外奔走すれば何とかなるものだ。
アントレイ伯爵は実によく働いてくれた。ロイド・カリストの右腕として振る舞い、元王権派達の反対が少ないのはそれだけ伯爵が手段を選ばず彼らの『説得』に当たったからだと説明したのだ。
あまりに順風満帆だとロイドが勘付くかもしれないと、アリアが定期的に食事に毒を盛らせたり、馬車の車輪に細工をされているようなふりをしていた、ということもあるのだろう。
ロイドはすっかり『元王権派達は必死に抗っているが、それを押し退けるほど有利な立場に自分はある』と誤解して高笑いして、積極的に法の整備を行ってくれたものだった。
アリアを使って、目障りな政敵を殺して回れるのが楽しみだとでも言いたげに、実に上機嫌な様であった。
ロイドはそれが自らの首を絞めることになっているとは、微塵も思わないままだったのだ。
全くもって滑稽なものである。
「そう……。まぁ、お兄さまが話したくないのなら、無理には聞かないわ。私も大人になったのだもの」
事情は大体知っているから、とはもちろん言わず。成人を間近に控え、意気揚々と大人ぶっている少女の顔をしてアリアは言った。
するとルイはすっかり感じ入った様子で、「……助かるよ」と噛み締めるように微笑んだ。
「それにしても、腕、腕かぁ……。しくじったな。どうせ折るなら足にしておけば良かった」
「あら。そこは階段から落ちたのに、腕だけで済んでよかった、じゃなくて?」
「それはそうだけど、こんなんじゃ碌に針も持てないじゃないか。あーあ。折角東洋から質の良い生地を仕入れたのに……」
「もう、お兄さまって本当に帽子が好きよね。でも今はそれよりも、骨がくっつくまでどうやって人の目を誤魔化すか、を考えた方が良いのではなくて?」
「あー……。うん。でも大丈夫だよ、きっと。普段通りに振る舞っていればどうせバレやしないから。公の場で僕がすることなんて、王配の椅子にジッと座って口を動かすことくらいだし。まぁこの添え板を隠す為に、多少の厚着は必要かもしれないけどね」
ルイはそう言うとひょいと肩を竦めて見せた。
アリアはそれに「もう」と仕方のないような声。くすくすと肩を揺らして笑いながら、ねえ、お兄さま、と静かに思う。
私は貴方が思うほど子供ではないし、物を知らないわけでもない。
何も知らせないまま、仮初の平和や幸福に包まれているまた守ろうとしてくれている子供は、けれどお前が両親の死に加担していたことも知っているし、父と母を殺されたあの日からいつだって、お前達の首を切り落とすことだけを考えて生きてきたのよ。
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「良いかい、アリア。命というのは尊いものなんだよ。悪戯に奪ったりしては、それこそ神様が怒ってしまうんだ。アリアは心優しい女王陛下だろう?だからね、命を大事にしようね」
と、いうのがここのところのルイの口癖であった。もっと言えば、その口癖には「あと、父上はすっかり時代遅れの老人だから、あの人の話は話半分に聞くと良い。というか絶対に信じなくて良いよ」という言葉が続く。
更には「僕と父上どっちが好きだい?」と駄々っ子のようなことを言い出して、何とかアリアがロイドの言いなりにならないように一生懸命であることが窺えた。
まぁ、アリアは元々ロイドに利用されるつもりなどさらさらなかったので、実際には全部無意味なことなのだけれど。
「全く、王配殿下にも困ったものです。あの歳になって親に反抗するなど、なんとみっともない……」
「お兄さまはきっとお疲れなのよ。この間も私の食事に毒が盛られていて……。銀食器をスープに浸した瞬間変色したの。色々対処にお疲れなんだわ」
「ご事情は理解しております。が、当の女王陛下ご本人がこうもしっかりなされているというのに、大の男がああも不安定になるのもいただけない」
「あら。私だって本当はとっても怖いのよ?信頼出来るひとが、お兄さまや侯爵が居るから強がっていられるだけ」
「何と……。勿体無いお言葉です」
身体を震わせて、いっそ芝居じみている程に大袈裟な仕草でロイド・カリストは感激してみせた。
アリアは両手で持ったティーカップ。普段はきちんと片手で持っているのに、ロイドの前でだけ両手で持つことにしている、わざとらしい幼い仕草でくすくすと笑う。
ロイドはアリアが子供らしければ子供らしいほど、アリアを侮ってバカにしてくれることを知っているのだ。
「大丈夫よ、侯爵。きっとお兄さまだってすぐに分かってくれるわ。私の食事に毒が混ぜられないようになって、私達に危害を加えられる人間が誰も居なくなれば、私達が正しかったって分かってくれる。そうでしょう?」
「ええ、ええ!本当に女王陛下はご聡明で、わたくしの息子よりも余程大人びて見えますな」
「もう、侯爵ったら。でもこれも全部侯爵のお陰なのよ?小さかった私を大切に守って育ててくれて、色んなことを教えてくれたわ」
「あの頃の女王陛下は本当に幼くいらして、どうにも放っておけなかったのです。このままでは心無いもの達に良いようにされてしまうと思うと、どうしても……」
「心強かったわ。今だってそう。私が本当に信用出来るのは、侯爵やお兄さまだけよ」
信頼を込めるようにして微笑むアリアに、ロイドは「そうでしょうとも」と頷いた。城のもの達は信用ならない。真に信じられるのは自分達だけだと、幼いアリアに何度だって繰り返したのもロイドである。
「信じているわ、侯爵。だから侯爵も私を信じて。私が真に女王になれた暁には、きっと私達の敵を殲滅してみせるから」
褒められるのが大好きで、自分の考えなんて何一つないような無邪気な子供みたいな顔。そうやってアリアは、ロイド・カリストに対して、一つの頼みごとをしたのである。




