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アリア・ローズは、正しく悪夢のような女王だった。
傲慢で尊大でとにかく我儘。
贅沢好きで、金銀宝石をあしらった宮に住んでいた。享楽に溺れ、圧政を敷き、逆らう者は祖母の代から仕える重臣であれ容赦をしなかった。
彼女が最も好んだ処刑法は、ギロチンによる斬首刑。
彼女が女王の座にあった期間は十年。けれどその十年で3000人を殺した。正真正銘の殺戮者。
赤い薔薇のような髪を持つ女。酷い女だった。国中に憎まれた悪女だった。
だけど同じくらい、国を愛した女王でもあったのだ。
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物心が付いた頃から、当たり前のように別の世界の知識があった。恐らくは輪廻転生、前世の記憶と呼ばれるものの類。
モントタルテ王国第一王女、アリア・ローズは前世、地球という星の日本という国で生きていた少女であったのだ。
若くして死んでしまったことは覚えている。
一生の殆どを病室で過ごし、父や母とはあまり会っていなかったことも。
裕福な家庭であったはずだが、前世のアリアがそれを実感出来ることは、入院費の支払いが滞らなかったことくらいであった。健康な弟がいて、両親も祖父母も跡取りであるあの子にかかりきりだったのだ。
家族を恨んだことは無かった。けれど、寂しかったことは否定できない。同じ病院、入院している子に会いに来たのだろう人達を見るたびに落ち込んだことなら何度もある。
だから、生まれ変わったと気が付いた時には本当に嬉しかったのだ。
健康な身体、優しい家族。歴史ある大国の、それも王族として生まれたことよりも、アリアはこの二つの方がずっと嬉しかった。
だって今のアリアは野原を思うままに駆け抜けることが出来るし、前世では知らなかった吹き抜けるような青空の下にだって立てる。雪の冷たさ、暑い夏に触れる氷の心地よさ。アリアにとっては全てが未知で、全てが美しさに満ちていた。
今のアリアはすっかりお転婆娘で、だけど家族はそんなアリアをあたたかく愛してくれた。
母は「あらあら」と優しく微笑み、父も基本はおおらかに構えている。流石にアリアが木登りに挑戦した時には青褪めて「そのままそこに居なさい!」と追いかけてきたけれど。アリアを回収した後はちょっと怒って、「無事でよかった」と抱きしめられたのを覚えている。だってびっくりしたのだ。
前世のこともあり、アリアはそれまで家族に心配されるという視点がすっかり抜けていた。
でも、国王であるにも関わらず、自ら木に登ってアリアを追いかけてくれたお父様。ドレスの裾を持って駆け寄って、「怪我はない?」とアリアの顔を揃えた指の甲で撫でながら確かめてくれたお母様。
お父様やお母様が汗をかいたところを見たのも、この時がはじめてだった。
驚いたのだ。びっくりしたのだ。怒られて、けれど、でも怖くも悲しくもなかった。これからはもう危ないことはやめようと思って、だってすごく嬉しかったのだ。
こんなに自分を大切に思ってくれる両親がいるなんて、アリアにとっては奇跡にも等しいことだったから。
「お、とう、さま?おかあ、さま……?」
だけど、アリアが8歳になった頃だった。
お父様とお母様は死んでしまった。アリアの目の前で、胸を貫かれてしまったのである。
剣を持って刺客に立ち向かい、アリアとお母様を逃がそうとしたお父様。多勢に無勢で殺された。アリアを庇うようにして抱きしめてくれたお母様。背中を切られ、アリアを抱きしめたままの姿で死んでしまった。
「………あ、ああ、あああっ!」
お父様の赤い髪の先から、ポタポタと同じ色が落ちていた。お母様の綺麗な淡い金の髪は、べったりと血の色で汚れていた。
ありあ、と。二人とも、アリアの名前を呼んで死んでいった。
「いやあああああああっ!!!!」
夜の遅く、星祭りの日。アリアが強請って、両親と一緒に寝る約束をしていた。温かなミルクを飲んで、お菓子を食べて、バルコニーから星を見上げようと約束していた。けれどそうはならなかった。
寝室に入り込んだ何者か達は、両親を、国王夫妻を襲ったのだ。アリアは見逃されて、ただ一人遺されたのだ。
駆け付けた騎士達に保護されて、アリアはそれから両親と引き剥がされてしまった。「お母様、お父様!!」と泣いて縋り付こうとして、寝支度の上にガウンを羽織った乳母に「なりません王女様!!」と羽交締めのように抱きしめられて止められた。
「いや、いやっ!!お父様、お母様!!ちがう、違うの、だってまだあたたかくて、離して、離してよぉっ……!!」
アリアの身体中、べったりと付いた血の生温かさが怖かった。割れた窓から吹き付ける風にさらされて、冷たくなるのが怖かった。
最期に抱きしめてくれたお母様は、だって、いつもと同じようにあたたかくてふわふわとしていて、花の香りを纏っていたのに。お父様は少し前まで、アリアのミルクにマシュマロを入れて「ほら、美味しくなった」と笑ってくれていたのに。寝る前に甘いものを食べ過ぎるのは良くないけれど、今日だけは特別だって頭を撫でてくれたのに。
悪い夢を見ているみたいだった。
だけどこれはどこまでも現実で、お父様もお母様も本当に死んでしまったのだ。黒いドレスを着せられて、両親が棺に納められるところを見た。まだ喪服も脱いでいない臣下達が、当たり前のように「即位式の用意をしなければ」とアリアに傅いてきた。「全て私共にお任せを、王女様はただ、我々の象徴として構えてくださればよろしい」と。
悍ましい笑みだった。ああ、と思った。そうか、と思った。頭の奥が冷えるような感覚。だけど心臓は不思議と沸騰したように熱かった。
お父様もお母様も、こいつらが殺したのだ。
何十年も前に流行った疫病。他の王位継承者が死んで、弱冠13歳にして王座に就いたアリアの祖母。本来は王になる予定などなかった、七番目の娘。
右も左も分からない少女は、貴族達にとって大層御し易かったのだろう。富と権力を好む者が真っ先に少女を丸め込み、王城にはあっという間に不正が横行した。
お父様は、そんな現状を変えようとしていたのだ。いつかアリアに受け渡す王座だから、少しでも綺麗にしておくんだと笑って。不正を正し、本来あるべき政治の姿を取り戻そうとしていた。
だから殺されたのだ。アリアが見逃されて生き残ったのは、アリアを祖母のようにする為だったのだろう。
彼らはアリアが祖母の二の舞になることを望んでいたのだ。
目の前で両親を殺された8歳の女の子。政治のことなど分かるはずもない。そんな気力があるはずもない。アリアは彼らにとって、最も理想的な傀儡の王だった。
王国歴800年、8月10日。
モントタルテの王国に新しい女王が即位した。齢8つの新女王。アリア・ローズ。
後世にまで名を残す処刑の女王は、こうして誕生したのである。




