第4話 ゴースト(元バリキャリ)、出社する!
月曜日の朝、商社のオフィス。自分のデスクに座る恵、週末のゴーストとの遭遇で頭がいっぱいだった。
(ゴーストと同居するなんて...)
まだ現実感がない。
昨日の夜も、市子は普通にリビングでテレビを見ていた。壁を通り抜けたり、瞬間移動したりする以外は、ごく普通の人に見える。
恵は仕事に集中しようとしたが、どうしても市子のことが気になってしまう。同僚たちが話しかけてきても、上の空だった。
(こんな時はまず整理整頓で気持ちをクリアにしよう)
恵はパソコンのデスクトップ整理を始めた。用済みのファイルを削除していく。ゴミ箱の中身も空にした。
「よし、これでスッキリした!
さあ、仕事、仕事、集中、集中」
恵は深呼吸をして、業務に取りかかろうとしたその時だった。
「春日さん、プレゼンデータ、もう一度プリントしてくれない?」
山田主任が恵のデスクにやってきた。
「金曜日に渡しましたよね?」
恵はきっぱり答える。
「うーん、もらった気もするけど……見当たらないんだよなぁ」
主任は腕を組み、探す素振りも見せない。
「捨てるはずはないんだよ。大事なプレゼンなんだから。
まさか春日さん、渡したあと安心して削除しちゃったとか?」
わざとらしい疑いの視線。
「そんなはず……」恵は言葉を詰まらせた。
「だからさ、結局もう一回プリントしてよ。君が作ったんだし、すぐでしょ?」
主任は“僕は悪くない”オーラを漂わせながら、当然のように言い放った。
(あっ、さっき捨てたプレゼンファイルだっ。
しかもゴミ箱からも消去してしまったフィルだ)
ゴーストのことで頭がいっぱいで、山田主任に渡したからもういいやと削除してしまったのだ。
恵は別に悪くないはずだが、(あっ)という顔は、(しまった)という顔に見えたらしい。
山田主任は、畳み掛けるように
「僕に渡したからと言って、まさか、あのファイル捨てちゃったりしてないよね。後で変更が入ることもあるんだから」
若干声が大きくなってきたので、同僚たちも、佐々木部長も心配そうにこちらを見ている。
新人の佐藤くんが「大丈夫ですか、春日さん?」と心配そうに声をかけてくる。
恵は約束するしかなかった。
「明日までに必ず作り直します!」
一週間かけて作ったプレゼン資料を、一晩で再現しなければならない。
(どうしよう、一晩でやるなんて言ってしまったけど、絶対ムリ!)
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その日の夜、恵は仕事を持ち帰り、記憶を頼りにプレゼン資料の再作成に取りかかっていた。
(あのグラフのデータは? 確か去年の売上が...)
パソコンに向かいながら、恵は必死に記憶を辿っていた。でも、どうしても思い出せない部分がある。細かい数字や、グラフの色使いなど、完璧に再現するのは困難だった。
(先週作った時ほどの自信作にならない...)
恵の表情は暗かった。
市子が心配そうに現れる。いつもの紺のスーツ姿で、リビングの椅子に座る。
「どうしたの?何か困ってるの?
困ったときは頼りなさいって言ったわよね」
「プレゼンデータを間違って消しちゃって...」
恵は説明した。
山田主任にはプリントしてちゃんと渡したこと。
多分山田主任が書類の置き場所を忘れていること。
探すのが面倒になって、もう一度よこせと言っていることを。
市子は、なーんだという顔をする。
「私も会社勤めが長かったから分かるわ」
市子は法律事務所で働いていた経験を思い出した。
「書類をなくしたとか見つからないとかいい出す人がどこにしまうかなんて、だいたい見当つく。
明日朝早く、一緒に会社で探しましょう」
「本当ですか! 大丈夫なんですか?」
ガッツポーズを取る市子。よっぽど自身があるというか、よっぽど同じ経験を積んでいるらしい。
「でも、ゴーストが会社に来るなんて...」
「大丈夫よ、誰にも見えないし。私に任せなさい!」
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翌朝、オフィス。誰もいないデスクの並ぶ中、市子は腕を組んで山田主任の机を見下ろした。
「ほら見て、書類の山。整理下手な人間の典型ね。積むだけ積んで、いざ必要なときは“ないない騒ぎ”。」
「……分析はいいから、早く!」
恵がせかす。
市子は机の引き出しを指差した。
「絶対ここ。
こういう人、いちばん奥に大事な書類を突っ込んで忘れるの。
ゴーストの勘じゃなくて、経験則だけどね」
恵は引き出しを開けて探す。しかし見つからない。
「ないですよ!」
市子はふっと笑った。
「じゃあ次はロッカーだ。
一番下の段の……手前よ。奥じゃなく、なぜか“目立つ場所”に置いて自分で見落とすのがパターンなの」
恵が言われるまま開けると
「あった!」
恵は声を上げた。
「ほらね。これだから生きてる人間は面白いね」
市子は得意げに胸を張った。
朝9時、山田主任が出社してきた。
「書類ありましたよ」
恵は発見した書類を手に持って報告した。
「今度からちゃんと探してくださいね」
恵は恩着せがましくならないように、しかし少し強めの口調で言った。
市子のおかげなのだが、堂々としている。
「あ、そうだったんだ...ありがとう」
山田主任は多少バツが悪そうな表情を見せたが、平然と受け取った。
(いるんだよなー、ちゃんと謝れないやつ)
市子は恵に目配せして、それから笑った。
もちろん、市子のことは誰も知らない
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午後、新人の佐藤くんが恵に話しかけてきた。
「春日さん、山田主任にビシッと言ってましたね。
なんか、頼れる先輩って感じです。
何かコツでもあるんですか?」
恵は市子のことを思い浮かべながら答えた。
「えーっと...心強いパートナー、いや、心の支えがいるの」
「どんな方なんですか?」
佐藤くんは興味が湧いたようだ。
「ちょっと変わった人だけど...とても頼りになる」
まさかゴーストとは言えない。もし言ったとしたら、ちょっと変わった人とは恵のことかと言われてしまう。
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その日の夜、恵のマンションにて。
「お疲れ様。うまくいったじゃない」
市子がゴーストじゃなかったら、二人は祝杯を上げているに違いない。
「本当にありがとう!」
「私一人だったら、大変なことになってた」
市子は法律事務所時代の思い出を語った。
「法律事務所にいた時、書類整理が下手な弁護士がいてね。
いつも『資料がない』って騒いでたけど、結局本人のデスクから出てくるの。
これからも、遠慮しないで頼りなさい」
(このゴーストさん、案外頼りになるかも!)
恵は妙な安心感を得た。
(市子がいてくれるなら、どんなことでも乗り越えられそう)
恵は、まだ市子のことをなんて呼ぶのか、慣れていないようだ。
「恵ちゃんも、今度は一人で対処できるわよ」
新たな関係性が確立された。お互いを必要とする、対等なパートナーとしての関係の芽生えだった。
「これからもよろしくね」
恵と市子は微笑み合った。
(市子さんがいてくれるなら、どんなことでも乗り越えられそう)
恵は妙な安心感を得た。
そんな時、恵の携帯電話が鳴った。
「そういえば、母から相続の件で相談があるって連絡が。
「今度の週末、実家で親戚が集まるって」
市子の目が興味深そうに光る。
今度はどんな問題が待っているのだろうか。




