第3話 オーマイゴースト!私の同居人?
「泥棒!?強盗!?」
恵は震える手でスマホを探す。110番通報しなければいけないと思ったが、スマホが見当たらない。昨夜のパーティで、どこに置いたのかを覚えていない。
「あー、おはよう。驚かせて悪かったね」
市子は全く慌てる様子もなく、再びコーヒーカップを手に取った。その落ち着きぶりが、かえって恵を混乱させる。
「何度も言うけど上田市子。このマンションの元住人よ」
「泥棒じゃないから、まあ落ち着きなさい」
「元住人って、どういうことですか?」
恵は困惑した。元住人がなぜ家の中にいるのか、全く理解できない。しかも、堂々とコーヒーまで飲んでいる。
「1年前にこの部屋で事故死したのよ。厳密に言うと、ゴーストね」
市子は淡々と説明した。まるで天気予報でも話しているかのような、自然な調子だった。
「ゴースト...?」
恵は現実逃避を始めた。
(まだ寝てるのかも。悪い夢よ、きっと)
恵は目をこすってみたり、頬を叩いてみたりした。でも、目の前の女性は消えない。それどころか、美味しそうにコーヒーを飲み続けている。
「夢じゃないわよ。私はゴーストとして存在してるの。
と言ってもあなたにしか見えないけど」
市子は苦笑いを浮かべた。
恵はおそるおそる市子に近づく。市子の方に手を置こうとする。しかし、素通り。
「きゃぁっ」
「だからゴーストだって」
全く動じない市子。恵がどんな行動に出るのか、おおかた予想がついている。
「ほら」
今度は市子が恵の肩に手をかける。素通りしてしまう。
びっくりしてのけぞる恵。
市子はそれを楽しんでいるかのよう。
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恵はようやく現実を受け入れ始めた。
すると新たな疑問が湧いてきた。
「いつまでここにいるつもりなんですか?」
市子は重要な告白を始める。
「実は私、成仏してないからここにいるのよ。
そしてあなたが幸せになるのを見届けたら成仏できる。
そういうミッションが与えられているのよ」
恵は衝撃を受けた。
「私が幸せにならなきゃ、ずっと居座るつもり?!
って、私って今不幸せなんですか」
市子は首を振った。
「私は、ミッションを与えられただけだから、よくわからないけど。
うーーん、見たところ不幸って感じじゃないわ。
でも幸せ絶頂って感じでもない。可もなく不可もなくかしら。
つまり、今よりもっと幸せになって、ということじゃない!
お互い頑張ろうよ。
あなただって今より幸せになるんなら、問題ないでしょ」
恵は現実的な問題を考えた。
(30年ローンが...
今さら引っ越しなんてできない。
引っ越し先も当てなんてないし)
引っ越し費用、新しい物件の敷金礼金、そして何より、やっと手に入れた理想の部屋を手放すなんて考えられない。
恵はしぶしぶ決断した。
「とりあえず...しばらく様子を見ます」
「よろしく、恵ちゃん」
市子は満足そうに微笑んだ。
「でも、何かあったら出ていってもらいますよ。
私こそが、ここの正規の住人なんですから」
(まさかゴーストと同居することになるとは。
これこそが、私って不幸なことなんじゃないの)
恵は深いため息をついた。
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そんな苦悩を知ってか知らずか、おそらくは思いもしていないだろう市子は、自分の能力を自慢する。
市子は得意げにコーヒーカップを掲げた。
「ほら、小さいものなら持てるの」
「普通にお茶してる人にしか見えませんけど」
恵は冷静なツッコミ。
「じゃあ、これなんかどう?」
市子は壁に向かって歩き、そのまま通り抜けて消えた。隣の部屋から「おーい」と声がする。
「ぎゃあああ! どうなっているの?」
恵が腰を抜かすと、市子は何食わぬ顔でドアをすり抜けて戻ってきた。
「ドアは開けられないのよね」
「いや、戻るならドアじゃなくてまた壁から戻ってきなさいよ!」
「次は瞬間移動!」
「もうやめて!」
市子はベランダの外を指さした。
「見ててね。公園のあのベンチに――」
行きがかり上、恵はベランダに出てみた。
次の瞬間、市子の姿が消え、公園から「おーい」と手を振っていた。
(さっきまでここにいたのに!!)
恵はもう何も言えない、受け止めるしかない。
だって、否定するなら、自分が出ていくしかないからだ。
そして、二人の間で、このおかしな同居のルールが次のように決まったのだった。
・知らない人の前では必要がない限り姿を消す。
恵以外の人には見えないが、誤って恵が声を掛けるかもしれないから、その用心なのだ。
・恵の邪魔はしないこと。
まだ知り合った?ばかりだから、恵は要求したが、もちろん、市子はそんなつもりはまったくない。
・困った時は遠慮なく市子を頼ること。
これは市子が強く要求したが、恵は今のところ頼るつもりはない。だってさっき知り合ったゴーストに、どうやって頼れっていうのよ、と思っているが、話がややこしくなるより、黙って受け入れることにしたのだ。
ただ、このルールは後に、恵にとって、一番役立つルールになる。ただし恵はまだなんとも思っていない。
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少しずつ冷静な気持ちを取り戻し始めると、恵は根本的な疑問を投げかけた。
「そもそも、なんで私を幸せにしたいんですか? 会ったばかりなのに」
市子は遠い目をした。
「……父がね、こっちの世界から教えてくれたの。
私がこの部屋に執着して成仏できないのと同じで、次に来る人も執着が強くて幸せをつかみにくいらしいの」
「それが私ってわけですか」
「そう。だから“その人を幸せにしてやれ。それが成仏への道だ”って」
恵は息をのんだ。
市子は静かに続ける。
「だから、あなたが幸せになることが、私にとって唯一のミッションなの」
それから市子はマンション購入に至る、様々な事情や購入後の計画を語り始めた。42年間の人生で、ようやく手に入れたマイホーム。それが一日も住むことなく終わってしまった無念さ。
恵は共感した。
「市子さんも『一国一城の女主』だったのね。
「同じ気持ちだったんだ」
二人の間に、不思議な連帯感が生まれた。年齢も境遇も違うが、同じ夢を抱いていた女性同士として。
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二人は明日からの生活について話し合った。
「明日から仕事なんですけど...市子さんがいること、バレませんよね?」
恵は心配になった。職場でゴーストの話なんてできない。
「あなたさえ、黙っていれば大丈夫よ。用がない限り出てこないし、出てきても他の人には見えないし」
(そんなに悪い人? いいえ、そんなに悪いゴーストじゃなさそうだし、考え方を変えれば、頼もしい同居人かも)
法律事務所で働いていたという市子は、いかにもバリキャリだし、いろいろなことに詳しそうだ。
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市子も決意を固めていた。
(恵ちゃんの幸せのために、精一杯お手伝いするわよ。
一刻も早く成仏しよう。
そしたらマイケル・ジャクソンに会えるかも!)
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穏やかに夜が過ぎていく。恵は新しい生活への決意を固めた。
田中に別れを告げられた傷も、少しずつ癒えてきたような気がする。新しい環境で、新しい自分になれるかもしれない。
「明日から心機一転、仕事も頑張る!」
市子は温かく応援した。
「その意気よ!何かあったら私に任せなさい」
それが二人の同居生活の始まりだった。
市子がいてくれるなら、どんな困難でも乗り越えられそうな気がした恵だった。
そして、早速、その困難に出くわすのだった。




