第16話 市子!今日も頑張るね!!
週末の夜9時。
今日の恵は山岡の家ではなく、自宅のマンションに帰宅した。
通勤2時間と慣れない環境での生活に疲労困憊している。服も着替えずに、そのままベッドに倒れ込むように眠ってしまった。
市子は恵の疲れ切った様子を心配そうに見守っていた。先日の大喧嘩をまだ引きずっているが、恵の体調を気遣う気持ちは変わらない。
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翌朝、カーテンの隙間から朝日が差し込んできた。目覚ましのアラームが鳴るが、恵は気づかない。
アラームは一旦止まって、再度鳴り出した。
恵はようやく起き出してアラームを止めた。
スマホで時間を確認すると「やばい、遅刻する...」と慌てた。
市子は呆れたような声をかけた。
「お疲れのようね、いい加減諦めたら」
恵は目を合わさず、ふてくされている。
「全然平気。これから山岡の家に行って、空気を入れ替えてくるわ」
市子は恵の頑固さに呆れ果てた。
二人とも、意地を張り続ける関係が続いていた。
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同日午前、久美子の自宅に弘からの電話があったのだ。
「久美子、ちょっといい?雅夫兄さんとも話したんだけど」
弘は心配そうな声で切り出す。
「恵の誠の代役宣言は、撤回してもらおうよ。
そんなこと誰も期待してないし。
そんなことさせたら、俺たちが恵に申し訳ない」
弘は久美子に依頼した。
「久美子から説得してくれないか。
恵には母親から言われるのが、いちばん受け入れやすいだろうから」
久美子は同意した。
「私も全く同じ気持ちよ。
ただ、恵は一度思い立ったら頑固だし...
やってみるけど、期待しないで。
今夜、電話してみる」
しぶしぶ承諾するが、自信はなさそうだった。
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その日の夜、マンション。
恵は再び疲れ切って帰宅し、リビングのソファに座ってため息をついた。
「もう限界かも...」
そこに久美子からの電話が入った。
「お母さんからだ」
恵は力なく電話に出た。
「恵ちゃん、ちょっと大事な話があるの。
雅夫兄さんも弘兄さんも、すごく心配してるのよ。
『恵にそんな負担をかけるつもりはなかった』って。
『誰もそんなこと期待してない』『申し訳ない気持ちでいっぱい』だって。
私も同じ気持ちよ。恵が無理することない。
家族みんな、恵の幸せを一番に願っているの」
恵の心境が変化し始めた。
「みんな...そんなふうに思ってくれてたんだ」
恵は徐々に声が小さくなっていく。
電話を切った後、力なくスマホをテーブルに置いた。
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市子が恵の落ち込んだ様子を見て、そっと現れた。
「恵...」
市子は優しい声で呼びかけた。
「家族に心配かけちゃったね。
みんな恵のことを大切に思ってくれてるのね」
「私、何やってたんだろう...」
恵の感情が爆発した。涙がこみ上げてくる恵。
市子は恵を優しく抱きかかえた。
背中をぽんぽんと叩く。
「泣きたいだけ泣きなさい。
そして、今日を最後にして」
恵はしゃくりながら肩を震わせた。
「私が成仏しても、二人が別れるわけじゃないのよ。
あなたの心の中に私はずっと住み着いているよ」
ようやく二人は和解した。
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翌日、山岡の家。
今日は恵と市子の二人そろってやってきていた。
恵は宣言した。
「誠叔父さんの失踪先をとことん調べるわよ」
手分けして捜索を開始した。
恵が手当たり次第にタンスや机を引っ掻き回す。
一方で、市子は特有の気配察知能力で怪しい場所を探していた。
「恵、ベッドの下に何かある」
市子が発見した。
枕元と壁の隙間から旅行パンフレットが出現した。
「温泉巡りの旅?」
パンフレットにはボールペンで丸印がついていた。これが手がかりになりそうだった。
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「パンフレットの行程を全部チェックしてくる」
市子は能力をフル活用した捜索を開始した。
市子は瞬間移動で1箇所目の温泉地へ向かった。温泉地に突然現れた市子は、キョロキョロと辺りを見回し、誠がいないと確認すると、すぐに次の地点へ瞬間移動する。
ものの数秒で、その温泉地の名所スポットを一巡りしてしまう。
5秒で恵のもとに市子が戻ってきた。
「どうだった!」
恵は目を輝かせてと聞いた。
「いなかった」
恵はわかりやすいほどがっかりした。
2箇所目も5秒で戻って「ここも空振り」と報告。
能力を全開で使っているのか、市子は息が荒くなっていた。
「少し休む?」
心配する恵。
「ダメよ、まだまだ続けるわよ!」
ゴーストの矜持にかけても休んでなんかいられない。
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その時、玄関のチャイムが鳴った。突然の来客に恵は驚いた。
ドアスコープを覗くと、見慣れない中年男性が真剣な表情で立っている。手には名刺が握られていた。
恵みはドアを開けた。
「宝来病院の事務長の加治屋と申します。
失礼ですが、あなたは?」
「姪の恵です」
「身分証明できるものはお持ちですか?」
「はい」
恵みは怪訝に思いながらもマイナンバーカードを提示した。
事務長は確認後、しばらく沈黙していた。
「...実は大変なことでして」
「大変なこと?」
「本来なら個人情報でお話しできないのですが...」
「何かあったんですか?」
「事が事だけに、ご家族にお伝えしなければ」
事務長は重大な事実を告白した。
事務長の説明によると、
誠に告知したがんの診断は、他の患者のデータと入れ替わった病院側のミスだった。
実際の誠の病状は初期段階で、適切な手術を受ければ完治の可能性が非常に高いという。
病院としては深くお詫びしたいが、誠本人と連絡が取れない状況で、家族を通じて正しい情報をお伝えしたく、直接訪問したとのことだった。
「それじゃあ、誠叔父さんは..。
命に別状はないということですね!」
恵と市子は安堵した。とても大きく安堵した。
同時に、誠の心境を思った。
(誠叔父さん、余命宣告を受けて、最後の思い出作りのつもりで温泉巡りをしていたのね...)
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市子は瞬間移動捜索を再開した。
「こうなったら、絶対見つけて、叔父さんを安心させなきゃ」
その結果。
3箇所目は「ここもダメだった」
4箇所目で「見つけた!
足湯に浸かってた!」
恵みはパンフレットを見ながら。
「でも明日は別の温泉地に移動するみたい」
久美子にも相談した結果、今から行っても間に合わないので、次の温泉地で待ち伏せすることになった。
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翌日、駅前。恵と久美子が先回りして、駅前のベンチで待機していた。
久美子は不安げに、恵は決起迫る表情で、駅を見ている。
「本当に来るかな...」
そこへ誠が現れた。のんびりした様子で温泉街を歩いている。
そして、誠のほうから、恵たちを見つけたのだった。
「あ、恵ちゃん、久美子姉ちゃん? なんでここに?」
「それはこっちの台詞よ!」
恵は嬉しさのあまり、声が大きくなった。
久美子は感極まって、誠に抱きついた。
誠はまだ事情がわからないので、困惑している。
恵が久美子を抱きかかえてベンチに座らせる。
「病院から連絡があったの。がんは間違いだったって」
「あなたは治る病気なのよ」
久美子はハンカチで目頭を押さえながら説明した。
「えっ?本当に?
それじゃあ僕は生きられるのか!」
誠は驚きと安堵を同時に感じていた。
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恵、久美子、誠の三人の絆が深まる様子を、市子は遠目で静かに見守っていた。
恵の家族問題も解決し、恵自身も成長し、幸せへの道筋が見えた。
「ミッション完了」
市子は小さく笑って、敬礼のポーズを取る。
光が市子を包み込む。輪郭が揺らぎ、透けて、空へと浮かび上がっていく。
「ほんと、最後まで世話の焼ける子だったわ。ま、合格点あげるけどね」
冗談めかした声が、柔らかい風に混じって消えていった。
このことを恵は気づいていない。
温かい風が頬を撫でていった。静かで美しい成仏だった。
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1ヶ月後のある朝、マンションにて。
目覚ましが鳴る前に、恵は自然に目を覚ました。
目覚めがとても良い。
ベランダから雀の鳴き声が聞こえる。軽やかな鳴き声だった。
ベランダに出る恵。
朝日が優しく恵を照らしている。
「今日も頑張るよ、市子見ていてね」
恵の表情は希望に満ちていた。気合を入れる恵の声は、どこかにいる市子への挨拶のようだった。
**完**




