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第15話 苦労を勝手にしょい込む女?

市子が薄くなるようになってから数日後の平日夜。恵のマンションのリビング。

恵は高木からのLINEを見つめていた。

「今度の週末、一緒に映画を見ませんか? レストランを予約しました」

ついこの前までなら飛び上がって喜ぶはずなのに、恵は喜んでいない、むしろため息すらついている。

返事を書いては消す。何度も何度も。

(嬉しいはずなのに、ちっとも嬉しくない...

市子さんがいなくなる...

それって、私の幸せと引き換えなの?)

恵の心は複雑だった。高木との関係が深まるほど、市子との別れが近づく。

(でも、市子さんを引き留めるために不幸になるなんて、本末転倒よね)

恵の心が晴れない代わりに、市子が明るい声で現れた。

「何、どんよりしてるの?

高木さんからのLINEでしょ?

いつもだったら、市子さーん、LINEが来ましたっ!て、わざわざ報告してたのに」

市子の能天気な明るさが、かえって恵をイライラさせた。

「...別に」

恵は市子を睨みつけた。


---


そんな時、母からの電話が、恵の迷いを吹き飛ばした。

「恵ちゃん、実は誠のことで心配になって」

久美子の声は困惑していた。

「昨日の夕方、誠から変な電話があったの。『久美子姉ちゃん、今まで何かとありがとう。俺は何もお返しできなくてごめん』って、まるでお別れみたいな口調で」

「え?確かに変ね」

「『何よ、改まって?』って聞いたら、『あ、ごめん、なんでもないよ』って一方的に切られちゃって。かけ直そうとしたら話中だった」

久美子は続けた。

「雅夫兄さんと弘兄さんにも確認したら、同じような『ありがとう』電話があったって。みんな気味悪がってる」

「でも今朝、誠からLINEが来て『昨日は変な電話してごめん。一晩気持ちを整理して落ち着いた』って。何があったのか全然分からないの」

「それで家を訪ねたんだけど、いないみたいで...

鍵がかかっていて、いないみたいなの。

近所の人に聞いたんだけど、最近見かけないって言うし」

恵は高木のことを忘れることができた。母からの電話のほうがずっと重要だ。

「それは心配ね。伯父さんたちは?」

「雅夫兄さんと弘兄さんにも連絡したけど、誰も誠と連絡取れてない。

どうしたらいいかしら?」

久美子の困惑した声に、恵は心配した。


---


夜11時、マンションのリビング。

恵は久美子の電話が頭から離れない。すっかり高木LINE問題は忘れている。

「恵ちゃん、大丈夫?

何か心配なことがあるの?」


(誠叔父さん、どこにいるんだろう…)

そう思いながらも、恵の胸の奥では一つの考えが膨らんでいた。

最初は、どうにか助けたい程度だったのに、考えれば考えるほど、私が守らなきゃという気持ちにすり替わっていったのだ。

突然、恵の頭の中で、ある考えが浮かんだ。

「そうだ、全部解決できる!」

恵は何かを思いついた表情で、その夜をぐっすり眠った。


---


土曜日朝9時、最寄りの不動産屋。

恵はきっぱりとした表情で店に入った。

そしてしばらくすると、今度は応接室で、恵が売却依頼書にハンコを押している。

「やっぱりアレですか?」

不動産屋の営業マンが書類を受け取りながら疑問を口にした。

「アレって?」

「あのマンション、出ましたか?」

営業マンは神妙な顔で尋ねた。幽霊の話をしているのだ。

「そんな事あるわけないじゃないですか。ステキなマンションですよ」

恵は笑いながら答えた。

「それに転落した人って、さっぱりした性格の、誰かに祟るようなことは絶対にしない人だったんでしょ」

営業マンは驚いた。

「えっ、お知り合いだったんですか?」

恵はまずいという顔で「いえ、いえ、多分そうなんじゃないかなって」

そして、恵は本心を口にした。

「私もホントは住み続けたいんですけど...

母の実家が急に家主不在になって、しょうがないんです」


---


土曜日朝10時、マンションのリビング。

恵はある企みのために市子に頼みごとをしていた。

「市子さん、誠叔父さんのこと心配だから、家の周りを調べてもらえる?

近所で何か手がかりがあるかもしれないし」

念押しすることも忘れず恵は市子に頼んだ。

「誠叔父さんのこと、ほんとに心配だから、聞き込みとか念入りにお願いね、

午後は私もいないから、夜にまた相談させて!」

「はい、はーい」

このところ、すこぶる機嫌の良い市子は、そのまま素直に出かけていった。

恵は市子に背を向けて、こっそりガッツポーズをした。

「作戦成功!」

作戦は、市子を午後は不在にすることだったようだ。


---


土曜日午後2時、マンションのリビング。

恵は緊急家族会議をリモート開催した。

参加者は恵、久美子(母の自宅から)、雅夫(東京)、弘(大阪)。

「突然集まってもらってすみません」

恵は冒頭から衝撃的な宣言をした。

「誠叔父さんのことで、大切な提案があります。

これからは誠叔父さんの代わりに、私が山岡の家を守ります。

マンションはもう売却中です。不動産屋さんと契約してきました。

近いうちに、山岡の家に引っ越します」

兄弟たちはものすごく困惑した。

「恵、ちょっと待て。そんな大げさな...。

誠のことは心配だけど、君が家を守らなくといい」

雅夫があわてて制止する。もちろん、弘も同意見だ。

恵は頑固に主張する。

「誠叔父さんが帰ってくるまでです。

それまで、私が責任を持ちます。

年3回の集まりも、私が企画します!」

もう、これで決まりと言わんばかりに、早々に緊急家族会議は打ち切り、恵は想像以上に、自分が会議をしきれたことに、自分の成長を実感した。

(これも、市子さんのおかげだわ)

---


翌日の日曜日午前10時、山岡の家。

恵はエプロン姿で家中の大掃除に取り組んでいた。

(誠叔父さんが帰ってきたとき、綺麗な家で迎えなきゃ!)

恵は一人で黙々と作業を続けていた。自宅でもやったことない勢いで、大掃除に取り掛かっていた。


そこへ、市子が瞬間移動で現れた。

「あんた、何やってんのよ!」

市子はすごい剣幕だ。

恵は完全に無視した。掃除の手を止めずに黙々と作業を続ける。市子の声が聞こえないフリをした。

恵は市子とまともに口論すると負けることが分かっているので、この戦略を取ったのだ。

「聞いてるの?

何でそんなことするのよ」

市子には、せっかく順風満帆だった恵の幸せを自分から壊そうとしていることが理解できない。

ソファ、テーブル、テレビ。目まぐるしく、恵みはハタキをかける。

執拗に恵の前に現れる市子。恵が移動するたびに恵の真正面にそれも至近距離で現れる。

こんなときゴーストは便利だ。

「無視しないで話を聞きなさい」

市子の執拗さに、無視作戦を忘れて、恵はつい反応してしまった。

「うるさい!

家族のことに口出ししないで」


怒った市子は、恵の頬めがけて手を振り下ろした。

しかし――手は空を切り、恵の頬を素通りしてしまった。

「……くっ!」市子は歯ぎしりした。

本気で叩きたいのに、叩けない。

本気で止めたいのに、止められない。


一方の恵は涙目なのに勝ち誇ったように叫ぶ。

「叩きたければ叩けばいいじゃない。私はほら全然平気、なんともありませーーん」とばかりに、恵は両手を広げて肩をすくめて市子を挑発する。


恵を睨み続ける市子。

「山田主任の時は『みんなで役割分担』って言ってたじゃない。

なんで今回は一人で全部背負うのよ」

市子の指摘は的確だ。

恵が学んだはずの教訓と正反対の行動を取っている。


---


市子は、少し離れて恵の大掃除ぶりを観察していた。

よく見ると、恵の肩が小さく揺れている。

恵の頬に涙が流れているのだ。

(私だって、わかっているわよ。

今私がやっていることは、誰も望んでいない苦労よ。

でも、私が困っていれば、市子さんはそばにいてくれるでしょ。

だから、しょうがないじゃない)

恵の涙は、大切な人を失いたくない子どものような必死さを帯びていた。


(もしかして...

ははーん、そういうことだったのね..)

市子は恵の本当の動機に気づいた瞬間だった。


---


「あんた、おかしいわよ。

私が成仏するのが嫌で、わざと苦労をしょい込んでる」

恵は掃除の手を止めて振り向いた。涙がまだ頬を伝っている。

「...そうよ。

市子さんがいなくなるのが嫌なのよ」

恵の邪心のない愛情に困惑した。

「でも、それじゃダメよ」

「ダメじゃない!

家族も助けられるし、市子さんとも一緒にいられる。

もう決めたことなの。

市子さんには関係ない!」

「恵のバカ!」


でも、もはや誰にも、恵を止められそうになかった。

市子も、この数ヶ月で、恵の頑固さを十分わかっていたからだ。


---


月曜日朝6時、マンション。

恵は山岡の家から出勤を始めていた。

通勤に2時間かかるので、早起きして、慌ただしく支度をしていた。

バタバタと準備する恵の様子を、市子は険悪なムードで見守っていた。

まだ怒っている市子は、「おはよう」も言わない。



---


通勤電車で。

恵は少し後悔の気持ちを抱えていた。

市子の成仏を拒んでいることへの罪悪感があったが、この苦労をやめることもしたくない複雑な心境だった。

(市子さんを怒らせちゃった...それもものすごく。

でも、市子さんがいなくなるのは絶対に嫌!)

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