第13話 恵のカレはチャラ男くん??
恵は、2ヶ月前に高木という35歳のIT企業のプロジェクトマネージャーと出会い系アプリで知り合って以来、交際を続けていた。
最初は慎重だった恵も、高木の誠実な人柄に徐々に心を開いていった。年上の落ち着きと、恵の意見を尊重してくれる姿勢が、田中とは全く違って新鮮だった。
ある土曜日の午後2時、上野の博物館前。
柔らかな陽射しが心地よく、多くの人々が休日を楽しんでいた。恵は待ち合わせ場所で、きょろきょろと辺りを見回していた。
「恵さん!」
聞き覚えのある声、それこそが高木大輔その人だ。
「待った?」
「ううん。今来たところ」
二人はそのまま博物館に入っていった。
---
二人の関係は、7歳差のカップルには珍しい。
「この時代の陶器の特徴は...」
高木が専門的なうんちくを語ると、恵も知識で返す。
「確か、地域ごとに粘土の成分が異なるんですよね」
「そうそう!」
互いに知的好奇心を刺激し合う、良い関係だった。
それは恵の元カレ田中とは大きく違う。
田中はいつも上から目線で恵の意見は聞かなかった。しかし高木と恵は対等な恋人関係だった。
「恵さんの視点、ときどきハッとします」
恵は高木の視線にときどきハッとしていた。
---
博物館を出ると、二人は近く寿司屋に向かった。すすめられるままにカウンター席に座る。
おすすめのお造りを食べて、いよいよ、お寿司を頼む段になると。
「俺はヒラメ、恵さんはどうしますか?」
「私はハマチで」
ハマチは脂が乗っているので、お作法的にはNG出そうだが、恵は気にしない。高木も寿司は食べたいものを食べたい順に食べたいだけ、という主義なので全く気にしない。
田中だったら、ここぞとばかり、受け売りのうんちくを述べたことだろう。
そんな二人だから、支払いも交互に済ますらしい。
ただし、高木は収入差を考慮して、支払う頻度で調整している。
「こないだは恵さんのおごりだったから、今日は俺が払うよ」
高木が支払いをしながら言った。
「ありがとうございます」
恵は素直に受け入れた。
寿司屋を出たあと、夜風に当たりながら歩いているとき。
恵はふと(田中といた頃は、いつも気疲れしていたな)と思い出した。
今は違う。ただ隣を歩くだけで、心がほどけていくような安心感があった。
(ああ、こういうのを“大人の恋愛”って言うんだ)
恵の頬は自然とゆるんでいた。
---
夜8時、帰宅した恵は上機嫌だ。
「今日も楽しかった!」
機嫌がいいとき(高木とデートするとだいたい機嫌がいい)は、市子に「今日の高木さん」情報を伝える。
市子は恵のノロケは一応最後まで聞くのが礼儀だと思っている。
「ふーん、そんなにいい人なの?」
市子は思い出していた。
二人が出会った頃に高木を尾行したことがあるのだ。その時、高木は会社の後輩の女の子には『俺の連絡先、LINEもインスタもTikTokも全部教えてあくからさ』が口癖になっていると高木の同期の女性たちがなげいていたこと。
高木のデスクに『モテる男の会話術』って本が置いてあって、しかも付箋だらけだったこと。
内心では(あのチャラ男がねえ)と思っている。
---
恵は何気なく言った。
「このままうまくいったら、結婚しようかな」
市子は驚いた。
(半分冗談だけど、半分本気かも?
あんなチャラ男と結婚なんて、とんでもない!)
しかし表面的には冷静を装った。
「まだ付き合い始めたばかりでしょ」
市子は恵の発言を軽く流そうとした。
---
市子は数週間前の出来事を思い出していた。
恵と高木が出会い系アプリで出会った時、市子は尾行して高木のチャラい態度を目撃していたのだ。
その時は、遊ぶくらいなら被害はないだろうと放任することにした。
(遊ぶだけなら放っておくけど、結婚となると話は別よね)
そんなことを市子が考えているとはつゆ知らず、恵は話を続ける。
「高木さんは田中とは全然違うわ。
私たちはいつだって対等だし、私の意見は面白し、ときどきハッとするんだって!
女28歳、遅れてきた大人の恋愛ってヤツね」
明らかに有頂天になっている。
---
「明日、高木さんの会社に行って調べてみるわ」
「えっ? 何を調べるの?」
市子は説明した。
「本当に信頼できる人なのかを確認したいのよ」
「高木さんなら大丈夫よ、きっと。
それとも、なにか怪しいことがあるの?」
出会った頃に高木という7再年上の男性と知り合ったことを聞いて、何より先に高木の素行調査をしたことは恵には話していない。
ましてチャラ男だったなんて言えるはずがない。
「恵ちゃんが結婚するかもなんて言い出すから、私も興味が湧いてきたのよ。私はあなたの後見人役ですからね」
---
高木とデートした夜は、恵は寝付きが好い。
(いい人に巡り会えました。
この幸せが続きますように!)
恵の表情は満足感に満ちていた。
---
市子は恵の変化を実感していた。
恵の幸福度は明らかに上昇している。でも素直に喜べない気持ちが心の隅にあるのだった。
(確かに恵ちゃんは最近生き生きしてるわ
あいつは本当に変わったのかしら?)
リビングで市子はコーヒーを飲もうと手を伸ばした。いつものように、リラックスした気持ちでカップに手を向ける。
しかし、手がカップをすり抜けて取れなかった。
(あれ? なんで?)
小さなものは掴めるはずだ。取り損なうことなんて、ゴーストになって以来一度もなかった。
(集中が足りなかったかな)
市子は気を取り直してもう一度。
今度は普通にカップを掴むことができた。
(まあ、たまにはこんなこともあるわよね)
そう自分に言い聞かせたが、心の奥で小さな違和感が消えなかった。
(明日こそ、高木の本当の姿を確かめる
もしチャラ男のまんまだったとしても、恵ちゃんが幸せなら、それでいいか)
市子はカップを強く握りしめようとして、ふと手を止めた。
(…もし何も出てこなかったら? それはそれでいい。でももし――)
市子の胸に、正体の見えないざわめきが広がっていた。




