第11話 会議ドタキャン男の真意??
月曜日の夕方5時、商社のオフィス。
恵はドイツプロジェクトの書類を整理しながら、充実感を味わっていた。先週のプレゼン成功以来、周囲からの評価も上がり、仕事が楽しくて仕方がない。
就業時間が近づき、社員たちがそれぞれ帰り支度を始めていた時、佐々木部長が山田主任に声をかけた。
「山田くん、ちょっと例の件で...」
しかし、山田主任は課長の足下を見るなり、席を立った。
「お先に失礼します」
山田主任は足早にオフィスを出てしまった。
部長は「あれ?」という顔で見回し、代役を探している。
目を合わせたらまずいと思った恵は顔を伏せた。
時既に遅し。
「春日くん、ちょっと」
部長は恵をロックオンしていた。
(山田あーー、許さんっ!!)
恵はしぶしぶ部長の席へ向かった。
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火曜日9時30分、オフィス。
恵はパソコンに向かって集中していた。ドイツプロジェクトの進捗報告書を作成中で、補足事項を入力している。
(これを片付けたら、ようやく今日の仕事を始められる)
昨日、退社前に片付けようと思っていたら、佐々木部長に頼まれた、物品購入書づくりに時間を取られてしまったからだ。
午前9時55分、恵が報告書を入力していると内線が鳴った。
「春日さん!頼む、助けて!」
山田主任の声はやけに慌ただしい。
「10時から営業報告会なんだけど、急用でどうしても出られないんだ」
「えっ、あと5分じゃないですか!」
「頼む、代わりに入って!」
恵が反論する間もなく、電話は一方的に切れた。
(いいなんて言ってないのに!また押し付けられた…!)
営業報告会は悪評高い会議の一つだった。
月1回だが、10時から12時まではみっちりと続き、お昼休みに入っても終わらないこともあるのだ。各支店からの実績報告で、そんなことは報告書にまとめれば済む内容なのに、肉声で伝えることが重要と、コロナ禍でリモート会議に変わったものの、その分長くなったとのことだ。営業1課では、山田主任が代表して参加(視聴?)することになっていた。
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午前中にやることがあったのに、恵の予定は全て潰れてしまった。
イアホンをつけて、パソコンの画面を見ながら、怒りが収まらない恵だった。
自分の姿はモニターされているので、内職をすることもできない。
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午後1時30分、オフィスの廊下。恵は午後出社してきた山田主任と廊下ですれ違った。
「ちょっと、山田主任!なんなんですか、さっきの電話」
恵は怒りを込めて詰め寄った。
「突然代理出席しろなんて。私だって午前中やることあったんです」
恵の剣幕に、普段なら山田主任は「そうだったんだ、ごめんごめん」と流されるのだが。
「申し訳ない、いや、すみません。
これからも君をはじめ、1課のみんなに迷惑をかけるかもしれない」
山田主任は平謝りした。
「え?どういうことですか?」
いつもの山田主任とは全く違う、あまりにも神妙な態度に、恵は困惑した。
「いや、その...」
山田主任は言いよどんだ。何か深刻な事情があるのかもしれない。
(何かヘン)
恵は異変を察知した。
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「昨日の態度、やっぱり妙だったわ」
リビングで市子に打ち明ける恵。
「謝るだけ謝って、説明しないで逃げるなんて」
市子は静かにうなずいた。
「真面目な人ほど、家の事情を隠そうとするのよ。介護疲れとかね」
「介護…?」恵は思わず聞き返した。
市子は自分の身近な例を挙げながら特徴を説明する。
・仕事を休んだり、同僚に迷惑をかけたりすることへの罪悪感
・しかし家庭の事情でどうしても休まざるを得ない
恵はそれを聞きながら、昨日の山田主任の顔を思い浮かべた。
(確かに、仕事のことで悩んでる顔じゃなかった)
恵の中で、断片がひとつにつながっていった。
「介護している人がどんどん抱え込んで、どうにもならなくなって。
でもそうなるともう、介護問題は家族どうしの争い事になってしまうの」
恵は驚いた。
「介護疲れ?山田主任が?
でも確かに、最近様子がおかしかった...」
恵は山田主任の最近の行動を振り返った。
確かに、以前より休むことが多くなっていた。
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市子は自分も経験したことだそうだ。
「私の兄嫁も、義母の介護で一人で抱え込んでたの。
『頼むのが申し訳ない』って、誰にも相談しなくて。
でも兄や他の親族は『頼まれてないから』って手を出さない。
こんな事を言っているけど私もそうだったの。
みんな大変なのは分かってるけど、頼まれるまで待っているのよ」
市子の説明は現実的だ。
「日本人の悪い癖よね。
迷惑かけたくない、でも察してくれ、とか。
山田さんも典型的だわ」
恵は反省した。
「そんなことなら、あんなに怒って突っかかるんじゃなかった。
もし本当に困ってるなら...」
「もし本当に介護問題なら、放っておくと大変なことになるわよ」
介護問題は一人で抱え込むと、必ず破綻する。その破綻は、家族を始め、その人の関係者に悪い影響しかもたらさないのだ。
「明日、山田主任にきちんと謝る!
そして、困ってることがあるんじゃないですかって聞いてみる」
恵は決意を固めた。
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水曜日の朝9時、オフィス。
恵は山田主任の席に向かった。
「山田主任、昨日は申し訳ありませんでした」
恵は深く頭を下げたあと、顔を上げて真正面から山田主任を見つめた。
「昨日は感情的になってしまってすみません。
でも……何か大変なことがあるんじゃないですか?」
「いや、その…」
山田主任は視線を泳がせ、机の上の書類を無意味にめくった。
「別に、仕事の都合で…」
「違いますよね。
昨日の主任の顔、仕事のことで悩んでる人の顔じゃなかったです」
山田主任の肩がわずかに震えた。
しばらく沈黙が流れ、ついに堰を切ったように声がこぼれた。
「……実は、母の介護で困っているんだ」
言葉を口にした瞬間、彼の表情から力が抜けていった。
「母は七十八歳で、二人暮らしなんだ。
先々週、近所で迷子になってしまって。病院で軽度の認知症と診断された。だから一人にしておくのが不安で…。
四人兄弟だけど、俺が長男だから、どうしても自分がやらなきゃって思ってしまって…」
恵は黙って聞いた。
山田主任の声には、張り詰めた糸のような疲労がにじんでいた。
いつもの軽さはどこにいってしまったんだろう。
「正直、もう限界だった。
仕事も休みがちで、周りに迷惑をかけてばかりで…。
でも、相談したら弱音を吐いたことになる気がして」
山田主任はふっと息を吐いた。
「春日くんに怒られた時、むしろほっとした。
誰かに気づいてもらえた気がして」
山田主任の苦悩が明らかになった。
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恵は提案した。
「その知人、介護問題にとても詳しい人なんです。
きっと解決策を知ってると思います。
詳しく話を聞いてきましょうか?」
山田主任は期待と困惑を示した。
「本当にそんな人が...?
でも、うちの状況は特殊なのかもしれないし...」
「知人に詳しく相談するので、状況を教えてください。
その方、必ず良いアドバイスをくれると思います」
「そんなに春日くんが親身になってくれるなら...
ぜひお知恵を借りたい。
自分ではどうしていいのかわからなくなっているんだ」




