樹海の底 ⑧
義樹の手記⑦
昨晩、私は気がついたことがある。あの娘の歯ブラシと自分の歯ブラシが同じ方向に傾いていたことだ。私は、洗面台の横の棚の自分のコップに歯ブラシを窓の方に向けて置くようにしている。それは湿気っぽい不潔な歯ブラシを窓から入る隙間風が、微塵でも清潔にしてくれると思っているからである。それは私の習慣で、偶然ではない。ふと、あの娘の歯ブラシを見たら、同じ方向に置いてあった。コップに置いた歯ブラシはきちんと窓際のほうを向いていた。妻のは違う。妻の歯ブラシは洗面台の方の家の内側を向いている。やはり、あの娘の故意ではないか。なんといやらしいことであろう。あの娘と同じ方向を向いている歯ブラシを、私は別の方向に置きたかったが、どうしてもできなかった。人様からはなんと思われようか。たかが一本の歯ブラシごときと思うだろう。だが、私にはそれが何とも不愉快極まりないことなのである。あの娘と同じ些細なことを、同じ空間で同じ習慣で生活をしている。そんなことに気づいてしまったのである。私が今まで気づかなかったこと自体不思議ではあるが、昨晩気づいてしまった。なんということだろうか。家族という者たちはなぜもこう似てしまうのだろう。妻は他人であるが、あの娘は違う。私と父は血が繋がっているが、継母とは他人である。それでも家族といって生きてきたわけだ。私は父と継母を当然尊敬している。もちろん、ママもそうである。私をこの世に産み落としてくれたのはママである。しかし、誰もがひとつの家で暮らすと、家族となる。そういう仕組みになっている。それは当たり前で、疑問に思うことではない。私は尊敬する者の中で育ってきて、それにたいして大きな疑問を抱いてはこなかった。たとえママと継母がいようとも、それは二人の母であり、どちらも私にとってなくてはならない母親であったのである。誰も邪魔のできない空間で生きてきた者同士、尊敬の絆があった。それが私が育った家である。私は家を大事に思ってきた。あの原市場の誰もいない家であろうと、私にとっては宝のように思っている。私と継母は家を出たのではなく、家を残したのである。医者である父がいたあの家を残しておきたかった。決して凡人ではない父の命の宿った家を診察所がなかろうと、守るべきものは守りたい。その気持ちは今も変わっていない。私の意見にモノを申すものなど存在しないだろう。私の育った家庭を汚す者などありえないのだ。私は本能として守りたいのだ。
新たな家庭を作るのは容易ではないことを今になって痛感する。歯ブラシがあの娘と同じ傾き方をしていようと、自分以外の者を他人のように感じてしまう。それは最近になってからのことだ。このところ強く思うようになった。血が繋がっていようとなかろうと、家の中にいるかぎり家族であると思っていた。結婚当初の喜びは消え失せ、今はあの娘が成長していくことで少女でも女でもない人間を不思議な人物として思うようになってしまった。あの娘の心が掴めないのだ。何を考えているのか、何をしているのか、将来に向けた指針もなく、宙ぶらりんに生きているおかしな人間を、私は尊敬して見ることができない。尊敬できないという人物に私は従うわけもなく、見下すことしかできない。この世にはだらしない人間が多くいるのだろう。健全な親の元で育とうと、だらしなくみっともない人間が生産される。生産されれば生産されるほど、この世に死が訪れるのだ。
私は立派に社会に貢献し、生きてきたというのに、あの娘は私や妻を見習うこともできず、空っぽの人間でしかない。なぜだろう。夢にすら出てこないママは教えてはくれない。私は何の頼りのないまま、この家で生きている。当初の理想的な家族は長い年月とともに消え去り、その原因はあの娘を見ればわかるのだ。あの娘に問うてみたい。私と妻の何がいけなかったのか。一体、何を考えているのか。不自由なく暮らせた私への恩がないというのか、しっかり聞いてみたいものである。あの娘が私へ何も言わず、敬意を払わないのも大きな疑問でしかない。突き放してしまいたいものだ。この家から放り出し、世間に揉まれて生きてみればよい。私が職場で人に何度頭を下げたであろう。そのお蔭で今の生活が成り立っているのだ。私が悪いのか? 私は少しも悪くないであろう。誰が私を責めよう。責めるわけもない。私には責任もない。ただ年月が経ったことで偶然、あの娘がああなっただけのことである。二十歳になった娘である。立派な大人だ。そこまで成長させた。すべては私のお蔭である……。
最近の私は疲れているようだ。歯ブラシの一件といい、私にとってはネガティブでショッキングなことでもあった。そう、はっきり言おう。残念なことに、私とあの娘は潜在的に似ているということだ。顔ははっきりと見ていない。すれ違いざまの曖昧な横顔であったり、ぼんやりとした輪郭くらいしか視界には映っていない。写真も見ていない。二十歳の成人式の写真だけは見たことがある。一年前のことだ。赤い生地に花柄のある華やかな着物だった。写真屋で撮ったものだった。私は何年も見ていないようなあの娘の顔を写真で見入った。私の娘のようでそうでないような、とても奇妙な気分になった。誰の顔とも思えなかった。私にも妻にも似ていないように感じた。ふと『修正しているような写真だな』と言ったら、あの娘は途端に嫌な顔をしたのを覚えている。そんな顔さえぼやけている。見ているようで見ていない。感覚で見ているとしか言いようがない。私の予測ではあるが、あの娘は私に似ているのだ。きっとそうである。それはとても残念なことだ。美しかった妻に似ず、私に似ているのであろう。そして、闇夜を生きるかのごとく、あの娘は我々の生活を蝕みつつある。なんと恐ろしいことであろう。あの娘は私の娘であり、似ているという事実。私がどれほど驚愕しているか、誰もが予測などできぬであろう。
私はとても悲しい。ママがいない悲しみとは違う悲しみ、淋しさに襲われている。悲しみとはもっと美しいものだと思っていた。そんな幻想を抱いた私は、若いときに本でも読みすぎたのではないだろうか。人が生きる美しい悲しみの物語は最も尊いと思っていた。愛した者の死のような喪失の悲しみが美しいと思っていた。私自身が非常に愚かであったのだ。私が今まで生きてきて、この悲しみは受け入れがたい。私はこういう類の悲しみに遭遇したことがなく、とてもうろたえている。情けない。長い年月、教員という職に就きながら、多くの書を読みながら、人を導くようなふりをしながら、最もらしく生きてきたが、今になってすべてが破壊されたのだ。今までの人生や生き方が幻であったかのようだ。子の上に立って導くことなどできなかったのであろう。私はそんな職に就いていた。この悲しみを誰と分かち合うことができるのか……。
神よ、私を娘と一緒にしないでくれ。私は私でしかない。娘は娘でしかない。私が生きるために何ができるのか。まっとうに生きたかった。昨晩、何も知らなければよかった、気づかねばよかった。それに気づいた私はそれまでなのだろう。私はもうおしまいなのだ。これで、ママに会いにいける。父と継母にも、見たことのないママに会うことができる。だから、私は懐かしい人々に会うことを選択する。もうそれしかないのだ……。
深夜二時過ぎ、義樹は自室のドアノブを見つめながら、長年愛用していた紺色と水色のネクタイを二本重ねて縛り、迷いもなくドアノブに掛けた。まるで機械が作業をこなしているかの事務的な行いだった。義樹は無表情であった。戸惑うこともなく、懐かしい人々の顔を思い浮かべ、最後に一呼吸して微笑みを浮かべながら、輪になったネクタイを首に引っ掛けた。
遺書
まず、この世では大変お世話になった和子に、ありがとうと言いたい。この世は混雑して、渋滞した道路のように混み入り、苛立ちの連続である。何事にも理想を追ってはいけない。理想と失望は背中合わせだからだ。
そして、私の命の家、私が生まれ育った原市場の家は、この世の果てまで残していただきたい。それが私の最後の我儘だ。死にゆく者が思うことはこんなことぐらいだ。
最後に私の娘、由依へ
私を許さなくてもいい。幸あることを私は望んでいる。
平成八年十二月三日
以上
白い便箋に書かれた遺書は、義樹の自室の机に置かれ、書き溜められたノートは本棚の奥の見えない場所に置かれている。
和子と由依はベッドですっかり眠っている。
明日からのことは誰も知らない。
<了>