助けて出雲くん!
異変に気付いたのは、既に恋子が忽然と、そこから姿を消して10分は経とうとしている時だった。女子トイレの扉から少し離れた位置で、窓の外を眺めていた出雲は、あまりにも姿を現さない恋子に痺れを切らし、どうしたものかと思案していた。
(糞でもしてるのかと思ったが………、長すぎる)
女というものはトイレが長い生き物だということは知っていたが、それにしても長すぎる。最初は大の方でもかましているのかとデリカシーのデの字も無いようなことを考えていたが、そうだとしても長すぎた。いよいよその違和感が、『何かあったのではないか』という危機感に変わる。そうして出雲は、なんの躊躇いもなく女子トイレの扉を蹴破った。
大きな音を立てて凹んだ木製の扉は簡単に吹っ飛び、女子トイレは丸見えとなった。そしてそこにはやはり恋子の姿はなく、ようやく気付くのだ。………やられた、と。
一方で私は、あれから何分、何時間、何日が経っているのかすら曖昧なままに、重たい瞼を開いた。壁を背にして、器用に座りながら気絶していた私は、自分の体が太い縄によってぐるぐる巻きにされ、自由を奪われていることを知る。そして徐々に覚醒していく頭で、先程の女子トイレでの出来事を思い出し、弾かれたように飛び起きるのだった。
「ようやく起きた。眠り姫」
そしてそんな私の頭上が降ってきた、まるで乙女ゲームのような甘い台詞。その声につられて視線を向けると、私を気絶させた張本人である、吉光くんその人が、私を冷たく見下ろしていたのだった。
「ここっ」
「此処はどこ、私をどうするつもり、目的はなんなの、こんな事したって無駄なんだから。………と、言うつもりだね?」
「え………、まだ何も言ってません」
私がグルグルと回る頭の中で考えていた事を、吉光くんは遮るように先回りして言い放った。なんだか悔しくて、私はそれを否定したが、彼はそんな私の気持ちすらお見通しなのか、勝ち誇ったように鼻を鳴らしていた。
「期待させて申し訳ないが、狙いは君ではない。あの憎き出雲を誘き寄せる罠………。つまり君は、餌ということだ」
「そんな………」
何となく雰囲気に合わせて焦ったような返事をしてみたが、そんな事はこちらもお見通しだった。殆ど面識のない私を、吉光くんが狙う筈がない。わざわざ私を浚うような、こんな回りくどい方法をとったのは、なかなか相手にしてくれない出雲くんをその気にさせる為なのだろう。
何故か勝手に語り出す吉光くんを他所に、私は今自分が置かれている状況を整理するべく、チラチラと辺りを見回した。ここは多分………、空き教室、だろうか。当然ながら他の生徒は誰1人おらず、いるのは私と吉光くんのみ。教室の構造は、私のクラスと全く一緒で、ザラザラとした埃っぽい床の感触や、籠った埃臭さが、校内のどこかの空き教室、という推理に辿り着いた訳だ。
壁に掛けられた時計を見てみる。私がトイレに行っていた時間から、たった30分程度しか経過していなかった。なら尚更、私を連れて校内に出ることなんて時間的にも難しいだろう。どこか知らない場所に連れて行かれた訳ではないことに、ホッと胸を撫で下ろした。
「しかし………、君は一体何者なんだ?」
「えっ」
そんなアレコレを考えていたのも束の間。吉光くんの意識が再び私に注がれ、何となくピンと背筋を伸ばした。ふと脳裏に過ぎるのは、出雲くんからの忠告だ。『能力のことは、決して誰にも言ってはならない』。勿論その約束を破るつもりはないが、どこか頭の切れそうな吉光くんに悟られてしまわないかと、ジンワリ冷や汗が出た。
「君はある日突然、出雲の隣に現れた。今まで出雲は、女は勿論、誰1人だって側に置いたことはない………」
「そ、そうなんですか?」
「彼は誰のことも信用しない。孤高の男だからね」
吉光くんの言葉の端々からは、何となく出雲くんへの尊敬の念が感じ取れた。ライバル視していることは確かなのだろうが、でも心のどこかでは認めている………、そんな気がする。
(そんなの…………、めちゃくちゃ熱いじゃない………!!!!)
何度も言うが、私は乙女ゲームの世界出身。元いた世界では、恋愛要素強めのイベントしか無かったので、こんなに熱い男同士の友情(吉光くんの一方的な)というのはあまり見ることがなかった。別に私がいた世界の男子たちも、仲が悪い訳ではなく、ちゃんと信頼関係があったり、設定上親友となっている攻略キャラ同士はいたけれど………。
(そういえば私が今置かれている状況も、女性プレイヤーからしたら憧れのシチュエーションなのでは………!?)
学園モノ乙女ゲームではなかなか無い、敵に拐われるシチュエーション。それを、白馬の王子様が助けにくる………。まるで西洋のラブロマンスのような………。そう、私は姫………、囚われの姫なのよ!
「ああ、なんて辛いのかしら!!!」
「どうしたんだ急に」
突然私が変貌したものだから、飄々とした態度を崩さなかった吉光くんが、少し驚いたようにたじろぐ。
「吉光くん………。どんな卑怯な手を使ったって、私の心は奪えません………!」
「なに……?」
「私は、出雲くんのものですから!!」
私の高らかな宣言。でも、嘘ではない!まだ数日しか共に過ごしてないけれど、それでもこのたった数日で、出雲くんがどんな人かは見えてきた。冷たく見えて、本当は優しくて温かい。私のような得体の知れない女を保護して守ってくれているのだから。だから私も、出雲くんに尽くします!
「………面白い女だ」
どこかで聞いたことのあるような、自分に靡かない女を逆に気にいるイケメンみたいな台詞を吐いた吉光くんは、グッと私の顎を掴んで顔を引き寄せた。サラサラの金色の前髪が、私の目にチクチクと入ってめっちゃ痒かった。パシパシと瞬きを繰り返す私の瞳を、吉光くんの碧い透き通った瞳が射抜く。
そして、次の瞬間。けたたましい破壊音と共に教室の扉が吹っ飛び、同時に出雲くんが勢いよく姿を現した。その音と風、一気に舞い上がる埃に反射的に目を閉じ、コホコホと咳き込む。落ち着いてきた頃、次に耳に入ってきたのは鳴り響くエンジン音のような………。
ゆっくりと開いた目で捉えたのは、制服ノーヘル姿で黒光りするバイクに跨る、出雲くん。白馬に乗った王子様ならぬ、黒いマシンに乗った出雲くんが、そこには立っていたのだ。
「出雲くん!!!!」
「………来たね、出雲。まんまと餌に釣られてくれるとは」
出雲くんは相変わらず表情を変えず、バイクから降りることもしないままに、ピッと私を指差して一言。
「返せ」