4話
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最終学年で迎えた学園での最後の後夜祭で、この国の第二王子と婚約発表をした私リュシエル・ガトゥーラは、無事に明日の卒業式を迎えられることを喜んだ。
何故かというと、侯爵令嬢が第二王子の婚約者になったことで、まわりの貴族たちが「うちの娘の方が相応しいよ」ってな感じの横槍が激しかったのだ。
今夜は家族みんなで前祝いをしようということになり、王宮で宰相を務めている父様が「帰りに、プレゼントを買ってくる」と今朝方邸を後にした。
その日の夕方、晩餐の席に着くと父様は「陛下がお土産に持たせてくれた品がある」と言った後で、手を三回叩く。すると、扉が開かれ数本の酒瓶を載せたワゴンが運ばれてきた。
······な!
「お飲みものは、どちらになさいますか?」
各席でワゴンを止めながらグラスに飲み物を注いで回り、最後に私のグラスに果実酒を注いでから彼は隣の席に腰を下ろした。
微笑みながらアクアブルーの瞳を私に向けて見続けている美男子。彼はこのビオスブライト国の第二王子のイルキス殿下で私の婚約者だ。
この場にいる誰ひとりとしてそれをスルーである。幼い弟までもが空気を察知し、視線をずらし声を出さず沈黙を貫いている。
しばしの沈黙の中コホンと咳払いをした父様が「すまない。着いてきてしまった」ポツリと謝り眉を下げた。
日付が変わり卒業式当日の朝を迎えた。
目が覚めると隣にはイケメンの婚約者が目を細めてニコニコしながら私を見ていた。
「おはよう、リュシー」
「······」
······なぜ···?
「ん?そんなに見つめられると恥ずかしいな」
「見つめっ···て、見間違いです」
睨みつけられて、照れてる貴方様は
······なぜここにいる?
昨夜、自宅にて卒業の前祝いをした後、私は先に自室に戻ってベッドに潜りこんだはずだ。
そうだ、その後で一度起こされた。確か「帰る前に、おやすみって言いたくて」と言われたような?そして帰った筈だよね?
うーん。飲み過ぎたらしく記憶が曖昧だ。
「帰るときに宰相に···いや···義父に、帰るのか?と聞かれたから泊まると言ったら了承してくれて―――」
······いや、まだ婚姻前で義父は早いだろう
······で?なぜここにいる?
「リュシーをさわりだしたら、怒ったから。じゃぁ、今夜はしないから添い寝だけって言ったら『うん』って頷いてくれたよね?」
······言ったか?頷いただと?
······いや、そんな記憶はないんですけど?
「とりあえず、朝食にしよう。侍女が部屋に食事を用意してくれたよ」
まだ婚約者なのに、週に一度はお忍びで泊まりに来ているルキは、今ではすっかり我が家の中では王子の仮面を剥がして地が出ている。
『静なる殿下』はどこへやら。侍女らは声をかけられる度に頬を赤らめている。こちらからルキに声をかけるときは順番制になっているらしい。
今日で第二王子のルキと朝食を一緒に食べるのは最後になる。といっても明日には臣下降下し、カリュザイール公爵となり王子と言う肩書きのようなものが変わるだけなのだが。
ルキは私の額に唇を落とし、先にベッドから降り立つとクローゼットの扉を開いた。
初めてクローゼットの扉を開けられたときはビックリしたが、侍女に着替えを私のクローゼットの中に仕舞うように言ったのだろう、今ではルキの衣類に3割の収納スペースを取られている。
そのため、クローゼットの中に入らない私の衣類はクロークルームに移動されていた。
クローゼットの中からラフなシャツと下着を選び出している。初めの頃は、第二王子が自らとは笑ってしまったが、今では見慣れた光景だ。
······そう、見慣れた光景
······慣れって怖いわ
「···ルキ、どうして貴方は全裸なの?」
「···本当だ。何でだろうね?そんなことより早く食べないと、卒業式の準備が間に合わないよ」
パンツを履きながら、しれっと話を逸らす。
その様子に私が呆れ顔を見せると視線まで逸らして、そのままテーブルに着き食事をしはじめた。
「はぁ、あなたも食事を済ませたら早く帰らないと間に合わなくなるわよ」
私も席に着いたところで帰るように促すと、ルキは「心配ないよ」と微笑んで、私の後方を見て指を指した。
その先には、彼の正装が······私のドレスと腕組みしているかのように、袖と袖を絡ませて横並びにハンガーに吊るされていた。
······あれ、シワになるんだよね
正装は、昨夜のうちに我が家に運び込まれていたらしい。誰が運んできたのだろうか?王宮勤めの王子付きの方の仕事ぶりには感心するが、こんな仕事はしたくなかっただろうに。
しかし、解せない。
今日は学園最後の日なのだ。
エスコートしてくれるにしても、一緒に行くにしても、こんな日ぐらい
······一度帰って、迎えに来いや
「······ほ、ほら!リュシーの好きなトマト入りのスクランブルエッグだよ。アーンして」
そして、ルキは今も私の百面相から思考を読み続けているみたいだ。それを無視して話を逸らす姿はとても愛らしいのだ。そんなルキにほだされるのは、私を幸せにしてくれている?から仕方ないと諸々諦めていた。さっきまでは―――。
部屋の扉のノック音が鳴り、侍女らが中に入ってきたときのことだ。
「朝食はお済みでしょうか?そろそろお支度を始めたいので···す···ギャー···お、お、お嬢様!」
「な、何?···どうしたの?」
そうして私は鏡の前に立たされた。
「な、な、何よこれー!」
侍女らは、私を鏡の前に放置したあと、すでに後ろで緊急会議を始めている。
「あんなにたくさんどうしましょう」
「愛の証の数だからな」
「ちょと、濃すぎますわ」
「薄っぺらい想いではないからな」
「コンシーラーを重ね合わせます?」
「そのままでいいだろう」
「「「えっ?」」」
しれっと会話に加わっていらっしゃる。
カップを片手に優雅にお茶を飲みながら、美しい瞳を細めて、驚き振り向いた侍女らにルキは微笑んだ。
「私の愛がみんなに伝わるからね」
······ふ、ふ、ざけんな!
一個や二個じゃない、数えきれない赤い跡
······いい加減にしてほしい!
首もデコルテも赤い水玉模様だらけだ。
そして、諸々を諦めていた私は、この件に関しては諦めきれずに、キレた。
「ルキ!何事にも限度があります。そんな事も分からないのですか?」
「そして、私の愛情にも限度があります。我慢するにも程があるのです。限度を超えて憎しみに変わる前に、これをどうにかなさい」
実は、ルキはかなりの魔法の使い手なのだ。
もちろん私も上位魔法を軽く使えるくらいの力量はある。彼と私との違いは、使える種類が違うという言い方が正しいだろう。大まかに言うと、彼は防御系で私が攻撃系。だから、ルキは治癒魔法が使えるはず。まだ見たことはないが。
「リュシー、昨夜は私も我慢したんだ。ベッドに入り服を脱がした後で君に顔を埋めると怒られた」
「なっ!」
「どうにか理性を取り戻し、君が風邪を引いたら大変だから脱がした服を着せ直した。それでも、酒が入りムラムラした気持ちは続き、唇を重ねたら今度こそ理性がなくなると思い、欲望に負けないように我慢した行動だったんだ」
「はぁ」
「そんな私を許してはくれないだろうか」
侍女らの前で、何を語ってくれてんだ。
ルキの話す内容に、侍女らは頬を赤らめたと思ったら、次は何度も頷きながら聞いていて、最後には涙目で私を見始めだした。
······何?私が悪かったわけ?
「私は謝れとは言っていないわ。どうにかしてと言ったのよ。今すぐ治癒魔法で治しなさい」
「治らなかったら······私は、卒業式を欠席いたします」
☆
昨年の卒業式は、ルキは出席しなかった。
この一年間、色々なことがあったと思う。いや、ありすぎたな。
今、私の婚約者殿は、壇上で答辞を読み上げている。整った顔をしているルキが、真剣な眼差しで式場を見渡している姿はめちゃくちゃカッコいい。
当然の如く婚約者として私と共に歩み始めたルキ。私と幸せを見つけてくれると言ってくれたあの日、彼と出会えたことに感謝している。
そして、私が幼いころに夢見ていた『いつも一緒』の未来が、当たり前の今日という日になるのを楽しみにしていることは、まだ言うつもりはないけど。
卒業式を終えて正門へ向かう途中、卒業生の団体があちらこちらで集まっていた。その中のひとつの団体の輪の中から、長く艶のある金髪を柔らかな風にフワリとなびかせ一人の美少女がこちらに向かって歩いてきた。
「リュシー!お待ちになって!」
ドゥルッセン公爵令嬢のフローレンス様だ。
「フローレンス様」
「もう!レンって呼んで下さるように何度も伝えていますわよね」
······ふたりで居るときだけだと
私も何度も伝えていますが?
公爵令嬢を相手に普段の言葉遣い、いわゆる『タメ口』で話して欲しいと毎回無理難題なお願いをされ続け、最後には私が折れた。他の人が居ないとき限定で。
困り顔でヒクヒクと頬を引きつらせながら微笑みをプラスしたところで
「······そうでしたわ」
伝わった。
ドゥルッセン公爵当主の妹が王妃様なので、レンとルキは従兄妹だ。年齢は同じだが、ルキの方が3ヶ月早く生まれたという。
そのため、小さい頃からルキには兄貴面されて喧嘩ばかりしていると、以前レンがぼやいていた。
レンとふたりでお茶会をするようになって気がついたが、この従兄妹は容姿以外そっくりだった。性格、考え方、腹黒いところ、ちなみに私の顔を見て思考が読めるところもだ。
「5日後のお茶会の前に、どうしてもリュシーにお話ししたいことがあって、ふたりで会える時間を作っていただきたいのですわ」
「それでしたら、3日後でどうでしょうか?」
「···そうですわね、ではこの後一度邸に戻って着替えてからお伺いしますわね」
······えーと、話聞いてます?
······そうそう、こんなところも一緒だったね
何事も諦めが肝心だ。
「分かりました。お待ちしていますね」
レンと別れた後で正門前まで来ると、そこは人で溢れかえっていた。
王家の馬車は花束をギュウギュウに詰め込まれていて、その前に立つルキが花束を受け取っている。そして、花束を持った学生たちが、次々と押し寄せていた。
私は、その光景に怖気づいて未だルキの周りの輪に入れないでいる花束を持った一人に声をかけた。
「失礼ですが、その花束をイルキス殿下にお渡しする際に伝言をお願いしたいのですが」
「······あっ、はい」
突然、目の前に現れた彼の婚約者である私に驚いたのだろう。声をかけると栗色の瞳を大きくさせた。
「私は、リュシエル・ガトゥーラと申します。イルキス殿下にリュシエルは先に帰ったとお伝えして下さいますか」
「わ、分かりました。か、か、必ずお伝えします。そ、あ、······ガ···」
よく聞き取れない言葉に、具合でも悪いのかと尋ねる。すると彼女の栗色の瞳は閉じられ、幾つもの涙が頬を伝いだした。
「も、申し訳ありません。ガトゥーラ様の御尊顔が目の前に···う、嬉しいです。一生の思い出になりました」
「はっ?」
ヤバい、地で返してしまった。
彼女が落ち着いたところで話を聞けば、な、なんと、腕に大事に抱えている花束は私に渡すために用意してくれた物だった。直接渡せず、ルキに預かってもらうつもりだったらしい。
「尊過ぎて···近寄れなくて···い、今お話していますが、意識が飛びそうで···す···」
「そうでしたか。意識があるうちにイルキス殿下への言伝てをお願いいたしますね。では···」
このまま会話を続けると、違った意味で身の危険を感じた私はさっさとその場を離れることにした。
······よし、帰ろう!
ルキと一緒に帰ることになっていたので、ガトゥーラ侯爵家の馬車も王家の馬車の奥に先頭で並んでいて、いつでも出発できる状態だ。そして、うちの馬車の後ろにはなんと、ドゥルッセン公爵の家紋がキラリと光り輝く馬車が見える。
私は、卒業証書で顔を隠しながら正門をくぐり抜けて馬車まで来ると、後ろの高級馬車の御者に軽くお辞儀をしてからうちの馬車に乗り込んだ。カーテンを閉めた後で窓から顔を出し、御者に静かにゆっくり出発するように話す。
そして、馬車はガトゥーラ侯爵邸へと動きだした。
邸に戻ってきた私が軽い服装に着替えて昼食を済ませたところで、レンが訪ねてきた。
「早かったわね。いい天気なので庭園の四阿にお茶を用意するから、そこでいいかしら?」
「えぇ、私は何処でもいいですわ。お土産にこれを······お茶をしながら食べましょう?」
「ありがとう。何かしら?今開けてみても?」
「どうぞ」
······チキンの詰め合わせ?
······なぜ、チキン?
「チキンを食べると、筋肉がつくのよ!」
「へぇー」
······それって、今必要?
侍女にそれを渡し、焼き菓子も持ってくるように耳打ちした。
レンの前にチキンを、私の前にはスイーツを並べて、直ぐ様それに合う各々のお茶をティーポットから注ぐ。さすが我が家の侍女。レンの前にチキンを並べるところが有能である。しかも、チキンをお土産で持ってきたということは昼食を食べてくる時間がなかったのかも?と侍女は察したらしく、ワゴンにチキンに合うサラダやフルーツなども用意してテーブル脇でスタンバってる。
「ところで、話したいこととは?何かあったのでしょうか」
レンは、お茶を一口飲んでから音を一切させずにティーカップをソーサーに置いて、上目遣いで私を覗き込んだ。
「···実は、私の婚姻が決まりましたの!」
「婚姻?レンには婚約者がいなかったですよね?」
そう、不思議に思っていたのだ。公爵家のご令嬢に婚約者がいないことを。
「そうですわね、リュシーには正直にお話しいたしますわ。私にも、ルキと一緒で幼い頃から想う方がおりましたの―――」




